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ジョン・ディーコンの半世紀


(3)上京

1969年6月、ジョンはビーカム・グラマー・スクールを卒業します。当時のイギリスは大学進学のために一定数の教科でOレベルかAレベルという評価を得ないといけなくて(現在は別の評価法があるそうです)、彼は英語・英文学・数学・自然科学・化学・生物・フランス語・高等数学の8つでOレベルを取得しています。ちなみにブライアンはこれにドイツ語・ラテン語を加えた10個のOレベルを取っている模様でして、やはり語学に達者なのはブライアンの方なんだなあ、でもやっぱりお互い歴史や政治関係には疎いんだなあと思ってしまいました。

その夏に最後のギグをこなした後、ジョンは1965年から足掛け4年間続けたバンド活動に幕を閉じます。そして10月、古いアコースティック・ギター以外は、ベースやその他一切の機材を自宅に残したまま、ロンドンのチェルシー・カレッジへと向かったのです。彼の音楽活動はこれでおしまいなんだなと、郷里の友人達はいたって冷静に受け止めていました。それだけジョンのバンド活動に対する姿勢が常識の範囲を越えてはおらず、どこか醒めたものにみえていたとしても無理はないでしょう。ところがジョンの音楽への情熱は、意外にも深いところでずーっとくすぶり続けていたのでした。「意外にも」とはいえ、電子工学を学んでスタジオのエンジニアになるのが夢だと語っていたこともある彼の頭の中では、常に「電子工学」と「音楽」が等しい重さを持っていたとも考えられます。

大学生活はどんな風だったのでしょう。本人いわく「優等生ネ!? ウン、そうかもしれないな。大学へ入ってからも煙草やお酒に縁がなかったし、女の子と遊び回った経験もないからね」(86年)ということで、どこまで大真面目な発言なのかはともかくとして、1年生の時はひたすら勉学に燃えていた模様です。下宿は大学の寮の最上階(一番安い場所)で、6人のルームメイトと生活を共にしていました。「ロンドンはどこか馴染めないところで、自分は部外者なんだという意識を、いつも持ってたよ」との発言には後のクイーンでの立場も垣間見られますが、要するに人見知り(物見知り?)しちゃう性格なんでしょう。実際、初めのうちは週末ごとにオードビーに舞い戻っては郷里の友人達を訪ねていたんだとか。特に親友のナイジェル君とは手紙のやりとりも頻繁だったみたいです。

ですが、しばらくしてジョンを訪ねたナイジェル君は、意外にすんなりと当時のロンドンの流行に順応していた彼に驚きます。実はジョン、物凄く好奇心が旺盛で、流行にも敏感なんですよね。ディスコ・サウンドを取り入れたり、「好きな曲」が大抵その当時のヒット・ソングだったり、今だってマドンナやカイリー・ミノーグ(笑)。電子工学も流行の先端を追う学問ですしね。そして、流行に敏感ということは、つまりオシャレでもあるということ。後年の「衣装」とはとても言い難いライブでの恰好をみていると「ええっ」って感じですが、あれもオシャレの一つの形だったりして。生真面目さは以前と変わらないままとはいえ、髪を伸ばし、ケンジントン界隈を散策し、オードビー時代よりずっと社交的になったというジョン。「フレディとはクイーン加入前にブティックで知り合っていた」という説があるのも頷ける気がします。

そして大学生活に慣れてきた頃、無性に恋しくなってきたものがありました。音楽です。学内外のディスコでいろんな音に触れるうちに、バンド活動がどんどん懐かしくなり、古いアコギ1本では我慢しきれなくなったジョンは、モリー母さんを説得して家から楽器類を運んできてもらい、ルーム・メイトと一緒に軽いセッションを楽しむようになったのでした。またこの他にも、メロディ・メイカー紙などのメンバー募集広告を丹念にチェックして、様々なバンドに自分からアプローチしていたそうです。結果はいつもダメだったらしいのですが、「良い経験だったから、ちっともショックじゃないよ」と、故郷の親友、文通相手のナイジェルさん宛に書き記しています。ちょっぴり強がりな言葉ではありますが、広告を見て電話を掛けて、相手がビッグ・ネームだと分かると途端に怖じ気づいてしまう臆病なところがあったみたいです。電話する前に気付けよと思うんですが(^^;) そういえばクイーンが様々な催しに他のバンドに混じって参加する際、ジョンは大抵メンバーの後ろに隠れていたり、ローディーに混じってしまっていたりしますね。究極が「シャイが高じてダイアナ妃に会えなかった」ライヴ・エイド。「クイーンは外部から隔離されているグループなんだ」とブライアンが語っていましたが、その原因の一端は、ジョンのこういう内弁慶さ(?)なのかもしれません。ビジネス面では、ツワモノ揃いのレコード会社を相手にバリバリ要求を通していた彼ではあるんですけども。

でも、もし他のバンドのオーディションに受かっていたら…? 1月のあの夜にディスコに行っていなかったら…? 人生の分岐点は実に些細なところにあるものです。(2001年8月に掲示板にて発表・2002年5月30日追加編集)

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