A-D
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E-H
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I-L
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M-P
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Q-T
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U-Z
A-D
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Ahwai, Robert
[ロバート・オーワイ(アーワイ)]
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1986年結成の3人組ソロ・ユニット、The Immortalsのメンバー。ギタリスト。1983年のMan Friday and Jive Juniorの共同プロデュースも担当。Gonzalez他、様々なバンドに在籍。
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Bartholomew (Bart), Peter
[ピーター・バーソロミュー(バート)]
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オードビー時代最初のバンド、The Oppositionに途中加入したシンガー。3歳年上でアウトサイダー的な言動が目立ったため、8ヶ月在籍した後に解雇。自分こそがジョンにベースを勧めたと主張している。
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Brown, Errol
[エロール・ブラウン]
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Hot Chocolateのリード・ヴォーカリスト。1986年に"This Is Your Time"など幾つかジョンと共作したらしいが、2003年現在もお蔵入りしている。
[official]
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Bullen, Nigel
[ナイジェル・バレン]
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The Oppositionのオリジナル・ドラマーであり、親友。1975年1月18日の彼の結婚式では、花婿介添人も務めた。
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Castledine, Clive
[クライヴ・キャッスルディン]
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The Oppositionのオリジナル・ベーシスト。モッズ・カルチャーに傾倒するあまりバンド活動が疎かになった彼のおかげ(?)で、ジョンがベースに転向することになった。
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Chambers, Martin
[マーティン・チェンバース]
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Man Friday and Jive Juniorの一員として"Picking Up Sounds"でヴォーカルを担当。The Pretendersのドラマー兼ヴォーカリスト。
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Chen, Phil
[フィル・チェン]
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70年代初期にジョンが「影響を受けたミュージシャン」として名前を挙げていたベーシストの1人。フィルの方も、ジョンのプレイが好きだと94年のベース・マガジンで語っている。ジェフ・ベック、ロッド・スチュワートらと関わりがあり、ブライアンの「スターフリート」セッションに参加。
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Chester, Ronald (Ron)
[ロナルド(ロン)・チェスター]
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1966年にThe Oppositionに加入したギタリスト。デイヴ・ウィリアムスと同じバンド(Outer Limits)にいた。どこへ行くのにも鹿討帽(Deerstalker)を被っていたらしい。
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Cocker, Joe
[ジョー・コッカー]
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映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌などで有名な、長いキャリアを持つシンガー。プリンス・トラスト1988では、彼の曲(『あの娘のレター』)の時だけジョンが特別ゲストとして登場している。
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Costello, Elvis
[エルビス・コステロ]
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77年のデビュー頃からジョンが注目し、褒めていたシンガー。今は立派な大御所。89年のラジオ・インタビューでも、ジョンはその名も『ヴェロニカ』という彼の曲をちゃっかりリクエストしていた(ちなみにこの曲のベースはポール・マッカートニー)。
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Crallan, Henry
[ヘンリー・クララン]
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元ローディー。1984年頃、ジョンにレコーディング・スタジオ(Milo Studio)の共同経営の話を持ちかける。投資はしたものの、ジョン自身は5年ほど経つと興味を失って降板。クララン氏は現在もオーナーとしてスタジオ運営に関わっている(他会社と合併後、Milocoに改名)。
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Deacon, Arthur Henry
[アーサー・ヘンリー・ディーコン]
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ジョンの父。彼の機械いじりの趣味は息子に大きな影響を与えた。ジョンが11歳の時に死去。
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Deacon, Cameron
[キャメロン・ディーコン]
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Deacon, Joshua
[ジョシュア・ディーコン]
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ジョンの第4子。1983年生まれ。ジョン曰く「家族一のPCゲーマー」(1998年時点)。
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Deacon, Julie
[ジュリー・ディーコン]
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Deacon, Laura
[ローラ・ディーコン]
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ジョンの第3子。一人娘。1979年生まれ。『ブレイク・フリー』PV撮影現場で老婆に扮した父親を見て、怯えて泣いたそう。
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Deacon, Lillian Molly
[リリアン・モリー・ディーコン]
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ジョンの母。旧姓パーキンス。急逝した夫の分まで、厳格に息子の教育に力を注ぐ。
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Deacon, Luke
[ルーク・ディーコン]
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Deacon, Michael
[マイケル・ディーコン]
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ジョンの第2子。1978年生まれ。90年代には「Baker」というバンドでギターを弾いていた。
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Deacon, Robert
[ロバート・ディーコン]
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ジョンの第1子。1975年生まれ。音楽関係の仕事に就いているらしい。
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Edney, Spike
[スパイク・エドニー]
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クイーンのサイドマンとしてキーボードやギターを担当(マジック・ツアーの『ハマー・トゥー・フォール』演奏時、ジョンと同じマイクでハモっているのが彼)。ブライアンやロジャーのソロ活動にも協力、後にSASバンドを結成。ファースト・アルバムにはジョンも参加している。
[official]
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Farnell, Christine
[クリスティン・ファーネル]
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1971年1月、マリア・アサンプタ教員養成学校内のディスコでジョンをブライアンとロジャーに引き合わせた、彼ら共通の友人。
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Gorham, Scott
[スコット・ゴーハム]
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Man Friday and Jive Juniorの一員として"Picking Up Sounds"でギターを演奏。Thin Lizzyのギタリスト。
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Gregory, Steve
[スティーブ・グレゴリー]
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『愛ある日々』でサキソフォンを演奏。かつてのジョンのお気に入りバンド、Gonzalez等に在籍。
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Hawks, Tony
[トニー・ホークス]
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Morris Minor and the Majorsのリーダー兼ライター。ヴァージン航空のイギリス-フロリダ間処女航空の招待客として乗り合わせたジョンに、自分達の曲のPV出演を依頼、あの出不精な彼から見事OKを勝ち取る。
[official]
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Hayes, Jenny
[ジェニー・ヘイズ]
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1967年ごろ、友人のチャーメイン・クーパーと共にThe Oppositionのゴー・ゴー・ダンサーを務める。ジョンが余りに無口で大人しかったせいで、彼のことはほとんど覚えていないらしい。
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Hince, Peter
[ピーター・ヒンス]
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ジョンとフレディのローディー、後にクルーのヘッド。通称「ラッティ」。現在は写真家として活躍中。
[official]
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Honda, Minako
[本田美奈子]
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ブライアンとの共演が有名だが、それに先立ってジョンのThe Immortals名義のソロ曲"No Turning Back"を、『ルーレット』という邦題でカバーしている(歌詞の内容は全く異なっている)。ジョンと接触があったかは不明。
(M・Iさんからの情報を追記)1986年にQueenのコンサートに招かれて、バックステージでメンバーと会ったのだそう(「KAWADE夢ムック 文藝別冊 クイーン伝説のチャンピオン」より)
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John, Elton
[エルトン・ジョン]
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1985年、86年に彼が出した2枚のアルバムに、ソロ活動が極端に少ないジョンが参加しているのは特筆すべきである(ただしロジャーも一緒)。97年、パリに於いて彼がボーカルを務めた『ショウ・マスト・ゴー・オン』での共演以来、ジョンはステージに上っていないのも何かの縁か。
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Kirke, Simon
[サイモン・カーク]
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Man Friday and Jive Juniorの一員として"Picking Up Sounds"でドラムスを担当。Free、Bad Campany等のドラマー。
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Mandel, Fred
[フレッド・マンデル]
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『ブレイク・フリー』でシンセサイザーを演奏。初の補助キーボード奏者として、ホット・スペース・ツアーに同行している。
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Marley, Bob
[ボブ・マーリィ]
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伝説的レゲエ・シンガー。『地獄へ道連れ』が気に入っていた彼はマジソン・スクエア・ガーデンでのライヴに姿を見せ、客席に彼がいるのを知ったジョン(レゲエも好き)がショウ開始前に突如『Lively up yourself』のベース・リフを奏でたことがあったらしい(Crystal's Tales 24より)。81年没。
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May, Brian
[ブライアン・メイ]
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McEnroe, John
[ジョン・マッケンロー]
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かつて「悪童」の異名で知られた熱血テニス・プレイヤー。1983年のオフにジョンの自宅スタジオでジャム・セッションを行っている。ギターの腕もなかなからしい。近年出版した自伝でミュージシャンとの交流について触れているが、ジョンの名前は挙がっていない模様。
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Mercury, Freddie
[フレディ・マーキュリー]
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クイーンの4分の1。歌えないジョンの「声」であり、良き協力者でもあったヴォーカリスト。
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Naiff, Lynton
[リントン・ナイフ]
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『愛ある日々』でストリングスのアレンジを担当。UKブルース・ロック・バンド、Affinityに在籍後、様々なバンドに参加。
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Nelson, Jack
[ジャック・ネルソン]
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トライデント社から派遣されていた元マネージャー。70年代初め、ジョンは彼を「最も影響を受けた人」に挙げている。ジョークか?
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Ralphs, Mick
[ミック・ラルフス]
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Man Friday and Jive Juniorの一員として"Picking Up Sounds"でギターを担当。Mott The Hoople、Bad Company等のギタリスト。
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Squire, Chris
[クリス・スクワイア]
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70年代初期にジョンが「影響を受けたミュージシャン」として名前を挙げていた内の1人。Yesのベーシスト。若い頃、ジョンは彼に憧れてリッケンバッカーを試したことがある(ブライアンによれば、初オーディション時のベースもそうだったらしい)。
[Official]
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Stewart, Jackie
[ジャッキー・スチュワート]
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3度もワールド・チャンピオンに輝いたことがある、70年代初頭に活躍したF1レーサー。ドキュメンタリー「栄光の軌跡」にて、ジョンの当時のマイカーは(ロック・スターには似合わない)ボルボだったと暴露している。
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Stoddart, Peter
[ピーター・ストッダート]
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チェルシー・カレッジ時代のジョンのフラット・メートでギタリスト。1971年、ジョンと2人の仲間と共に「Deacon」という名のR&Bカルテットを結成、カレッジ内で一夜限りのギグをこなす。
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Taylor, Roger
[ロジャー・テイラー]
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クイーンの4分の1。メイン・ヴォーカルもコーラスもどんとこいなドラマー。80年代はジョンとよく遊んでいた。
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Tetslaff, Veronica Agnes Mary
[ヴェロニカ・アグネス・メアリー・テッツラフ]
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1971年、ジョンがクイーンに加入した同時期に知り合い、4年後に妻となる。5男1女の母として現在も家庭を守っている。『マイ・ベスト・フレンド』は彼女に捧げられた歌。
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Tomkins, Derek
[デレク・トムキンス]
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オードビー時代のバンド、The Artのデモ3曲(『Sunny』『Vehicle』そしてオリジナルの『Transit 3』)を録音したエンジニア。ジョン最初のレコーディング物であるこのアセテート盤は、2枚しか現存していないらしい(1枚はジョンの母、もう1枚はナイジェル・バレンが所有している模様)。
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Williams, David (Dave)
[デヴィッド(デイヴ)・ウィリアムス]
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1966年にThe Oppositionに加入したギタリスト兼ヴォーカリスト。同級生だが、バンド経験(Outer Limits)があり、各自ばらばらな音を出していた彼らに互いのパートの音合わせを教えた。彼が芸術家気取り(arty)だということで後にバンド名がThe Artに変わる。
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Young, Richard
[リチャード・ヤング]
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The Oppositionのオリジナル・ギタリスト兼ヴォーカリスト。後にはキーボードも担当した中心的かつパトロン的存在。当時のギグの回数やエピソードが分かるのは、彼が記録保管人として詳細に記していた日記のおかげである。
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Zakatek, Lenny
[レニー・ザカテック]
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1986年に結成した3人組ソロ・ユニット、The Immortalsのメンバー。ヴォーカル担当。Gonzalez、Alan Parson's Projects等に在籍。
[web]
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