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思い出の波止場

QPの車で家まで送ってもらう途中のことだった。
なにげない雑談から、話はドンチャック刑事のことに及んだ。
「まったく、おかしな奴だよドンチャックは。……昔はもっとハードに決めてて、
ほれぼれするところがあったけどな」
しみじみとQPが口にした。
「昔って、彼がまだブランデー刑事と呼ばれてた頃ですね?」
そして、兄ピーナッツが生きていた頃。
「QPさん……僕は、兄に似ていますか?」
さりげない口調を装って、聞いてみる。
「ああん?そうだな……そりゃ、顔かたちはそっくりだよ。
でもあいつはなんていうか、もっとクールな奴だったな。
『仏のピーナッツ』と呼ばれていたくらいだから、始終にこやかに笑ってたけど、
時折見せる眼光の鋭さに悪人どもは震え上がったもんさ。
……それに比べて、君は素朴な感じが強いんだ。アメリカ帰りにゃ見えないね」

「もしかして、ドンチャック刑事がイメージを変えたのは、僕のせい、なんでしょうか」
(僕が兄と同じだったら、今ごろはまだ「ブランデー刑事」として活躍して
いたんだろうか、あの人は)
会う人はみな、彼の昔の武勇伝を懐かしむ。彼の生き方を奪ったのは、
自分ではないのか。最近それが気になって仕方ないバタピーである。
「かもしれないね」
やはり、と思いつめたようなバタピーの表情をみて、QPは付け足した。
「それで正解だったのさ。……あのままじゃあ、今ごろ死んじまってただろうし。
君がいたから、生きてるんだよ彼は」
兄の死後、たった一人で麻薬組織を壊滅においやった彼は、
自分がここに赴任してくるまでかなりすさんだ生活を送っていたという。
そして、兄が殉職した当時のことを、(知ってる範囲だけだがな)と静かに
語ってくれるQPの言葉を聞きながら、バタピーはある決心を固めた。

それから数日が過ぎていった。
仕事が済んだ後、思い切ってバタピーはドンチャックにたずねた。
「あの……ちょっと聞きたいことがあるんですが……いいですか?」
「なんだい、バタピー。改まって。何でも聞いておくれよ。
君の頼みなら僕は喜んで答えるさ」
「……教えてほしいんです、兄の最期のことを……」
今まで聞くのをずっとためらっていた。しかし、知っておきたかった。
兄がどんなふうに死んだのかを。
彼にとって兄はどんな存在だったのかを。
ドンチャックはちょっと困った顔でしばらく考えていたが、やがて穏やかに微笑んた。
「そういえば、もうすぐ1年になるんだね……ピーナッツが亡くなってから」
そしてロッカーに眠っていた黒いジャケットとサングラスを取り出し、
バタピーについてくるように促した。
「散歩に行こうか」

着いた場所は、町外れの波止場だった。
海がよく見渡せる位置に来たとき、ドンチャックは持っていたジャケットと
サングラスを地面におき、マッチで火をつけた。
「!ドンチャック刑事、何をするんですか!それは……その服は……」
「もっと早くこうするべきだったんだよ。いつまでも置いておいたから、
つまらないことで君を悩ませてしまった」
「ドンチャック刑事……僕は……」
「ここが、君の兄さんが亡くなった場所だよ、バタピー。
ちょうどこの辺りだったかな……」
そう言ってドンチャックは燃え上がる炎の側に腰を下ろし、海を見詰めた。

(BGM : Too Much Love Will Kill You)

ブランデー刑事がロールスロイスから降り立つと、潮の香りがふわりと鼻をくすぐった。
「ここで待っておいてくれ」
運転手にそう告げて、コンテナでごった返す波止場を歩く。

奥まった場所にある古い倉庫の一角を曲がったとき、腕をぐいとつかまれた。
「!」
とっさに銃を取り出して構えようとすると、目の前には親友ピーナッツ刑事の
優しい笑顔があった。
「こら、びっくりさせるなよ、ピーナッツ」
「びっくりしたのはこっちだよ。だいたいね、あんな目立つ車でこんな所に
来ないでほしいな。僕は張り込みしてるんだよ?張り込みってのはね、
内緒でするんだ内緒で」
「そんなこと言って、嬉しいんだろ、内心は?その饒舌ぐあいで分かるぜ」
「何言ってんだよ。あっ、もしかしてまた勤務中に飲んできたんだろ。
……しょうがないなあ」
と口では言いながらもにっこり微笑むピーナッツ刑事が、とても愛しく感じられた。
来てよかったな、と思う。
「ほら、その笑顔に差し入れだ」
手に持ったピーナッツの袋をひょいと渡す。
「サンキュー。丁度なくなりかけてたんだ」
「そうだろうと思ってさ。で、首尾はどうだい?」
「うん、動きはまだないみたいだね。ザコがうろうろしてるだけでさ。ただ……」
「ただ?」
「さっき、『ハードゲイ』の組員らしき男がいたんだ。
あんな大きな麻薬組織が絡んでるとは思ってなかったから驚いたよ。
これはうまくいくと大捕り物になるかもしれない」
「ふーん、『ハードゲイ』か……面白いな。だがなピーナッツ。
一人でどうこうしようと思うなよ。いくら君が射撃の名手でもあるからって、
目立つことはないんだぜ。そうでなくても、あいつらに睨まれてる身分だからな」
「そんな無茶はしないよ。……ふふ、君より目立とうなんて、
誰も思わないさ。確かに僕の腕前は君より優れているけどね」
「さっきのがお世辞だと気づかないところが君の鈍いところなんだな、ピーナッツ」

倉庫の壁にもたれながら、つかの間の休息を楽しむ2人であった。

「おっと、長居したな。もう行くぜ」
「差し入れごくろうさま」
「そうだ、今度来るときはな……車が目立つっていうんなら、ヘリにするよ」
「よく言うよまったく!……それよりブランデー」
「うん?」
「飲みすぎは体に毒だよ。飲むときはね、」
「『おつまみも一緒』だろ。了解了解。じゃあ、気をつけてな」

車に乗り込もうとした瞬間、銃声が聞こえた。1発……そしてもう1発。
2発目はピーナッツ刑事の銃からだと直感的に悟った彼は、応援をよこすよう
運転手に指示し、倉庫に引き返した。

ピーナッツ刑事は先刻と同じ場所で壁に寄りかかっていた。
「どうしたんだ!?」
彼は手にした銃で、もの憂げに前方を指した。黒服の男が一人、倒れている。
「あそこに潜んでたんだ……いきなりでさ……殺しちゃったかな」
近寄って調べてみると、男は心臓のど真ん中を撃ち抜かれていた。
側には『ハードゲイ』の組員章が落ちている。
「お陀仏だよ。君の腕前にはほとほと感心するね。……まあ正当防衛だし、
こいつだって苦しまずにいけてさぞ喜んだだろう。始末書、手伝ってやるよ。
そのかわり今夜は君のおごりだぜ?いつもそうだけどさ、はっはっは」
笑いながら振り向いたブランデーが目にしたのは、胸を押さえてその場に
ずるずると沈み込む友の姿だった。
「!おい、ピーナッツ!撃たれたのか?」
慌てて駆け寄り、抱き止める。彼の手から滑り落ちた銃が立てた乾いた音が、
やけに耳に響いた。
「どこだ?ほら、見せてみろよ」
手をどけると、シャツの右胸に小さな穴があいていた。出血はひどくない。
大丈夫、これくらいなら心配ないさと言いかけたブランデーは、
先程まで彼がもたれていた壁に飛び散っている鮮やかな色に気づき、はっとした。
急いで背中に回した手に、生温かい液体がべっとりと付着する。
普段でも色白の友の顔色は恐ろしいまでに蒼白だった。
(ああ、こんな、こんなことって……)

「……ブランデー?……そこに……そこにいるの?」
「あ、ああ、いるよピーナッツ」
「なんだか、力が入らなくてさ……目がかすんでくるんだ……
失敗しちゃったな……」
「無理に話をしない方がいい。すぐ病院へ連れていってやるからな」
その間にも背中の銃創から溢れ出す血がブランデーの指の間から幾筋も零れ落ち、
とても持ちそうにないのが痛いほど感じられた。
「いや……それより、海が見たいんだ……ね、いいだろ……?」
ピーナッツ自身、悟っているのだ。それがブランデーには辛かった。
自分がとてつもなく無力に思えた。
「……分かったよ。じゃあ少し辛抱するんだ」
海岸線はすぐそこに広がっていた。ブランデーは歯を食いしばると、
ピーナッツをそっと抱き上げて見晴らしのよい場所に移動した。

何事もなかったように、潮風が心地よく吹いている。
「……ここで、下ろしてくれない?……」
言われるまま、なるべく無理のかからないように瀕死の友を下ろすと、
ブランデーは後ろからしっかり支えた。
「……見えるかい?」
「うん……」
そうつぶやいたピーナッツの目にはもう何もうつってはいない。
ただ、感じていた。寄せては返す波の気配と、親友の悲しみを。
「ねえ、ブランデー……」
既に冷たくなってきている指がそっと腕に触れた。
ブランデーはその手を強く握り締める。自分の震えを悟られないように。
「なんだい?」
「……一緒に飲めなくて、ごめんよ……ほんとはね……
僕も……僕も……ブランデーは好きなんだ……だから……だから、
君と……ああ……」
「ピーナッツ……頼むから、もうしゃべるのはよしてくれ!」
話すたびに彼の身体から命が流れていく気がして、ブランデーは耐えられなくなった。
「分かってる、分かってるさ、君のことならなんでも分かってるんだ。
そうさ、俺達は今夜一緒に飲むんだよな、ピーナッツ。とっておきの瓶を
出してきてやる。……だから頑張るんだ!」
「……そう……そうだね……ありが……と……」
ピーナッツはかすかに微笑むと、静かに目を閉じてブランデーの胸に顔を埋め、
それきり動かなくなった。
「……ピーナッツ? ピーナッツ!? ……ピーナッツー!!」
ブランデーの悲痛な叫びが海に消えていったころ、サイレンが聞こえてきた。

1年後の波止場にも、穏やかに波が打ち寄せている。

『俺達が着いたときには、ピーナッツはもう死んでいた。
安らかな顔してたよ……ブランデーの胸の中で、まるで眠ってるみたいでさ。
ブランデーは彼を抱き上げると、そのまま何も言わずに歩いていったんだ。
その後ろ姿が今でも脳裏に焼き付いてるよ』

ドンチャックの話を聞いて、先日QPが語った言葉が改めてバタピーの心に響いた。
彼の悲しみ、兄の無念が胸を突き刺し、バタピーは知らないうちに涙を流していた。
「すみません……ドンチャック刑事。辛いことを思い出させてしまって」
静かに海を眺めていたドンチャックは、バタピーの涙に気づき、
そっとハンカチを手渡した。
ピーナッツは、他人に涙を見せるような人間ではなかった。
余りにも素直なバタピーの感情表現が微笑ましかった。
(こういうところが、たまらないんだよな……守ってやりたくってさ。
君もそう思わなかったかい、ピーナッツ?)
「いいんだよバタピー。君にとっても彼はかけがえのない、たった一人の
兄さんじゃないか。最期を看取った者として、話す義務があったのは僕のほうさ。
……今まで話せなくてごめんよ。
ただ、ただね……バタピー、これだけは知っておいてほしいんだ。
ピーナッツは確かに僕にとって、いやブランデー刑事にとって最愛の友だった。
だから君が僕の前に現れたとき、彼が生き返ったみたいでほんとに嬉しかった。
……でも、今は違うんだ。君たちは外見はほとんど同じだけど、
性格はすごく違うってことを僕は知ってる……そして、そのことで
君が悩んでるのもね。だけど、君が変わる必要はないんだ。分かるだろう?
ピーナッツだってそんなこと望んでないはずだよ。
ブランデー刑事はもういなんだ。死んじまったのさ。
でもそれは決して君のせいじゃない。僕自身が、過去を捨てたんだ。
戻りたいとも思わないよ。普通ならそれでおしまいだったろうけど、
生まれ変われると思った理由がね、バタピー、君だったんだ。
……僕はねバタピー、やっと分かったんだよ。そのままの君が好きなんだって。
彼の代わりとしてじゃない。僕は、今の君を愛してるんだよ……バタピー」

(ちょっと積極的すぎたかな……?
いや、でもこれくらい言わないと気づいてくれないからな)
おもむろに視線を海から移したドンチャックは、隣にいるはずのバタピーが
消えているのに気づいた。
「……バタピー?」
辺りを見回すと、いつのまにか近くのコンテナに移動した彼が
手を振っているのが見えた。小さい子供の手を引いている。
「ど、どうしたの?」
「さっきから泣き声がするなって思ってたら、迷子だったんですよ。
母親とはぐれたらしいんです。名前はエマ。E-M-M-Aだそうです。
……僕ちょっとその辺まで見てきますから、この子を頼みますね」
「う、うん……」
「ねえエマ、僕が君のママを探してくる間、このおじさんと一緒にいるんだよ、いいね」
(おじさん、か……)
「あ、それからドンチャック刑事……」
「何?」
「……僕、とても嬉しかったんです……あなたの言葉が」
ドンチャックはどきんとした。まさか、まさか……
「僕は、あなたが生まれ変われるお手伝いができたと思っていいんですね?」
「そ、そうだよバタピー」
(ああ、とうとう僕の想いが達せられるんだ!……さあ、次に何を言うの?)
「……でも、そのあとの部分、聞いてなくて……やっと何が分かったんですか?」
思わず目眩がした。
「……い、いいや、たいしたことじゃないから、気にしないでよ。
さあ、早くお母さんを探してやらなくちゃ」
(……こういう鈍さは、とてもよく似てるんだよなー)
ほうっとため息をついて、走り去るバタピーを見やるドンチャックであった。


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