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自殺志願!? 〜JOHN tries suicide?〜

「うわああっ、あ、あんまり飛ばさないでくれよ、キユーピー。寿命が縮むよ」
「やかましい。迷子になって助けを求めたのはどこのどいつだ?
ったく、この忙しい時に。おい!そこの車!スピード違反だぞ!待て!」
更にスピードを上げるキユーピー刑事の横で、ドンチャック刑事は失神しかけている。

イメチェンしたものの、お抱え運転手付のロールスロイスだけは変えなかった男、
ドンチャックが、死にそうな思いでスピード狂のキユーピー刑事の車に同乗している
その訳を説明しよう。
今朝彼は、ここ数日バタピー刑事が張り込みをしているマンションに行って
差し入れをしようと思い立った。
「天気もいいし、歩いていこう。いっつぁ、びゅーてふるで〜いっ、と」
ハイキング気分で署をでたのはいいが、目的の建物が「ライオンズマンション」
だったのか「ホークスマンション」だったのか、要するにどのマンションだったのか
すっかり失念してしまった。
うろうろとさまよっているうちに、なぜかハイウェイに出てしまい、
ちょうど通りかかったキユーピーに拾われたのであった。

「ほおら、着いたぜ。『タイガーズマンション』だろ、バタピーの張り込み先」
「ああ、そうそう。そうだった」
「…たしかお前さん、司令塔だったよな、オレたちの」
「まさかあ、僕たちはみんな平等だよ」
「…まあいいけどさ。そりゃそうと、差し入れがあんまり遅いんで、
今ごろピーナッツが切れて禁断症状でも出てんじゃないのか、バタピー。
絶望のあまり、屋上から身投げしたりして」
「ふ、不吉なこと言わないでくれよ」

しかし、屋上に登ったドンチャックは、大変なシーンに直面した。
彼が目にしたのは、金網を乗り越えて下を覗き込むバタピー刑事の背中、
だったのである。
(絶望のあまり、屋上から身投げ…)
先刻のキューピーの言葉が頭でこだました。
「ま、待つんだバタピー!早まるんじゃない!」
言うなり自分も突進していったドンチャックは、勢い余って、バタピーと
もろにぶつかってしまい、そして…
2人は共に、落ちた。

タイガーズマンション最上階に住んで20年になる、独り暮らしの老婦人
ミセス・ロビンソンは、とっておきの来客用ティーカップを温めていた。
オーブンからは芳しい匂いが漂っている。
「スコーンはもう焼けたかしらねえ」
あの青年はまともなアフタヌーン・ティーなんて久しぶりに違いない、
かわいそうに。

彼女が屋上でその男を最初に見たのは、一週間ほど前だ。
ぼろをまとって帽子を目深にかぶり、片隅でひっそり隠れている頼りなげな男の横顔は、
彼女の母性本能をくすぐるのに十分であった。
(きっと借金とりか誰かに追われていて、行き場所がないんだわ)
好奇心と想像力の塊と化した彼女は、なんとかその不幸な青年を救ってやりたいと思った。
しかしいきなり部屋に呼ぶのもはしたない。そこで一計を案じた。
「あの…ベランダの屋根にカラスが巣を作って困ってますの。
私じゃ届かないから、あなた見てくださらない?」
実際困っていたのは去年のことで、今は巣の残骸しかないはずだったが、
立派な口実になる、と彼女は自分の思いつきにほくそえんだ。
(で、お礼を言って、とりあえず午後のお茶を飲んでもらえばいいのよ)
呼びかけたときの彼の驚きようといったらなかったが、意外に上品な態度で
「分かりました。どの辺りですかマダム?」と答えた、少し鼻にかかった
静かな声も気に入った。
男は彼女のベランダを屋上から覗き込んで、巣を払い落とそうとしている。

と、そのとき、悲鳴と共に、ベランダに何か重い物がどさっと落ちてきた。
「!」
見ると、あのかわいそうな青年の上に、体格のよい髭面の男が覆いかぶさるようにして
床に倒れていた。
(まあ!とうとう悪い奴に見つかってしまったんだわ。なんとかして助けなきゃ)
ミセス・ロビンソンは、深呼吸すると、手元の受話器をとった。
「もしもし、警察でしょうか?怪しい男が1人、ベランダに落ちてきましたの。
ええ、罪もない青年を巻添えにして。早く来てちょうだい」

一時間後、ミセス・ロビンソン宅のアフタヌーン・ティーは、大いに賑わっていた。
中の2人はもう30分ほど笑いっぱなしである。
「ぎゃっはっはっはっ、まったく笑わしてくれるよな、ええ?」
馬鹿笑いしているのはキユーピー刑事だ。
「電話を受けて急行したら、くっくっくっ、なーんと我らがドンチャックが
きょとんとした表情で縛りつけられているんだから、どうなっちまったのかと思ったよ」
ファイアー刑事は涙を流して笑い転げている。
「それは僕の台詞だよ。なにがなんだか分からないうちにこうなってしまったんだ」
憮然としてドンチャックが言う。
「本当にすみませんね、まさか刑事さんとは…」
「いいんですよ奥さん。悪いのはこいつの髭面ですから」
と言ってまた笑うキューピー。ドンチャックはそれを無視して、
すっかり恐縮しているミセス・ロビンソンに優しく応えた。
「ですが奥さんのとった処置は善良な市民として当然ですよ。誰でも、
いきなり他人がベランダに落ちてきたら、怪しい奴と思いますからね。
僕たちの方こそ、謝らねば。そうだよね、バタピー」
(「僕たち」…?)
顔をしたたか打ちつけて鼻血を出していたバタピー刑事と、
彼を甲斐甲斐しく介抱しているミセス・ロビンソン、
それに彼女の電話を受けたファイアー刑事は共に(何かが違う)と思ったが、
口には出さなかった。

「それにしても貴女のお作りになったスコーンはおいしいですね。
もうひとつ頂きます」
「それじゃあ僕は、あと2つほど」
「僕は、紅茶をもう一杯…いや、スコーンにしようかな…うーん」
結局、スコーンはきれいに無くなったのだが、当初の目的は
達せられないままであることに彼女が気付いたのは、ずっと後のことである。
(あら、あの人に勧める暇がなかったわね…やっぱり気の毒な方)

帰り道、キューピーの車の後部座席では。
「ほんとにほんとなんだね、バタピー。飛び降りるつもりじゃなかったんだよね」
ドンチャックがこう口にするのは、これで3度目である。
「さっきから言ってるじゃないですか。
だいたい、何故僕が飛び降り自殺しなきゃならないんです?」
「だってね…」
ピーナッツが切れて云々、という話はとても言えない彼であった。
後頭部を冷やしてもらいながら上を向いていたバタピーは、
やおらドンチャックの方に向き直った。
「僕には愛する妻も子供もいるし、刑事の仕事に誇りを持っているし、それに…」
「それに…?」
少し言葉を途切ったバタピーは、息を整えて、一気にまくしたてた。
「それに、こんなに心配してくれる友人がいるのに、死にたいと思う訳ないでしょう!」
いつになく激しい彼のその言葉はドンチャックの胸に深くつき刺さった。
「ば、バタピー…ありがとう。でも、あんまり興奮しないで。ほらまた鼻血が」
目を潤ませながらティッシュを差し出すドンチャック。

後ろの会話を聞いて、運転席と助手席の2人のしのび笑いが止まるのは、
まだ先のことのようである。


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