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十二夜 (完結編)

Written by MMさん

セザーリオはいない…他の取り巻き連中もいない…広い屋敷でピアノにも飽きて、暇を持て余し、
ドビュッシーを口ずさみながら、一人、即興でダンスを踊っていたバルサラ公爵の元に、
役人が数人なだれ込み、何かを自慢するかのように各自勝手に喋り始めた。
公爵は、両手を振り回し、彼らを静止した。
「わかったわかった、何だ?、いったい?、私は今機嫌があまりよくないのだ、手短に頼むよ」。
一人が進み出てきて、こう言った。
「公爵様、ただいま我々は、公爵様が長年お探しになっていた男を捕らえました」。
「長年探してた…?、誰だっけな?、まあいいや、ここに連れてこい」。
やがて、一人の痩せた男が突き出された。それは…ああ、見覚えのあるそのカーリーヘア。
「やあ、アントー二オ、久しぶりだね」。
男は無言で公爵を睨みつけた。構わずに公爵は続けた。
「君は頭が切れるし、数学が得意で、計算高いから、
うまく逃げおおせたんだと思って捕まえるのは諦めていたよ、
実は私は、別に血眼になって君を探していたわけじゃないんだ、正直言うと、ほとんど忘れてた、はは、
意外にドジで間抜けなんだな、わざわざ捕まりに来たのかね?」。
アントー二オは、吐き捨てるように言った。
「ふん!、わざとだと?、いくら僕だって、そこまでアホじゃない、
君の虚栄心を満たすために僕が存在してるわけじゃないからね、
ここに来たのは、歯痛に苦しむ友人を救うためだ、もっともそいつには見事裏切られたけど…
ま、そんなことは今となってはどうでもいいことさ、
君がどうしても僕を死刑にしたいのなら構わんがね、その前に一つ言わせて頂きたい、
そもそも謀反罪って何だ?、数字アレルギーを暴露されたくらいで、よく人一人の命を奪えるな、
権力者がそんな狭量なことでどうする?、
もっと巧妙な手口で君を陥れようとしている奴なんか、山ほどいるんだぞ?、
それなのに、君はたかが算数の問題で恥をかかされたくらいで、友人の人生を台無しにするのか?」。
「ほほ、相変わらず、弁が立つね、アントー二オ、いや、素晴らしいよ、
しかし君は一つ認識を誤っている、私は恥をかかされたんじゃない、死にかけたんだ、
呼吸困難に陥り、全身にジンマシンが出たんだ、つまり君はこの私の命を狙ったのだ、
これはまさに国家転覆に匹敵する大罪だよ」。
「狙ったわけじゃない、うっかり口がすべっただけだ、何が難しいんだよ?
三個で百円のみかんを三十個買ったらいくらになるか、なんて問題が、
何も量子力学に則って、宇宙の果てを計算しろって言ってんじゃないんだぞ、
三という数字に惑わされてるから混乱するんだ、
何なら丸で囲った三つのみかんを十個書いて数えてみろよ」。
「るっさい!、ノイローゼになる」。
公爵は、耳を塞いで、その辺にあるものに当り散らし
「ほら!、またジンマシンが出ちゃった!、お前のせいだ!」。
と叫んで胸元を露にした。アントー二オは呆れたように言った。
「見えないよ、毛だらけなんだもの」。
「失礼だな、むう!、もう許さんぞ!、折角今まで熱心に探さないでおいてやったのに、その恩も忘れて」。
「それは恩って言わないんだ、ただ単に面倒くさがって放っておいただけじゃないか」。
「あ〜!、嫌な奴だ!、ああ言えばこう言う!、もぅ絶対に許さん、はやくこやつの首を落とせ!、
二度とそんな屁理屈を言えないようにしてやる!」。
「ああ、好きにしな、こっちも君のその鬱陶しい体毛を見ないですむのなら本望だ、さっさとやれよ。ふん!」。
役人たちが、アントー二オの両脇を持ち、立ち上がらせた時だった。
息せき切って屋敷へ飛び込んで来る者があった。
公爵が、その姿を見てうれしそうに声をあげた。
「おお!、セザーリオ!」。

「いったい何処へ行っていたのだ?、お前が側にいなかったので、寂しかったぞ」。
「それは申し訳ございません、セザーリオは、公爵様の御心を届けに、オリヴィア様の所へ行く途中、
少々トラブルがございまして、今慌てて戻ってきたところでございます、実はそこにいらっしゃるその方に用が…」。
公爵は、ヴァイオラの言葉を途中で遮った。
「ああ、そうだったのか、すまなかったね、あ、唐突だが、お前にはこの問題が解けるかね?、
三個で百円のリンゴ…じゃなくて、みかんか、ま、どっちでも同じなんだが、それを三十個買うと、
いくらになるのかな?」。
ヴァイオラはしばらく考えてから、答えた。
「千円です」。
公爵がアントー二オに目配せすると、彼は苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
公爵は上機嫌だった。
「さすがは私の忠実なしもべ、こんな難解な問題をこともなげに解くとは、素晴らしい」。
ヴァイオラは丁寧に頭を下げた。アントー二オは呆れた顔で首を振っている。
「お褒めの言葉、有難たく承ります、実は、わたくしの方から折り入って公爵様に頼みがございます、
よろしいでしょうか?」。
「ああ、いいよ、難題を解いたご褒美だ」。
アントー二オは首をうなだれ、ため息をついた。
「実は…」。
ヴァイオラは、アントー二オを指して言った。
「あの方を解放して頂きたいのです」。
アントー二オは、驚いて顔をあげた。
「へ?、あいつを?」。
「どういう罪でここへ引き立てられたのかは、わたくしの知るところではありませんが、
ただ、あの方はわたくしの命の恩人でございます、
実はわたくし先程、二人の暴漢に襲われ危ういところでした、それを救ってくださったのです、
公爵様、出すぎたことだとは存じますが…もしもわたくしを生涯の友と思ってくださるのなら、
この願い、聞き届けてくださいませ、お願いいたします…」。
アントー二オは、ふんと鼻を鳴らした。
「何だい、今更君に助けてもらおうと思ってないぞ、
いったいいつから、君はこの自惚れやのおべっか使いになったんだい?、
僕を助けてくれと懇願するんだったら、その前に財布を返せよ、それが筋ってもんじゃないのか?」。
「あの…申し訳ないけれど…本当に財布のことは知らないんです、
おそらく、あなたは人違いをされているのではないでしょうか?」。
「人違いだって?。じゃあ、君はこの世の中に、君と同じ姿形をした人間がもう一人いるとでも言うのかい?、
馬鹿なこと言っちゃいかんよ、そんなことがあるもんか」。
「いえ、それがあり得るんです…だってわたくしには…」。
と、ヴァイオラが言いかけたところで、突然大きな足音が屋敷中に響き始めた。

「おお!、オリヴィア!」。
公爵が歓喜の声をあげた。
そこに立っていたのは、化粧崩れはしていたが、白いシャツにミニスカート姿のオリヴィアに相違なかった。
「私のこよなく愛する人!、私の美しい人!、今日はよくぞいらっしゃいました、さあ、どうぞ、こちらへ」。
そう言って公爵が広げた腕の脇をすり抜け、オリヴィアはまっしぐらにヴァイオラの元へと向かった。
そして険しい顔つきで、こう聞いたのだ。
「お願い、嘘だと言って」。
「は?、何の事でしょう?」。
「何のこともかんのこともないわ、ね、ドミとデビの言ったことは嘘なんでしょ?」。
ヴァイオラは、目を瞬かせながら答えた。
「あの…確かに先生のところの歯科衛生士のお二人とトラブルがあったことは認めますが、
あの方たちには傷一つ負わせてはおりません、わたくしには悪意も落ち度もないということを、
ここではっきり申し上げておきます」。
オリヴィアは顔をしかめた。
「あの二人のことはどうでもいいの、殴ろうと刺そうと投げようと、お好きなように、
私が確かめたかったのは、そんなことじゃないわ、ねえ、ドミは、あなたが男と関係してるって言ったのよ」。
「わたくしがですか?」。
ヴァイオラは素っ頓狂な声をあげた。
「そんな馬鹿な、そんなことあり得ません!」。
「そう?、何でも、楊枝のように細い男と、深い関係にあるって…」。
一同の視線が、一斉にアントー二オに注がれた。アントー二オは、真っ青になって否定した。
「馬鹿なこと言うなよ!、いくら野郎ばかりの長い船旅の最中だからと言って、そこまで不自由はしてないぞ!」。
「だけど、彼の肌のことまで知り尽くしてるって言ったらしいわね」。
「言葉のアヤさ、深い友情でつながってるんだということを比ゆ的に表現しただけだよ!」。
公爵も、顔を紅潮させて援護射撃をした。
「オリヴィア嬢、いくらなんでもそれはひどすぎる、セザーリオに限ってそんなはちゃめちゃなことなどするものか、
この子は真面目で勤勉な、私の忠実な部下の一人だ、
それにあなたの家へ行く時以外は、ほとんど私と一緒に過ごしていたのだ、
アントー二オと深い関係になる時間などあるはずがないじゃないか」。
「あら、公爵、ずいぶんと彼を庇うのね、それってひょっとして、あなたも実は彼に御執心ってやつ?」。
オリヴィアは、大股でその辺りをグルグル歩き回り、やがて突然ぴたりと動きを止めると、公爵の方に向き直った。
「でも、公爵、果たして彼のことをどれだけご存知なの?、実は旅の途中で本当の名前もセザーリオではないこと、
ターボ付きエンジンのように激しくて、マシーンのように疲れ知らず…
でもねえ、いくらエネルギーが有り余っているからと言って、男の人にまで、手を出すなんて…」。
オリヴィアがそう言いかけたところで、公爵はまるでひきつけでも起こしたかのように卒倒した。

「あら、ひょっとして、刺激が強すぎたかしら」。
公爵は仰向けに寝転がりながら、力のない声でオリヴィアに向かって言った。
「何故…何故…そんなことを知っているんだ…?、ターボ付きエンジンのように激しくて、マシーンのように疲れ知らずぅ?」。
「公爵、申し訳ないんだけど…」。
オリヴィアは、ヴァイオラの肩を抱き寄せて言った。
「あなたの可愛い小姓は、もう私のものよ、私たち、結婚の約束までしちゃったの」。
「へ?」。
ヴァイオラは、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。オリヴィアは、不適な微笑みを浮かべて話を続けた。
「ごめん遊ばせ、公爵、あなたの愛を蹴飛ばしてゴミ箱に放りこむだけじゃ済まなくて、
あなたの大切な人も頂いてしまって…でもこれが人の世ってものよ、悪く思わないで下さる?」。
公爵はみるみるうちに顔色を変え、むっくり起き上がると、歯軋りをして震えはじめ、そして絞り出すようにして
やっと言葉を吐き出した。
「うぬぬ…セザーリオ、私に背き、私がこよなく愛しているオリヴィアを寝取るなどと…
愛のキューピット役を申し付けたのに、実はお前は隠れてオリヴィアと楽しんでいたのか…、
何食わぬ顔で私に報告をし、詩を朗じ、その影でずっと私を欺き続けていたとは…、
しかも結婚の約束まで???、私の気持ちを知っていてそのような狼藉を働くか!、
許せん、実に許せん…、もう勘弁ならん!、首をはねよ!、そこの数学馬鹿と一緒にな!」。
「馬鹿とは何だ!、数学が出来るんだから、馬鹿じゃないだろう!」。
アントー二オが言い返した。
「黙れ!、屁理屈野郎!みんなまとめて地獄へポイッだ!」。
ヴァイオラは、オリヴィアの手を振りほどいて、公爵の足元にすがりついた。そして必死になって訴えた。
「お待ちください、公爵様、これは何かの間違いでございます!、
いずれもわたくしには全く身に覚えのないことでございます!」。
オリヴィアは悲鳴に近い叫び声をあげた。
「何なの?、この後に及んで知らばっくれるっていうの?、ひどいじゃない?、
じゃあ、さっきのあの楽しいひと時は何?」。
「何だってぇ?、楽しいひとときぃ?」。
公爵はすっかり理性を失って、妙なダンスを踊り始めた。
「あなた、自分可愛さに、平気で愛を踏みにじるのね、何てひどい人なの?」。
ヴァイオラは激しいめまいを感じた。いったいこれはどういうことなのか?。
いや、わかっている。あの人だ、あの人がどこかで彼らに会っているのだ、自分は間違えられているのだ。
そうでなければ、こんな奇妙なことなど起こるはずがない。
しかし、では、この一連の騒ぎの原因になってる人物は、いったいどこにいるのだろうか?。
彼が出てこなければ、ヴァイオラにかけられた疑惑を晴らす事は出来ない。
では、いっそのことここで、自分は実は女であることを公表しようか…。
疑惑は晴れるだろうが、小姓として公爵の側に侍ることは難しくなるだろう。
ヴァイオラの心は嵐のように乱れた。
(ああ、神様…)。
ヴァイオラがまさに崩れ落ちそうになった時だった。

突然ガラスの割れる音がして、空から人が一人、降ってきた。
それは、アントー二オの目の前に着弾し、強く打ち付けた大腿部をさすりながら、能天気に言った。
「いやあ、ごめんごめん、あんまりでっかい屋敷なんで、玄関がどこかわかんなくってさあ、
あちこち歩き回ってたら、天窓ぶち破っちゃったよ、あ、すまないけど、これで許してくれる?」。
差し出された財布を見て、アントー二オが、あっと叫んだ。キーホルダーについているペンギン。
まさに彼のものだったのだ。そして目の前にいる男を見て、さらに唖然とした。
男の方も、びっくりした様子だったが、すぐに無邪気な笑顔を浮かべて、アントー二オに抱きついた。

「なんだぁ、無事だったんだねぇ、アントー二オ、約束した旅館に行ってもいないしさぁ、
慌てて外に出て道行く人に聞いたら、その人だったら街中で二人組の暴漢相手に剣を振り回して、
役人に捕まって、公爵の屋敷に連れていかれたって言うんだもん、あわててこっちに来たんだ、
おおっぴらに歩けないって言っておきながら、何うろうろしてたんだよ、
そういや、みんな妙なことを言ってたな、あんたそこに居ただろって、
確かに変な二人組には会ったけど、アントー二オが捕まったなんて全然知らなかった、
とにかく、まだ首ははねられてなかったんだね、間に合ってよかった、
あ、財布、返すね、先生がね、治療費は要らないって言ってくれたよ、
詳しい事情は後で話すけど、とりあえずその浮いた分で、ガラスの修理代、立て替えておいてくれる?、
労働で返すからさ、米俵でも一斗缶でも、何でも持つよ、
それにしても無駄の多い家だね、廊下は入り組んでるし、天井はやたら高いし、熱効率も悪そう、
燃料の無駄使いだ、まさにこれは欠陥住宅の最たるもんだよ」。
「そこの君、大学生か?、何だ、いきなり天井から登場して、名乗りもせずに人の屋敷にケチをつけて」。
咄嗟のことで、逆に冷静さを取り戻した公爵は、威厳たっぷりにそう言って、男の背後に近づいた。
「失礼だぞ、いったいどこの学生だね?」。
「あ、失礼、よく人にそう聞かれるけど、学生じゃない、僕は単なるフリーターのセバスチャンだ、
ここにいるアントー二オの友人さ、彼はたぶん、ごほん罪で逮捕されたんだろうけど、
大切な友達なんでね、迎えにきたんだ、連れて帰るよ」。
そう言って、セバスチャンが振り向いた時だった。公爵は息を呑んだ。
セバスチャンは、オリヴィアを見つけて、これまた能天気に言った。
「あれ?、オリヴィア、どうしてここに?、何だ、ここに来る予定があるって知ってたら、案内してもらったのに、
そうすれば天窓壊さないで済んだんだけど、余計な出費しちゃった」。
オリヴィアも口をあんぐりと開けたままだった。
そして、全員が声をそろえて言った。
「なんで、セバスチャン(セザーリオ)が、二人もいるの?」。
  
* * * * * * * *

オリヴィアの肩越しに覗いた自分と同じ顔と、セバスチャンは対峙していた。
二人はしばし無言だったが、やがて互いに近づき、同時に相手の顔に手を伸ばし、
頬にある小さな黒子に指先で触れた。セバスチャンが聞いた。
「誕生日は?」。
「八月十九日」。
「ああ、同じだ」。
「目の色は灰緑色」。
「まさしく私も同じ色」。
しばし沈黙があり、再びセバスチャンが言った。
「ニッて笑ってみてくれる?」。
「ニッ」。
口を一旦閉じた後、同じ顔がつぶやいた。
「前歯に隙があいてる」。
「そ、君の前歯も隙があいてる」。
またしても沈黙…。今度は相手が聞いた。
「好きな飲み物は?」。
「紅茶」。
セバスチャンが聞いた。
「好きな食べ物は?」。
二人は同時に答えた。
「ピーナッツ」。
その声は、紙の裏と表のようにぴったりと合っていた。
間違いない…セバスチャンは確信した。それは自分が探し求めてやまなかったもの…。
片時も頭から離れなかった、あの人である…と。
セバスチャンは、そっとその名前を口にした。
「ヴァイオラ…」。
相手も囁くように応えた。
「セバスチャン…」。
二人は抱擁を交わした。
同じ顔の二人が抱き合っている光景は、冷静に見るとかなり不気味なものである…。

* * * * * * * *

「つまり…君が探していた妹っていうのは…」。
アントー二オは、まだ少し混乱しているようだった。
「そうだよ、驚いたかい?、同じ顔してるからね、実は僕らは双子なんだ」。
「本当にそっくりだわ…まるで鏡に映したみたい…」。
オリヴィアは、二人を交互に見て、驚嘆した。
「そうさ、本当に僕ら同じ顔をしてるんだ、男か女かの違いだけなんだよ」。
公爵は黙って、ひげをしごきながらヴァイオラを不思議そうに見ていた。
そうだとも、今まで男の子として扱ってきたのだから、突然女であると言われても戸惑うだろう。
ヴァイオラは、申し訳なさそうに首をうなだれるしかなかった。
「ああ、そうか…」。
アントー二オが納得したかのように、大きなため息をついた。
「じゃあ、街で決闘を申し込まれて逃げ回っていたのは、妹さんの方だったんだな」。
「何?、ヴァイオラも、あいつらに襲われたのか」。
セバスチャンは、隣のヴァイオラの顔を覗き込んだ。
彼女は小さく頷き、不安そうにセバスチャンに語りかけた。
「また来るかしら?」。
「いいや、もう来ないさ、僕がぶっ飛ばしてやったから、
なるほど、たぶんお前と僕を間違えたんだろ?、決着はつけたから心配しなくていい、
そうか、アントー二オ、君は僕を守るつもりで襲われている妹に助太刀をし、それでこんな目に遭ったんだな、
わかるかい?、オリヴィア、つまりね、僕らは南半球へ行く途中で、船が難破して、離れ離れになったんだ、
僕は海で漂流しているところを、ここにいるアントーニオに救われて、一緒に旅をしながら、妹を探していた、
そして偶然歯が痛くなって、イリリスに上陸し、君と出会ったんだ、ねぇ、オリヴィア、
僕の探し物というのは、彼女だったんだ、アントー二オが命がけで行動を起こしてくれたから、
僕らはこうして会うことが出来た、僕の手の中にあった奇跡が芽を出して、人生の賭けに勝利をもたらし、
そして僕らも無事結婚できるってわけさ、
ねえ、アントー二オ、君は僕と本当の友達になりたいって言っていたけど、
その言葉には嘘はなかったんだね、命をはって僕らを守ってくれたんだもの、
心配するなよ、僕はその友情に応えて、きっと君を自由にしてやるさ」。

「ちょっと待ち給えよ、君」。
公爵はセバスチャンの肩をつかみ、その顔を興味深そうに覗き込んで言った。
「感動的な話の腰を折って悪いんだが、一つ聞いていいかね?、
セザーリオが君の妹のヴァイオラで、オリヴィアとは結婚できない、そこまではわかったぞ、
しかし何故か君はオリヴィアと結婚するつもりになってる、そりゃどういうことだ?、
君はオリヴィアとそんなに会ってないはずじゃないか、なのに、どうして結婚なんて話が出てくるんだね?」。
セバスチャンは、別段慌てる風もなく、さらりと答えた。
「ああ、ごめん、話がすっかり入り組んでしまったようだね、この屋敷みたいに、
あのね、僕は今日、オリヴィアに歯の治療をしてもらったんだ、で、治療の後ちょっとした、試食タイムを持った、
そうなんだよ、今思えば、たぶんオリヴィアは僕とヴァイオラを取り違えてたんだな、
でもそこで僕らの恋の炎が本格的に燃え上がり、速攻で婚約を決めたんだ、
本当は危ういところさ、だって僕は、新しい冠が出来るまでの一週間で、もし妹が見つからなかったら、
この話をご破算にして、また旅に出ようと思ってたからね、賭けたんだよ、妹か恋人かって、
ところが妹は実に首尾よく見つかったし、どっちみちヴァイオラとオリヴィアは結婚できないんだから、
きっと、僕らは最初から結ばれる運命だったんだろう、
結果的にはヴァイオラが僕らのキューピットになったってわけだ、
オリヴィアがヴァイオラに惚れなかったら、こういう展開にはなってなかったかもね、
いや、実に世の中はうまく出来てるよ、神の成せる業だよ、
何?、小姓ってことは、妹はあんたのところでご厄介になっていたのかい?、
ああ、それはそれは、遅ればせながら礼を言わせてもらうよ、僕と違って芸術家タイプでね、
気難しくて困っただろう?、でも歌だけはまるっきりダメなんだ、まったく不思議なことだけど…」。
「セ、セザーリオ…愛のキューピットだったのに…私とは違う奴とオリヴィアを結び付けちゃったのか…」。
「何?、あんたもオリヴィアが好きだったのかい?。でもオリヴィアとヴァイオラを責めないでおくれよ、
こればっかりはねぇ、人の心はままならないからね、」。
セバスチャンはまるで他人事のように笑った。
公爵は、ふとセバスチャンのいたるところに残る口紅の痕に気がつき、それを指差してわなわな震えだした。
「し、試食タイムって…こ、これ……オ、オリヴィアの口紅じゃあないか?」。
「ああ、急いでここに来たから、拭くの忘れてたよ、隠れてるけど、確かここにもキスマークが…」。
そう言って、セバスチャンがシャツの裾をめくろうとした時、公爵の顔色は、赤から白に変わった。
「…ということは、ターボ付きエンジンのように激しくて、マシーンのように疲れ知らず…ってのは…
き、き、君のことなのか…う〜ん…」。
公爵は、ショックのあまり床を転げまわり、とうとう、のけぞったまま固まってしまった。

一方のオリヴィアは、こめかみに指を押し付け、眉間にしわを寄せながらつぶやいた。
「待って…今日会ったのは確かにセバスチャンよね…でも私が一目ぼれしたのはヴァイオラ…
ねえ、じゃあ私が愛した人って…誰?、誰なの?」。
セバスチャンは、そっとオリヴィアの頬を撫でた。
「君はさっき言ったね、僕たちが鏡に映したみたいにそっくりだって、
そうさ、君が最初に会ったのは、鏡に映った僕なんだ、鏡は真実を映すけど、触れることは出来ないだろ?、
でも君が触れたのはヴァイオラじゃなくて、この僕だった、そして今もこうして触れ合ってる、
今君の目の前にいる僕が、君の愛してる僕さ」。
「それじゃあ、鏡の向こう側にいた子は、どうして男になりすましていたの?、
鏡は真実を映すんでしょ?、では何故、セザーリオ…ヴァイオラは、自分を偽っていたの…?」。

周囲の責めるような目に、ヴァイオラは一瞬身を竦めたが、やがて、意を決したように帽子を取った。
長い髪が彼女の輪郭を覆った。その清楚な美しさに、場内から、歓声があがった。
すると、さっきまで尺取虫のような姿で痙攣を起こし、床に張り付いていた公爵が、突然正気に戻った。
彼はヴァイオラにゆっくり歩み寄った。ヴァイオラは、顔を伏せ、静かに語り始めた。

「ご覧の通り、わたくしは女の身ではありますが、男を装っていたのには理由がございます、
わたくしは、ここにいる兄、セバスチャンと船旅の途中、嵐に遭い、ここに一人流れ着きました、
そもそも、見知らぬ土地で身を守ることを考えて始めたことでしたが、
気を許せる相手もなく、心細く途方に暮れていたわたくしに、光を与えて下さる方が現れました、
その方はとても高貴なお方、太陽のように輝かしく、星のように煌びやかで、絹のように繊細なお方…、
初めてお会いした時、私は心に決めたのです、この方に仕えたいと、
でも、名も無い草のようなわたくしがその方に近づくために、いったいどのような方法がありましたでしょう?、
たとえ花が咲いたとしても、顧みられなければ、それはただの雑草…、
ただ、わたくしには、ただ一つ胸を張って、人様に自慢できるものがある…、
わたくしは、音楽を知っております、詩心を持っております」。
「でも、歌心はなかったわね」。
オリヴィアが口をはさんだ。
「そう、残念ながら、神様はわたくしに、歌の才能を授けては下さらなかった、
でも歌は単なる手段に過ぎません、歌が歌えないからといって、それが音楽を解さないということにはならないのです、
それにわたくしが歌う必要はございません、何故なら…その方は、素晴らしい声の持ち主でした…」。
ヴァイオラは、公爵を熱く見つめた。

「初めて声を聞いた瞬間の歓び…、体中を駆け巡る熱い血と、心地よい震え…、
どうして、忘れることなどできましょうか…?」。
ヴァイオラは再び、目を伏せた。
「もしも…許されることなら、その御声、御姿を、ずっとお側で感じていたい…、
ただ…ただそれだけ…、他に何も望みはございません…、
たとえ、その方がいつか、そのご身分に見合った美しい御婦人と結ばれるようなことがあろうとも、
わたくしはそれに耐え、一生、この身を捧げ、尽くす心づもりでございました
だからこそ、男になりすまし、小姓となったのでございます…でも…」。
顔を上げたヴァイオラの目に、涙が光る。
「このように、すべてが明るみに出た今では…もう、その願いもかないますまい…、
わたくしは多くの混乱を招き、あらゆる方々を傷つけてしまいました、
それに私はその方のお役に立てませんでした、小姓として失格です…
この罪を償うため、わたくしは、その方のもとを去らなければならないのです…」。
涙で歪んだヴァイオラの視界に、バルサラ公爵の影がゆらめいた。
思わず後ずさりするヴァイオラの体を、公爵はしっかり掴んで引き寄せた。

彼はこれまで忠実に働き続けた小姓―いや、乙女の目をじっと、大きな黒い瞳で見つめていた。
ずっとオリヴィアに気を取られ、オリヴィアの心が自分に背を向けたことに衝撃を受けて、混乱していた。
だが今、自分の恋を成就させるために、身を粉にして奔走していた、この健気な乙女の美しさに、
やっと気がついたのである。

この瞳をごらん、一点の曇りも淀みもない。
きつく結ばれたこの唇をごらん、まるで一つの愛を永遠に貫こうとでもいうような、強い意志を顕している…。

思い返せば…初めて会った時、甘い声で囁くように朗じた言葉…あなたは私の最良の友…、
夢見るような表情をしながら、その視線は力強く、自分を見据えていたではないか。

今一度、思い出してみるがよい、私を自由にして欲しい…その言葉。
かなわぬ愛に悶え苦しみ、張り裂けそうになる胸…。
公爵のオリヴィアへの想いと、セザーリオ…いや、ヴァイオラの自分への想いが重なった…。
あの時、公爵は聞いた。お前の想い人はどのような人か…と。
彼女は答えた。公爵のような方である…と。
公爵は悪い冗談か、余程の悪趣味だと思った。
しかし、あの公爵様のような方というのは、まさに自分そのものだということを知ったのだ…。

ああ、ヴァイオラ、こんなすぐ側に、真実の愛があった。
愚かな私は、まるで気がつかなかった。
お前にキューピット役をさせて、お前を苦しめた。
こんなに健気で愛しいヴァイオラ、罪深いのは私の方…。

「もしも…そのお前の想い人なる者が、お前を許し、お前を妻に迎えたいと言ったら、
お前はどうする?、それでもやはりここを去るのか?」。
ヴァイオラは、つぶやくように言う。
「いいえ、そのようなことはあり得ません、その方が私をお許しになることはございません」。
「何故だね?」。
「とても誇りの高いお方だからです、それにその方はわたくしなど愛してはおりません、
別な御婦人に心を奪われておりました、たとえその愛がかなわなくても、その方の心は
永遠にその御婦人にあると思われます…だって、その方は本当に…」。
公爵は大きく首を振った。
「いや、お前の想い人は目が覚めたのだ、確かにその御婦人は美しい方だが、
その者はもっと近くにある尊く強い真実の愛を見つけたのだ、
そして、くだらない誇りなど捨てて、自分の心に忠実であろうとしているのだ…、、
ヴァイオラ…誇りとは何だね?、誇りは確かに大切だ、しかし誇りは、心のあり方であって、
心そのものではない…、私はずっと、芸術を愛してきた、何故ならそれは心そのものを表すからだ、
何故音楽は人を楽しませることが出来ると思う?、それは心に忠実だから、心が歓ぶからだ、
ヴァイオラ、お前も音楽を、詩を愛する人間ならわかるはずだ、
何ゆえ、心が悲鳴をあげるような決断を下さなければならないんだろう?、
私は今、自分の心に忠実でいたい、だからお前も忠実になっておくれ、
だってお前は、私のかけがえのない最高の友だったではないか…」。
そう言って、公爵は、ヴァイオラの目から止め処も無く流れ落ちる涙を、そっと親指で拭った。
ヴァイオラは、やはり崩れ落ちそうだった…失望からではなく、歓び故に…。彼女はささやく。
「わたくしの気持ちに、お気づきになっていたの…?」。
「白状すると…わかったのは今さっきだったがね」。
公爵は、軽くウィンクをした。

「さあ、ヴァイオラ、もうこんな扮装は必要ない、本当の自分に戻りなさい、今ドレスを持って来させよう、
それと…よろしければオリヴィア嬢、あなたの結婚式と、私の結婚式を一緒に挙げたいのだが、如何だろう?、
あなたの婚約者は、私の婚約者と双子だし、その方が目出度さも二倍になって
さらに縁起のよいことこの上ない、と思うのだが」。
オリヴィアは、口紅を直しながら、言った。
「あら、私はよろしくてよ、セバスチャンはどう?」。
「ああ、時間と経費の節約にもなっていいと思うよ、僕は賛成する、
ただし、花嫁と花婿、そっくりだから、間違えないでよ」。
セバスチャンは、にこにこしながら同意し、オリヴィアの肩を抱き寄せた。
「それなら、今夜はまず、婚約を祝う宴といこうじゃないか」。
満足そうに頷いた公爵は、アントー二オの方に向き直った。
彼は縄でグルグル巻きにされた姿のままである。

「すまんね、アントー二オ、どうも私は、お前のことをすぐ忘れてしまうんだ、
実は、さっきまで、お前に死刑宣告してたことも忘れてた、ははは、
それで…だ、首をはねる話なんだが、まあ、この通り目出度い席だから、特別に恩赦を出そう、
私の可愛いダーリンとその兄貴の命の恩人でもあるし、あの二人に感謝するんだな、
おい、その男の縄を解いてやれ、これでお前は無罪放免、ただし二度と私に数学の問題は出すな、
もし、また難解な問題をふっかけたら、今度こそただじゃおかないからな、
何?、剣を返せだと?、財布じゃなかったのか?、あ、財布はもう返してもらったのか、悪かったね、
やたら財布にこだわるから、没収したのは財布だとばかり思ってた、
お前も格好いいことを言うわりには狭量じゃないか、たかが財布…おいおい、それは小銭入れだろ?、
アントー二オの剣は誰が持ってるのか?、返してやれ、なんだ、ずいぶんボロボロな剣だな…、
船長だって?、似合わないねえ、どう見たって海の男じゃないよ、顔も蒼いし、
庭師でもしている方がお似合いだ、そうだ、よかったら、私の所で、薔薇の栽培でもやらんかね?
それとも盆栽の方がいいかな?、ランの栽培も悪くないな…、それとも実益をかねて野菜にするか…」。

アントー二オは晴れて自由の身になった。
しかし彼はここに長居するつもりはなかった。
船に荷物を載せて、次の港へと向かわねばならない。たとえ似合ってなくとも。
セバスチャンを連れて行きたかったが、彼は妹と再会し、美人の歯医者のハートをも射止めた。
おそらく彼の旅は終わったと言っていいだろう。それは、別れを意味している。
アントー二オは、友人に、こう言おうと思っていた。
今日でお別れだが、僕らの友情は永遠だ…と。
ところが…当のセバスチャンはオリヴィアと、すっかり二人だけの世界に浸っている。

ここで声をかけるのは無粋だと思ったアントー二オは、何も言わず、静かに屋敷を去ろうとした。
その姿にいち早く気がついたヴァイオラが、彼を追いかけた。
「何処へ行くのですか?」。
アントー二オは、柔和な微笑みを浮かべて言った。
「私は船乗りです、また旅に出ますよ、セバスチャンにお別れを言いたかったんですが、
今取り込み中のようなので、あなたから、伝えてください、お幸せに…と、
それとあなたも、公爵はちょっと自惚れが強くて気難しくて、面倒くさい男です、
でも根はまあまあいい奴です、ただ、数字だけはお気をつけ下さい、
極端な数字アレルギーですからね、くれぐれも算数の問題なんぞ出して、機嫌を損ねないように、では」。
「わたくし、まだあなたに満足にお礼もしていないのに、申し訳ないわ
兄の命、わたくしの命をも救って下さり、しかもわたくしたち兄妹を引き合わせて下さった、
その上、兄とわたくし両方の愛の成就にも、手をお貸し下さったのですもの」。
アントー二オは、腰をかがめ、ヴァイオラの手を持つと、紳士的な態度でその甲にキスをした。
「私は私の出来得るかぎりのことをしただけです、すべては、あなたの公爵を想う心、
セバスチャンのあなたを想う心が成し得たこと、これからも、その一途な御心を保ちくださいませ、
それがこの私への礼となりましょう、では、お元気で…」。
黒いマントを翻して、アントー二オは、ヴァイオラに背を向けた。
次第に小さくなる黒い影から伸びた長い手が、軽くヴァイオラに振られた。

* * * * * * *

月夜である。
外に出たアントー二オは、今一度屋敷の方を向き、灯と笑い声と音楽が漏れる屋敷の窓に向かい、
一人つぶやいた。また、いつかどこかで会おう、僕の大切な最高の友だち…。

…と、彼の肩を叩く者。
驚いて振り返ると、どこかで見たことのある二人。
「こんなところにいたぞ」。
「見つけたぞ」。
よくよく見ると、昼間の刺客ではないか。
「何だ、こんなところで何をしてるんだ、あんたたち、まだ決闘しようとしてんのか、
確か決着がついたって聞いたよ」。
「ああ、そうだ」。
「じゃあ、もういいじゃないか、早く家に戻ったらどう?」。
突然、アントー二オの喉元に、剣先が突きつけられた。
「何だ?、何のつもりだい?」。
「あそこにいる人たちに、もう用はないんだよ」。
剣を持っている刺客の後ろに陣取っている人物が言った。
「前にあんた、この決闘、自分がセザーリオのかわりに受けて立つって言っただろ?」。
アントー二オは、しばし考えて、息を歯の間から吸い込みながら答えた。
「え〜、言ったか言わないかは、僕の記憶では定かじゃないんだがなぁ」。
「いや、言ったんだ、だから今度はあんたが我々と決闘をするんだ」。
「何で?、だってもう終わった話だろ?」。
「否、確かにさっきはあまりにも簡単にセザーリオにやっつけられてしまったんでね、
このままでは我々の名誉にかかわると思った、しかし新たに相手を探すのも億劫だ、
そこで、だ、我々は思い出したのだ、この決闘をかわりに受けて立つと言ったあんたを、
あの時点で我々の相手はあんたに変わったんだ、セザーリオとの決闘は無かったこととして
今改めて、我々はあんたに決闘を申し込む!、いざ!、覚悟!」。
「それって、何だか強引じゃないか?」。
「おだまり!、こだまり!、水たまり!」。
刺客はそう怒鳴って一歩前に出た。アントー二オは一歩下がった。
「ぶつくさ文句を言わず、早く剣を抜け!」。
「待てよ、落ち着けよ」。
「さあ!、早く!」。
アントー二オは、仕方なく腰の剣を抜いた。そしてため息交じりに言った。
「わかったよ、そんなに言うなら、相手をしてやるよ、ほんとは疲れて早く寝たいのに…」。
しかし、こうなってしまった以上、逃げるわけにはいかない。さっさと終わらせて宿へ戻ろう。
刺客は、例のごとく、互いに声を掛け合った。
「いけ!デビちゃん!」。
「おー!、ドミちゃん!」。
剣先がアントー二オめがけて突進してきた。アントー二オが自分の剣で、それを払った時だった。
鈍い音がした。何かが飛んだ。全員、それが飛んだ方向を見た。
それは月明かりに照らされて鈍い光を発している…。
「あれ?」。
アントー二オは、腕の感触を不自然に軽く感じて、持っていた剣を見た。そして唖然とした。
すると、あれは…。

哀れ、アントー二オの手に握られた剣は、爪楊枝のような長さになっているではないか。
潮風にあたって錆びていたのか、もろくなっていたらしい。
刺客は、そんなことはお構いなしに、剣をこちらに向けてにじり寄ってくる。
「どうやら年貢の納め時だな、さあ、観念しろ」。
アントー二オは、今や使い物にならなくなった武器を捨て、首を傾げてぶりっ子笑いを浮かべた。
そして踵を返し、一目散にバルサラ公爵の屋敷の方へと駆けていった。
「セバスチャン!、友達だろ?!、助けてくれよ!、天窓の修理代は僕が払うからさ!」。
そう叫びながら。
刺客の二人はマントをひらひらさせて逃げるアントー二オの背中を、急いで追いかけた。
「待て!、卑怯だぞ!、追いかけろ、デビちゃん!こやつなら勝てる!、
こてんぱてんにやっつけてしまえ、さっきの鬱憤を晴らすんだ!」。
「おー!ドミちゃん!まかせてくれ!」。


屋敷での宴はたけなわである。
蒼白い空に、楽しげな歌声が吸い込まれていく。


…あなたは最高の友達、
あなたがいるから、私は生きていける…
ずっと共に歩んできた
私の輝ける太陽
おわかりになるでしょう
この想いは嘘偽りのないもの
心の底から親愛の情を
そう、あなたは最高の友達
あなたがいるから、私も生きていける…

(完)

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