不思議の魔法の国のアリス(完結編)
Written by MMさん
そこは土手の下だった。
アリスは土ぼこりにまみれて倒れていた。
どうやら土手から転がり落ちていたらしい。
違和感のある体の下を探ると、くしゃくしゃになった紙が一枚でてきた。
アンプの設計図だった。踏みつけていたのだ。
起き上がって土手を這い上がってみた。住み慣れた家が何事もなく建っていた。
何もかもが今まで通りだった。
(竜巻も、さっきまでぐるぐる回っていたのも、土手を転がってる間のことだったんだ、
全部夢の中の出来事だったんだ)。
アリスは設計図を地面に広げてしわを伸ばし、几帳面に折りたたむと、
家に向かって歩き始めた。もうそろそろ日没だった。
早く家に帰って、部品を組み立てなくちゃ。そしてベースの練習。
数日後には新しいバンドのオーディション…。
でも何か変だ。夢にしては、あまりにも鮮明すぎる。
笑う前歯の大きい白猫、巻き毛の帽子屋、ちょっと太めの三月兎、
そして一見全く普通のおじさん、世話係りのジム…。
目を閉じると、まるで今そこにいるかのように、彼らの姿や仕草、声までが蘇ってくるのだ。
アリスは思わず、エプロンの胸当てに手を当てた。
もちろん、そこには何もない。土がついて少し汚れているだけである。
(そんなわけないじゃない、だってあれは夢なんだもの…)。
夢、そう、考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい、心を注ぐ価値などない、ナンセンスな夢…。
(だめよ、アリス、忘れなさい、時間の無駄よ、時間をつぶしちゃだめ…)。
一陣の風がアリスの傍らを吹き抜けていった。
(時間はHim)。
思わずアリスは周りを見回した。すると木陰から一匹の白い猫が、まるで矢のような速さで
アリスの前を横切っていった。追いかけようとしたが、途中つまずいて転んだ。
立ち上がり、服のほこりを払おうとした時、アリスは自分の手のひらに残る奇妙な痕を見つけた。
まるで何かをずっと掴んでいたような、一本の線…。
(僕たちはいつも一緒だ…)。
耳に何度もこだまする声…アリスはどうしようもなく悲しくなった。
涙が自然にぼろぼろこぼれ落ちた。
何かとても大切なものを失ったような気がしていた。
こんな時はどうしたらいい?。
ひとしきり泣くのが一番だ。泣いて泣いて、それで明日からまた出直せばいい。
アリスはその場に伏せて、声を殺しながら泣いた。
どうして、ただの夢なのに、覚めたらこんなに寂しいんだろう…と。
完成したアンプとベースを抱え、アリスは約束の場所へ向かう。
オーディションの会場は、彼らがリハーサルに使用している、小さな会館の一室だった。
建物の中に入ると、湿気と、かび臭さが鼻をつく。
(いやな所に来てしまったわ)。
薄暗い廊下を進み、数ある部屋の中から、やっとその場所を探し当て、ドアをノックした。
中から、か細い「どうぞ」という声が聞こえ、ちょっとブルーな気持ちで、中に入ったアリスは
一瞬息を呑んだ。
そこには、、三人の人物が並んでいた。
一人は白いシャツで、前歯の目立つ異国情緒たっぷりの男、
一人は金髪碧眼の美男子、そしてもう一人は…。
アリスは狼狽した。心臓が胸を突き破りそうになった。
これは何かの間違いだ、こんなことがあるわけない、そんな馬鹿なことが…。
「どうかした?」。
帽子屋…ではない、巻き毛の男に声をかけられ、我に返ったアリスは、動揺を悟られぬよう、
咳払いして、なるべくゆっくりとした口調で言った。
「時間をつぶしたくないので、すぐ始めたいんですけど、よろしいですか?」。
巻き毛は苦笑いをして言った。
「その言い方はよくないな、時間をつぶすなんて、時間に失礼だよ」。
「いいじゃないか、細かいこと気にするなよ」。
白いシャツの男が、奇妙な笑い声をたてる。
(落ち着いて、これは単なる偶然よ)。
アリスは必死に自分を落ち着かせようとした。そして完成したばかりの手製のアンプを
彼らの目の前に置き、セッティングを始めた。
金髪がそれを見て、ぷっと吹き出した。
「何それ?」。
「自分で作ったアンプです」。
「へえ」。
巻き毛が突然立ち上がり、近寄ってアンプを色々な角度から眺め、触った後、
アリスにしか聞こえないような小さな声でぽつりと言った。
「小さいけど、よく出来てるね、このアンブレラは…」。
「アンブレラ…?」。
アリスの聞き返しなど全く気にする様子もない巻き毛は、
壁に立てかけてあった一本のギターを持ってアリスの傍らに立つ。
そのヘッドには見覚えがあった。忘れるはずがない。
帽子屋の肩越しに見えたあの独特の形を…。
アリスは思わず声をあげた。
「『過激(RED)な特派員(SPECIAL)』」と。
巻き毛は怪訝顔でアリスを見つめ、
「どうして知ってるの?、これ、手製でメーカー品じゃないんだよ」。
と言うと、肩をすくめてストラップを肩にかけた。
「コードを教えるから、適当に合わせてよ」。
簡単なチューニングの間、アリスはそっと、指板を覗き込んだ。
そこには鮮やかなポジションマークが埋め込まれていた。
(真珠のボタンは手に入ったのね)。
巻き毛は、「何かおかしい?」、と聞き、
「野暮なギターだと思ってるんじゃない?」と、ちょっと自嘲気味に言った。
アリスは笑顔で否定した。
「いいえ、とっても素敵なギターだわ」。
金髪が立ち上がって手を叩きながら言った。
「さ、時間をつぶしたくないんだろ?、早く始めようぜ!」。
巻き毛はむっとして言い返した。
「だから、そういう言い方はやめろって言っただろう?」。
白シャツが、大きな歯を見せて豪快に笑った。
「細かいこと気にするなって、言ってるじゃない」。
とても不思議な気持ちだった。
今ここで起こっていることは、アリスがあの夢の中で想像したそのままの光景だった。
ドラムを叩く金髪は、ほっそりとしたとてもハンサムな彼なのに、
アリスの中では、スコーンをぽりぽり食べ、帽子屋の歌にケチをつけ、眉間にしわをよせ、
時々駄々をこねる、あの太めの三月兎に重なり、そしてピアノを弾きながら歌ってる彼は、
どう見たってれっきとした人間だというのに、何故かあの不思議な猫に重なって見えた。
神出鬼没で、よく笑い、Qと4の関係にこだわり、常に自分たちは一緒だと言いつづけた猫…。
アリスは薄れていく意識の中で、何度もこの猫に懇願した。
歌って欲しいと。何故そう思ったのかは分からない。これは予感だったのだろうか?。
実際、彼は歌っている。素晴らしい声で。ピアノを弾いて歌う白い猫…。
ああ、時間が止まって欲しいと思う。
本当に時間の息の根を止めて、Killできたらいいのに。
アリスの弦を弾く指には、次第に力がこもってきた。
思っている以上に、指は自由に動いてくれた。
まるで彼らに引っ張られるようにして、精巧なメトロノームのように、
正確にリズムを刻んでいた。心地よい一体感があった。
そう、まるでずっと昔から、こうして一緒に演ってきたかのように…。
…だとしたら、あの夢の中の出来事は、単なる夢ではなかったとでも言うのだろうか?。
「返事は後日ね」。
巻き毛は事務的な口調で言った。
金髪はドラムセットから離れて、部屋の隅で煙草を吸っている。
白シャツは、余韻を楽しむように、ピアノの前に座って即興演奏をしていた。
(気に入らなかったのかな…?)。
演奏している間は、まるでもうすっかりバンドの一員になったような気がしていたから、
彼らの素っ気なさには、不安をおぼえる。
誰もアリスを気に留めていない様子だった。
アリスは手持ちぶたさに、部屋の中を軽く見渡してみた。
壁に、スケジュール表らしきものが貼り付けてある。
予定は結構埋まっているようだ。小さい会場ばかりだったが…。
アリスは表を指差しながら、巻き毛に、尋ねた。
「ああいう仕事って、誰が取ってくるんですか?」。
「ああ、あれ?、ほとんど知り合いのツテだね」。
彼はまるでそんなことには興味がないという態度で答えた。
「そういうことを管理する人って、いないんですか?」。
「そういうことって?」。
「マネージャーとか…」。
突然、金髪がげらげら笑い出した。
「君、ベース志望なんだろう?、何だ、マネージャー志望だったのかい?、
そりゃいいや、こっちも特に決まった奴がいないからね、
いっそのこと、ベース兼マネージャーでもやるかい?」。
白シャツが、ピアノの手を休めて、くっくと笑いをかみ殺している。
アリスは後悔した。我ながら馬鹿なことを言ったもんだと思った。
やはり、あれは夢だったんだ。そうとも。冷静に考えてごらん?。
あんな突飛なことが現実に起こるわけがない。
「わたし、何かおかしなこと…言いました、言いましたね、ごめんなさい、
何だか数日前に見た夢と現実がごちゃ混ぜになちゃって…
徹夜してアンプ作ったり、宿題やったり、いろいろしてたから、きっと頭が
疲れているんじゃないかなぁ、と思ったりして…
ええと、竜巻がぐるぐる回って、女王様を踏みつけたんです、わたし、
そこで家に帰るために、魔法使いを探してクロッケー大会に出ると、
はげおやじが一人出てきて、これが魔法使いだって言うんです、
でも、魔法を使っても、裸のおねえさんが自転車に乗って横切っていくだけだったので、
そのおやじは魔法使いじゃないことがばれて、実はマネージャーだった、って言うわけなんです」。
いろいろ言い訳したり説明している間、白シャツは身をかがめて笑い続けている。
もう腹がよじれて、苦しくて仕方がない、という風に。
もうそろそろよそう。これ以上何か言っても、余計旗色が悪くなりそうだ。
こんなわけのわからない夢談義なんかしたから、オーディションは失敗だったかもしれない。
あんな頭のいかれた女の子は、後で厄介を起こしそうだから、よそうとか言われてしまうだろう。
アリスは小さくお辞儀をして、「帰ります、今日はありがとうございました」、と言って、
彼らに背を向け、ドアのノブに手をかけた。
その時だった。金髪のしゃがれ声が響いた。
「そのマネージャーってのは、ひょっとしてジムって言うんじゃないだろうね」。
アリスが恐る恐る振り向く。
そこには、さっきと変わらぬメンバーがいる。金髪、巻き毛、白シャツ…。
彼らはみな、アリスを見ている。まるで懐かしそうに、笑顔を浮かべている。
「彼はまだ来ないよ、たぶんどこかで時間をつぶして(Kill)るんだろう」。
巻き毛が皮肉っぽく言った。
白シャツがピアノから離れ、バレエのステップでアリスに近づき、
彼女の肩を抱きしめると、こう囁いた。
「ジムはQのひげを持っていたんで、それが離れて、別なところに吹っ飛んでいったんだ、
でも心配はいらない、そのうちきっと合流する、QはどうあってもQだからね」。
そして、彼はある一点を指差した。
今、アリスの視線は、機材運搬用のジェラルミンケースのロゴに注がれていた。
そこには、はっきりと、こう書かれていた。
Q U E E N 、と。
――――― そう、大丈夫、僕たちはいつでも一緒だよ、ダーリン ―――――。
(完)