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White Beauty―白馬物語

Written by MMさん

何から話そうか?。
何から聞きたい?。
最近のことは、君もよく知ってるからね。飽き飽きしてるだろ?。
ここに落ち着いて久しいけど、まあ、楽しくやってるね。最高の暮らしだよ。
でも年のせいかな、近頃よく昔のことを思い出すんだ、随分前のこと。
僕がとても若かった頃のこと…。そうだ、その話をしてあげよう。

別れと出会い、そしてまた別れ…

僕は最初、極々普通の子馬に過ぎなかった。
唯一、僕とわかる特徴は、綿菓子みたいな、ふわふわのたてがみくらいのものさ。
どこにでもいそうな、灰色の子馬。それでみんな、僕を「ダーキー」って呼ぶようになった。
母さんや他の仲間と同じように、野原を自由に駆け回り、川で水を浴び、時間になれば厩舎に戻って
ごはんを食べてぐっすり眠る日々…。のんびりしていて、時にはとてもスリリングで
(そう、みんなで追いかけっこなんかした時はね)それなりに楽しい日々だった。

母さんや仲間たちは、いろいろなことを教えてくれた。一人前の馬になるために必要な、いろいろなことを。
馬は働くんだ。働いて人の手助けをするんだよ。覚えなきゃならないことがたくさんあった。
体を丈夫にすること、早く走れるようになること、人の言うことを理解すること、辛抱強くなること、などなど…。
仲間たちのほとんどは、農場を出ていった。そう、働く…ため、さ。
いつか僕も、みんなと同じように、ここを出ていくことになるんだろう。

僕はすっかり成長し、誰に見せても恥ずかしくない馬になった。
足も速かったし力もあった。そして何より不思議なことは、それまで灰色だった毛並みが、
だんだん白く変わっていたことだった。僕はどんな遠くからでも分かるほど、目立つ馬になっていた。

ある日のこと、地主が、馬を一頭欲しいからと言って、農場にやってきた。
農場主は迷わず僕を、厩舎から連れ出した。
地主は、僕をまじまじと見つめ、この馬はいい馬かどうかを尋ねた。
「もちろん、体つきもがっしりしてるし、足も早くて利口で、とても健康です」。
農場主は自信たっぷりに言った。
「それに何より、見栄えがいい、これほど白い毛並みの馬は、そういません」。
しばらく地主は、僕の首を撫でていたけれど、そのうち僕の顔をじっと覗き込んで、名前を尋ねた。
農場主が「ダーキー」と答えると、氏はぷっと吹き出した。
「こんな綺麗な白馬を、君たちは“ダーキー”と呼んでいるのかい?」。
「生まれたばかりの頃は、灰色だったんですよ」。
地主は僕をすっかり気に入ってくれた。最初は灰色で、やがて白馬になった不思議な馬…。
ちょっと縁起がいいと思ったのかもしれない。でもとてもいい人そうだったから、僕は安心した。
母さんと別れるのは辛いけど、新しい場所でも、何かいいことが待っていてくれればいいと思う。
こうして、僕は生まれ育った農場を後にし、地主の厩舎へと移っていった。

新天地での仕事は、この家の家族が使う馬車をひくことだった。
馬車は大きくて重かったけど、気のいい仲間がいて、気持ちよく仕事が出来た。
さすがに、農場にいる時のように、毎日のんびり過ごすわけにはいかなかったけど、一日の終わりに、
新しいご主人となった地主にねぎらいの言葉をかけてもらえるのは、とても幸せなことだった。
彼は馬を人任せにはしない人で、自分でもすすんで世話をし、また子供たちにもそうさせていた。
まず僕は、ご主人から、White Beautyというとてもかっこいい名前を頂戴した。
もう灰色じゃないのに、いつまでもダーキーじゃ可愛そうだ、ということだった。
White某という名前は、子供たちには言い辛かったので、彼らは僕の元の名前“ダーキー”をもじって、
“ディーキー”と呼ぶようになった。僕はこっちの方がWhite某より、ずっと気に入ってたけどね。
この家の子供たちとは、すぐに打ち解けたよ。
中でもヴェロニカは、とても親切だった。ほがらかで素直で、何よりも彼女は僕のことをよく知ろうと努力していた。
いつも熱心に、馬番や父親の話を聞いて、その通りにしていた。だから僕たちは最高の友達だった。

ある日、ヴェロニカは、僕に乗りたいと言い出した。
いつもは馬車につながれている僕だから、馬番はやめさせようとした。
僕はヴェロニカが乗りたいと言うなら、やぶさかじゃなかった。いや、はっきり言って自信があった。
絶対に振り落としたりしないって。僕とヴェロ二カは、心が通じ合ってるんだ、だから絶対大丈夫だって。
僕は、ふくれっつらをしてる彼女の背中を、ちょっと鼻でつついてみた。
「なあに?」。
今だよ、ヴェラ、馬番が背中を向けてるうちに、そっと外へ出ちゃおうよ、
僕はちょっと彼女をそそのかしてみたんだ、乗馬用の馬は別の場所にいて、そこには鞍も全部揃っているのを
知っていた。僕らはそこへ忍び込み、他の馬を説き伏せて、うまく準備を整えた。
「ね、どこに行く?」。
背中の上のお姫様は、気取ってこう聞いた。そう、君の行きたい所なら、どこだって連れていくよ…。
僕は心の中でこう答えた。

僕らはひとしきり野原を走り回って遊んだ。ヴェラは素晴らしい騎手だった。
でも、家に戻ると、怖い顔をしたご主人が待っていて…叱られたのは…僕じゃなくヴェラだった。
ご主人は、僕の脚を指してこう言ったんだ。
「ディーキーの脚をごらん?、少し腫れているだろ?、走らせ過ぎだ、
そんなに馬を酷使しては、どんなに素晴らしい馬も、すぐ駄目になってしまうんだよ」。
僕はしばらく外には出してもらえなかった。僕は全然平気だったんだけど。
その間、ヴェラが、何度も馬舎を訪ねてきた。僕を心配してたようだ。
彼女は泣きながら、こう言った。
「ごめんなさい、私が無茶させたから、ディーキーが走られなくなっちゃった」、と。
大丈夫、僕はなんともないさ、ただ大事を取ってるだけだよ、それに君が怒られるのは理不尽だ。
僕がそそのかしたんだもの…もちろん、お父さんにそのことを伝えるのは、とても難しいことだね。
もどかしい…。君はちっとも悪くない、悪かったのは僕の方。
僕は、前脚をどんどんと数回踏み鳴らし、鼻を彼女の顔にきゅっと押し付けた。
気持ちを伝えるためさ。僕はいつもこういう風にしたんだ。
少しでも彼女の気持ちが安らぐように。
ヴェラは、僕の首を強く抱きしめた。ちょっとばかり苦しかったけど、嬉しかった。
「ディーキー、あなたは私の大事な友達よ」。
もちろん、僕だってそう思ってるさ。

夫人の体の調子が思わしくなくなった。
体の丈夫な人ではなかったけれど、一冬を過ごす毎に、ますます悪くなっていったようだ。
最近では、外に出ることもなかった。
ヴェラは毎日、馬舎に来て僕の頭を撫でてくれたけど、昔のように、川や野原に連れ出してはくれなかった。

医者が夫人を暖かい所に連れていくことを勧めていたのは知っている。
ご主人はなかなか気が進まないようだった。ここが好きだったから。
でも夫人の体のことを考えると、そうも言ってはいられなくなっていた。

まもなく、ご主人は家族全員を連れて、南の国に移ることを決めた。
馬は連れていけなかったので、僕たちはそれぞれが、別な所へ引き取られることになった。
大好きなヴェラとは、こうして別れることになってしまったんだ。

荷物が次々と運び出されていく。
仲間もどんどんいなくなってしまう。
僕の周りは寂しくなっていった。
ヴェラのこの国での最後の日、彼女は厩舎に来て、ずっと長い間、僕の首や頭、たてがみを撫でてくれた。
言ったよね、ヴェラ、僕たちは友達なんだって。
ああ、恨んだりしないよ、ヴェラが悪いんじゃないんだ。だけど…。
ヴェラの涙が、たてがみを滑り落ちていった。
さようなら、僕は君と会えて、とても幸せだったと思う…。
僕は前脚をドンドンと踏み鳴らして、ヴェラの顔に鼻を押し付けた。

優柔不断な馬

僕は体が丈夫なところを見込まれて、乗合馬車の仕事をすることになった。
乗り合い馬車は結構大きくて、それをひくのはハードな仕事だった。
ここで、僕は新しい相棒と出会った。
巻き毛のたてがみをした、ほっそりとした栗毛だ。
厩舎で初めて会った時、彼はか細い声で話しかけてきた。
「ねぇ、君、この仕事、初めてかい?」
僕は、今まで地主の家で自家用の馬車をひいていたことを話した。
あの日々は、僕にとって素晴らしいものだったからね。
でも栗毛のブライは、あまり楽しそうには聞いてくれなかったようだ。
彼は、ずっとうつむいたままで、僕が話し終えると、ため息をひとつついて、こう言ったんだ。

「君はずいぶん、幸せ者だね」。

その言い方が、ちょっと皮肉っぽかったから、僕はカチンときた。
実際僕は、とても幸せだったんだから、いいじゃないかってね。
まるで、ヴェラを馬鹿にされたようで、腹が立ったんだ。
ブライは、本当は皮肉屋っていうわけではなかっただけど、行き詰まってた。
仕事をする馬として、とても悩んでいた。
そこヘ現れた新参者の僕が、能天気にうつったようだ。

「君は仕事の大変さをわかってないんだ」。
ブライは言った。
「一生懸命やればいいってもんじゃない、ただただ、走ってばかりいたって、
僕らは結局道具と同じだ、いつかはぼろぼろにされて、馬肉屋に売られる運命だよ」。

ブライは真面目な馬だ。
羽目をはずさないし、とても几帳面で、礼儀も正しい。
でもいつも不安に怯えていた。
彼の考えでいけば、馬は所詮道具であって、人間の友達ではない、ということだ。
でもねぇ、それってあまりにも寂しすぎないかな。
僕は別れても、ヴェラのことを考えているよ。
ヴェラはいい友達だったさ。僕は彼女の喜びも悲しみも全部手に取るように分かった。
ブライは、僕が単に恵まれていただけで、そのうち失望すると忠告した。
でも僕はきっと、失望なんかしない。僕は友達がどんな風なものか知ってるから。
僕は、馬肉になることなんて、今は考えない。それを考えるのは、その時が来てからでいいじゃないか。
彼は悲観的過ぎるんだよ。

乗合馬車は、混雑した道を進まなきゃならない。
一緒に走っていてわかったのは、ブライはよく迷うということだった。
右へ行くか、左へ行くか、進むか、止まるか…。
馬車が立ち往生して大騒ぎになると、御者はイライラしてブライを怒鳴ったものさ。
「この、のろま!」。
僕は咄嗟に、人やら辻馬車やらがひしめいた道路の、ほんの小さな隙間に向けて走り出して、何を逃れた。
ブライはむやみやたらとムチを打たれて、すっかりしょげ返っていた。
こんなことは何度もあった。
ブライは、御者とよく気持ちが通じていなかったんだよ。
ムチを打たれて、彼はさらに心を閉じてしまった。それが彼の不安の原因さ。
僕は言ってやったよ。
「ねえ、ブライ、少しは御者のことを信じたら?、
君は馬は単なる人間の道具だと思っているようだけど、
馬ほど人間の心を読める生き物はいないんだよ」ってね。
最初彼は、
「君みたいな、物事をよい方面から見ない奴が、後で泣きを見るんだ」。
と、文句を言っていたけど、僕は彼に負けないくらいの根気で、説得したよ。
君が恐れているのは、自分のことを誰にもわかってもらえないことだろ?、
でもそれは、こっちがわかろうとしないからさ、
食らいつけよ、相手にもっとさ、君は根性があるんだろ?。

しばらくして、ブライは以前ほど迷わなくなった。
僕との歩調も合ってきたし、立ち往生することもなくなった。
御者も今では、すっかりブライをいい馬だと文句なしに誉めていた。
彼は少しづつだけど、自信を持てるようになった。
彼は僕に言ったよ。
「君のおかげで、何だか僕はすごく生きているのが楽しくなってきた」。
実際、僕と会ってからのブライはすっかり見違えた。
まるで別の馬になったようだ。生き生きして、毛艶もよくなった。
僕らは評判の乗合馬車だった。会社は助かったと思う。
だけど、どの馬車会社も、いい馬を欲しがっていた。
馬車馬はタフでなきゃいけなかったから、なるべく若い馬をいつもそろえておきたかったんだ。
僕は、年齢も丈夫さも足の速さもすべて理想的…だったそうだ。
やがて、馬商人のような人がやって来て、僕を丹念に調べていった。
数日後、僕は別の馬車会社に移ることになった。
ブライはとても悲しんだ。せっかく仲良くなれたのに…と。
でも僕は、彼にこう言ってあげた。
「君はもう僕が相棒でなくたって、十分やっていけるよ」って。

暴れん坊の馬

僕が次にひくことになった馬車は、郵便馬車だった。僕の足の速さが見込まれたんだ。
でも、実に厄介なことになったよ。
郵便馬車ってのは、馬車の中ではとても過酷なんだ。
時間厳守だから、休みなくぷっ飛ばさなきゃならない。
時々人も乗せるけど、乗る人も大変さ。トイレにもいけないんだ。うっかりしてると、置いていかれる。
馬車が約束の時間に遅れると、御者は罰金を払わされるから、もう大変だよ。

新しい相棒は、僕と同じ白い毛色で、金髪のたてがみの馬だった。
ログって呼ばれていた。
これがちっとも落ち着きがないんだ。
足はたいそう速いんだけど、かわいい子を見ると、とたんにソワソワしちゃうし、とにかく飛ばすんだ。
もちろん、引っ張りまわされる僕だって、たまったもんじゃない。
でも彼はいつも、出発前には、ご機嫌でこう言うんだ。
「さあ!、ディーキー!、思いっきり飛ばそうぜ!」。

確かに馬車は分刻みで動いているけど、石がごろごろした悪路でやみくもに走ったりしたら、
馬車も僕らの脚ももたない。
勢いがつき過ぎて、道のど真ん中で車輪がイカれて、結局立ち往生。
御者はこのままだと馬車の修繕と馬代と罰金で、破産すると嘆いた。
でもログはそんなこと、おかまいなしさ。彼は走ることが大好きなんだ。
とてもきれいな目をしていた。いいヤツなんだ。
ただちょっと、やんちゃなだけなんだよ。

だけどこのままだと、僕らはすぐ馬肉屋行きになってしまう。
御者も首を括らなきゃならなくなってしまう。
ログを抑えるのは難儀なことだ。
だけど、僕は何とか踏ん張って、馬車のスピードを抑えようとした。
馬車はかなりの重さがあったし、ログの馬力は相当なものだったから。特に坂道では苦しかったよ。
ああ、本当にこれは、死に物狂いでやった仕事だ。脚ががくがくして、どうにもならなくなる程。
でもおかげで、馬車は、道中無事で目的地に着くことが出来たし、御者も罰金を払わなくてもよくなった。
それどころか、完璧に僕らは時間に正確だということで、大きな信頼を勝ち得たんだ。
僕らの馬車は、一分、一秒すら遅れない最高の郵便馬車だってね。
ログも僕も、すっかり英雄になった。

所詮は郵便馬車さ。求められている仕事をこなしているだけ。
それ以上のことが何かあるかい?。でもいい気分だったよ。
誉められてうれしくないやつなんか、いるもんか。
けれど、そのささやかな評判のおかげで、僕はまたしても運命に弄ばれることになった。
僕は突然、再び別の仕事をやらされることになったんだ。
何だと思う?。
狩に連れていかれることになったんだよ。
狐狩…貴族の道楽だ。小さい動物を追い詰めて、殺しちゃうんだ。
こんなの僕のカラーじゃない。まっぴらさ。連中のお飾りでいることなんて。
黙々と車を引っ張っている方が性に合っているんだよ。
僕は、今回ばかりは乗り気じゃなかった。
とても悩んだし、行きたくなかった。せっかくログとも息が合ってきたのに。
でもログはこう言うんだ。
「オレたちは自分の仕事を自分で選べないんだよ」。
本当、彼はいいヤツだよ。
さっぱりしていて。気さくだし。何より前向きで生気にあふれてる。
「だから、与えられた仕事は、死に物狂いでやるのさ、それが馬の宿命だろ?」。
彼は快く僕を送り出してくれた。
「お前と会えて、最高に幸せだったよ、元気でやりな」。
少し気が楽になった。でも別れはもうこりごりだ。少し落ち着きたいって思うようになったね。

ファルーク

新しい厩舎には、1頭の黒い馬がいた。
体はそれほど大きくなかったけど、よく引き締まっていて、色艶のよい美しい馬だった。
その子は、僕が入っていくと、切れ長の黒い瞳で僕をじっと見つめていた。
そしてしばらくの間、何もしゃべらず、ただ僕の動きを目で追っていた。
見られて黙っているのも失礼だからと思って、僕は思い切ってあいさつをした。
「こんにちわ」。
黒馬は、それでもまた黙っていた。
あれ?、他の国から来た馬なのかな?。だから言葉が通じないのかな?。
何だか居住まいが悪くなっちゃって、僕が目をそらすと、黒馬はやっと、、ツンとして答えた。
「やあ、白馬君、僕とちょうど対照的で、いいんじゃない?、その白い毛色」。

彼はファルークと呼ばれていた。何でも、他の遠い国で生まれたらしい。
ちょっと風変わりに見えるのは、そのせいなんだろうか?。
彼は今まで僕が一緒に仕事をしてきた仲間たちとは、違っていた。
まるで気ままな猫のように振る舞い、この人間の悪戯の延長線上にあるような仕事を、こともなげにやってのける。
僕はそれがいやでたまらなかった。僕はことあるごとに言った。
「僕らは無意味な殺戮に手を貸しているんだよ、聞いてごらん、あの狐の悲痛な叫びを、
もしあれが自分だったらって思わないのかい?、
ああ、僕だったら耐えられないね、考えただけで背筋が寒くなる、
連中はバカだ、こんなことのために馬を消耗してるんだ、
馬はもっと有意義な仕事をするべきなんだ、こんな残酷なことに付き合わされてるなんて、不幸だよ」。

ログは、与えられた仕事をやり遂げるのが、馬の宿命だと言った。
確かにそうさ。でも納得できることと出来ないことがある。
僕が今まで経験してきた人とのかかわりは、こんなのじゃなかった。
ヴェラや御者たちは、みんな僕らをいたわってくれた。僕らの気持ちを理解しようとしていた人たちだっんだ、
僕は人っていうのは、ずっとそういうものだと思ってきたんだよ、
だからブライを励ますことだって出来たのに。この仕事は僕にとって恥だ。
こんな悪魔みたいなことを平気でする連中と、どうやって折り合いをつけろっていうんだい?。

孤独だった。誰も僕をわかってくれない。
ファルークは、僕が何を言っても、そ知らぬ振りだった。
彼は気取りやさ。みんな彼をもてはやす。きれいな馬だったから。いい気になってるんだよ。

僕はある日、走ることを拒否した。
まわりはみんな慌てて、僕を引っ張り出そうとしたけど、僕はがんとして受け付けなかった。
残酷なゲームなんかたくさんだ。おもちゃのように自慢されるのも、まっぴらだ。
走るだけなら、他の馬にだって出来る、どうしても僕じゃなきゃだめっていうわけじゃないだろう?、
気に入らなければ、さっさと別なところにでも売り飛ばせばいい、
突然ファルークが、僕に向かって言った。
「君は走ることが嫌いなの?、走られるってことが、うれしくないの?」。

走ること、それはファルークが最も愛したこと。走って、風を感じる…、
「僕は走ることが大好きさ、この仕事は君が言った通り、残酷で無意味で、しかも僕らは軽視されている、
絵や宝石と同じ、物資的な自慢の品物と同じなんだ、でも僕は、それでもここで走られるならば、幸せだ、
僕はただ走りたいんだ、今、この瞬間、走って風を感じていたいんだ、
たとえ馬車馬だったとしても、荷車を引く馬だったとしても、走っていれば僕は生を感じられる、
今を生きていると感じられる、ただそれだけなんだ」。

それがファルークのすべて。彼が淡々とあんなくだらないゲームに付き合っていた理由だ。
ああ、僕はどうして気がつかなかったんだろう。
いつもすましていて気に入らないヤツだと嫌っていたのは、間違いだった。
かつて僕は、ブライに相手を信じて食らいつけと言ったのに、自分ではすっかりそれを怠っていたんだ。
ファルークは、僕を目覚めさせた。
そうさ、以前ログが言った通り、僕らは自分の仕事を選べない。
だから与えられた仕事にベストを尽くす。
でもそれは、仕事を愛することじゃない、生きることを愛することだったんだ。
走って、風を感じる…、たとえそこがが意にそぐわない場所だったとしても、今ここにいる自分を生かす、
そのために、精一杯走らなくちゃいけなかったんだ。

ファルーク、僕はもう孤独じゃないよ。
君がいる。君が教えてくれた。仕事が重要なんじゃない。
生きることそのものが大切なことだった。
君と一緒に、今こうして走っていることが、僕にとってのかけがいのない瞬間。
生きている、生きている、生きている、こんなにも素晴らしい瞬間…。

なのに、どうして僕の運命はこんなに苛酷なんだろう?。
もう何度も,別れはいやだと思っているのに。

走るのが大好きだったファルークの脚は、相当痛んでいた。
僕はそれに気がつき、ファルーク自身も知っていた。休むべきだと思った。
でもここにいた人間の誰一人として、その重大な問題には気が付かなかったし、
僕にはそれを伝える方法がなかった。そして何より、彼はどうしても走りたかったんだ。
とうとうファルークは、僕の目の前で転倒してしまった。
それはとても不幸な転び方だった。
鈍い音がして、地面に転がった彼は、二度と起き上がれなくなったんだ。
ファルークから振り落とされたやつも、僕に乗っていたやつも、みんな急いで集まって、ファルークを取り囲んだ。
僕はファルークを見た。あんなに力強い光を放っていた瞳はうつろで、息はひどく荒くなっている。
僕には、とても悪い、そして恐ろしい予感が走った。
二度と立ち上がられなくなった馬…骨折した馬が、どういう運命をたどるのか…。

彼を取り囲んだ人間は、誰もが首を横に振っていた。
それが何を意味するのかは、僕にも十分わかっていた。
でも、大切な友だちを、どうしてこんな形で、失わなくてはならないんだろう?。
僕はファルークに出来るだけ近づいた。
「ファルーク、目を覚まして!」。
ファルークは一瞬目をうっすらと開けて僕を見た。
「だめだよ、そのまま寝転がっていたら、撃たれてしまうよ!」。
(いいんだ…)。
ファルークのつぶやきが聞こえたような気がした。
「いいんだって、どういうこと?、だって君は、走りたい、走って生きてることを感じたいって
言っていたじゃない、どうして、いいなんて言えるんだよ」。
(もういいんだ、僕はもう十分走った…、誰よりもたくさん走ったんだ、疲れたよ…
でもちょっとばかり、心地よい疲れなんだ、今はとても気分がいい…)。
「気分がいいって、どういうこと?、君の脚はね…」。
(そうさ、僕の脚はもう限界なんだ、今までとても病んでいたんだ、でも不思議だ、今は全然痛くない…
不思議だね、何だかすべてのものから解放された感じなんだよ、
今まで僕はずっと突っ走ってきた、そうすることで生きている実感を得ていたんだ、
素晴らしい時間だったけど、それは同時に、とても苦痛を伴うものだったんだ、
ねえ、ひょっとして、生き物が一生懸命生きようとするのは、その苦痛から解放されるためかもしれないねぇ、
今、何となくそう思うんだよ…、みんな、自由になるために走るのかなぁって…)。
ファルークの傍らにいた男が、拳銃を出した。
「ダメだよ、ファルーク!、起き上がってよ!」。
ファルークは、瞼を閉じた。
(大丈夫さ、ディーキー、心配しないで、僕は自由になる…どこか素敵なところへ行けそうな気がするんだ)。
男が、ファルークの額に銃口を当てるのが見えた。
「ダメ!、お願い!、その馬を撃たないで!」。
(ここよりもっと素敵なところへね…)。
僕は体を起こして暴れた。僕に乗っているやつは、手綱をつかんで僕を抑えようとした。
「お願い!、撃たないで!、撃たないで!」。
森の中に、銃声がこだました。

もう走らない

友達のいなくなった世界って、何て味気がないんだろうね。
もう、どんな仕事も楽しくない。
ファルークはもういないんだ。
走ることにはうんざりしていたし、僕には脚をいたわる気持ちは失せていた。
虚しさと寂しさから逃れるためには、走らなきゃならない。
ファルークが残した言葉…生きることには喜びと悲しみがあって、みんな苦しみから逃れるために走っている…。
そうさ、喜びはほんの一瞬さ、その一瞬のために僕らは大きな代償を払っているんだ。
でももうたくさんだ。こんな残酷な運命から解放されたい。
僕はやみくもに走って、体をさんざんいじめた。
もう脚なんかどうなったっていい、早くダメになって、ファルークの所に行きたい、彼の言う素敵なところへ…。
さっさと脚なんか、折れてくれればいいんだ、そして誰か僕の頭に銃口を向けてくれ、早く楽にしてくれよ…。

やがて僕の脚は腫れあがり、速く走ることは出来なくなってしまった。
郵便馬車での武勇伝は、もうすっかり昔の話さ。
骨は折れなかったので、一発で楽にしてはもらえなかったかわりに、もっと残酷な結果が待っていた。
連中は、僕をゴミのように扱った。馬鹿みたいな安値で、辻馬車屋に売り飛ばしたんだ。
つまり、用済みってことだ。
それからしばらくの間、僕は小さい馬車を引っ張って、再び街の中を流していた。
見覚えのある顔をよく見た。
ブライだよ。すっかり堂々として、若い馬をリードしている。
ログともすれ違った。いくぶん恰幅はよくなってたけど、元気なところは変わらない。
彼らは僕には気が付かなかったようだ。でもその方がいいんだ。
こんな惨めな姿になっていることなんか、知られたくないもの…。

やがていよいよもって、満足に走られなくなった僕は、馬市に破格値で売り出された。
どんなに遠くからでも分かる程白かった毛色も、すすけて灰色に変わり、
脚は無様に形が歪んで、引く手あまただった頃の面影なんて、どこにもありゃしない。
昔とかわらないのは、ふわふわしたたてがみくらいのものじゃないだろうか?。
皮肉なことに、生まれたばかりの頃の「ダーキー」に戻ったわけだ。

運命の輪

一人の男が僕に近づいてきた。品のいい紳士だ。彼は僕を興味深そうに眺め、そっと首を撫でた。
こんなことをされるのは久しぶりだ。僕はちょっと緊張した。
すると彼は、今度は僕の脚を軽く触った。そして周りを見回して、少し離れたところにいた馬商人を呼んだ。
彼らは何か話をしていた。僕は聞き耳を立てた。
男はこう言っていた。
「この馬、まだ使えるんだろう?、ずいぶん安値がついてるね」。
馬商人は、僕を一瞥して肩をすくめた。
「もともとはいい馬ですよ、でも若くないし脚も壊れてる、見栄えも悪い、労働にはむきません
本当は、馬肉屋に売ろうかと思ってたところで…」。
「馬肉なんてもったいない!、性格はどう?、おとなしいかい?、根気はある?、人慣れしてる?、
いや、労働に使うつもりはないんだ、この子は顔がいいな、やさしそうだ、たてがみもかわいい、
実はね、子供が馬を欲しがってる、子供の遊び相手だから、成熟した馬の方が都合がいいんだ」。
紳士は僕をすっかり気に入ったようだ。
彼はさっそく僕を連れて帰ることにした。
ああ、僕はもう終わりだと思っていたのに…また生き延びてしまったよ。
でも本当なんだろうか?、子供の遊び相手って…、嫌じゃないけど、不安だ。
騙されてるような気がして。僕の運命はいつも二転三転するんだ。
ひょっとすると、手違いで馬肉屋に連れていかれるかもしれない…、でもいいさ、それならそれで。
僕はどのみち、馬としてはもう失格なんだ。出来ることなら、あまり苦しまないようにして欲しいよ。

僕はこの紳士と一緒に、数日間の短い旅をした。
彼の家はちょっと遠かったんだ。
その間の彼はとてもやさしかった。水も食べ物も欠くようなことはなく、常に僕の体を気遣ってくれた。
ふと、ヴェラの家での楽しい思い出が、僕の心に蘇った。
今となっては、まるで信じられないような素晴らしい日々だった。
もうたぶん、あんな幸せは二度と味わうことは出来ないんだろうな、
僕はそんな思いを胸に抱きながら、彼に連れられて、見知らぬ場所へと向かっていった。

到着して驚いたね。立派な家なんだよ。土地もものすごく広い。想像していた以上だ。
紳士は、前庭で遊んでいた子供たちを呼んだ。
「おいで!、お前たちご希望のお馬さんが到着したよ」。
数人の子供たちが、僕に駆け寄り、べたべたと僕に触り始めたんだけど、
元気な男の子たちの後ろで、一人離れて僕をじっと見ている女の子がいた。
その子と目が合って、僕はあれ?、と思った。何となく見覚えがあったんだ。
でもこんな小さな子と、いつどこで出会う機会があったんだろう?。
遠くの方で、女の人の声がした。
「みんな、お馬さんをびっくりさせちゃだめよ!」。

そう言った人が、スカートの裾をたくしあげて近づいてくる。
この家の奥さんだろう。子供たちはいったん僕から離れた。
彼女が、僕の目の前に立った。
「かわいい馬ね、昔私の家にいた子に、そっくりだわ」。
僕は彼女の顔を見て、はっとした。あれからもう十年以上たっている…でも面影が残っている。
そうだ、間違いない、ヴェラだ。忘れるはずがない。僕の大事な友達…。
ヴェラは結婚して南の国から戻ってきていたんだ。紳士は彼女の夫で、ここにいるのはヴェラの子供たち。
あの女の子が、どうりで見覚えがあるはずさ。
昔飼っていた馬にそっくり…か。覚えていてくれたんだね、僕のことを。
でも、僕がディーキーだってことを、どうやって伝えたらいいんだろう?。
馬の言葉は人間にはわからない。前にもこんなことがあったよね。

君がお父さんに叱られた時、ヴェラじゃなくて、僕が悪いって言いたくても言えなかったあのもどかしさ。
ああ、蘇ってくる、あの日々が…、君と一緒にいた、あの素晴らしい時間が…。
ヴェラ、僕だ、僕なんだよ!、わかって!。
僕は何度か、地面を前脚でどんどん踏み鳴らした。そして彼女の顔に、鼻を押し付けた。
前に、彼女を慰めるつもりでやったことを、もう一度試してみたんだ。
「ずいぶんと、君が気に入っているようだね」。
紳士は、ヴェラの後ろで、愉快そうに笑っている。
ヴェラは、「どうしたの?、おかしなお馬さんね」、と、たしなめるように言って、
僕のたてがみを撫でた。ふと、彼女の手が止まった。
一度僕から顔を離して、僕をじっと見つめた。そして小さな声でこう言った。
「ディーキー…?」。
そうだよ、ヴェラ、僕さ、すっかりすすけてしまったけど、僕なんだ、信じられないだろう?、
でも本当のことなんだよ、今、君の前にいるのは、間違いなくディーキーなんだ、
ものすごい回り道をして、またこうして君と会うことが出来たんだ、
運命の輪は、再び僕らを巡り合わせてくれたんだよ、最初と最後がくっついて、きれいな丸を描いて。
「このふわふわのたてがみ!、前脚をドンドンする癖、鼻をくっつけてくるところ、
ああ!、間違いないわ!、ディーキー!、またあなたと会えるなんて、なんて不思議なことなの?」。
ヴェラは、僕を抱きしめた。

二度と来ないだろうと諦めていた、安らいだ日々…。
僕は、今こうして、長い旅をやっと終えることが出来た。
もう悲しい別れはないと思う。
昔のようには走られなくなった。ただのんびりと草を食み、
君とこうしてぼんやりと時間を過ごすことが日課になった。
それでも、不思議だよね。とても充実してるんだ。
走っていなくても、風を感じていなくても…。
時々、ファルークのことを思い出す。走って、風を感じることを生きがいにしていたファルーク。
今思えば、僕と彼とでは、生き方が違っていたんだね。
憧れていたけど、やはり僕には、彼のような密度の濃い生き方は出来なかったと思う。
彼だけじゃない…他の仲間たち…ブライやログも…、
みんなそれぞれ、生き方は違っていたってことが、最近ようやくわかってきたよ。
僕は僕さ、僕のやりたいようにやるだけなんだ…。それが一番いい方法なんだ。
ねえ、ローラ…、僕はもう年だ、ずいぶん長く生きちゃった。
君もいつかはここを離れて、自分の家庭を持つことになる。
でも忘れないでいてくれる?。僕と過ごした日々のことを。
君のママが、僕を覚えていてくれたように。

さあ、もう終わりにしようか。
少し眠くなってきたよ…。  

(完)

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