BLUE
Written by la chatさん
SCENE 1
レコーディングは、思っていたよりも難航した。
前のアルバムで彼らの当初の野心は具現化され尽くしてしまったし、これ以上続けても焼き直しとしか評価されないことは明らかだった。そして何より彼ら自身が「華麗なクイーン・サウンド」にうんざりしていた。
彼らは生まれ変わろうともがいていた。しかし、長年のクセというものは、そうそう彼らを自由にはしてくれない。特に、今までメインで曲を書いてきたフレディとブライアンにとっては、築き上げてきたものを自ら破壊するような作業が続いた。その一方でロジャーは、ここぞとばかりに様々なアイディアを出してくる。バンドの力関係が微妙に変化しつつあることは彼らも感じていた。
「これ以上ギターは要らないよ、ハニー。そのままの方が、ウタが生きるだろ」
「待ってくれよ、僕は、ギターを入れろ、とは言ってない。ただ、僕たちのサウンドじゃない、って言ってるんだよ。これじゃビートルズみたいじゃないか」
「いけないかい?それとも、君はビートルズが嫌いなのかな?」
質問には答えず、ブライアンは指先でミキサー卓をコツコツ叩きながら、フレディを見上げた。
「少なくとも、ジョージよりうまくギターを弾けるように努力しているつもりだけどね。オーケイ、ここは作曲者の意見を聞こう。ジョン、どう思う?」
急に話を振られてジョンは驚いたようだが、しばらく視線を宙に泳がせてから、やっと答えた。
「僕は・・・僕たちがクイーンなんだから、何をしようとクイーンのサウンドだと思うけど…」
呑気そうな顔で生意気なことを言われて、喜ぶひとはいない。
「ご神託が下った。全てはクイーンの御業なのだ、迷えるギタリストよ」
フレディは、シャレのつもりらしかったが、ますますブライアンの表情は険しくなった。さすがにジョンも、自分の言い方がまずかったことに気づいたが、もう遅かった。
「ヘイ、ヘイ、もういい加減にしてくれよ。切ったり貼ったり、足したり削ったり、いつまでやれば気が済むんだよ?あのさ、この曲は歌メロがツボなんだぜ。みんな、そう言ってたじゃないか。そりゃ、ちょっと変なサイズの曲だけどさ。でもこの上、華麗なギターや豪華なコーラスなんか入れちゃったら、胸焼けおこしちまうよ。なっ、ジョン、そうだろ?」
そうまくしたてるとロジャーは、ジョンの困惑した顔をのぞき込んだ。そして何が面白かったのか、げらげら笑いだすとジョンの肩をかかえて、素早く控え室に連れ出していってしまった。
面白くないのは、迷えるギタリストだった。
「冗談じゃない。何やったっていいんなら、誰も苦労しないさ、まったく・・・」
ぶつぶつ言いながら、レコーディングブースに戻りギターを掴み、ヴォリュームを目一杯上げると、ティーンエイジのころラジオにかじりついて聴いた曲の断片を立て続けに弾いた。
ロジャーとジョンが入って来たのは、数分後だった。
ブライアンは、ふたりが何の話をしてきたのか気にはなったが、知らん顔してギターを弾いていた。するとロジャーがニタッと笑って、ドラムセットの中に納まるとスネアの位置を直した。ギターのリフを受けて、重く鋭いビートを叩き出す。ジョンもベースを手に取ると、何事も無かったかのようにピッタリと着いて来る。歪んでざらついたギターの音色がドラムとベースによって、くっきりと浮かび上がり、そのまま空を飛んで行きそうだった。
「参ったな…」
ブライアンは、苦い笑いを噛み締めた。妙な曲を書きさえしなけりゃ、こいつは最高のベーシストなのに。
はじめのうちは単純なブルーズだったのが、演奏するうちに、いろいろな曲が混ざり出した。ブライアンは、自分が何をやっているのか判らなくなってきたが、結果を考えずに弾きまくることの快感には抗えなかった。自分を覆っていた堅い殻が、吹き飛んで行くのを感じた。
「わかったよ、僕が石頭だった。で、今のもう一回やらない?」
「そう来なくちゃ」ロジャーは相変わらず笑っている。
その時ふと振り向いたジョンは、フレディの姿が消えていることに気づいた。多分トイレにでも行ったのだろうと、特に気にもせず、その日は3人で、「頭」ではなく「身体」が記憶している曲をプレイし続けた。
SCENE 2
今までフレディが遅刻することはあっても、何も言わずにスタジオに現れないということはなかった。それが2日続いた。
1日目は、何かしらやることがあって時間が過ぎて行ったが、さすがに2日目ともなると3人ではどうしようもない。たまりかねてフレディの自宅に電話をしたが、彼の不思議な家族(?)に、昨夜もその前の晩も帰って来なかった、あんたたちこそ何か知らないのか、と逆に噛み付かれた。
あまり気乗りしなかったが、メアリーにも電話をしてみた。
「『お気の毒ね。でも私は、フレッドの保護者じゃないわ』だってさ。わかってるっ、つーんだ、そんなこと!」
仕方がないので、3人でまたジャムを始めた。そのうち、ただ演奏していても面白くない、ということで楽器を取り替えあったり、妙ちきりんなルールを作ったりしだした。楽器の交換は、ロジャー以外はドラマーとして使い物にならないことが判明したため、長続きしなかった。
一方、今回限りのスペシャルルールは、なかなか楽しめた。ロジャーは、チャーリー・ワッツの後継者を目指すべく、タムとシンバルを1個しか使ってはいけないことになった。ブライアンは、身体の一部となっているトレモロアームの使用が禁止された。ジョンには、今さっきジョンからグリッサンドを教わったばかりのロジャーが言い張ったため、グリッサンド禁止のルールが課せられた。彼らは、演奏に熱が入れば入るほど犯してしまうお互いのルール違反に揚げ足を取りあっていたが、そのうち本気になり始め、結局歌詞を付けてなかなか渋いブルーズ・ナンバーを仕上げてしまった。フレディには悪いが、いいレクリエーションだった。
「うーん、素っピンのクイーンもクールじゃないか!ブルーズ・メン。」
いつの間にかフレディが、モニタールームに入って来て言った。サングラスの奥に潜む漆黒の瞳とゴージャスな笑顔は、何か悪戯でも企んでいるかのように見えた。
「おいおい、いつ来たんだよ。電話の一本くらいくれてもいいと…」
「ウォウ、ブライ!いつからあんなコブシが使えるようになったんだい?君は最高のブルーズ・シンガーだよ」
抱きつかんばかりだった。
「いい加減にしてくれよ。こっちは大変だったんだから…」
「あぁ、今でも君たちは、僕を必要としてくれているのかい?」
「当ったり前だろー、カンベンしてくれよー」
ロジャーとブライアンは気軽に受け答えをしているが、ジョンは不機嫌そうに押し黙っていた。バンドのメンバーだけでなく、スタジオのスタッフもみんな、浮世離れしたフレディを心配していたのだ。別に子供扱いしているのではない。むしろ、大人だと思っているからこそ腹が立った。あの不思議な彼のファミリーだって、おろおろしたに決まっている。それなのに、フレディと来たら、へらへら笑って下らないことを言ってるなんて、どういうつもりなのか、とジョンの頭の中で言葉がぐるぐる渦を巻いて、それが返って彼を黙らせていた。
「ヘイ、今度は僕の番だよ。ジョン、手伝ってくれ」
フレディは仏頂面のジョンを伴って、ブースの一番奥にあるピアノに向かって行った。
「まだ、形になってないんだ。何かが足らない」
ふたりは、譜面を見ながら手短に打ち合わせをした。
フレディはピアノに向き直り、ジョンはフレディの手許と横顔が見える位置に立った。
と、ジョンは「あっ」と出かかった声を飲み込んだ。フレディのサングラスの陰にあざが見えたような気がしたのだ。いわゆる「青タン」というやつだ。
しかし、すでにフレディの全神経は自分自身のプレイに向かって張り詰めている。とてもじゃないが、声なんか掛けられる状態ではなかった。
ピアノからゆったりと、優雅だが、どこか物憂げなフレーズが次々に紡ぎ出される。
ジョンは、未だにわからなかった。一体どうやってフレディは、ほんの数秒のうちに聴く者を魅了してしまう魔法を身につけたのだろう。まだ自分が、本当にミュージシャンになるとは思わなかった頃から、フレディは魔法のヒントを根気よく教えてくれた。そして、スリリングなハーモニーが生まれるたびに、ジョンは伝授された魔法の力を感じ、身体の芯が溶けるような気がしたものだ。
フレディが息を吸うのと同時に、ジョンも大きく息を吸った。
数日前までライオンのようにシャウトしていたフレディが、今は、なりたての未亡人さながらにすすり泣く。だが次の瞬間、自分自身を嘲笑うかのように軽やかなフェイクを決める。人の心を掴み、揺さ振り、抱きしめたかと思うと、突き放す。まさに魔法だった。
ジョンは唇をぐっと引き結んで、フレディの一挙一動をも逃すまいと集中する。何があったのか、どこにいたのか、そんなことはもう、どうでもよかった。フレディが足りないと言っていた「何か」を見つけたかった。
音を選び、タイミングを計る。この傷ついた魔法使いの背に、そっと寄り添うように。
ピアノの余韻が消えると、フレディはジョンの目をじっと見つめた。
「あー、バレちゃったみたいだね。でも心配しないで、ハニー。酔っ払って、ドアにぶつかっただけだよ」
ジョンの眼つきが妖しくなった。
「ふーん、…ねっ、そのドアって…どこの?」
一瞬置いて、ふたりは、たまりかねたように笑い出した。
モニタールームのロジャーとブライアンは、狐につままれたような顔を見合わせていた。
了