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夏の訪問者 II

Written by la chatさん

朝っぱらから妙な電話で起こされた。
「ハロー!もう君の夢はDryなんだろうね?」
「はぁ?」
「おや、間違えたみたいだ。これは失敬、DEAR」
それだけで、切れた。
雑音が多く、かなり遠くからの電話のようだったが、どこかで聴いた声だった。

今日はバーゲンを狙ってTシャツを買いだめするつもりだったので、手早く朝食を済ませて、出掛ける。車は嫌いではない。一時は、ポルシェにも乗ってみたが・・・いや、この話は止めよう。とりあえずL.A.にいる間は2年落ちのPTクルーザーに乗っている。ロンドン・タクシーを思わせるレトロなフォルムだが、アメリカ人が作っただけあってディテールはオモチャっぽい。中古車にしたのは、ネコも杓子も車に乗っているこの街では、新車なんか馬鹿馬鹿しくて乗る気になれないからだ。自分がどんなに気を付けたところで、どこかのヘタクソに駐車場で当て逃げされるのがオチだ。この20年で12回やられた。
枝道から幹線道路に合流する。朝のラッシュに巻き込まれたらかなわない、と思っていたが、さほどでもなかった。点けっぱなしになっているラジオは、クラシック・ソウル専門局にチューニングされたままだ。
「それでは、ローガン・プレイスのジャック・ネルソンさんからのリクエスト、ビル・ウィザースで“Lovely Day”」
ふーん、L.A.にローガン・プレイスなんて所があったかな?しかも、なんて名前のヤツだろう。ただし、選曲はいい。
確かに天気もいい、渋滞もないし、まさにラヴリー・デイだ。これで、いい柄のTシャツが見つかれば言うことなしだ。思わず鼻歌が出る。♪Lovely day, lovely day・・・と、背後からハモッている声が聴こえた。ルーム・ミラーを見上げたが、誰もいない。当たり前だ。

思いのほか早く到着したショッピング・センターは、まだ開店前だったので、だだっ広い駐車場はガラガラだった。建物に一番近いところに車を停めて入り口へ行くと、5人ほど並んで開店を待っていた。手持ち無沙汰な数分が過ぎ、やる気の無さそうな店員が自動ドアの鍵を開けた。
店に入ると、まず目に付いたのが上品な色合いのサマー・ジャケットだった。ちょっと気取ったところへ食事に行く時なんかにいいだろう。ラックの中から自分のサイズのものを探し出し、袖を通してみる。片袖を通すのを店員が手伝ってくれた。
「ありがとう・・・」
姿見を見て、ぎょっとした。傍には店員はおろか、誰も居なかった。周りを見回したが、がらんとした店内にBGMが流れているだけだった。いや、何かの間違いだろう。
鏡の中の白髪の男は、ジャケットのせいで少し上品そうに見えた。ふむ、悪くないな。
すると、俺の肩口から急に手のひらが出て、「ノー、ノー」というように手を横に振って消えた。おい、誰なんだ!後退りしながら振り向いたが、やはり誰もいない。手の震えを押さえながら慌ててジャケットを脱いで、ハンガーに掛けなおした。ふと見ると値札に350ドルとあった。
そうか、神の啓示だな。300ドル以上の服は経費で落とすことにしていたのだが、去年会計士から、「『衣装代』という経費は、もう認められないよ。理由は解ってるね」と言われたのだった。たかが服のために、ポケットマネーで350ドルも出す気にはなれない。そうだ、今日はTシャツを買いに来たのだ、ジャケットなんかに用はない。
気を取り直して、たくさんのTシャツがディスプレイされている一画へ向かう。せっかくのバーゲンなので、少し値の張るものから見て行く。
遠目には地味だが、複雑な色遣いのアメリカ先住民の織物をモチーフにしたTシャツを見つけた。大人のおしゃれ、だな・・・何!79ドル!おい、おい、Tシャツだろう!なんで、そんな値段なんだ。
ま、まぁ、これは候補その1、としておこう。もっと、いいものが見つかるかもしれない。
しかし、これはいい、と思ったものは、ことごとく79ドル、89ドルという値段だった。
仕方ない、隅の方のワゴンに山積みにされた、これぞバーゲン品、という品を漁ることにした。うまい具合にワゴンに他の客は無く、ゆっくりと品定めが出来そうだ。
まず、オーソドックスに白地のものから見て行く。中途半端なものより、思い切り派手でブッ飛んだプリントの方が、Tシャツらしくていい。うん、こいつはいいな。これもだ。やっぱりバーゲンなのだから、チープなものの中から掘り出し物を見つけるのが本来だろう。
次は、色物を探すことにした。さっき散々掻き回した後なので、目当ての物を引きずり出すのに手間取った。面倒になったので、全体をひっくり返そうとTシャツの山の奥まで手を突っ込んだ。
誰かが俺の手をぎゅっと握った。
うわぁっ!と危うく声を上げるところだった。Tシャツの山から、身体ごと腕を引き抜き、よろけながらワゴンの下を覗き込む。
誰もいない。
誰もいない?・・・ちょっと待てよ。今日はこれで何回目だ?
自分の手を見つめながら、たった今起きた事を認めるべきかどうか考えた。だが、あの感触は確かに人間の手だった。ただし・・・妙に冷たかった。
今日はもう帰ることにしよう、そうだ、その方がいい。白地のTシャツ2枚を持ってレジに向かって歩いていった。床がふわふわと頼りないような感じがしたが、それは床のせいではなく、自分が頼りない歩き方をしているだけだった。
レジで会計をしようとクレジット・カードを取り出すと
「お客さん、うちはキャッシュだけだよ」
「あ、そうか、済まないね」
いくら払ったか覚えていない。

車に乗り込み、イグニッションを入れるとラジオが鳴り出した。急いでラジオのスイッチを切り、助手席に放り出してあったタバコに手を伸ばす。一服点けると少し落ち着いて来た。エアコンのパワーを「強」にし、念のためリア・シートに誰もいないことを確認してから発進した。
今度は何が起きるのか、ビクつきながら運転していたので、曲がり角を1つ間違えて一方通行の道に入ってしまい、帰りは行きの倍の時間がかかった。それでも、満足だった。何事もなく帰って来られたんだから。
ガレージに車を入れ、勝手口の鍵を開ける。防犯システムのスイッチを切り、2,3歩踏み出したところで、足が止まった。この家は、本当に誰もいないのか?

実は、今日は俺の誕生日だ。なのに、この家には誰もいない。毎年のように、夏はここで過ごしている。子供は6人いるが、上の4人はとっくに独立している。下の2人は、サッカーのサマー・キャンプに行っていて、日曜日にならないと帰って来ない。それは、仕方のないことだと思う。
しかし、しかしだ!女房のやつときたら、
「ご近所の奥さんたちだけで、カナダに行こうって言うのよ。たまには、羽を伸ばしましょう、って。毎年誘われるんだけど、子供がいるからって、断ってきたの。でも、今年は2人ともキャンプに行ってるでしょう、いいチャンスだと思うの」
何が、いいチャンスだ。俺は、どうすればいいんだ。

だが、幸か不幸か、今の俺はそれどころではない。キッチンで足を踏み出した格好のまま、数秒間動けなかった。しかし、いつまでもこうしている訳には行かない。下らない妄想に振り回されてたまるか。意を決して、リヴィング・ルームに入っていった。
突然、電話が鳴り出して、俺は飛び上がった。恐る恐る受話器を取ると、
「ハーイ、ジョン。ハッピー・バースデイ!」
女房だった。
「驚かすなよ!」
「あら、何よ、朝から何度も電話してるのに、全然出ないんだもの。どっか行っちゃったのかと思ったわ」
「ちょっと買い物に行ってただけだよ」
「そう、自分にプレゼントでも買ってたの?そう、そう、ちゃんとあなたにプレゼント買ったからね。中身は帰ってからの、お楽しみってことで、待っててね」
「あぁ、ありがとう。みんな楽しんでるかい?」
「ええ、お蔭様で。あなたも、久し振りに独身気分で、結構楽しんでるんじゃないの?」
「・・・大いに楽しんでるよ」
「何か、元気ないわね」
「別に。何ともないさ」
「そう。それじゃ、日曜日に帰るから、時間がはっきりしたら、また電話するわ」
「わかったよ」
「バーイ」
本当は、電話を切って欲しくなかった。
また、ひとりになってしまった。いや、本当にひとりなのか、怪しかった。

あまり、家の中を歩き回る気がしなかったので、そのままソファに腰を下ろし、タバコを点けた。そして、テレビもオーディオ・システムも、オフになっていることを確認した。カーテンの陰、ソファの下、テーブルの下も覗き込まずにいられなかった。大丈夫だ、少なくともこの部屋には俺以外、誰もいない。
緊張しているせいか、あっという間にタバコが短くなり、消すしかなくなった。さて、これからどうする。考えるのも、馬鹿らしかったが、何も考えないでいることも出来なかった。
そのうち、朝食が軽かったので空腹になってきた。キッチンに行って冷蔵庫を開ける。もう、ひとりになってから3日目なので、女房が作っておいてくれた料理は、あらかた食べ尽くしてしまった。だが、今から車に乗って食事に行く気にはなれない。車には乗りたくなかった。とりあえず、ハイネケンを取り出してテーブルに置き、食器棚からグラスを出そうとした、その時、
ぷしゅっ!
缶の開く音がした。
一瞬凍りついた俺は、ゆっくりと振り向いた。
「ハーイ、ハニー!」

俺は、キッチンで倒れたらしい。
当然だ。今、俺の目の前にいるヤツを見たら、誰だって卒倒するだろう。
スパンコールのタイツに身を包んだ、口ひげのフレディだった。
「いや、ごめんよ。ここまで驚かすつもりは、なかったんだ」
「ど、どうして、ここにいるんだよ」
「先週、日本には『盂蘭盆』って言って、天に召された魂が地上に里帰りできるイヴェントがある、って聞いたんだ。それで、日本に行ったら、そこを経由して世界中行ける、って言うんだよ。だから、あっちこっち見て回ってきたんだけど・・・」
「見るだけじゃ気が済まなかった、ってこと?ラジオに妙なリクエストをしたり、一緒になって歌ったり、手を握ったりしたかった、ってこと?僕を驚かせて、震え上がらせたかった、ってこと?」
「そ、そんなつもりじゃないよ、ダーリン。わかってくれよ。だって今日は君の誕生日だろう。なのに誰もいないなんて、あんまりじゃないか。だから、つい・・・」
フレディは、取り繕うように俺のグラスにハイネケンを注いだ。
「ねぇ、フレディ。君の時間は止まってるかもしれないけど、僕はあれから年を取り続け、もう54歳だ。僕の心臓に悪いとは思わなかったのかい?」
「そうか、君の方がずっと年上になったんだね・・・」
「そんなことで感動しないでくれよ」
俺は、グラスの中身を一気に飲み干した。
「いや、感動的だよ・・・あぁ、僕はどうしたらいいんだろう、あんなに可愛かったジョンが、あのジョンが・・・こんなシブい大人の男になってるなんて!」
「頼むから、惚れないでくれよ・・・」
「えっ?」
「いや、何でもないよ」
「もう1回言ってくれよ!」
「いやだよ!」
「そうか。まぁ、いいさ・・・ね、ジョン、飲もうよ!僕も飲んでいいだろ?」
そう言いながら、またハイネケンを注いだ。
「飲めるのかい、その身体で?」
フレディは、半透明だった。
「大丈夫だよ、日本で試してきたから、ほら」
言うや、フレディは俺のグラスを取ると一気に飲み干した。
「ね、大丈夫でしょ、ハニー」
仕方がないので、フレディの分のグラスを出して、ハイネケンを注いでやった。
「それじゃ、改めて、♪はっぴばーすでい・じょにー、はっぴばーすでい・じょにー・・・」
「ジョニーはやめてくれよ」
「だって、“ジョン”じゃ、語呂が悪いじゃないのぉ」
フレディは、手をひらひら振りながら冷蔵庫を勝手に開けて、缶を2本取り出した。
「はい、飲んで、飲んで・・・さっきワインも見つけたから、冷蔵庫に入れておいたよ」
俺は急に不安になり冷蔵庫を開けた。ストックしてあったハイネケン2ケースとシャルドネ半ダース、全てが詰め込まれていた。
「こんなに要らないだろう!」
「だって、誕生日だよ、パーッと行こうよ、パーッと!」
「俺・・・僕が買った酒だよ。それに僕の誕生日だよ」
「あ!今『俺』って言ったでしょ。ねぇ、ねぇ、もう1回言ってみてよ」
「いやだよ」
「そうか、まだ酔ってないからだね。うふふ・・・お酒はたくさんあるんだし、ニョーボ・コドモはいないし、この先仕事があるわけでもないし・・・」
「俺は失業者じゃないよ!」
「やったー!『俺』って言ったー!いいよ、いいよ、男っぽくて!」
「男っぽいんじゃなくて、54年間、ずっと、お・と・こ、なの」
フレディは、すでに踊りだしていた。
「♪お・と・こ、ジョニーは、ずっと、お・と・こ、Yeah!」
俺は、近所に聴こえていやしないかが、気になってきた。
「大丈夫だよ、僕の声は、ジョン以外には聴こえないんだ」
「あのさ・・・人の気持ちが読めるなら、どうしてこんな真似をするんだい?」
「読めるから、こうしているんじゃないか!色々、面白くなかったんだろう、ジョン・ディーコン!?」

もう、何がどうなろうと構わなかった。俺は、ギターを持ってきて、フレディにはバナナを持たせた。俺たちは、ガキの頃に聴いたロックンロールをめちゃくちゃに弾いて、歌った。半透明のフレディは、テーブルや椅子の上を飛び回り、革パン・サスペンダーになったり、ひらひらプリーツ姿になったり、王冠をかぶりマントを纏ったりと、次々に姿を変えた。早変わりのたびにフレディの顔も身体も、その当時のものになった。もちろん、俺もフレディも、合間に飲んで、飲んで、飲みまくった。
俺はギターを弾きながら、口笛を吹き、歓声を上げた。Ready, Freddie!

気が付くと、俺はキッチンの床に倒れていた。もう外は暗くなっていて、置時計のデジタル表示は午後11時を告げていた。
今度こそ、誰もいなかった。
窓から差し込む街灯を頼りに、照明のスイッチを探し、灯りを点けるとキッチンじゅうに空き缶と空き瓶が散らかっていた。テーブルの上にはグラスが2個、両方とも横倒しになっていた。
そして、シンクの脇にバナナが1本、置いてあった。
そうだ、確かに、彼はここに来たのだ。

酔い覚めの頭痛をなだめながら、ベッド・ルームのドアを開け、照明を点けると、壁いっぱいに
“I still love you!” と落書きがあった。
どうするんだよ、ヴェラが帰ってきて、これを見たら・・・・

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