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ハロルド卿の失踪

Written by la chatさん

献辞
偉大なアガサ・クリスティー、そして全てのQな人々へ



ある秋の日、僕とポアロは午後のお茶を楽しんでいた。開け放ったフランス窓からは、色付き始めた木々に彩られた庭園が一望出来た。
「ヘイスティングス、今何時ですか?」
「4時・・・42分です。彼は、約束の時間を1時間間違えているんじゃないかな」
「遅すぎます!5時では、すぐ日が沈んでしまいますよ。ジムが丹精こめて手入れした庭が、見えなくなってしまうじゃありませんか」
ポアロは、少々苛立っているようだった。
「彼が時間にルーズなのは昔からわかっていますが、いい加減にして欲しいものですね」
「あなただって、6時半が7時になるようなひとじゃないですか」
するとポアロは膝の上の巨大な猫に、文字通りの猫なで声で話しかけ始めた。
「聞いたかい、デライラ。ヘイスティングスは、なーんて意地悪なんだろうねー。お前も気をつけるんだよ。ニコニコ笑っていても、何を考えているか知れないんだから、あの男は・・・」
ふん、いつも好きで笑っているとは、限らないだろ。

おっと、紹介が遅れてしまったね。
僕の向かいに座ってイライラしてるのは、メルクーリ・ポアロ、私立探偵だよ。あの有名なエルキュール・ポアロの腹違いの弟なんだ。もちろん口ひげも蓄えてるし、「灰色の脳細胞」も持ってるけど、もっとすごい「輝く前歯」も持ってるんだ。まぁ、前歯を使って事件を解決したことはないけどね。
えっ?僕?僕は、ジョン・リチャード・ヘイスティングス元少尉。アーサー・ヘイスティングス大尉の従弟だよ。アーサーは、戦場で負傷して帰国後も軍隊で働いているけど、僕はさっさと引退しちゃったんだ。もう、見るべきものは見つ、ってことさ。
僕たちは何がどうなって、それぞれの親戚同士で似たような事をするようになったのか、もう忘れちゃったけど、なかなか良いコンビだと思ってるよ。
で、今はスコットランド・ヤードのキューピー警部を待ってるんだ。

「おう!遅くなってすまなかったな。参っちゃうよ、急に召集が掛かっちゃってさー。知ってるか?ハロルド・ドブソン卿が失踪しちまったんだぜ」
キューピー警部は、どすん、と椅子に腰を下ろすなりタバコを取り出して、せわしなく火を点けた。
「ハロルド卿、って・・・あの天文学者になり損ねた音楽家のことかい?」
「へへっ、天文学者になってたら、ナイトの称号は貰えなかっただろうけどな」
「ほう、それで彼は見つかったんですか、ハニー?」
「いいや・・・もし、このまま見つからなかったら、アルバ-アメリカ、日本の公演はキャンセルだな」
「おお、恐ろしい!アメリカや日本なんて、一体何日船に乗らなくてはいけないんでしょうね。タイタニック号の悲劇を知った上で、船になんか乗るひとの気が知れませんよっ!」
ポアロは、大げさにおびえて見せた。
一方、僕はちょっと昔のことを思い出しながら、キューピー警部の話を聞いた。
「ハロルド卿は、明日ラインホールド伯爵の屋敷で開かれる音楽会に備えて、朝から会場のチェックをしてたんだ。あちこち気に入らなかったみたいで、演奏しながらスタッフに指図していたらしい」
「うーん、彼は神経質だからなぁ・・・」
「なんだよ、ヘイスティングス、彼を知ってるのか?」
「え?ま、まぁ、ちょっとね・・・」
キューピー警部は眉間にしわを寄せると、執事のラッティが淹れた紅茶にミルクをどどっと注ぎ、がぶっ、と音を立てて一口飲んだ。
「それでだ、音響的な問題が解決したのはいいが、どうも音が良くなりすぎたみたいでな。ご満悦のハロルド卿が、ひとりで延々と演奏し出したんだよ。それがあんまり長くて、しまいにスタッフの連中全員が居眠りこいちまったんだ。で、ふと目覚めると彼がいない、ってんで大騒ぎだ」
「彼のことだから、楽屋で胃薬でも飲んでたんじゃないの?でなけりゃ、トイレにいるとか・・・?」
「あのなー、そんなの失踪とは言わねーんだよっ!」
キューピー警部が平手で、ばしっ!とテーブルを叩くと、驚いたデライラがポアロの膝の上から逃げ出した。
ポアロは猫の毛だらけになった膝をはたきながら、キューピー警部に尋ねた。
「ハロルド卿がいなくなったことに気付いたのは、何時ごろだったのかね?」
「12時を15分ばかり過ぎた頃らしい。11時にアニタ夫人がビスケットとお茶を差し入れして、30分ほど休憩したんだそうだ。そして、リハーサルを再開したら、こんなことになっちまった、ってワケさ」
「その後、誰一人として彼の姿を見た者はいないんですね?」
「いない。屋敷中を徹底的に捜したが、彼は見つからなかった。明日に備えて、すでに出入り口全部に警備員がいて、どこの誰だろうと通行証なしじゃ出入り出来ねーよーになってるのに、だぜ」
「それじゃ、窓から抜け出したのかもしれないよ」
そう僕が言うと、キューピー警部は、ぎろっ、と僕をにらみつけた。
「ラインホールド伯爵の屋敷には、窓がひとつもないんだよっ!」
「そ、そうだったね・・・」
「亡命者の屋敷は守りが堅いからな、外部からの侵入は、まず考えられない」
「じゃあ、屋敷内の人間が彼をどこかに閉じ込めてるんじゃないのかい?」
「だ・か・らー!屋敷中徹底的に捜したって言っただろーがっ!」
警部の咥えタバコから、灰が飛び散った。
「犯人らしき人物からは、何も連絡はないんですか、電話とか手紙とか?」
ポアロの問いに警部の眉間のしわは、ますます深くなった。
「そんなのでもあれば、こっちも次の動きが取れるんだがな・・・」
「では、ハロルド卿自らが姿を消した可能性も無いとは言えないわけですね」
「えーっ?彼は4日後にはカリブの小島に向かってサウサンプトンを出るんですよ。すてきなビーチ・リゾートへ行こうってのに、どうして雲隠れしなきゃならないんですか?」
「おや、ハロルド卿は公演のために洋行するのではありませんか?リゾートへ遊びに行くのではないでしょう?」
「遊びに行くわけじゃないでしょうが、家族サービスを兼ねることが出来れば、一石二鳥じゃないですか。よく使う手ですよ」
「誰が使う手なんだよ・・・あのな、アニタ夫人は船の旅が嫌いなんだとよ。代わりにハロルド卿のそばに仕えている男が付いて行くらしいぜ」
「アニタ夫人は賢明です。何日も船に乗せられるなんて考えられません。私がハロルド卿だったら、さっさと姿を消しますね」
「何言ってんだか。まったくよー!俺は今日非番だったのに、あの鳥の巣野郎が消えちまったおかげで、ロンドン中、駆けずり回らなくちゃならなかったんだぞっ!くっそー!」
いよいよ怒りが込み上げてきたキューピー警部だったが、ふとテーブルに並べられたお茶菓子に目を留めた。
「ふむ、このスコーンを頂くとするかな。なぁ、ポアロさんよ、このクリームは・・・」
「さっき届いた正真正銘のデヴォンシャー・クリームですよ。私は本物しか認めないんです」
ポアロは澄まして答えた。それを聞いたキューピー警部は、スコーンに、たーーーっぷりとクリームを塗りつけ、その上にジャムをてんこ盛りにした。
「うわー、そ、そんなにジャムやクリーム付けたら、また太っちゃうよ!」
「うるせーなぁ、今日は朝から何も喰ってねーんだ。これぐらいカロリー摂取したってどうってコトねーだろーが!」
そう言うと、キューピー警部はスコーンをむしゃむしゃやりだした。
「ねぇ、警部。朝からって、何時に起きたの?」
「んんー?・・・11時50分だよ、一応朝だろ、朝!」
そこへラッティがやって来て、努めて事務的な態度でこう言った。
「キューピー警部、スコットランド・ヤードからお電話です」
「けっ、冗談じゃないぜ、お茶の時間くらい取れなくて、大英帝国が守れるか、ってんだ!」
そう言いながらも、キューピー警部は口の周りのクリームを指で拭い、その指を舐めつつ電話を受けに書斎へ向かって行った。
数分後、警部はポアロと僕の前に戻ると
「せっかく呼んでくれたのに悪いな。また、仕事だ・・・おっと、このサンドイッチを貰ってくぜ。それじゃ、な」
キューピー警部は、サンドイッチを皿ごと持って行ってしまった。

「ヘイスティングス、君はハロルド卿と知り合いなのかね?」
「いやね、大昔に僕が拾ったガラクタでアンプを作ってあげたことがあるんですよ」
「ほほう、ガラクタで作ったギターに、ガラクタで作ったアンプですか。それで外貨を稼いでナイトの称号が貰えるなんて、大した才能ですね」
ポアロは、口ひげに付いたケーキのクズを払いながらニヤリと笑った。
「そんな皮肉を言うもんじゃないですよ、ポアロ。あれは、世界にたったひとつの大切なギターなんです。ハロルド卿は、妻は替えてもギターは替えないくらい大事にしてますからね」
「・・・君の皮肉の方が、数段下品ですよ」
しかし、ポアロはハロルド卿失踪事件に大変興味を持ったようだった。
「ねぇ、ハロルド卿が失踪した時に、そのギターはどうしたのかしらね、ダーリン?」
「えっ?」

ポアロが女言葉を使い出した、と言うことは、彼の「灰色の脳細胞」が働き出した証拠なんだ。
「もしも、ハロルド卿が自発的に失踪したのなら、そんな大切なギターを置いていくはずはないでしょう?でも、誰かに誘拐されたとなれば、警備の目を潜り抜けるのには邪魔なだけだから、犯人はギターなんか置いて行っちゃうわよねぇ」
「ははぁ・・・キューピー警部に聞いてみましょう。他にも聞きたいことがあれば言ってみて下さい」
僕はポケットから手帳とペンを取り出した。一緒にピーナツが3粒出てきた。何時のだろう?
「そうねぇ・・・演奏会の会場は、ラインホールド伯爵のお屋敷だと言っていたわよね」
「はい、ラインホールド邸は大々的にリフォームされて、それまでの音楽室をダンスホールみたいに設えたんですよ。その名も『ドリーマーズ・ボール』とか言うそうです。で、明日その柿落としで、ハロルド卿が演奏することになってたんですがね」
「あなたったら、どうでもいいようなコトをよく知ってるわねぇ。時間持て余して、タブロイドばっかり読んでるんでしょう?」
そう言いながらポアロは、妙になまめかしく指を動かしてタバコに火を点けた。そして、無理やり僕の座っている椅子に座った。
「大邸宅のプライヴェートなボール・ルームの柿落とし、と言うことは、少人数の観客、それもVIPが集まる、ってことじゃないかしら」
ポアロは唇をすぼめて僕の顔に向かって煙を吹きかけた。
「げほげほっ・・・まぁ、そうでしょうねぇ」
僕は身体に巻きついてくるポアロの腕をほどきながら、メモを取り続けた。
「ハロルド卿の奥様は有名な女優だし、きっと、すっご〜いVIPたちから、ゴージャスなお花が届くに違いないわ!」
「ちょっと分けて貰いましょうか?」
「やっだー!そんなみっともないこと、この私が出来るわけないでっしょー!」
ポアロは僕の背中を思い切り叩いた。
「そうそう、お屋敷のどこかに、ハロルド卿の為の控え室を用意しているはずよね」
「彼は、いつもステージ衣装に着替えますからね」
「着替えたと思ったらジャージや短パンだった、なんてひともいるけどね」
「誰ですか、それ?」
「さあねぇ・・・そんなことより、さっきあなた『妻は替えてもギターは替えない』って言ってたわよね?」
「はい、言いましたよ。それが何か?」
「ううん。いいのよ、別に・・・」
ポアロは僕に抱きついたまま、視線を遠くに泳がせた。何か考えているらしい。
「ねぇ、ヘイスティングス、明日キューピー警部のところへ行くついでに、頼みたいことがあるのよ。どうせ、ヒマでしょ?」
「・・・えぇ、ヒマですとも」
ちぇっ、面白くない。

翌朝、僕はポアロから幾つか指示を受けた。
「・・・キューピー警部の話を聞いたら、私に電話をして下さい。それから次の指示をしますからね」

僕は、まずラインホールド邸にいるキューピー警部のところへ行った。机の上には、屋敷の見取り図が広げられている。
「あぁ、その部屋ならボール・ルームと同じ1階にある。ここだ。普段は応接室として使われてる部屋だが、ハロルド卿の楽器やら、着替え用の鏡やらを置いてある。当然、窓なんかないぞ」
「もうわかってるよ!」
僕はピーナツの香りがする手帳にメモした。
「えーっと・・・その辺に何か気になるものは、なかったかい?」
「そうだなぁ・・・あぁ、なぜかこの廊下の突き当たりに、ピンボール・マシンが置いてあったな。やってみると、結構面白いもんだぜ」
今度は、キューピー警部が煮詰まってピンボールをする番らしい。
「えー、ピンボールね・・・うーんっと、ハロルド卿のギターは残されてたのかい?」
「あぁ、ステージの上に置いてあったよ。それも、きちんとスタンドに立て掛けてあった」
「ふんふん・・・えーっと、ハロルド卿が失踪した時、アニタ夫人は何してたのかな?」
僕が手帳のページをめくろうとして指を舐めると、キューピー警部は爬虫類でも見つけたような目で僕を見た。
「いい加減それは止めろよ、ジジ臭いから・・・あれ、何の話だっけ?」
「レディ・アニタのことだよ」
「あぁ、そうだったな。失踪がわかった時、彼女は控え室にいて、届けられた花をあっちへ置け、だの、こっちにしろ、だのと騒いでいたらしい。そんなもの、どこへ置いたって一緒じゃねーか。なぁ、そう思うだろ?」
「女のひとの考えることは、わからないね」
「なんだ、また『わからない』かよ。ま、俺も女心はわかってるつもりだけど、オバサンは管轄外だからな」
「あーっ、そんなこと言って、どうなっても知らないよぉ・・・」
いいトシをして、警部はまだ自分のことをレディ・キラーだと思ってるみたいだ。
「そうだ!ねぇ、控え室の花って、沢山あるのかなぁ?」
「あぁ、そりゃもう腐るほどあるぜ。あんまり沢山あるんで、花が届くたびに部屋から家具や調度品を廊下に運び出してたんだとよ」
それなら少しくらい貰ったって、誰も気付かないだろう。ポアロにお土産だ。
「えーっと・・・それで、アニタ夫人は今どこにいるんだい?」
「自宅だ。本人、または犯人から接触がないとも限らないからな、警官も何人か付けてある」
「そうか・・・ありがとう、参考になったよ」
「ふん、俺は別にポアロに助けてもらおうなんて思ってないぜ」
「ポアロだって、助ける気なんかないよ。きっと彼の道楽なのさ。あー、すまないけど電話を貸してくれないかな」
「あぁ、そこのを勝手に使ってくれ」
キューピー警部はゴミ箱を蹴飛ばしながら言った。

「・・・と言うことでした。これでよかったんですかね、ポアロ?」
「上出来よ・・・やっぱり、ギターは残されていたのね。では、ヘイスティングス、よく聞いてちょうだい。まず・・・・・・・・」
ポアロは僕に、これからするべきことについて順を追って説明した。
「わかりました」
「ただし、犯人を特定したとしても、ちょっと揺さ振りをかけるだけにしてね。追い詰めないでちょうだい。いいわね、決して追い詰めないこと」

僕はまず、ハロルド卿の控え室に行った。そこには、豪華な花束や大きな蘭の鉢植えなどが、所狭しと置かれていた。数えると43個もあった。宝塚じゃあるまいし、はっきり言って異常な数だね。
首をかしげつつ、ポアロに言われたとおり、それぞれの花に付いている送り主の名前と花屋の名前と場所を書き出した。
次にラインホールド邸の使用人溜まりへ行った。
「あのー・・・昨日応接室から花と入れ替えに家具を運び出したのは誰かな?」
すると、茶渋だらけのマグカップから紅茶を飲んでいたじいさんが
「あー・・・誰だったかのう・・・おめぇ、知ってっか?」
それを聞いて、洗濯物にアイロンを当てていた小太りのオバサンが
「あぁ、それならシャーリーちゃんだと思うわ。でも彼は今、買い物に出掛けてるわよ」
「彼?・・・何時ごろに、帰ってきますかねぇ?」
「そうねぇ・・・日が暮れる前には帰って来ると思いますよ」
「そうですか。それでは出直してきます。ありがとう」
あー、面倒くさい。また、ここに来なきゃならないなんて。

ラインホールド邸を後にした僕は、さっき書き出した花屋を1軒ずつ回ることにした。
「あ、あのー、昨日ラインホールド邸に花を届けたお店は、こちらですよね?」
「はい、さようですが、何か?」
上品そうな中年男性が応対に出た。
「いや、素晴らしい花だったので、あんなのを僕も贈りたいと思いましてね。ただ、お値段がいかほどかと、心配なんですよ」
「そうですね、確かに最高級の品ですから、お値段は張りますが、花持ちとアレンジメントの美しさを考えれば、決して法外なお値段ではないと確信しております」
「失礼ですが、あの花をご注文なさったミス・モーズリーという方は、どんな方なんでしょうか?」
「申し訳ありませんが、お客様についてのお尋ねには、お答え致しかねます」
「あぁ、すみません。正直にお話します。えー、実は・・・僕はミス・モーズリーに一目惚れしてしまったんです。どこの、どんな方なのか、どうしても知りたいんですよ」
すると花屋は僕をじろじろと見ると、こう言った。
「あなたの趣味は最悪ですよ・・・どう見たって彼女は、70歳以下とは思えませんからね」
「えっ?そ、それじゃ、僕は他のひとと間違えていたのかな?うーん、とすると・・・ミス・オースチンと言う名前かも知れません」
「その方は、お見えになってません。家政婦の方がお出でになりましたからね」
「なんだ・・・残念だな・・・あ、そうだ、ミス・ストレイカーかも知れない!」
「あんなド派手な女性がお好みなんですか?」
「あれ?それじゃ別人だな。そうすると・・・あー・・・ミセス・テイラーかな?」
「うひょ、彼女はきっと未亡人ですよ。私にはわかります。潤んだ目元が何かを求めているようでね・・・背筋にビビッ!と来ますねぇ」
「あなたも、結構お好きなんですね。でも、そのひとじゃないなぁ・・・となると・・・ミセス・ディーコンかな?」
「うーん、私は、ああいうがっしりしたタイプはどうもねぇ・・・」
「いや、何もあなたの好みを聞いてるわけじゃないんですけどね。そうか、よくわかりました。どうもありがとう」
一人ひとりのお客をここまで覚えるてんだから、優秀というか、女好きというか、大した男だ。

こうして僕は7件の花屋を回った。
43個の花のうち、38個は女性が注文していたのだが、妙な符合を発見した。女性の注文主のうち35人は現金で支払っていた。そして、全て昨日の午前中に届けることになっていた。しかも、どうやらその35人は人相、風体からすると、実は5人の女性で、それぞれが違う名前で7件の店に現れているようだった。

日没寸前に僕は、再びラインホールド邸を訪れた。「シャーリーちゃん」は帰って来ていた。
「ずいぶん沢山の花が届いたんですねぇ」
「あぁ、なーんも、家具なんか動かさねぇで、花なんぞ廊下にでも並べて置けばええのによぉ」
あだ名とは大違いの、ごついおっさんだった。
「あーの奥様ときたら、この衝立をどかせだの、こんな鎧なんか邪魔だのと、まぁうるせぇったらなかっただ」
「ほーう、鎧ねぇ・・・」
これは怪しい。
「鎧なら、まだええだ。バカみたいにでっかい、ペンギンの剥製も外に出せ、っちゅうだよ」
「ペンギン!?」
怪しすぎる。
「んだ。まぁ、これが重いのなんのって。でも、あんなもの、うちのお屋敷にあっただかなぁ?」
それだ、それ、間違いないぞ!
「で、そのペンギンの剥製は、どうしたんだい?」
「さぁなぁ、おらぁ廊下に運び出しただけで、後のことは知らねぇだ」
「そ、そうかい。ありがとう、忙しいところをすまなかったね」
今度も、僕はポアロに言われたとおり、その召使にチップを弾んでやった。
「あれま、こんなに・・・」
「いいんだ、取っておいてくれ。その代わり、今の話は誰にも言わないでくれよ」
僕はキューピー警部に挨拶しに行き、次の目的地での活動をスムースにしてくれるよう頼んだ。

爪跡のような月の下、心細げな灯りがハロルド卿の邸宅の窓からこぼれていた。
僕は裏口に回り警官に身分を告げると、彼は勝手口を指差した。
キッチンでは、使用人頭のジャッキーが僕を待っていてくれた。
「忙しいところを悪いんだけど、この屋敷には使用人は何人いるんだい?」
「私を含めて5人ですけど・・・いつもなら」
「いつもなら?どういうことなのかな?」
「えぇ、今週はジョビーが休暇を取ってましてね、明日帰って来る予定なんです。彼はご主人様に付いてアメリカへ行くことになっているので、その前に休みを取らせてやったんですよ。だから、今は4人しかいません」
「そうか・・・いや、ありがとう」
ポアロの言っていたことが、判りかけてきた。さて、次はレディのご尊顔を拝するとしよう。

応接室に入っていくと、彼女はソファに座ったまま、空ろな目で僕を見上げた。部屋の隅には警官がひとり、わざとらしく知らん顔をして立っていた。
「初めまして、レディ・アニタ。僕は大昔、あなたのご主人に小さなアンプを作って差し上げたヘイスティングスというものです」
「まぁ、あなたが、あの鉱石ラジオの親玉みたいなのをお作りになったんですか?あぁ、主人がここにいましたら、どんなにか喜んだことでしょう・・・こんな時にお会いするなんて・・・残念ですわ」
彼女は、手の中のハンカチーフをぎゅっと握りしめた。
「ご心痛、お察ししますよ。まだ、彼から何も連絡はないのですか?」
「えぇ・・・もう、こうなれば彼自身でなくても、誘拐犯でも誰でもいいから、何か言ってきて欲しいとさえ思います」
「そんな、自暴自棄になってはいけませんよ、レディ。彼はきっと無事です」
「そうでしょうか・・・私、心配なんです。彼が音楽家として活動する事を快く思っていない人たちもいると聞いていますし・・・もしも、彼の身に何かあったら・・・あぁ、こんなことこそ考えてはいけないのでしょうね」
彼女は、完璧なマスカラを施されたまつげを涙で濡らした。
「考えすぎですよ。大丈夫、彼はきっと帰って来ます」
「あぁ、今頃彼はどうしているんでしょう、何事もなければいいんですけど。ご存知かしら?彼、身体が弱いんです。抵抗力が弱い、というべきかしら。よく風邪をひくし、お腹も壊しやすいし、予防注射のせいで逆に病気になってしまったりするんです」
怪我や病気をしている男に弱い女がいる、という話はキューピー警部から聞いたことがある。
「そんな彼があなたの目の届かない海外へ行くなんて、さぞかしご心配でしょうね」
「そうなんです。水や気候の違う外国で病気になったらどうしようかと、いつも心配してきました。もう彼も若くはありませんしね、田舎の農園でも買って、静かに暮らしたっていいと思っているんです。私にも女優という仕事がありますから・・・嫌味に聞こえたらごめんなさいね、とりあえずお金に困ることもありませんでしょ」
僕には充分嫌味に聞こえた。
「でも、彼は私の言うことなど聞いてくれませんわ。今でなければ出来ないことがあるんだ、って言うんです!」
「農園での暮らしだって、今でなければ出来ないことが沢山あると思いますがね」
「えぇ、そう!そうなのよ。あぁ、彼に聞かせたいわ、今のあなたの言葉」
ふん、どうせ引退生活には詳しいですよーだ!そんなことより、今彼がどうしているかの方が問題じゃないのか、このオバサン?
「レディ、あなたは彼の健康にずいぶん気を遣ってらっしゃるようですね。ハロルド卿には、常用している薬などはあるんですか?」
「えぇ、寝つきを良くするために毎晩ハーブティーを飲んでいますし、胃が弱いので食事の前には必ず胃薬を飲んでいますわ」
「ほう、胃薬ですか。それは、そこらで売っているものなんですか?」
「いいえ、かかりつけのお医者様に特別に調合していただいているんです。売薬は彼の体質に合わないものですから」
「その特別な薬は今どれくらい残っていますか?」
「えっ・・・」
妙な間が空いた。
「あ、あぁ、そ、それでしたら、昨日で全て飲み尽くしてしまいましたの」
「そうですか・・・でも薬が切れてしまったら、ハロルド卿はお困りになるでしょうね」
「え・・・えぇ、いえ、最近は調子が良くて、少し薬の服用を休むことにしていたんです」
「それはすごい、彼の胃が良くなるなんて、相当な名医のようですね。もしよかったら、そのお医者様をご紹介いただけませんか?僕も最近、どうも胃の調子が良くないものでね」
みぞおちを押さえる僕から、彼女は一瞬視線をそらすと、こう言った。
「私は構いませんが・・・そのお医者様は今、学会に出席するためにブラックプールに行っておられますわ。当分、診察はお受けになれないと思いますけど・・・」
「おや、お医者様が長期に不在な上、特別な薬が切れているんですか。3日後にはハロルド卿は洋上の人となると言うのに」
僕はレディ・アニタの目を見つめ、にっこりと笑って見せた。
彼女の顔から、女優の仮面がはがれ落ちた。
「おっと、ずいぶん長居をしてしまいました。では、僕はおいとま致します」
「ちょっと待って」
彼女は声を潜めた。
「あなた、一体何が目的なの?何者なのよ?」
追い詰めないこと・・・そうポアロは言っていた。
「ハロルド卿の古い友人、ですよ」

帰宅した僕は、早速ポアロに報告しようとしたが、なんとポアロは、ナイト・クラブでご遊興中だと言う。外出嫌いのくせに、そういう所にだけは、いそいそと出掛けるんだから・・・。

翌日、ポアロと僕は正しい英国人の朝食を取っていた。アルコールが残っているのか、ポアロはニシンの匂いが気に入らないようだったので僕が貰った。
「それじゃ、替わりに僕の目玉焼きを半分あげますよ。マッシュルームの方がいいですか?」
「そんなもの、要りません。ラッティ!バナナはありませんか!バナナですよっ!」
ポアロにはバナナとカレーがあれば充分みたいだ。
部屋を出て行ったラッティが戻って来たが、バナナは持っていなかった。そして、こう言った。
「ポアロ様、キューピー警部からお電話です」
「なんですか、朝っぱらから。ラッティ、書斎にバナナを持って来て下さい!」
ポアロは、ぷりぷりして部屋を出て行った。

「なんだって言ってましたか、警部は?」
「はっはっは・・・いやー、怒ってましたねぇ、彼。夫婦喧嘩に警官を何人出動させるんだ、ってね」
ポアロは、愉快そうにバナナを振りかざした。
「えーっ、夫婦喧嘩だったんですか?」
「いやいや、これはキューピー警部の短絡な表現ですね。アニタ夫人は、何としてもハロルド卿を海外に行かせたくなかった。愛するがゆえのことかもしれませんが、彼女が犯罪的なことをしてしまったことに変わりはありません」
「それじゃ、やっぱり彼女がやったんですね」
「自ら全てを告白したそうです」
「追い詰めなかった、からですかね?」
「そう。うまくやりましたね、ヘイスティングス。君は大した脅迫者ですよ」
「そりゃ、あなたの薫陶を受けてるんですからね・・・だけど、彼女はどうやってハロルド卿を連れ去ったんでしょう?」
「いいですか、女優なんて商売は、夜討ち朝駆けでリハーサルだの撮影だのをするわけです。ハードなスケジュールに合わせるために睡眠薬は普通に使用しますから、堂々と手に入れられます。それを差し入れのお茶に混入して皆に飲ませます。ハロルド卿には、お茶をサーヴィスする前に胃薬を飲ませて、他のひとたちと薬が効き始める時間に差をつけるんです」
「あら?どこに薬をしまったかしら、とか言って探したりすれば、タイミングの調整も出来るわけですね」
「ますます君は犯罪者向きですね。しばらくしてハロルド卿がリハーサルを再開しますが、スタッフは間もなく眠ってしまいます。しばらくするとハロルド卿も朦朧としてきます」
「そこで、あのペンギンの剥製が出てくるんですね」
「さよう。剥製なんか、箱に入れて機材と一緒に控え室に持ち込めばいいんです。あぁ、なんと言う名前でしたっけ、ハロルド卿のところの休暇を取った使用人は?」
「ジョビーですね」
「そう、そのジョビーに、機材のリストにこの箱も入れろ、とアニタ夫人が言えばそれで済みます。現場で、誰がこんなものを持ってきたんだ、と言い出してもリストに書いた本人はいませんから、うやむやになってしまいます。彼女がハロルド卿になんと言って剥製の中に入らせたかはわかりませんが、相手は薬でぼーっとしてますから、訳もないことでしょう」
「きっと、新しいペンギン型健康器具だと言えば、彼は喜んで一日中だって入ってるだろうな」
「おや、なぜそんなものを喜ぶんですか?」
「さぁ?僕にもわかりません・・・わからないと言えば、花屋に現れた5人の女性は何者なんですか?アニタ夫人もその中に入っているんでしょう?」
「君はそれをわからないまま、アニタ夫人に会って来たんですか!?言ったでしょう、彼女は女優だと。その辺の大根役者ならいざ知らず、彼女ほどの女優となれば幾らでも化けられるんですよ」
「じゃあ、5人ともアニタ夫人なんですか?」
「全員とは限りませんよ。通りすがりのひとに頼むこともできますからね。でも、そういうひとは、ハロルド卿の失踪が報道されたら、妙な頼みごとをされたと警察に通報する可能性があります。出来るだけ、彼女自身でやらなければならないんです」
「そうか、彼女が自分で大量の花を注文して、それを家具と入れ替えさせたのか。で、そのどさくさ紛れに、ハロルド入りペンギンをシャーリーちゃんに運び出させたんですね」
「そうです、あとはその辺の誰かに、これは自宅に届くはずの物だったから今すぐ送り返せ、と言えばドブソン邸に送られます」
「ええっ!それじゃ、ハロルド卿は自宅に居るの!?」
「アニタ夫人はもっと賢いですよ。彼女はあらかじめ、プライヴァシーを守ってくれそうな格式の高いホテルに、人を雇って詰めさせます。そこらの家政婦にちょっと手当てを弾めば、何も聞かずにやってくれますよ。次に、例の特別な胃薬も含めて、軟禁中に使用するハロルド卿の身の回りのものを梱包します。可愛いらしいラッピングでもするといいでしょうね。これを休みに入る直前のジョビーにホテルへ運ばせます。ジョビーには友人へのプレゼントだ、と言えば何も疑わずに運んでくれるでしょう。そして、ジョビーに休み中1日だけ、届いたペンギンを友人のところへ運んでやってくれ、と頼んでおきます。その日が一昨日ですよ」
「どうしてペンギンまでジョビーに運ばせるんですか?ラインホールド邸から直接持って行かせればいいじゃないですか」
「ジョビーなら届け先がどこか、いちいち説明せずに済みますね。それにペンギンを届けた後、彼はまた休暇を楽しみにどこかへ行ってしまいます。ラインホールド家の使用人に頼んだら、屋敷に帰って来るなりハロルド卿の失踪で大騒ぎですよ。キューピー警部に締め上げられたら、すぐさま、はい私はホテルにヘンなものを運びました、と申告されてしまいます」
「じゃあ、運送屋に頼んだっていいでしょう?」
「いちいち言いがかりを付けるんですねぇ、君は。運送屋に頼んだら、当然伝票や帳簿に記録します。一体何人の人がそれを見ると思いますか?」
こじつけのように思えたが、ポアロが言うと妙な説得力がある。だが、僕だって100%納得したわけではない。
「なんで、ジョビーに休みをやったんでしょうかね?」
「彼はハロルド卿と一緒にアメリカへ行くんでしょう?それほど卿のそばに仕えている人間がいたのでは、誘拐なんかできないじゃないですか」
「そうかぁ・・・ジョビーも、まさか自分が主人の誘拐に一役買ってたとは思わなかっただろうなぁ」
「何も知らないジョビーは、ドブソン邸の前に車をつけてペンギンを待ちます。ラインホールド家の使用人はペンギンをジョビーの車に積み込みます。ホテルに着いたジョビーは荷物をポーターに任せます。彼の休日勤務はこれで終わりです」
僕はすっかりぬるくなったお茶を飲み、ポアロはバナナの皮をむいた。
「ハロルド卿の世話は、家政婦がソツなくやってのけるでしょう。彼が何か言い出したら、コワモテの男でも雇ってちょっと脅せば、自分は誘拐されたんだ、と言う実感が湧きます。あとは、公演旅行に間に合わなくなるような頃合に、どこか離れた場所で彼を解放すればいいわけです」
「ふーん・・・それにしても、いくら言うことを聞いてくれないからって、夫を誘拐するなんてどうかしてますよ」
「妻が反対したから、と言う理由で公演旅行をキャンセルしたら、損害賠償問題になります。しかし、犯罪に遭ったとなれば、それは問われないでしょう」
「なーんだ、お金ですか。でもそれなら、わざわざラインホールド邸なんかじゃなくて、自宅だっていいじゃないですか?」
「自宅なんかじゃダメですよ。彼女を始め家の者が徹底的に尋問されて、すぐにボロが出てしまいます。ラインホールド家の柿落としなら多数の人間が入り乱れていますから、捜査も面倒になるじゃないですか。よく考えたものです」
「はぁ・・・結局はお金の問題なんですね。『お金には困りませんでしょ』、とか何とか言ってたくせに・・・」
「それだけだと思いますか?もうひとつ、名誉の問題ですよ」
「名誉?」
「レディ・アニタは、夫婦喧嘩の末、夫の公演をキャンセルさせるような、勝手な女になりたくなかったのです」
「へーぇ、誘拐なら名誉で、夫婦喧嘩だと不名誉なんですか?僕なら、誘拐ごっこなんかするより、勝手な女扱いで構いませんけどね」
「仕事中、勝手に旅行へ行っちゃうような君には、わからないことですよ」
ポアロは、満足そうにバナナをかじった。
「なんだい、バカにして!・・・だけど、まだ何も調べていないうちから彼女が怪しいなんて、よくわかりましたね」
するとポアロが突然、僕ににじり寄ってきた。
「うふふ、自分の愛する男が、妻は替えてもギターは替えないような男だったら、そのギターと一緒に遠い外国なんかに行かせるもんですか。んーもう、ヘイスティングスは女心がわかってないわねぇ」
な、なんで、こんな時に!
そのとき僕は、あるものを忘れていたことに気付いた。僕は、これ幸いとポアロの腕を振りほどき、自室へ忘れ物を取りに行った。

「いや、昨日ラインホールド邸から花を分けて貰うのをすっかり忘れちゃったんで・・・これを花屋で買って来たんですよ」
「まあ!なんて愛らしいバラなのかしら!」
「気に入ってもらえましたか?」
「もちろんよ!色がいいわねぇ。カスタード・クリームにグレナデン・シロップを溶かし込んだみたい。スゥイーーートだわ・・・まるで私みたいじゃないの!ねぇ、なんて言う品種なの?」
「えーっと・・・どこかに書いてありましたよ・・・あった。フレディ・・・マーキューリー・・・?」
それを聞いたポアロの前歯が、きらり、と輝いた。

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