ジョンの誕生日、その日、いつになく遅刻もせずスタジオにやってきたフレディは、控え室の鏡の前でニッコニコの笑顔を浮かべていた。周りのスタッフはフレディの異常を察して声もかけにくい様子である。次にやってきたのはロジャー、朝からアルコールの匂いを漂わせていた。「よう、珍しいな、フレディが一番のりなんて、今日は雨か? いやはや地球が終わる日かな」、と大声で言いもって、彼も朝からかなりのハイテンション。
お次にやってきたのはブライアン。「大変だ!遅刻だ!この僕にとってあり得ないことだ!修理したはずの時計の目覚まし機能がやっぱりなおってなかったんだよ!」と誰も聞いてはいないが、たぶんいい訳だろうと思えることを誰かに聞こえるように大きめの声でぼやいていた。控え室に入ったブライアンは、既にフレディは来ていたことにショックを受けて、すぐに部屋を出ていってしまった。
ふと、フレディのニコニコ顔がやんだ。
「ジョン……遅すぎる」
そう呟くと、椅子から腰をあげ、フレディはスタジオの表に出た。正面玄関の前で腕を組んで行ったり来たりを繰り返すフレディ。
「まさか……こんな大事な日に休むなんてことはないよな。でも、大事な日だから彼女とアバンチュールに出かけたってこともありうる。大人しそうに見えて時々大胆な選択をするからな、彼は……」
心配そうな面もちでうつむいたフレディだったが、遠くから呼ばわるその声を聞くと、途端に元気を取りもどし、ポッと頬を染めた。
「おはよう、今日はやけに早いね」
ジョンが前の道路を渡り、器用に車の間を縫ってフレディに駆け寄ってくる。
思わずフレディも両手を広げてジョンを受け止めようとした……が、ジョンはしっかりとそれ以前に立ち止まっていた。それでもフレディは広げた両手をひっこめることなく、そのままジョンの肩に載せた。
「君が遅すぎるんだ。ジョンらしくないよ、遅刻なんて」
「ごめん、寝坊しちゃったんだ」
謝るジョンの手を引き、フレディは控え室に急いだ。
控え室ではロジャーとブライアンが遅い朝食をパクついていた。フレディはそれを見て腰に手をやり、苦い顔をしたが、すぐにニヤリと微笑んだ。
「ねぇねぇ、そこのお二人さん。今外で面白いことやってるらしいよ。うら若き可憐な美女達のストリートキングだってさ、もうすぐ前の通りまで来るはずだよ」
「え! ストリートキングって、あの全裸で通りを駆け抜けるってアレかい?」
フレディの背後のジョンがびっくりして言った。その声を聞いてブライアンがサンドイッチを口いっぱい頬張った顔を上げた。
「ん……あって!」
何だって!と言いたかったのか、とにかく無理やり物を言おうとしたブライアンは、前で同じようにサンドイッチを食べていたロジャーに食べかすを吹きかけてしまった。
「おぉぉいっ! 食べながら物言うなよ!」
そう言いながら、とりあえずブライアンもロジャーも同時に立ち上がった。
「別に悪気はなかったさ。たまたま君が前にいただけだろう」
「いいや、今のはわざとだね! これさっきも言ったけどさ、ベルサーチだぜ! 限定品だぜ! どうせ俺がブライアンのシャツにケチつけた仕返しだろ、今のは。女々しいぜ!」
「女々しいとは何だよ! 君こそ、学生時代に僕がおごった昼飯のツケをいまだに返しもしないで、ベルサーチとはいい気なもんだよ。忘れたふりして踏み倒そうとしてるだろ! 僕はちゃんと日記につけてるんだからな!」
「そういう所が女々しいっていうんだよ! 男ならそんなちんけな金のことはガタガタ言うなよ!」
「なんだって〜!」
果てしなく続きそうな口論を始めたブライアンとロジャーは、お互いににらみ合って控え室を出ていった。
フレディはそんな二人の意外と仲良さげな後ろ姿を見送って、したり顔で笑った。
「そんな女の子たち、いったいどこにいたんだろうね? 僕ら見なかったのに。でも……そりゃすごいな、僕も行ってみようっと」
思わず二人の後を追おうとしたジョンの腕を、フレディが強くつかんで引き留めた。
「ダメだよ、ジョンは」
ジョンの後ろに回って、フレディは強引に控え室に彼を押し込んだ。そして、すかさず控え室の鍵をかけた。
振り向いたフレディが不敵に笑った。
「朝から何だか穏やかじゃない様子だね……フレディ」
ジョンが引きつった笑みを浮かべている。
そんなジョンをよそ目に、フレディはチッチッチ、と歯の裏で舌を鳴らした。
「穏やかだよ。今日は僕はとても穏やかだ。それに、今日は特別な日」
そこで満面の笑み。
何かある! と察したジョンは、なぜか目を閉じている。ついでに耳を押さえた。クイーンにおいてよくない報告はいつもこんな形で発表される。
「そんな顔しないでよ、ダーリン。今日は君の誕生日だろ?」
「へ……」
「まさか、忘れてた?」
「あ、ああ……そうか! 最近いろいろ忙しくて、すっかり忘れてたよ!」
「わあ! 何て素敵なんだろう。じゃあ、僕が一番の春告げ鳥だ!」
何の鳥なんだか……とジョンはフレディに揺さぶられながら思う。それより、メンバーの略歴に生年月日は記載したものの、フレディが自分の誕生日を覚えていてくれたことが意外で、嬉しくもあった。
「君にプレゼントがある。これを早く君にわたしたくてわたしたくて、昨日からうずうずしていたんだよ。我ながら今日までよく我慢できたと思うね、この気持ちを」
「本当だね。よく我慢したよ、フレディ」
ジョンは本当にそう思って軽く拍手さえした。
フレディは傍らの鞄から細長い箱を取り出した。綺麗にラッピングしてある。
「見て、これ僕がラッピングしてみたんだ。この青いリボンがポイントだよ」
「なんだか開けるのがもったいないな」
「いいんだ、包装の優美さは目で楽しむだけの物さ、ほんの一時の夢だよ。儚い夢の中には永遠がある……僕の気持ちさ、早く開けてみて」
まるで夢見る眼差しのフレディに促されて、ジョンは綺麗な包装を慎重にはがしていった。
「わあ! 何だい、これ、ペンダントかな……いや、これは……ロケットか。ちょっとレトロな感じだな。でも悪くないね、ここに写真とか入れるんだろ……」
と、当然のごとくロケットを開いたジョンは凍り付いた。すぐにロケットを閉じて箱に戻した。
「フレディ、たぶんあげる相手間違ってると思うよ、僕じゃないでしょ」
「どして? 間違うはずなんてないよ。世界で二つしかないロケットだもん。もう一つはほら、しっかり僕の胸にあるんだから」
とシャツの襟を広げてフレディは胸元で輝くロケットを指差した。
「ほら、ちゃんとジョンも首にして僕に見せておくれよ。純金の特注なんだからさ」
と言ってフレディは固まったまま椅子に坐るジョンに丁寧にロケットをつけてやる。
「何をしても絵になるな〜、君は!」
という賞賛の声がどこかジョンには遠い。でも、一息ついて、ジョンはもう一度勇気を出してロケットを開いた。
そこでまた大きなため息。ロケットの中には贈り主本人の写真があった。しかも……
「言うなれば、誰にも見せない、赤裸々な僕……ってところかな」
フレディはテーブルにあったタバコに火をともしながら事も無げに言った。小さなロケットの窓なので全身は収まらないものの、まさにそれはそんな感じの写真だった。ジョンは頷いた。こんな写真を自分で撮ったのだろうか? 誰かに撮ってもらったのだろうか? ついそんな想像をしてしまい首を振ってうち消そうとしたが、写真のフレディを見つめていて次第に見えてくるのは、やっぱりジョンがよく知るフレディだった。どう転んでも、どこか彼のすることなすことはユーモラスなのだ。じっと写真を見ていると、現場にいなくとも、フレディのいる光景が見えてくる。写真は一瞬に過ぎないが、ジョンはその光景の前後をどんどん想像していく事ができて、ジョンの頭の中には面白可笑しい場面が展開されていく。いろいろあって、ようやくフレディはポーズを決めたのだろう。この彼自身が赤裸々だというこのポーズに。
ライブ中のフレディはまさにジョンの憧れだった。そんな彼が自らこんな写真をくれるなんて、ちょっと光栄なことかもと思ってみる。ある意味、お宝には変わりない。
ジョンはクスッと笑って顔をあげ、フレディを見つめた。
「ありがとう、フレディ」
「改めて礼なんていいさ。僕と君の仲じゃないか」
少し照れたようにジョンから目をそらし、フレディは灰皿でタバコをもみ消した。吸う気はあまりなかったようだ。
「うん……でも、嬉しいよ。ホント」
俯いたフレディの顔が赤くなった。でも、すぐに真剣な面もちで顔を上げた。
「あのさ! お願いなんだけど、そのロケットの写真は絶対誰にも見られないようにしてよ。彼女にも!」
「それは……勿論」
当然と言ってもいい。このロケットはジョンにとって、いろんな意味で命取りになるだろうことはジョン自身よくわかっている。
「絶対に見られない自信はジョンにはあるの?」
何だろう、その探りを入れるような目は……と思いながら、ジョンはいろいろ考えた。
「そ、そうだな……僕の書斎の引き出しにしまっておくよ、一番上の引き出しには鍵がついてるし……」
なんて、適当に答えてしまったが、睨みつけるフレディに「もしもジョンの留守中に君の部屋に泥棒が入ったら、容赦なく引き出しはこじ開けられるね。そこでこれを見つけたヤツらはほくそ笑むんだ。今をときめくフレディ・マーキュリーのスキャンダラスな写真を新聞社に売りつけて大金を手に入れようという魂胆なんだ」なんてことを言われて、追いつめられてしまう。
「じゃ、じゃあ、ベースのケースに入れておくよ、それなら大丈夫だ、きっと!」
「ああ! なんてことだい! 君は時々ブライアンがギターケースと間違って、君のベースケースをわざと開けては、何か面白い物がないかと物色していることをまだ知らないでいたのかい?」
「な、何てことするんだよ! ひどいじゃないか! 勝手に人の私物見るなんて!」
「そうして君に彼女がいることだって発覚したじゃないか」
「え〜!? そ、そうだったの!?」
「そうだよ、ダ〜リン。クイーンのメンバーはいたって真面目だけど、とってもいたずら好きなんだ、君以外はね」
フレディがいじらしそうにジョンの二の腕を指でつつく。
「んも〜、このロケットの安全を守る方法なんて一つしかないのに、どうして気付かないんだよ、ジョンは」
「安全を守るって……そんな重大なこと、僕にできない」
「できるよ。簡単なことさ、肌身離さずジョンが身につけておくのが一番安全なんだから」
「む、無理だよ! 余計に危ないよ! こんなのつけてたら絶対にロジャーなんか黙っちゃいないじゃないか!」
「それを君が体を張って守るわけさ。男らしく。僕の愛する人に指一本触れさせないよ!とか言いながらさぁ。ほら、僕だってちゃんと身につけてるだろう。この胸でいつも誰かさんを暖めているんだ。この写真も人に見られたら大変だからねぇ〜。絶対に人には言えない秘密が君と僕の間にあるなんて! ああ〜!何だかこれってお互いの貞操を必死に守りながら恋する二人って感じで、初々しい気がしないかい? ジョン」
「お互いって……そこに入ってる写真ってまさか」
「君以外の誰をここに入れるというんだい?」
春先なのに、やけに冷え込む朝だった。カールしたジョンの長い髪が思わずストレートヘアになってしまうような……。
「見せてよ!」
飛びかからんばかりの勢いでフレディに迫ったジョンだが、フレディは軽く身を翻してそれをかわした。
「やだね」
「どんな写真がそこにあるか、僕には確認する権利があるよ! 君はクイーンのジョン・ディーコンの写真を無断で使ったんだから!」
フレディはからからと笑った。
「残念、少し遅かったね。僕らはもうその手の訴訟問題には心底懲りたのさ。余程じゃない限り、クイーンはそういう事は黙って見過ごすと思うよ」
「……」
ジョンは喉の奥で唸った。
「見たいなら力ずくでどうぞ、我が王子様」
フレディはまるでバレリーナのように軽やかに椅子に飛びのると、前屈みになってお辞儀をし、ふわりと両手を広げてみせた。
ジョンは朝っぱらから遅刻して走り続けていたせいもあり、今頃激しい動悸に見舞われている。
「朝からテンション高い……」
そうジョンが呟いた時、控え室のドアが激しく叩き付けられた。
「おい!何で鍵なんかかかってんだよ!開けろよ!どうせまたフレディが極めて私的な理由で占拠してんだろう!」
ロジャーが無理やりこじ開けるような気配が外でしている。
「開けろったら!」
「はいはい、全く……まるできかん坊の子供だね、ロジャーは」
椅子から飛び降りたフレディが渋々ドアを開けた。
「おい!」
と即座にフレディに胸からぶつかっていったのは意外にもブライアンだった。
「なんだよ、さっきのうら若き可憐な美女のストリートキングってのはさ! そんな女の子はどこにもいないじゃないか!」
「よせよ、ブライアン。だいたい、そんなことがあったら俺たちに告げる前に、フレディが真っ先に楽しんじゃってるはずさ。本人がご親切にもいちいち俺たちに教えにくるかよ……。たく、いつもいつも読みが甘いぜ」
「そ、それは遠回しに僕がアホだと言いたいのかい、ロジャー。そういう君だって僕と一緒に来たくせに」
「ノーコメント」
またまたブライアンとロジャーの雲行きがあやしくなりだして、フレディは二人の肩を交互に叩いた。
「もういいじゃないか、そんなこと。さっきのうら若き可憐な美女のストリートキングはそのうち僕が実現してあげるからさ、それで機嫌なおしてよね、ブライアン。ロジャーもあんまりブライアンからかわないでよ。なんだか、君たちはいい歳したおじいちゃんになってもそうやって口論していそうだな。僕にはそういう風景が見えるよ。ま、喧嘩するほど仲がいいって言うけどね。さあ、そろそろ仕事しなくちゃ!仕事仕事! 僕、やる気が出てきたなー! 一曲書けそうだよ!」
フレディはブライアンとロジャーの真ん中に立ち、両腕を二人の肩に回した。そして、ぼんやりと後ろで立ちつくすジョンに軽くウィンクを送る。
控え室を出て行きながら、誰に言うともなくフレディが高らかに言った。
「クイーンってさ! サイコーだと思わない?」
スタジオに通じる廊下を歩きながら、三人が冗談を言いあい、にこやかに笑う声が聞こえる。それは控え室で立ちつくすジョンの元まで聞こえてくる。そしてジョンが小さく呟いた。
「最高……だね」と。
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