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異説・幸福な王子(達)〜その2〜

街の空高く、高い円柱の上に、「幸福な王子」と呼ばれる像が立っていました。
この像はもともと4対だったとか、昔は東洋のキモノを纏っていたとか、様々な説が
流れていましたが、目には二つのきらきらした黒真珠が輝き、大きなダイヤが付いた
棒状の物を持って右手を高く上げた今の像は、見ているだけで皆に力を与えると
いうので街中の評判でした。

ある夜、一羽のつばめが、この街の上空へ飛んできました。
友達は数週間前にバリへ行ってしまったのですが、彼だけはあとに残っていました。
いつも自分だけふらふら、うろうろするので皆とはぐれてしまったからでした。

「今夜はどこに泊まろうかな? …あ、あそこにしようっと。居心地よさそうだ」
つばめの目にとまったのは円柱の上の像でした。幸福な王子の両足の真ん中に舞い
降りた彼は、早速寝る支度をしようとしたのですが、赤く染まってくりくりした
おしゃれな頭の上にいきなり大きな水のしずくが落ちて来ました。
驚いて顔をあげたつばめが見たのは、大きな瞳からぽたぽたと涙を流す像の姿。
「いったい、どうしたの? あなたは誰?」
「ボクは『幸福な王子』っていうんだ」
「それなのにどうして泣いているの?」
「ここに立っていると、世の中の辛いことや悲しいことがみんな見えるからなんだ。
たとえばずっとむこうの小さな一軒家に、痩せてやつれた貧しい男が住んでいる。
暖炉にくべる薪さえなく、とうとう自分の宝物の楽器を燃やす他なくなって、
オイオイ泣いているのさ。つばめさん、つばめさん、可愛いつばめさん、この棒から
ダイヤを外して、その男のところへ持っていってくれないか?ボクはこの通り、ここ
から動けないから」
「知ってるよ、その人。あまり好きじゃないな。耳元で大きな音を出されたから
屋根から落ちそうになったんだ僕」
「つばめさん、つばめさん、可愛いつばめさん、ひと晩だけでいいから、ボクの
ためにお使いに行っておくれよ。男は嘆き悲しんで、髪を掻きむしらんばかりだ」
「僕はバリへ行かなくちゃ。あそこは暖かいだろうなあ。妻と子供達も待っているし」
しかし王子があまりに悲しそうな顔をするので、つばめは気の毒になりました。
「それじゃ、ひと晩だけね」
「ああ、ありがとう、可愛いつばめさん!」
それでつばめはダイヤをつつき出すと、くちばしに加えて飛んでいき、男の家まで
行くと、彼のもしゃもしゃした頭の上にダイヤをぽてんと落としました。

次の日、今日こそバリへ行こうと思ったつばめは見納めに街中を観光し、夜になって
王子のところに戻りました。
「これから出発するけど、バリに何か用はある? 素敵なアロハでも買ってこようか?」
「つばめさん、つばめさん、可愛いつばめさん、もうひと晩だけでいいから、ボクの
ところにいてくれない?」
「バリには神とダリがいるんだ。妻と子供達も待っているし」
「つばめさん、つばめさん、可愛いつばめさん、この街のずっとむこうの、ある屋根
裏部屋に、一人の青年の姿が見える。青年には好きな女の子がいて、デートに誘い
たいのに、靴を買うお金すらないんだ。彼は絶望のあまり眉根を寄せたままさ」
「…それじゃ、もう一晩だけね。またダイヤを持っていけばいいんでしょ?」
「いいや、ダイヤはもうないんだ。残っているのはこの目だけだよ。黒真珠でできて
いるから、売ればいくらかになるだろう。どうか一つ抜き取って、青年に渡して
くれないだろうか」
「そんなことできないよ」
実は心の優しいつばめはそう言って泣きそうになりました。
「可愛いつばめさん、いいからボクの言うとおりにしてよ」
それでつばめは泣く泣く片方の目から黒真珠を取り出すと、青年のいる屋根裏部屋に
飛んで行き、失意の彼の手にそれを落としてやりました。

翌日、つばめは港へ飛んでいき、「僕はバリに行くんだよぉ!」と大声で叫んで
みたものの、やはり王子にお別れを言ってからにしようと思い、夕方には幸福な
王子のもとへ帰ってきました。
「それじゃ、さようなら」
「つばめさん、つばめさん、可愛いつばめさん、もうひと晩だけでいいから…」
「もう誰もいないはずでしょ?」
「下の広場で、泣き声が聞こえるんだよ。売り物のマッチを溝に落としてしまって
お金が稼げず、家へも帰れず泣いている声がね…」
「僕はバリに行かなくちゃ。妻と子供達も待っているし」
「…まだ小さい女の子みたいだよ、可哀相に」
「…それじゃもう一晩だけ」
子供にはとても弱いつばめでした。
「でも、あなたの目を抜き取るなんて、僕にはできない。そんなことをしたら、
目が見えなくなってしまうじゃないか」
「可愛いつばめさん、いいからボクの言うとおりにしてよ」
それでつばめは黙って王子の目をもうひとつ抜き取り、それをくわえて飛んで行くと、
泣きじゃくっている女の子の掌に真珠を乗せてやりました。

それからつばめは王子のもとへ帰りました。
「あなたはもう目が見えないのだから、ずっと側にいてあげる」
「いけないよ、可愛いつばめさん。君は奥さんと子供達のいるバリへ行かなくては。
ほら、ボクは君のためにとっておきのものを残してあるんだ。この象牙を家族への
お土産にしておやり」
幸福な王子は自分の大きくて白い歯をつばめに与えようとしましたが、つばめは
静かに笑って首を振りました。
「それを取ったら君が君でなくなってしまう。僕ずっと側にいるから」
そう言うとつばめは王子の足元で眠ろうとしました。
しかし王子があまりに物悲しい声で泣き喚いて懇願するので、仕方なく(象牙は
貰いませんでしたが)別れを告げて、南の空に向かって飛び立ちました。

ですが、つばめにはもうバリへ飛んでゆくだけの体力が残っていなかったのです。
赤かった髪も今ではすっかり白くすすけてしまい、一気に歳を取ったようでした。
精一杯飛んでいたものの、途中で力尽きた彼は、どこか懐かしさを感じる場所に
よろよろと不時着しました。
『つばめさん、つばめさん、可愛いつばめさん…』
(ああ、僕はもう駄目かもしれない…幻聴がきこえる…)
「つばめさん、お願いがあるんだけれど…」
しかしその声は幻にしてははっきりしすぎていました。
ぼんやりと目を上げたつばめが見たのは、幸福な王子の像そのものでした。
しかも、ダイヤも真珠も元のまま、きらきらと輝いています。
「可愛いつばめさん、ひと晩だけでいいから、ボクのためにお使いに行ってくれない?」
「えぇっ、またぁ〜?? う〜〜ん」
つばめは余りのことにその場にぱったりと倒れ込んでしまいましたとさ。

――「幸福な王子」像は世界に3体あるということです――。

【THE END】
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