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ベースの大君主たち

地獄へ道連れ。ディーコンによるこの曲は、プリンスやジョージ・クリントンに匹敵する、
優れたファンクの代表作だ。
Band: Queen
Born: 1951, Leicester
Previous bands: The Opposition, Art
Guitar'99 Guitar'99-2

サイバースペースには、クイーンのフレディ・マーキュリーやブライアン・メイに関する言葉が山のように溢れている。しかし、ロック界で最も過小評価されているベースプレイヤーであり作曲家である人物に関する話題は、ほとんどない。

「知っている限りで言うと、ジョンはほとんど何もやってないの」 オフィシャル・クイーン・ファン・クラブは企んだようにそう言いふらしている。 「ほとんど何もやってない」…そう、6人もの子供の世話をしたり、ビアリッツで凍えていたり、時折エルトン・ジョンらと集まってほろ酔い気分になったり、たった一度だけ、ファンクラブのコンサートに現れたりといった以外は。(このとき彼はハウスバンドと非クイーンの曲を幾つか演奏した後、アンコールにも姿を見せずに舞台を下りた)これは、適切で威厳のある自主引退だともいえる。彼にとっては、テイラーやメイが何を始めようとほとんど意味がないのだ――フレディはもういないのだから。

ディーコンがクイーンに加入したのは1971年だった。イギリスでは、ブルースと、サイケデリックで奇抜な音、そして行き過ぎたヘビーな音がもてはやされていた時代だったにも関わらず、彼のスタイルは重厚なジャズ・ブルース・ロックからおよそかけ離れていた。最初のティーンエイジバンドではポップ、ソウル、モータウンを演奏していたのである。 1969年にレスターを出てロンドンで電子工学を学びに来たとき、ついにメイやマーキュリーと出会うことになる。プレイが気に入られたのと、この呑気なディーコンならば、この先、より大きくかつ脆いエゴをもつ自分達と衝突したりはしないだろうと見込まれてのことだった。(彼はこの大物たちが「クイーンI」で「ディーコン・ジョン」と表記することさえ許した。しかし「II」では正しい名前にするように反抗している)

激動の70年代を通して、一アルバムにつき2曲分の手当てに怯むことなく、ディーコンは一生懸命取り組んでいた。そして大きく道が開け、最後には全員が十分な報酬を得られるようになっていく。

ジョン・エントウィッスルはジェームス・ジェマーソンの名前を引き合いに出し、ジャック・ブルースはかつてマーヴィン・ゲイ(the fool)を拒絶してきたかもしれない。しかし、クイーンの金メッキ的自己顕示癖のバランスを保っていたのは、いつでもディーコンだった。そう、現実的で誠実なソウルへの愛を示すことによって。ティーン雑誌などのディーコンへの質問表をみると、シックやマイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダーへの賛辞を見て取れるだろう。(いいかい、彼の最も好きなベースプレイヤーはイエスのクリス・スクワイアなのだ)見かけ上はシンプルなフィンガースタイルオンリーのプレイに、真実があるといえる。

地獄へ道連れ―ディーコンの手によるこの曲は、1980年の大半のUSチャートのトップに、事実上、不動に留まっていた。プリンスやジョージ・クリントン達に匹敵する、優れたファンクの代表作である。 アンダー・プレッシャーはリズミックでミニマリズムの宝石であり、おそらくディーコンが最も完成されていた時だろう。 愛という名の欲望はウィットに富んだジャズっぽい調べだ。 クールキャットはディーコン・マーキュリーソングの変化球で、 喜びへの道は良質のグルーヴである。 (しばしばメイはディーコンの単調なパッションの曲で著しく手を抜いていた。しかしマーキュリーはいつでもそれらの曲を十二分に歌い上げている) 他のディーコンの曲としては、賛否両論のブレイクフリー、 幾分ラブリーな永遠の翼などがある。 ―歌えないと認めているにしては、悪くない曲の数々である。

必聴盤: 既に全部持っているか、全然持っていないかのどちらかだろう。ギターマガジンのクイーン担当お勧めはシアー・ハート・アタックと、華麗なるレースだが、初心者(いるのかい?)はグレイテストヒッツ1&2がいいかもしれない。


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