"Hitkrant"誌1975年or1976年(抜粋)
*Thanks Frances for your contribution
ベーシスト、ジョン・ディーコンは「静かなるクイーン」。ローリング・ストーンズのビル・ワイマンと同列だ。控えめな個性、スター願望がなく、前面に出てきたいと思う事すらなく、快く自分のパートをこなしている。しかしながら…能ある鷹は爪を隠す、なのだ!
何人かのファンにクイーンのメンバーの名前を尋ねたとすれば、ジョン・ディーコンの名前は確実に一番最後になる。もっとひどい事には、彼の名前すら覚えていないファンがいる。
ジョン・ディーコンは気にしない。彼にとっては、無名で暮らせることのほうがずっと良いからだ。「ああ、僕は恥ずかしがりやでもなんでもないよ、どういたしまして。穏やかな生活が大好きなだけなんだ」
順風満帆
1951年8月19日、レスターに生まれたジョン・リチャード・ディーコンの人生は、初めからスムーズに過ぎていった。少しの問題もなかった。常に勤勉な学生だったジョンは、プラスティック・ギター、スパニッシュ・ギター、エレキ・ギターと、あらゆる類のおもちゃに親しんできた。子供時代から音楽に傾倒していた彼が14歳でバンド(ジ・オポジション)でプレイしたのは驚くことではない。
電子工学
18歳のとき、ジョンはチェルシー・カレッジで電子工学を学ぶためにロンドンに移った。まさにそのロンドンで、広告を通じてフレディ・マーキュリーとブライアン・メイに出会い、再び音楽に関わるようになった。(*ディスコでブライアンとロジャーに出会った、というのが定説です)
デビューLPの発売直後に大成功を収めたクイーンだが、ジョンは1年以上学業を続け、卒業後も何年かは教師として働いていた。(*本人が否定しているので、これはブライアンではないかと思われます)
職人
セカンド・アルバムがスマッシュ・ヒットを飛ばし、クイーンを本職とせねばならなかった時にジョンは仕事を辞めた。電子工学を専攻していたおかげで、クイーンの中ではその道に不可欠な人物である。機材になにか不具合が生じると、ジョンが直してしまうのだ。
おまけに、音響機器に興味があるだけでなく、彼は古い車やラジオを弄るのも大好きだ。
家族
彼の一番の望みは?「今のような穏やかな生活を維持すること! 願わくば、どんな理由にせよイギリスを出ることを強制されませんように。僕は本当にイギリスが大好き。もうすぐ(数ヶ月のうちに)アメリカに旅することになっているんだけど、もうがっくりきてるから。妻や子供と一緒に家にいるのが何よりも好きなんだ。ああ、クイーンでいることは嫌いじゃないよ、『クイーニー』でいることに誇りを持っているくらいだし。ただ家にいる時が一番幸せなだけだ。もしグループが解散したら、すぐに田舎に引っ込んで家族と平和に暮らすよ」