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An Illustrated Biography

by Judith Davis, 1981 (抜粋)

QUEEN TIMES FOUR
(p.73) ジョン・ディーコンは物静かで落ち着いた、信頼出来るクイーンのメンバーだ。4人の中で最年少であるにも関わらず、多くの点で、最もしっかりしていて、分別がある。そしてまた、バンドや彼等の成功について一番客観的になれるのは、おそらく彼だろう。

ジョンは1951年、イングランド中部の工業都市、レスターで生まれた。優秀な学生でもあったので、ロンドン大学で電子工学の学位を取り、首席で卒業したことは驚くにあたらない。最初、彼の音楽に対する興味は、単なる趣味の域を出ていなかったようだ。しかしロンドンで友人繋がりで3人のバンド・メンバーに出会った時、彼はすっかり夢中になってしまった。そしてすぐさま、ベース・プレイヤーとしてクイーンに加入することを決めたのである。

ジョンは言う。「たぶん、僕だけだったね、グループを客観的に見ることができたのは。バンドに入るのが一番遅かったんだもの。こいつは何かあるなって思ってたけど、「シアー・ハート・アタック」くらいまではあんまり自信がなかった。今じゃ、かつてないくらい自信たっぷりなんだけどね」

ジョンはビジネスに造詣が深い。自分達でマネージメントを担当し始めてから、様々な財政面での事態を処理するのに、彼の助言が大いに役立ってきたといえるだろう。ブライアン・メイは尊敬を込めて彼をこう評する。「ジョンのビジネス感覚は素晴らしい。それに完璧なセンスとリズム感を持っているから、ロックとビジネスの仕事が両立できるんだ」 例えば、莫大な費用がかかるツアーを続けることが理に適っているかどうかを決定するのは、ジョンである。彼はこう説明する。 「自分達が満足したいから、僕達はツアーをする。それと、グループのステイタスを上げるために。短期間のツアーより長期の方がいい。重要なのは、休み休みやってちゃいけないってこと。オール・オア・ナッシングさ」

ジョンによれば、クイーンの成功は「優れたマテリアル、良質のパフォーマンスとプロデュース」のお陰だということである。クイーンはメディアの誇大宣伝の産物だ、近頃の流行を巧妙に操る冷血漢だ、などという陰口に、他の全てのメンバーと同様、彼も憤慨している。 バンドにはしっかりとしたプロ意識があり、心底自分達の音楽に責任を持っているのだと彼は言う。

世間の注目の的であるにも関わらず、ジョン・ディーコンはオフ・ステージでは比較的知られていない人物であるようだ。彼自身はこう言っている。「インタビューは好きなほうじゃないんだ」 たびたびこのバンドについて執筆している英国のジャーナリスト、ジュリー・ウェブによれば、ディーコンは「どんな犠牲を払ってでも引き合いに出されるのを避けようとする、賢い手合いの一人ね」ということである。 他のメンバー同様、彼も最近になって快適な自宅を手に入れ、家族と暮らしている。最新のレコーディング機器をいじりながらだらだら過ごすのが大好きだとかで(彼が電子工学の学位を有していることを忘れてはいけない)、最新型の機材が揃ったレコーディング・スタジオを自宅にこしらえているほどだ。しかもいくつかの機材はニーズに合わせて自ら改造を施している。音楽以外の趣味は写真で、世界中をツアーした際に自分で撮影した、びっくりするような写真を集めたアルバムの束を所有しているのだとか。他にも、サイエンス・フィクションを読んだり、車をいじったりするのが好きということである。彼のライフ・スタイルはスターのそれとは程遠い。衣服は地味であるし、注目を避けていつも背景に溶け込もうとしているかにみえる。

バンドの現在の成功にかなり満足しているジョンではあるが、直接クイーンとは繋がりのないような音楽的冒険に関わってみたいと思うこともあるようだ。おそらくその経歴のせいだろう、彼はレコーディングのテクニカル面に大いに興味を抱いている。近頃は、クリス・レアとのセッションをプロデュースし始めている。(☆この件がどうなったか不明だが、83年・86年の2度ジョンと共同プロデュースをしたロバート・オーワイがクリス・レアと一緒に仕事をしていた、という接点はある)

クイーンの将来に関するジョンの処方箋は?「成功し続けることを望むなら、コントロールが肝心だといえるだろうね」

his other words
(p.14) 「僕達はぜーぜー言いながら、ぼろぼろになってやっとのことで車に乗り込んだ。なのに、ほんの数百ヤードも行かないうちに運転手がガソリン・スタンドで車を停めちゃってさ。あっという間に車は窓や屋根をガンガン叩く女の子たちに囲まれちゃった。何が起きるか運転手は分かってなかったんだよね。そういうことを一度も経験してなかったから」 (1981年春、アルゼンチンにて)

(p.17)「信じられないね!」(この成功をどう思う?と聞かれた際の簡潔極まりない回答)

(p.60)「僕達はみんながバンドのために曲を書く。だからそれぞれ個人の影響やテイストを出し合えるんだ」

(p.62)「フレディがスタジオで僕達に弾いてみてくれた。それからロジャー、ブライアン、僕が合流して、ああいう感じに仕上がったんだ。とても気楽に出来たよ」 (『愛という名の欲望』について)

(p.63) 「学生時代、ソウルを沢山聴いていたんだ。だからいつだって、そんな感じの音楽に興味があったよ。『地獄へ道づれ』のような曲をやりたいなあってずっと思ってはいたけれど、最初に頭の中にあったのは、メロディ・ラインとベース・リフだけだった。それからだんだんと埋めていって、バンドもアイデアを出してくれた。でも僕はもっとヘヴィなベースでやりたかったな。これは踊れる曲だなって感じはしてたけど、こんなにビッグになるなんて思いもしなかったさ。アルバムからピックアップされて、USのブラック系のラジオ局が流し始めたんだ。そんな経験、今までになかったよ」(『地獄へ道づれ』について)


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