(前略)
…もちろんいつもそのようにうまくいった訳ではない。ジョン・ディーコンは最悪だった頃を回想した。
「どこかその辺の、半分の入りのホールで演奏するのはどうってことなかったよ。
始めたばかりだったから、予想はついてたしね。情けなかったのはねえ…2回続けて演奏することになっていた時のこと。幕間に、オーガナイザーが楽屋に来て
こう言ったんだ。『お客はアンタ達に戻って来て欲しくないそうだ。ディスコにしたほうがよっぽどマシだとさ!』」それは15年前、4人の学生が最初にクイーンとして集った頃のことだった。
(中略)
ツアーは移動続きで、退屈なものである。
「1986年はのんびりしようって決めてたんだよ」ジョン・ディーコンは言った。
「でも、ライヴ・エイドが途方もなく素晴らしくて、びっくりするほどの反応を受けたもんだから、僕らは再びフル回転で働かなくちゃならなかった」
(中略)
そのコンサートの雰囲気は特別だった…それは、ウエンブリーだからだ。そしてパーティーもまた、特別だった。ウエンブリーの後だからだ。グループはthe Gardens night clubを貸し切り、ロンドンを見下ろす巨大な屋上庭園は、エキゾチックな食べ物や風変わりな光景で溢れかえっていた。メンバー達は他のロックスターと即興のジャム・セッションを繰り広げ、ジョン・ディーコンなどは、朝の9時まで家に戻らなかった。