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Music Major 18

written by John Kercher(一部抜粋)

[p3]
クイーンの起源は、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが結成した学生バンド「スマイル」にある。そこにフレディが加わり、その後ジョン・ディーコンが、誰かが掲示板に張っておいた広告をみて参入した。

[p5](南米ツアーの時)
「僕達が本当にこういったコンサートがやれるんだってことをお偉方に分かってもらうのに、すごく骨がおれたよ」ジョン・ディーコンは言う。「前にもたくさんのグループがそういう約束をして、結局めちゃめちゃな出来だったんだ。だから南アメリカの人達は、僕達が25万人の観衆の前できちんとプレイできるのか、聞くに値するのかを疑っていた。何もかもに時間がかかったのはそのせいさ」

[p5]
「アルゼンチンでは、当時の政府にもてなしを受けたよ。まるで皇族のような扱いだったなあ。コンサート後は、安全のためってことで軍用トラックでその場を去らなきゃならなかったし」

[p5]
数年後、クイーンはロック・イン・リオ・フェスティバルでブラジルに戻り、センセーションを巻き起こした。しかし、観衆同様、グループ自体が多いに影響を受けたのは、ライブ・エイドである。ジョン・ディーコンは言う。「ライブ・エイドは僕達の世界をひっくり返してしまった。それまでは、長い休みを取るのが一番だって皆で決めていた。でもあの素晴らしい一日がバンドを活性化したんだ。生き返ったような気分だったよ。今じゃ皆が興奮しながらアイデアを出し合ってる。やりたいことが多すぎて、まとめるのが難しいくらいさ」

[p7]
アルバム「ア・カインド・オブ・マジック」には、ショーン・コネリーとクリストファー・ランバート主演の映画「ハイランダー」用に書かれた曲が入っている。この試みについて、ディーコンはこう述べる。「グループとして映画用の音楽を作るのは楽じゃないんだ。なぜって、BGMも併せて、曲を入れる箇所が山のようにあるからさ。叙情味を出すために曲を入れるのは難しいよ。バックに流行の音楽を流せるような近代映画の類ならともかくね。ハイランダーはそんな映画じゃない。こみいった映画で、簡単に説明できないアイデアがいっぱい詰まっているんだ」

[p8-9]
ディーコンはクイーンの作曲能力についてこう言う。「一人の人物が曲を全部書いて、残りはただのミュージシャン、といったバンドじゃないよ。僕達は皆が作曲して、アイデアを出し合うんだ。曲を提供する上での品質管理のレベルはあるけどね。皆が分かってるんだ、それ相応の高水準を保たなきゃって!」

自分達のキャリアを振り返って、ディーコンは語る。 「最初の10年は、一日24時間、丸ごと全てをクイーンに捧げていた。録音したり、ツアーしたり、飲んだり、バンドのことを考えたりね。それから、お互い息抜きがしたくなって、少しスローダウンせざるを得なくなった。数年前にソロ・プロジェクトなんか始めてたら解散してたかもしれないけど、僕達はそういうことは乗り越えて来たと思うし、今なら皆がやってるようなことに興味を持ってもいいと思うんだ」 それでディーコンは自分の24トラックのスタジオをオープンし、その一方でフレディはソロアルバム製作、ブライアンは新しいギターのデザインと設計を続けている。テイラーもまた他のアーティストのプロデュースに着手した。しかし各メンバーが積極的なソロ活動を続けていても、クイーンの核は揺らがないのだ。


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