by Peter Freestone with David Evans(一部抜粋)
[p18](1979年、クレイジーツアーにて)
けれども最初の日は、洗濯して綺麗にするために衣装を集めるくらいしかなかった。
ロンドンへ帰る車にはツアー・マネージャーのジェリー・スティッケルスと同乗した。二日後、ぱりっとしたステージ衣装を持ってスタジオへ戻ると、バンドのメンバーがそれぞれ次のツアーで要るものを僕に伝えにきた。ジョンにはサイズ43の黒色のキッカーズ(*靴のブランド名)、丸首の白いTシャツ2枚を用立てないといけなかった。ロジャーは、1ダース半の白のリストバンドと白と黒の縞の靴下がほしいといった。ブライアンが要求したのは、ネックラインが低めの、黒と白のTシャツ各1枚ずつだった。他にも彼は、白い筋が入った黒のウエスタン・スタイルのシャツを探してくれないかと言い、僕はなんとか手に入れた。
[p46](1982年、南米でパーティに招かれた時)
フレディはジョン・ディーコンと一緒に座り、手にもった煙草の箱を弄んでいた。ナーバスなのを隠すために、その表現豊かな両手を動かさずにはおれないように。そしてそれほど寡黙ではないブライアンとロジャーにおしゃべりを任せ、時折感嘆してみせるだけだ。彼は自分が会話に必要とされているのを知っているが、なるべく加わらないようにしていた。何か言って注目を浴びることが重要だとよく分かっていたのだが。
[p80]
フレディは、ハーモニーを完成させるのにブライアンほど適した者はいないと分かっていて、いつも最後の仕上げの時は彼をあてにしていた。ジョンはいつでもジョンだった。彼がまるで「動かざること岩のごとし」の諺通りなのを知っていたフレディは、いつでも彼を頼っていた。ベースラインは最初からボーカルトラックに非常に近いところにあり、その後で他の楽器が彩りを添え、ハーモニーが作られるのだ。
[p96](アルバム「カインド・オブ・マジック」について)
このアルバムには他にも、バンドの更なる群集賛歌となったFriends Will Be Friendsが収録されている。この曲とPain Is So Close To Pleasureのクレジットは、
フレディが貢献したことをはっきりさせて、皆に認めてもらいたいとジョン・ディーコンが主張したからこうなった。正直で誠実なジョンは、そうしないと気が済まなかったようだ。
[p219]
僕がフレディと一緒にいた時、ジョン・ディーコンはいつでも彼の非常に良い仕事仲間だったが、その関係は個人的・オフステージなものではなかった。おそらくジョンの家族に対する考え方、その家庭生活が、フレディの考える社会生活と余りにもかけ離れていたせいだと思う。それでもフレディがジョンを大切に思い、とても好いていたことを、僕はよく知っている。