(From "International Musician and Recording World":1979年9月号)
David Lawrensonがクイーンのベースプレイヤーに拝謁を賜わった。
ジョン・ディーコンは60年代及び70年代のロックの典型のようなベースプレイヤーである。歌わないミュージシャン -- いるのはいつもステージの左、闇に紛れて立ち、花火のようなリードギタリストやヴォーカリストの碇になっている軍勢の一人だ。
ベーシストは物静かで思慮深い男だというのは、ほぼ伝統といえるかもしれない。 滅多にスポットライトを浴びず、滅多にインタビューを受けない。だが、それでいて、いないとなるとバンドは存続できなくなる。あたかもバンドというのは、一人は穏やかで堅実な男を必要としているかのようだ。破天荒な残りのメンバーとの釣り合いがとれるように -- そしてその役目は、必ずといっていいほど、4弦の男に廻ってくる。
ジョン・ディーコンは完璧なくらいこの型に当てはまる。クイーンについて語るとき、フレディ・マーキュリーやブライアン・メイを抜きにする者はいないと思うが、結局彼らはバンドの半数に過ぎない。残り50パーセントは、ジョンとドラマーのロジャー・テイラーが握っているのである。
それでもジョンは意に介さないようだ。結局彼は、ビル・ワイマン、ジョン・エントウィッスル、ジョン・ポール・ジョーンズ、そして数え切れないくらいの者たちと同じポジションを満たしている訳であり、それで害を被ることはない。
ジョンがベースを始めたきっかけも、昔からよくある例のようである。ギターから始めたが、6弦より4弦が弾きやすかったから、という話だ。「レスターの学校にいたとき、ギターを弾き始めたんだ。あるグループでリズムギターを担当していたんだけど、ベースプレイヤーがあんまりうまくなくて、本当言うと僕もギターを満足にこなせていなかった。それで結局僕がベースに交替して、シンガーがリズムギターも兼ねることになったんだよ」
「最初のベースはEko、ネックが薄くてすごく古いやつだった。しばらくそれを使っていたな。学生時代はずっとバンドで演奏していて、18の時にロンドンの大学に入ることになって、少しの間止めたんだ」
大学初年時はプレイしなかったジョンであるが、2年目になると音楽が恋しくなり、再びギアをダウンすることに決めた。この頃には彼の長年の夢だったプレシジョンを演奏している。大学で同級生だったギタリストと一緒にやっていたが、最初にクイーンを知ったのも彼のお陰だ。
「こいつがロジャーと知り合いだったと思うな。それで彼らがベースプレイヤーを探しているのを知った。ちょうどその時僕らのグループはあまり活動しないことに決めてたせいもあって、オーディションを受けに行ったんだ。当時彼らは結成してからすでに6ヵ月くらい経っていて、3人か4人のベースプレイヤーを試していたようだった。加入してからは、基本的にはその当時やってた曲をいくつか学んだよ。あとでそれらの曲はファースト・アルバムに収録されたんだ」
オーディションによってベースプレイヤーを選び、クイーンのラインナップは完成する。ジョンにとって初めてのプロのバンドである。ごく初期の頃から、バンドは音楽業界に対し著しく良識的なアプローチを見せていた。それによって、目を輝かせたヤングスター達が陥る業界の多くの罠を避けて来たのだった。
最初、ジョンは学業をやり遂げようと決めていた。その後も音響振動工学で理学修士号を取るために研究を始めていたのだが、ちょうどバンドが飛び立った時期と重なり、それが彼のフルタイムの職業となってしまう。音楽を生業にするという決断は冒険だと彼は言う。いつ「ミュージシャンくずれ」になってしまうかもしれないからだ。クイーンのやり方はちょっと変わっていた -- 彼らはギグの回数を自ら減らそうとしていたのである。
「僕に関して言えば、そんなに大きな決断ってわけでもなかった。彼らはアイデアも曲もたっぷり持ってたから、僕はただ入っていってベースを弾くだけでよかったからね。フレディとブライアンは、自分たちが誰だか知られていない場所でのギグはまったくといっていいほどやらなかったよ。レコードがなければ誰にも知ってもらえないけれど、一枚でもレコードを出していれば、話はすごく簡単になるね。
「僕らは最初、友人たちの間なんかでギグをやっていたけど、それは本当にやりたいことではなかった。デ・レーン・リー・スタジオのエンジニアにブライアンの知り合いがいてね。その時大きな総合施設を新築していたんだけど、いろんなスタジオの間の音の状態をチェックするのに、中に入ってノイズを出してくれるようなグループを探しているって話があったんだ。
「基本的に僕らはそこでリハーサルをして、代わりにスタジオが空いた時には自由に使わせてもらった。5曲分のデモを作ったんだけど、うまく出来ていたから、興味を持ってもらえたんだ。アルバムが出来てからはいくつかギグをこなして、それがツアーになっていった。ファーストアルバムはそれほど成功した訳じゃなかったけれど、数千枚くらい売れて、ジョン・ピールのセッションで何曲か演奏もしたよ」
クイーンのほとんど全ての曲において、ジョンはプレシジョン・ベースに堅い忠誠を誓っているのだが、ある時ステージでリッケンバッカーを試したことがあった。彼によると「クリス・スクワイアに憧れてたから」らしい。けれどもレコーディングに使うには問題が生じたので、結局フェンダーに戻ったのだそうだ。電子工学の学位を持ち、熱心なギター収集家ではあるが、ジョンは際立ったテクニシャンというだけでなく、快適に使えるからという視点で楽器を選ぶ傾向もある。
「プレシジョンは2本持ってるんだ。かなり前から持ってたけど、そんなに古くないね、たぶん60年代後半くらいのかな。でも、すごくいいんだ。これがなかったら何も出来なかったよ。どっちもサンバーストだったんだけど、ペイントを剥がしてしまったから、今では両方ともナチュラルになってる。片方はいつも使ってて、もう片方はバックアップ用にしているんだ。
「他にも一つ二つ試してるよ。アメリカに行った時に買ったミュージックマンのスティングレイとかね。これも悪くなくて、スタジオでも使ったりするけど、やっぱりプレシジョンが好きだなあ。音があんなにナチュラルじゃなくて、ちょっとばかり不自然なもんだから、ああいういい感じが得られないんだ。プレシジョンを負かすのは難しいね。
「プレシジョンはピックアップがダブルになってるからいいんだと思う。そういえば、この前の全米ツアーですごく古いフェンダーも見つけたんだ。本当に初期の型で、小さくてストレートなピックアップがついてるだけだけど、かなりいかしてる。これにも慣れて来たから、ドイツでレコーディングした時にある曲で使ってみたけど、結局いつものプレシジョンに戻っちゃった。
「スタジオではいつもDIなんだ。でも一方じゃ、バンドでの僕のサウンドはずっとベースっぽいもので、攻撃的な音は求められていない。ちょっとEQを使うと、ああなる訳。プラグインした時はそんなに良い音ではなく、フラットでボトムが少しはっきりしないから、タイトにするのにもっとベースが必要なんだ。プレシジョンは、上手く録音すれば素晴らしいよ」
弦の選び方にしても、ジョンは昔から使用していた型に忠実である。今日、6弦ギタリスト用には多くの有用なものがあるが、ベースギターの領域ではまだ英国の会社が牛時っているようだ。改良型の弦を出して数多くのミュージシャンの御用聞きになっているのはJames Howカンパニーくらいのものである。
ジョンは現在この会社のSuperwoundを使用しており、このブランドに満足している。 「これはインナーケーブルだけを持つ wire woundで、ブリッジの付近にきたところで巻きが始まっているんだ。少しビンビンした音が出るってことだよ。使い始めたら本当にゲージが軽くて素晴らしかった。堅実な音を出すにはもっと重いゲージを使う方がいいんだろうけど、僕には軽いやつの方が弾きやすいんだ。ずっとこればっかり使ってるのは、得た音に満足してるからさ。そうでなかったらたぶん他のをトライしているよ」
アンプに関しては、現在試験運用中である。基本的にAcousticのアンプ・トップを使っているが、最近Sunnの機材を使い始めてもいる。いつも使用しているフレックス・スピーカー付きのAcousticは少し音がぼやけるらしい。今彼はSunnの15 binsの2を、自分の側に2つ、3つ目はブライアン・メイの側に置いて試しているところである。また12 binsの4の対の装置を起動するAcousticのアンプを、ちょうどベースのトップエンドに付けている。エフェクト関連では、二つのグラフィックが彼の唯一の贅沢品といえるだろう。
長年クイーンは英国の外で活動してきたが、今年の後半には英国ツアーが計画されている。長い中断の後でファンがどう反応するか興味深いところだろう。特に、ニュー・ウェーブが衝撃を与えているこのご時世だ。
多くの点で、クイーンはパンクから批判を浴びやすいバンドだった。ニュー・ウェーブの出現はバンドに影響を与えるだろうか? 彼らの音楽は、再びロードに出てもまだ有益なのだろうか?
自分は多くの音楽を聴くが、他のメンバーは必ずしもそうではないとジョンは言う。 「人によるな。ブライアンやフレディが始終いろんな音楽を聴いているとは思えないもの。だからバンド内でもかなり音楽の嗜好は違うよ。
「おそらくブライアンは、エアロスミスやカンザスとかの、よりアメリカ的なものを支持している。でも僕はイギリス的なものが好きだ。イギリスはいまだに最良の音楽を生み出しているし、USの新しいバンドにも受け継がれている。ここには様々な才能が溢れているんだ。
「僕らに関していえば、独創的なアイデアを出さないことにはだんだん難しくなってきているな。僕らはかなり長い間自分たちだけでやってきて、アルバムでは一度もセッションプレーヤーやストリングスなんかも使わなかった。ある程度は適応できるけど、そんなにはね。それで良いこともあるし、うまくいかないこともあるよ。
「今は僕らが提案できる曲の質次第だと思うな、本当に。良い曲かどうか、十分目立っているかどうか。ミュンヘンのミュージックランド・スタジオにいたとき、僕らはアルバムのレコーディングやその他もろもろの事を考えずに、ただプレイしたんだ。とてもリフレッシュしたよ…楽しかった」
しかし一定の地位を得たバンドには、欠点がつきものである。とりわけ、他の事に着手したがっているジョンのような人物にとっては、不利なことがある。彼は特にプロデュースを手掛けてみたかったのだそうだが、機会は限られているらしい。
「実際のところ、僕らはすごく孤立したグループなんだ。自分達の輪の中だけで行動していて、他の音楽業界の人間とコンタクトをとることもなかった。そのせいで接触が少ない。プロデュースするのは嫌じゃないつもりだけど、一度もやったことがないと、興味があるかどうかも分かってもらえないしね。
「地位を確立したバンドの人々は、こぞって新しい人材をプロデュースしたがるみたいだけど、もしプロデュースして落ち目にでもなったら、要注意人物にされちゃうだろ。何をするにしても、僕はとても用心深くなってしまうんだ。それに問題はもう一つある。最近のバンドはたぶん、『クイーン』の名前と自分達を結びつけたがらないだろうってこと。これは僕もよく分かるな。簡単じゃないんだよ」
レコーディングに対する彼自身の興味と相まって(彼は自宅にも機材をいくつか持ち込み始めている)、バンドはスタジオ市場にも介入してきた。最近、スイスのモントルーにあるマウンテン・スタジオを購入したばかりである。
ジョンは説明する。「僕らはいつだって、イギリスに一つ欲しいなと思っているんだけど、それはかなり困難なことだよ。うまくいかないものさ。それで、マウンテン・スタジオにいた時、売りに出そうとしていると知って、買っちゃったんだ。ものすごく素敵な場所でね、実際にはカジノ施設の中に建っているんだ。ジェネヴァ湖が右にあって、もう一方には山々が見えるよ」
「ジャズ・フェスティバルはこのカジノで開かれるんだ。スタジオは2部屋で一揃いで、ここでジャズ・フェスティバルの録音をするんだよ。全部24トラックで録音されて、とても良い感じさ。かなりの数のライヴアルバムが作られたけど、ここ最近はごく普通のスタジオとしても使われているよ」
ライヴアルバムといえば、クイーンの最新盤は『ライヴ・キラーズ』だ。「恐ろしく手間がかかったよ…たぶん、探して来たもののオーヴァーレコーディングで終わってしまっただけだ」ジョンは認めた。「ちょうどいいギグを一つ二つ録音してあったなら、全部どけちゃいたいくらいだよ。とにかく僕は元々、ライヴアルバム自体あんまり好きじゃないけどさ」
ニュー・ウェーブ、ディスコ、ヘヴィ・ロック、そしてモッズの復活と、様々な形態を持つ今の音楽シーン。そんな中で、これらの対岸で長年やってきたクイーンが未だにトップ10に上るアルバムを生み出せるという事実は、重要である。平均的なクイーンファンとは、どのような人種なのだろう?
「まったく分からないな。僕らはいつも、できるだけ幅広い年令層に行き渡るようにやって来たつもりだよ。ツアーでも、20代から30代までのよい橋渡しになっているみたいだ。平均的なクイーンファンがどんなのか、僕には見当つかないなあ…今度のツアーで調べてみるよ!」