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"Recording isn't easy"

(Beat Instrumental Magazine, No 141, February 1975)
by TONY JASPER

クイーンのアルバム『シアー・ハート・アタック』のスリーブには、公平に、かつ真っ向からこう書かれている。「作曲、プロデュース、演奏は独占的にクイーンによる。」

少年と少女を区別するようなものさ、とクイーンなら言うかもしれない。レコーディングのあらゆる面でのこの総合的な関心の高さ、責任、及び関わり合いは、グループとしての彼らの「しるし」となった。

このようなプロセスは実はごく最初から存在していたのである。そう聞いても動じないか、初期の仕事なんてあったのかという人もいるかもしれないが。

最新作で、クイーンは以前からの皮肉な声をバネにした。 『シアー・ハート・アタック』は英国市場リサーチ事務所によるアルバムチャートを一気に駆け上り、あらゆる方面から賞賛の声が浴びせられている。

このディスクの背景、及び「自分達のことは自分達でやる」といったクイーンの特色について、ジョン・ディーコンが語ってくれた。

ディーコンによると、グループはこのアルバムのために様々なスタジオを使用したとのことだ。『シアー・ハート・アタック』はロックフィールドで録音が開始されたが、デイブ・エドモンドは関与していなかった。スタジオは24トラックなのだが、技術的な問題をいくつか抱え込んでしまったのだ、とディーコンは言う。

同じ頃、ブライアンが胃潰瘍になり手術を受けることになった。残った3人は、ブライアンなしでどこまで作れるのかという問題に直面した…。

バッキングのほぼ80パーセントはロックフィールドで録音したが、幾つかのヴォーカルはウェセックスで一週間かけた。パーカッション関係の多重録音のために、更に多くの時間をスタジオで過ごしている。

その後、エアー・スタジオ4という小さな多重録音ルームで一週間。続いてまたウェセックスでバッキング・ヴォーカルを追加して――トライデントでミキシング。様々なスタジオでの仕事は重なり合っているものもあった。

クイーンは外部からの協力も得ている。共同プロデューサーに挙げられているロイ・ベイカーとエンジニアのマイク・ストーンがそうだ。ストーンについて、ディーコンはこう語る。「彼は『クイーン II』でいろいろと働いてくれたんだ。とても良い人でね、どこへでも僕らに付いて来てくれた。トライデントが僕らのために貸し出してくれた人なんだけどね」

ディーコンはトライデントのミックスを「ラブリーだよ」と述懐した。「きわめて難儀だった」とも言っていたが。後者のコメントは次の事実から来ている。「僕らがミックスするとき、トライデントは完璧な24トラックじゃなかった。だからいろんな別の機材を使ってやったんだよ。あるときなんか、リズムセクションをミックスするのに、別のTriadのついた16トラックを前において使っていたんだ」

この時点では、クイーンは24トラックで十分だと思っていて、32トラックでレコーディングする気はなかったのだそうだ。「24で十分さ。上げたり下げたりをたくさん入れれば、複雑な音になるし。物事は扱える範囲で止めておくべきだと思うな!」

『シアー・ハート・アタック』は製作に3ヵ月かかった。「汗の結晶だよ、一番素晴らしいけどね!」そして、トライデントからの3枚目。ディーコンは言う。「その後僕らはUS盤に取り掛かって、それが気に入ったから、英国リリース用にアメリカ盤を使ったんだ。だからアルバムが一週間遅れたって訳。僕らはそれですごく満足しているよ」

グループの全般的なアプローチについて、ディーコンいわく、「ケチケチしないね。皆すごく入れ込んでいるから、僕らにとっては1年にアルバム1枚が精一杯みたいな気がするな」

1年に1アルバムというのは、クイーンの現在の地位を考えると不十分だという意見もあるかもしれない。彼らは合衆国やその他の国々、うまくいけば日本へも、精力的なツアーを行なおうとしているが、そうすることで英国での存在が希薄になるのではないだろうか。

「人々に、僕らはまだここにいるよって絶えず分かってもらうのは確かにやっかいな問題さ。単発盤なしでね。でも僕らは『クイーン・ライブ』をリリースするつもりはないよ。こういうのって単発盤の類だと僕は思うんだ。僕らの唯一のマテリアルはもうすでにスタジオで作られている訳で、それはステージで演奏するものなんだから。」

ディーコンはこう付け加えた。「少なくとも、あと2枚はスタジオアルバムを出さなきゃ。でも、自分達のスタジオを手に入れるっていう考えはまだないんだ。今はようやくこれまでにかかった費用から解放されたところだしね。『シアー・ハート・アタック』みたいなアルバムを作ろうと思うと、2万5千ポンドかかるんだよ」

今やクイーンには、レコーディングからライブ・ショウまで、全てをまとめてしまおうという雰囲気がある。ディーコンによれば、彼らを取り巻く組織も徐々に良くなり、先の11月に終わったツアーがベストだったとのことである。

「僕らはすごく嬉しかった。何もかもうまくいったからね。ロンドンのレインボーで本線がぶっ飛んだ時は問題だったけど。僕らは誰にも媚びない。良い音楽を自分達のために演奏して、それで人々が僕らのやっていることを受け入れてくれたらいいと願ってるんだ。嬉しいことに、何度もそうなったみたいだよ」

「今のところ休む時間はないな。一つが済めばまた次と、すごい速さで物事が起きている感じだよ。英国ツアーが終わり次第、ヨーロッパ大陸へ向けて荷造りしなくちゃならなかったし」

クイーンの面々の学歴に触れると、ディーコンは微笑んだ。「そのネタ、そろそろ紙面から休ませる頃だと思うな。僕らは元の世界に戻るつもりはないよ。たぶん僕はこれからもずっと音楽やレコーディングに関わっていると思う。とにかく、最近じゃこの世界が好きなんだ」

「ある日、僕らはポール・マッカートニーに会った。グレイトだったよ。ロジャーによろしく、とまで言ってくれた。彼は良くやってるって。マッカートニーはブライアンの学生時代からのヒーローだったんだって。だけど、『Juniors Farm』はちょっと期待外れのシングルだったと僕は言わせてもらうよ」

「マッカートニーはたくさん良い仕事をしてきたよね。『Band On The Run』はすごく良かったなあ。で、さっきの話に戻るけど、もし前の世界にいれば、僕は今ごろ、どこかのラボか何かにいたかもしれないと思う。今やってることはね、どうしてなのかはっきりとは分からないけど、すごくやりがいがあるんだよ」

クイーンの様々な活動において、どんな時にエネルギーが消耗するかについて語った後で、ディーコンはインタビューを終えた。彼によると、レコーディングは16時間のプロセスで、特に『シアー・ハート・アタック』のミキシングの時がそうだったらしい。ライヴ演奏も、旅の移動距離をなるべくスムースかつシンプルにしたりと万全を期していたが、それほどリラックスできなかったそうだ。74年の冬のツアーの間、クイーンはパーソナル・マネージャーを雇ったほどだ。

最後の言葉は慎み深かった。「成功できて心から幸せだよ。事がうまく運ぶってのはいつでもエキサイティングだもの!」


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