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John Deacon
かつてのロック界の貴公子も、今や4児の父!
”どうしてこんなにいい人ばっかりなの〜!?”思わずアシスタントに来たスタッフが声を上げる。某一流ホテルを3部屋借り切って、4日間というもの朝から夜まで、リレー・インタビューの連続で、疲れ切っているはずなのに、クイーンは軽い笑い声が絶えない。(☆「明るい」ではなく「軽い」ってことはつまり、疲れ切っていたんじゃないのだろうか)初来日から11年、ティーンのアイドルから国民的なスーパーバンドとして大成功、「世界のクイーン」への発展…そして、避けられない停滞期と、次々に経験し、今、不動の地位を手にした彼らには、成り上がりバンドに見られる驕りは全くない。その中でもMR.スマイル、ジョン・ディーコンは誰よりもチャーミングな笑顔の持ち主だった。
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――ブライアン、ロジャー、フレディと、次々にソロ・アルバムを出してるわけですが、そろそろジョンの番じゃないですか?
ジョン:材料がね、あればできるんだけど、ボクってあんまり曲を持ってないから。
――”ユー・アー・マイ・ベスト・フレンド”は世界的な大ヒットになったじゃないですか?
ジョン:ウム…昔の話だなァ…ハハ。
☆確かにかなり昔の話である。なぜもっと大ヒットした「道連れ」を例にあげないのか不思議だが(本人もそうだったに違いない。笑い声がかなりわざとらしい)実はこれは次の質問への橋渡しだったようだ。
――あれは奥さまについて書いた曲なんですよネ。奥さまが、そのまま、誰よりも信頼できる友人であるというのはとてもすばらしいと思います。
ジョン:アハハ。だけど長い間夫婦をやっていると、いろいろあるんだヨ。いつもうまく行ってるわけじゃないしね。マ、今も一緒にいるがね。
――お子さんは3人?
ジョン:それが4人(笑)。長男がロバートで10歳、次男がマイケル8歳、長女のローラが6歳、末っ子のジョシュアが2歳とちょっとダ。
――ロック界では、忙しいだんなさまに代わって、子育ては、もっぱら奥さまの仕事になっていますが、ジョンの家もそうなの?
ジョン:家庭をうまく維持するのは大変だね。女房と今も一緒にやってるのは、ラッキーとしか言いようないヨ。(☆彼はそうでもヴェロニカさんは「ラッキー」なんて言葉で片づけてほしくないかもしれない)子供が小さい頃は、それほどツアーに出るのが苦じゃなかったんだ。女房も子供も一緒に連れて廻ったからね。だけど、子供が成長すると、学校の問題もあって、ボク以外は皆、ロンドンで定住するようになったんだ。一時はツアーに出るたびにひどくホームシックにかかったし、苦痛でしょうがなかったね。幸い、ここ2〜3年は長いツアーもしてないし、自宅に居る時間が長いんで、反対に、旅に出るのが待ち遠しくてしょうがないヨ。
――ブライアンがクイーンの奥さま方は、みんなそれぞれ仲が良くて、それもクイーンが解散する防波堤になってると説明してくれたわ。
ジョン:そうだよ。ブライアンの奥さんのクリスティーン、うちのベロニカ、ロジャーのGFのドミニク、それとフレディのメアリーは、とても仲がいいんだ。つい先日もメアリーの誕生日パーティを、みんなでやったんだヨ。
☆この後まもなく、ブライアンがアニタと、ロジャーがデビーと付き合い出した時、ベロニカさんはどう思ったのだろう。
――メアリーはフレディと別れたのに、まだクイーンの一員なんですか?
ジョン:メアリーとフレディは、もう生活を共にしてるわけじゃないけど、古い友人だし、いわゆるクイーン・ファミリーの一員でもあるんだよ。
――そう言えば、ジョン、あなたは早くお父さんを失くしてるんですよね。
☆「ファミリー」という言葉だけで強引に繋げたインタビュアーに敬意を表したい。
ジョン:11歳の時だよ。とてもショックを受けて一時はほとんど口さえきかない子供になってしまったんだ。ボーッとした状態が続いて、今でも、それ以前の記憶がほとんどないくらいなんだよ。それから立ち直ったのは、やはり音楽に興味を持ち出してからだね。ボクの12〜14歳の頃ったら、ラジオに夢中で、ポップ・ミュージックばかり、漁って聴いていたよ。それから、ギターを始め、バンドを作り、今度はベース・ギターに転向して、そこら中でギグをやってたんだ。決して趣味じゃなくて、本人は一生懸命だったんだよ、あれでもね。
☆自らの事はあまり語らない彼にしては、非常に突っ込んだ内容である。こんな話を異国の地で口に出せるようになった彼に悟りを感じる。…といいたいところだが、彼の悟りへの道はまだまだ険しいのだった。
――ジョンはいわゆる進学校の優等生で、ロンドン大学を3番で卒業しているわけでしょ?勉強と音楽の両立って難しくなかった?
☆首席だったのは、電子工学専攻内でという意味で、3番というのは全体で、ってことだろうか。どっちにしてもすごいけど。
ジョン:それほどでもなかったよ。ボクにとって音楽と勉強が青春の総てだったし、他に何もやらなかったから。優等生ネ!? ウン、そうかもしれないな。大学へ入ってからも煙草やお酒に縁がなかったし、女の子と遊び回った経験もないからね。
☆悪い性癖はすべてクイーンに加入してから覚えたと言いたいようだ。
――女の子に対しては、オクテだったの?
ジョン:そうだね。それに恥ずかしがり屋だったんだろうな。ボクはレスターの田舎町で育って、ロンドンに出て来たのは、大学に入る時、18歳の年だったんだ。ロンドンってのは、所詮ボクらにはなじめにくい所だったね。何というか、自分は部外者なんだという意識を、いつも持ってたよ。その頃住んでたのはロンドン大学の寮で、これが男ばっかり。で、大学も専攻がサイエンスだから、男ばかり。その内馴れてくると、音楽ナシの生活には耐えられなくなって(☆男ばかりの生活に、ではないらしい)まず自分の楽器を送ってもらって、スクール・バンドでプレイを始めたんだ。
――クイーンに入ったのは?
ジョン:もうしばらく後になるね。友達からベーシストを探してるバンドがあるって聞いて、オーディションを受けたんだ。もうその時にはクイーンのコンセプトは出来てたし、それぞれアイディアも固まってたんだ。いうならボクは、新入りで、一緒にアイディアを出すようになるまでは、多少、時間もかかったね。
――卒業後、一時学校の先生をやってたんですって?
ジョン:ン?それはブライアンさ。
――ありゃ!? 某雑誌では、あなたが教師をやってる時、同僚の女性と恋におち、結婚した…と書かれてましたけど…。
ジョン:彼女と知り合ったのは、まだ学生時代の頃で、当時彼女もロンドン大学内にある女性ばかりのクラスの生徒だったんだ。ボクらも男ばかりのクラスだろ? で、やはり溜まり場があるんだな。ディスコだけどさ。友達に連れられて行った時、バッタリ会って…(ハート) (☆合コンで一目ぼれって感じか)彼女は、しばらく小学校の先生をやっていたヨ。
――もう彼女は家庭に入っちゃったの?
ジョン:そうだね。彼女は絵とか描くのが好きで、芸術感覚が鋭い女性なんだ。ボクは反対で、もっと実務的な人間だったから、お互い影響しあって変わってきてると思うよ。
☆ベロニカさんの芸術感覚がどんどん鈍ってきているのではないかと心配である。
――個人的なことを言うと、私が初めて観たコンサートがクイーンだったし、初めて買ったアルバムもクイーンの”シアー・ハート・アタック”でした。当時、クイーンはポスト・ビートルズといわれ、それまでマイナーだったロック・ミュージックに、スポットを当てる役割を果たしたわけですね。
ジョン:懐かしいな、日本へ初めて行った時のことは、よく覚えてるよ。ボクらは、あれ以降、世界中で成功してるわけだけど、な〜んか違うんだな。あんなに女の子にキャーキャー叫ばれることってなかったね。空港に着いた途端、女の子がどっと走って来たりして…。ホテルからは一歩も出られなかったりして…そういうのって、他の国じゃないからね。
☆他の国に行く頃には歳くってきたからだという気もする。
――どんな気分でした?
ジョン:ちょっぴり得意で(笑)いい気分だったヨ。そういう状況にいつも居たいとは思わないけど、やはり日本には何か思い入れってあるね。
――クイーンには現在マネージャーがなくて、事実上、ジョンが実務をとっているんでしょ?バンドとしてもすごく独立してると思いませんか?
ジョン:それはネ、バンドがデビュー前から、アイディアをしっかり持ってて外側からそれをいじられるのが嫌いだからなんだ。我々の場合部外者に”ああしろ””こうしろ”言われたら、欲求不満になっちゃうだろうな(笑)。
――だけど、部外者じゃなくて、バンド内でけんかをしたり、意見が合わなくなっちゃうこともあるでしょ?そういう時、どうやって解決するの?
ジョン:難しいな。今でも時々ひどい口論をやるからね。一時、本当にひどい時期もあったけど、今はそれよりマシだね。まっ、何とかやってるさ。
――ロジャーとよく休暇に行くって聞くけど、バンドの中でも特に仲がいいの?
ジョン:そうだよ。ロジャーとは特に気が合うんだ。ロジャーは気さくなやつだからね。
――ふたりとも獅子座だから気が合うのかしら?
ジョン:星座は同じだけど、性格はまるで違うよ。彼はもっと典型的な獅子座だからね。気さくで、さっぱりして社交的だ。
――クイーンというと、一般にフレディの顔が浮かんできますが、インタビューしたり、会ったりする相手としては、誰もがあなたを第一希望にあげるのを知ってました? (☆私は知らなかった。それではいつも第二希望でブライアンのインタビューとかになっているのか?)失礼ながら、フレディはエキセントリックで、変わって見えるんです…。
ジョン:事実、フレディは変わった人間だヨ。(☆身もフタもない返答)知らない人間と会うのは好きじゃないし、インタビューや取材の類は大嫌いだしね。テレビもダメなんだ。例えばテリー・ウォーガンのトーク・ショー(イギリスの人気番組)から出演依頼が来ても、フレディひとり、イヤだと言い張って、結局ポシャるんだ。
――もしかして、神秘的なイメージを大事にしたいのかしら。
ジョン:そうかもね。
――そういうフレディの性格が、グループの支障になることもありますか?
ジョン:もちろん、あるよ。(☆またしても身もフタもない返答)ボクら3人がやりたくても、フレディはやりたくないと言い張るからね。例えばボクら3人は、もっとコンサートをやりたいし、もっとテレビにも出たいし、もっと活動したいんだけど、フレディからは、いつも”やりたくない”という返事が返ってくるからね。そして我々はフレディ抜きでは、やらないことにしてるから。(☆といいつつ3人だけで出演している番組も多々あるようだ)とにかく、一度フレディが言い出したら、もう誰も彼の意志を変えることはできないね。頑固なんだから。で、今の所、フレディはツアーに出たくないと言ってるんダ。
――フレディはひとりでいるのが大好きなの? それとも信頼できる友人は居るの?
ジョン:2〜3人は居るみたいだよ。それに、我々バンドもある意味じゃ、友人と言えるんじゃないかい? この3〜4ヵ月、レコーディングの間、毎日顔を合わせてきてるんだから。
――ロジャーはどうしてるの?
ジョン:ロジャーはスイスのスタジオでマグナムのLPをプロデュースしてて、今日(3月21日)帰ってくるんだ。
――ブライアンもヘビー・ペティンのプロデュースをしてるし、ジョンはどう?
ジョン:(笑)去年、ホット・チョコレートに曲を書いたんだよ。もう一度レコーディングし直すって言ってたから、発売は先になるけどね。これはホット・チョコレートとして出すか、エバ・ブラウン(ホット・チョコレートの一員)+ジョン・ディーコンで出すか決まってないし、ホントは内緒にしてたんだ。(☆内緒の割にはどこででも語っている。そのくせ未だにお蔵入り)他にも映画音楽をやるかもしれないな。…それについては先だけど。(☆2ヵ月後には「No Turning Back」が出ている)
――7月12日、ウエンブリー・スタジアムでのコンサートが決まってますが、これはワールド・ツアーの一環なんですか?
ジョン:この夏はヨーロッパで幾つか野外、室内両方で大きなコンサートをやる予定さ。とにかくフレディが長いツアーを嫌うんだ。
――でもロック・ミュージシャンはコンサートをしなくちゃね。
ジョン:同感だね。スタジオにこもっているだけなんて欲求不満になっちゃうよ。
☆要するにこの時期はスタジオと自宅に缶詰状態でストレスが溜まっていたのだろう。
――ところで、個人的な希望とかありますか? あなたの場合、もう経済的な希望はないでしょうけど…。(停滞期でも彼らひとりひとりの年収は8000万円より低くなったことはない)
ジョン:(笑)旅をしたいね。東南アジアへ行きたいんだ。できればクイーンとして行って、コンサートもしたいね。日本へはもう数え切れないほど行ったのに、ボクらは他の都市へ行ったことないンダ。信じられるかい? たぶんコンサートの規模を最小限にして、ただプレイするだけだったら可能だけど、それくらいならやりたくない、というのがバンドの意見なんだ。中国でもやりたいけど、まだ時間がかかるね。
――ロジャーは、ワム!より前から中国公演の準備を進めたって言ってましたよ。
ジョン:計画はあったし、話し合ってもいたけど、実現しなかったンダ。
――中国政府は厳しくて、公演をやっても莫大な赤字しか出ないそうですね。
ジョン:そうだよ。西側のグループにもっとオープンになるには、まだ時間がかかるだろうな。
――税金亡命が話題になっていますが、クイーンも考慮中?
ジョン:我々も海外に住んでた時間があったからね。だけど今は全員イギリスに家を持ってるよ。少なくともアメリカに移住する気はないな。生活がまるで違うし、合わないし、第一、アメリカじゃ自分の家って気がしないからね。結局、ロンドンに帰ってくるんだ。
――ローリング・ストーンズの新曲”ハーレム・シャッフル”を聴きました?
ジョン:ウン。あれ、昔の曲のリバイバルだろ? 子供の頃にアイルランド人のシンガーが歌ってるオリジナル・バージョンが好きで、よく聴いてたから、そちらが耳についてね、ストーンズの曲の方はピンと来なかったな。
――今までで一番エキサイティングな思い出って何ですか?
ジョン:初めて南アメリカでコンサートをやった時かな。1982年さ。コンサート自体も印象深かったけど、街の雰囲気とかも、良かったね。
今までで一番読み応えのあるインタビューだった。86年というのはジョンがかなり不安定な時期なので以前から気にしていたが、父親のこと、ヴェロニカさんとの馴れ初めまで語っているとは思っていなかった。嬉しい驚きだったが、やはりどこかの糸が切れかけていたのかもしれない。