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Music Life 1977年8月増刊号「華麗なるクイーン」−1−
クイーン、青春の道標

文・東郷かおる子

心の中に小さな羽を持ったままの”少年”でいることを選んだジョン・ディーコン

私達はいつだって心の中に小さな羽を持っている。それは、いわゆる挫折というものを、まだ知ることのない幸福な一時期の名残とでもいったらいいだろうか? だから時々は、その羽をはばたかせてみたりもするのだ。ほんの少しの免疫しか持たずに、厳しい現実の中に放り出され、その日常性の中に自分が埋没していることに、ふと気づいた時、心の中のこの小さな羽音は、甘美だけれど、どこかせつない響きを私達に伝える。

いや、これを読んでいるあなた達には、その羽音の中に、決してまだ悲しげな音など聞こえてはいないはずだ。(☆残念ながらもう羽音すら聞こえない)いつかそれが少しでも悲しげな音に聞こえ出す日が来た時、その時あなた達は自分が”少年”あるいは”少女”ではなくなり始めていることに気がつくにちがいない。

ジョン・ディーコンがクイーンのベーシストとしての道を選んだ時、そこにどんな思いが交錯したのかはわからない。ただいえることは、その時彼は大人になって時々、思い出したように羽の跡を確かめることよりも、羽を持ったままの”少年”でいることを選んでしまったということだ。だがクイーンが世界的なスーパーバンドとして成功した今、彼には分かっているにちがいない。羽をたたんで大人になってしまうことの方が、ズッと簡単で安全だということを…。人は誰しも子供のままでいたいけれど、子供のままでいることの辛さや、もろもろの障害に立ち向かう勇気を持たぬまま、大人になってしまうものだということを…。

そう、だからジョン・ディーコンが今、クイーンのベーシストではなく、もしかしたらどこかの大会社のエリート社員になっていても、まったく不思議はないのである。実際ジョン・ディーコンにとって、それはロック・ミュージシャンなどという、ヤクザな道に進むことよりも、ズッと安全な道だったのかもしれない。チェルシー大学の”電子工学部首席卒業”という肩書きは、それだけでもうエリートとしての道を歩む、立派な保証書のようなものだったから…。

斬新で、華麗という点では他のバンドの追随を許さない現在のクイーンの中にあって、彼ジョン・ディーコンは”ベーシスト”という地味な部分を支えている。その立場もさることながら、確かに彼はロック・ミュージシャン独特の天衣無縫さとか、野性味は感じられない。同じクイーンのメンバー、例えばロジャー・テイラーなどは、その派手なルックスも手伝って、実にロック・ミュージシャンらしい奔放さを持っている。彼などは、まさしくロック・ミュージシャンになる為に、生まれて来たと思わせるが、ジョンはちがう。彼には、どんな世界にだって通用しそうな、したたかさと従順さを感じることができるのだ。(☆見抜かれている…)

どんなに有名なロック・バンドにも必ず中に一人、いわゆるジョン・ディーコンのようなタイプの人間はいるものだ。決して目立ちはしないし、ましてや自分の方から目立とうなどという意志は、まったく持っていないようだ。それでも、例えば彼が、グループを抜けた時の穴は、グループにとって想像以上に大きいものであるにちがいない。

あまり知られていないことだが、クイーンの中で一番機械に強いのは、このジョンである。コンサート前のサウンド・チェックは重要な仕事だが、ジョンはメンバーの中で一番音にうるさいという。インタビューや、パーティーなどの席上では、決して自分から表に出ることのないそのジョンが、コンサート前のバック・ステージで、厳しい顔付きで楽器を点検し、PAやミキサー達に細かい指示を与えている場面を、私は何度か目撃している。それは普段、穏やかな微笑を浮かべて、静かにたたずんでいるジョンしか知らない私にとって、意外な光景でもあり、また彼の新しい一面でもあったのだが…。

彼は1951年8月19日、レスターの生まれ。クイーンのメンバーの中では一番若く、グループの末っ子的存在と思われがちだが、一番早く結婚したのは実はこのジョンであり、すでにロバートという息子までいる。その堅実な性格は、そのまま彼のクイーンにおける役割を抽象しているかのようだ。

最初はギターを弾いていたのだが、14歳の時にベースに転向。理由はベース・ギターの方がより自分には向いていると思ったからだそうである。(☆実際は仲間の要請に応えて変わらざるを得なかったらしいが、自分でも悟っているようだ)こんなジョンが、もしクイーンのメンバーとしてグループに加わらなかったら、いや例え、好きなこととはいえロックなどという明日の分からぬ道に足を踏み入れていなかったら…。堅実な職業を選び、そこでコツコツと自分を築いてゆくことだって、ジョンには可能なことだったに違いない。

そして、運命の女神はクイーンに”成功”という道を与えたものの、グループを始めた当初の彼らの苦労は、ファンならば誰もが知っていることである。

あるロック・ミュージシャンが、こういったことがある。

「ロックをやっていると、誰でも永遠にピーター・パンになれるんだよ。」

ジョン・ディーコンもまた、平穏で日常的な大人になることを拒んで、”ピーター・パン”になることを選んだ一人の若者なのだ。

どこからみても地道な人生を歩むしかないようなジョンがこの道に入ったのは、抑え切れない「夢見る気持ち」があったからじゃないかと思っていたが、「ピーターパンになることを選んだ」という表現は的を得ていた。しかしこのピーターパンは自分で元の世界に戻ることもできた希有な人でもある。


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