ジョン・ディーコンはかく語られき
- フレディ・マーキュリーさん
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- 「ジョンとはけんかにならないんだ。答が返ってくるのに1日かかるから」(70年代)
- 「ジョンはバンドの碇だ」(70年代)
- 「ジョンがうんと言ってくれなきゃ、僕等は何もできないね」(70年代)
- Update! 「皆、ジョンはおとなしそうだなって思っているみたいだけどね。見くびっちゃだめさ、一皮向けば火のように激しいところがあるんだから。どっちみち僕はおしゃべりな性質で、彼は僕にしゃべりまくらせるのが好きなんだけどね。でも誰かがうっかりきっかけを作るとするだろ、そしたらもう間違いなく、誰も彼のおしゃべりを止めることが出来なくなるんだよ」(1976年)
- ブライアン・メイさん
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- 「あの頃(デビュー当時)のジョンときたら、とても静かな男だったよ。リハーサルにやって来ては、講堂のステージの片隅にポツンと立ってベースを弾き、リハーサルが終わると一言も喋らずに出て行ってしまう。ところが、グループが成功してからは逆さ。皆よりずっと外向的になったからね。つまり、ジョンは知らない人や信じていない人のまえではストイックで、素っ気無い静かさを装う性格なのさ」(70年代)
- 「あー、そうだ。ソニック・ヴォルケイノ(音火山)だ。ジョンは一番最後にグループに入ったからあまり良く知られてないけど、ボクらもツアーに出るまで、ボクらの誰にも負けぬ位意見が言える奴だとは知らなかったんだ。主に受け持っている仕事といえば、第三者との法律事項の取り決めとかでけっこう忙しそうにしてるし、実際、世界でどんな事が起こっているのか理解して、ついていけるのは彼位のもんさ。何をしても人を傷つけるような事などしない男で、誰よりも色々知ってるしね。装置などについても、今でこそ重宝してるけど、以前は修理係としていろんな機会に、それも最後の際になって呼び出されてたもんだよ。彼はベース担当だけれど、色んな面でベーシストとしての精神を持ちあわせているんだな。ガッチリしてるし、ナンセンスは言わないし、いつでも両足が堅く大地にくっついてる感じね。彼みたいな男は、フレディとかボクみたいについ横道にそれちゃったりする人間には、特に必要な存在だよ。実に老練なベーシストさ。彼の作った『マイ・ベスト・フレンド』には驚いたな。本当に危ないカケだったよ、アレは。以前のボクらはあんなのをやった事もないけど、彼は知っててやったみたい」(70年代)
- 「ジョンもね、いかにももの静かな古典的ベーシストではあるけれども、信じられないほどに思い遣ってくれる一方で、わけが分からないほど無礼になる時もあって、そんな時、犠牲になった奴としては身悶えして死んじゃいたいくらいなんだぜ。ただ、ジョンは本当に変わってるけど、でもバンドのビジネス面のリーダーでもあるんだ。株式はくまなく研究しているし、契約書の落し穴もわかっているからな」(90年代)
- 「ジョンはいつでもファンクにのめり込んでいた。シンプルな音、タイトなドラムの、まさにファンキー・ミュージックを好んでいてね。R&Bやブラック・ミュージックも好きだったな。ある程度ロックしてたのは、ひとえに彼がロックンロール・バンドにいたからさ(笑)グレイトなベース・プレイヤーだよ、彼は。皆が考えているよりずっとね。とても創造的で熱い奴だけど、すごくファンキーでもあるんだな」(1998年)
- ロジャー・テイラーさん
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- 「奴なら大人しいから、大したいざこざもなく俺達についてこられると思った。ベース・プレイヤーとしてもグレイトだったね。実際、エレクトロニクスの達人ってことが一番の決め手だったんだ」(70年代)
- 「みんなの中でも、ジョン・ディーコンが一番安定してる。彼は岩みたいな奴でね、 玉突きで勝ったって、「ふむ、悪くない」とか何とか、せいぜいそんな物だぜ」(70年代)
- 「昔にくらべるとずっと自信を持つようになっていて、おまけに、ひどく乾いたユーモア感覚も身につけ始めている」(70年代)
- 「本当にジョンは静かだよ。いつも女の子を横取りしちゃうんだからね」(70年代)
- 「ジョンはわ・り・と…おとなしいね。あんまりバカなことしない」(1984年)
- ジェニー・ヘイズさん(オポジションのゴー・ゴー・ダンサー)
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- 「彼が何かしてるところなんて、憶えてないわねえ。ほんとに、退屈な人だった!何かに喩えることもできないわ…だって何物でもなかったんですもの。まあ、いつもすごくいい人そうに見えたけど、ただ、少しおとなし過ぎたのよね。だからこれといって彼の思い出はないの。…一番はっきり憶えているのはね…ショーの後、ドレッシングルームにいるときのことだわ。皆で着替えながら、ふざけあってたの。でもジョンは一言も喋らなかった。何も言わず、何も語らず、よ? すごく変だったわ。ただやることはちゃんとやるんだけど、まったく何を考えてるのか分からない人だったのよ」
- クライブ・キャッスルディンさん(オポジションの初代ベーシスト)
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- 「彼みたいに勉強が出来る奴が音楽にハマったのが不思議だったな。学校じゃ、恐ろしく出来が良くて勉強熱心だったんだ。多分、ギターを習うのも勉強を習うのも同じだと思ってたんじゃないかな。どっちも熱心に、完璧にこなしてたよ」
- リチャード・ヤングさん(オポジションのキーボーディスト)
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- 「もともとシャイな奴なんだ。僕らの誰よりもおとなしかったと思う。…でもステージを見た限りでは、クイーンの時もかなり静かだったよな」
- ロン・チェスターさん(オポジションのギタリスト)
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- 「ジョンのおとなしさは生まれつきだ。妹のジュリーも同じだったな。一旦何かやりだすと、ほかの皆と大して変わらないんだが、最初が厄介なんだ。なだめすかして打ち解けさせるのに苦労したよ。よく勇気づけてやらなきゃならなかったもんさ。僕らに会うのに道も歩けやしなかったんだから」
- デイヴ・ウイリアムスさん(オポジションのギタリスト)
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「すごく自信に満ちていたよ。でも、ゆったり構えた感じでね。彼にはどんな難問もなかった。『ああ、出来るよ、それ』ってなもんさ。だから僕らはイージー・ディーコンと呼んでいた。性的な嗜好がそうだからというんじゃない、なんでも簡単そうに言ってたからさ。しかも自惚れに聞こえないんだこれが。以前、彼にこう言ったことがある。『ちょっとギグを控えなきゃならないかも。Aレベルを取るのに復習しないとなあ。お前は?』すると彼は言ったよ。『ううん。僕にはそんな必要ない。一度も試験に落っこちたことないし、今までだって一度もそのために復習なんかしなかったもん。』結局のところ、驚くほど論理的で自信に溢れた奴だったんだな。覚えられないことがあったとしても、ちゃんとやり遂げてしまうんだ。勿論、仰天するような成果を上げていたさ」
- ナイジェル・バレンさん(オポジションのドラマー)
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- 「彼は本当に楽しんでいたな。変わったなって、はっきり感じた。髪を伸ばし始めて、すごくトレンディになったし。いつもと同じように理論的で、そこに座って勉強してるだけなのに、社交的になったみたいで良かったよ。とても頑張っていたからね」(ロンドンに出てきた頃の話)
- ジョン・ハリスさん(初期の専属エンジニア)
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- 「承知の通り彼は一番若いメンバーだ。しかし非常に賢明な男であり、ビジネスの本質というものを、よく理解している男でもある。マスコミのインタビューなどでは、あまり話さないが、チョッと酒が入れば、すぐ陽気なユーモリストになる、それがジョンだ」(70年代)
- パット&スーさん(初期のQFC役員)
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- 「ジョンは、かなり器用な人でもあり、時々楽器の装置が故障した時もローディー達が直せないものでも、チラッと見ただけで、いとも簡単に直してしまうのです。これには、彼がベース・プレイヤーだけだと思っている人はビックリしてしまうようです。大変誠実な人で、両親や家族と、今もって強いつながりがあるようです」(70年代)
- キース・ムーアさん(初期の会計士)
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- 「こういう役割(ビジネス面)を引き受けたって事で、僕はあの人を尊敬するね。時々彼と2人きりでミーティングをやるんだけど、そういうのが5時間とか、それ以上も続くんだ。で、その話がひととおり終わると、彼はバンドのみんなに、何がどうなっているかとか、何をすればいいかとかを伝える。すると、彼ら同士で、全部話し合って何かしら結論が出るだろ。その結論を持ってジョンが戻って来るわけさ」(70年代)
- ノーマン・シェフィールドさん(トライデント創立者)
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- 「彼は奥深い男だ。皆に安定感を与えている。誰よりも慎重なのはおそらく、他のメンバーほど深く音楽に傾倒していないからかもしれない…。裏側じゃ、バンドのスポークスマンは彼なんだ、公には出てこないけれどね。プライベートでの彼のミュージシャン度は半分くらいだな。皆の前ではそのミュージシャンとしての面が最前に出て来るが」(70年代)
- デイヴ・トーマスさん(初期マネージャー)
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- 「グループ内で自立心が強い男だよ。朝だって起きるのはいつも一番早かった。他のメンバーだと、朝10時にコールしてもなかなか起きなくて、それが10時15分になり10時30分になってしまうんだが(特にブライアン・メイが早起きを嫌うんだ)、ジョンに翌朝の出発時刻を知らせておくと、5分か10分前には準備万端でホテルのロビーで待っているんだ。彼は非常に物静かで、しっかりしていて、いつでも分別をきちんとわきまえている。メンバー間の潤滑油になっていたんじゃないかな。サウンド・チェック時に騒動が起きても、分析的にアプローチするのはたいていジョンだからね…。音楽以外では、Queen'Park Rangers(サッカー・チーム)がかなりのお気に入りだった。よい気晴らしだったようだ。音楽だけに固執しているという風ではなかったな…心底入れ込んでたのはよく分かるんだけど。たぶん、時が来たら、田舎の一軒家を見つけて、静かで平和な生活をするのはジョンが一番先だと思うよ」(70年代)
- ポール・プレンターさん(スタッフ)
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- 「ジョンは、グループの中で最もビジネス面にたけた人だ。電子工学にも詳しくて、その種のいろいろな装置を備えているようだ」(70年代)
- ピート・ブラウンさん(スタッフ)
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- 「ジョンと友達になるのは難しいんじゃないかな。1度もジョンの家へ行ったこともないし。しかし、ジョンからは非常に大きな影響を受けた。彼はとても思慮深くて、現実的な人間さ。僕は昔、エルトン・ジョンのところで仕事をしていたんだけど、そのころはリムジンやファースト・クラスの連続で、ミュージシャンていうのは金があるんだなと思っていたけど、ジョンの目を通してみると必ずしもそんなものじゃないようなんだ」(70年代)
- 「今はメンバー各自ずいぶん好みが違ってきてるみたいだ。ジョンは僕と好みが一番近くて、レゲエなんかをよく聴いているようだよ」(70年代)
- 松林天平さん(日本人スタッフ)
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- 「4人がそれぞれにお互いを認め合っているから「絶対あいつがいないとダメ」という意識がある。例えばジョン。1番目立たないようでいて、影でクイーンを支えているのは彼だ」(3度目の来日時)
- ジュリー・ウェブさん(ジャーナリスト)
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- 「どんな犠牲を払っても引き合いに出されるのを避けようとする、賢い手合いの一人ね」(80年代)
- ジム・ハットンさん(フレディの友人)
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- 「僕が一番好きになったのはジョンだった。彼はバンドの中で一番物静かな男だった。――驚くほど控えめで、穏やかで、気取らない人だ。 クイーンがデビューした頃ビジネス面に一番関わっていたのが彼とフレディで、 ジョンはバンドの会計士としての役割も兼ねていた。それから彼らがどんどん売れるようになると、仕事の量もものすごく増えた。彼がよく言うギャグがある。『僕はただのベースプレイヤーだから』」(80年代)
- 伊丹久夫さん(ボディガード)
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- 「ジョンがチョッと1人だけ飛び出たような感じを受けたんですよ。(やっぱり一番若いから?との問いに)いや、若いといっても結婚して子供もいるんだから、人間的には大人だと思うんですけれども、すごく孤独に感じましたね。食事にしても、飲みに行ったときでも、2回ほど彼だけは1人でホテルにいましてね、はぐれたということもあるんですけど(笑)。六本木で食事する予定が信号で引っかかって彼だけ渡れなくなっちゃって、それで帰っちゃった(笑)」(2度目の来日時)
- 寺村和子さん(通訳)
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- 「ジョンは、ホームシックじゃなかったんですけれども、すごくうちに帰りたがっていたんです。子供に顔を忘れられるからじゃないけどとか、あるいはホームシックじゃないけどなんて何回も念を押しながら、家に帰れたらいい、家に帰れたらいいなんていっていましたね。何ヶ月も公演続けて家から離れていますでしょう、だからそういった意味で」(2度目の来日時)
- 長谷部宏さん(カメラマン)
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- 「ジョンは、"あまり写真はとられたくないんだ"といっていたわりには、こちらの注文にすぐ応じてくれました。ベッドの上でポーズをとってくれたり、窓に向かって立ってくれたり、その親切さといったら人一倍なのです。でも、どこで写真をとっても、同じ表情で変化がないのが、少々残念でした」(2度目の来日時)