The Week In The History
- 6.25(1966)[14] : New Opposition、Endergby Co-Operative Hallでギグ。
- 6.23(1967)[15] : The Opposition、Hinckley St. Georges Ballroomでギグ。
- 6.24(1967)[15] : The Opposition、Kibworth Village Hallでギグ。
- 6.25(1967)[15] : The Opposition、Endergby Co-Operative Hallでギグ。
- 6.22(1968)[16] : The Art、Kettering Tin Hat Clubでギグ。
- 6.25(1969)[17] : The Art、OadbyのBeauchamp Grammar Schoolで午前・午後2度のギグ。
- 6.25(1979)[27] : 第3子、長女のローラ(Laura)誕生。
What's In?(今週のディーコンさんネタを総ざらえ)
'JOHNNIE WALKER'インタビュー
(from らいらさん)
6月22日のラジオインタビュウ(B&R)の内容がBrianサイトにUPされてました。また最後にJohnについてちらっと・・・(ひさびさのへっぽこ訳)
インタビュア:Johnは引退してるようだけどまだコンタクトはとってるの?
R:ときたまね。
B:うん、しょっちゅうというわけではないね。John はほんとに自分流なんだよ。でてきたい時はそうするし。ぼくらのしてることは完全に認めてくれてるんだ。ただ一緒にはやりたくないんだよ。家にいたいし、いろいろクソめんどうなことから離れていたいんだ。
一同:(笑)
B:Johnを責める事はできないよ。
R:なに?責める?
B:ごめんよ。
イ:ここにはとても洗練された広い心の持ち主がいらっしゃるようです。なかなか会えないようですね。ジョニーにもおなじようによろしくつたえましょう、必ず・・
B:そうしてください、はい。
意訳です・・・いや、おふたりさん、Johnは元気ですよ。(自慢)
- (管理人)インタビュウありがとうございました。「出てきたい時に出てくる」という言葉にひどく頷いてしまいます(^^;) 責める・・・といえば。2002年の4月にオランダで行われたコンサートでブライアン&ロジャーが「道づれ」を演奏した時にちょうどメールを出したところ、「僕も知らなくてビックリしてるんだよ」などと返ってきたのでこっちがビックリして「前もって連絡なかったワケ? ジョンの許可要るんとちゃうの? そんな勝手ええのん?私やったらパンチかますわ!」と書いたんですが(責める相手が違うのは重々承知ですが)、「(パンチなんて)僕の手がもったいないじゃん(笑)」と軽くかわされて、オトナな対応(?)に感心したことがあります。ちなみに当時、ブライアンとロジャーとは全然会っていなくて、彼らが何をやってるのかはジム・ビーチからのファックスで知るのだと言ってました。それから当然といえば当然ですが、彼の曲をやるのにいちいち許可は要らないとのことでした。
- (M.Kassyさん) インタビューの英訳ありがとうございます。英語読むのも、聞くのも、どんどんつらくなって来て(単に面倒なだけ?)、和訳してくださる方にはホントに感謝です。 私自身が、内心ジョンの復帰を願ってるところがあって、ブライアンやロジャーの気持ちも理解できるような気がしてます。でもね、ジョンはやっぱりジョンらしく、自由であって欲しい、そうも思ってるのです。
ラッティさんからのお願い・再び
Vol.282のラッティさんからのマテリアル提供のお願いの件、既に複数の方から大変ありがたいお申し出があるのですが、ラッティさんによると、ストーリー性のある写真が良いのだそう(変な顔してるフレディとか、何か突飛な事件が起きた時のものだとか)。それからとりあえずフレディ限定のを見たいとのことですので、よろしくお願いします。・・・ジョンのでしたら、皆さんもおっしゃってますように、ぜひここでお披露目してください(笑)
410,000 hit!
今週、掲示板のカウンタが41万ヒットを突破しました。(99年8月9日以来)
皆様の多数のご来場、本当にありがとうございます☆