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「ディーキー・ウィークリー」Vol.1067
2020.6.28---2020.7.4

当サイトにて持ち上がった、2週間分のジョン関連の話題をまとめました。


The Week In The History

What's In?(今週のディーコンさんネタを総ざらえ)

LA のお家で…

(from Boxerconanさん)
Mamiさん皆様、
新コロ満開のマイアミから小ネタです。
1991の大晦日にジョンのLAのお家で撮影されたという写真をFBから拝借してきました。微妙な時期ですが普通のおじさんぽくていい感じです。虚ろな感じではありますが。この写真、左の耳にピアスしてる様なんですよ。

今朝読んだ英国の記事でロジがジョンの事少し語っているのでリンクしておきます。いい事言わないのなら黙っとけというカテゴリーに入るのでコメントは控えさせていただきます。

https://www.loudersound.com/news/roger-taylor-queen-would-still-be-making-music-if-freddie-mercury-was-alive

最近は新しい写真集が出るとかで、ジョンの見た事ない写真もちらほら出回ってますね。

1991年の写真です。

(from boxerconanさん:画像1画像2
皆様。今度はちゃんと張り付くといいのですが…アップの写真を入手しました。ピアスがはっきり見えます。初めて見たときは「できもの」かと思ったんですが、FBのコミュニティの人たちはピアスと言ってましたw 長続きしなかったのが彼らしいですけど。

反論してみます

(from Rika K Mattsuさん)
はじめまして。いつも貴重な情報をありがとうございます。Boxerconanさんがリンクしてくださったロジャーの発言記事が日本語でも出ていることから、より多くの方たちがそれを目にするであろうと考えて堪らずに、ようやく重たい腰?を上げてコメントさせていただく勇気を出しました。長いですがお読みいただければ幸いです。

記事によると、ロジャーは今もしもフレディがいたならば、三人は新しい曲を作り続けていたのは間違いない。しかしジョン・ディーコンがそれを許したかはわからない。彼は精神的に向いていなかった、とコメントしています。

フレディ亡き後にアダム・ランバートを擁して古き良きクイーンを紡ぐことで、きらびやかなステージに立ち続けるロジャー・テイラーとブライアン・メイ。その状況にジョン・ディーコンが精神的に向いていなかったと言うのであれば、それは長年一緒に音楽活動をしたロジャーがいうその通りです。なぜならThere is no point carrying on. It is impossible to replace Freddie. がディーコン氏がクイーンに思う全てであり、それ以上でも以下でもないからです。

しかしながら、今回ロジャーが言っているのは、もしもフレディが生きていたなら、と言う話ですよね。いくらフレディのソウルメイトだったとはいえ、もしも生きていたらと考えた場合のフレディの可能性は誰にも推し量ることはできないと思います。だってきっと彼は私たちの誰もが想像しえない答えを出すにちがいないのですから。それが、フレディ・マーキュリーではないでしょうか?
ただ、実際残念なことに彼はもういません。

そこでフレディが存命だったら、とロジャー風に考えて好きなことを言っていいならば、いくつかの事実を基にちょっと今回のロジャーに反論してみようと思います。

まずは、クイーン最後のライブとなったネブワース。この公演終了後にフレディは、「もうこんなクソみたいなことは出来ない」と言っていますが、ブライアンはこの発言に対し、またいつものフレディ節が始まった、と思ったが、本当にあれが最後だった、と後のドキュメンタリー番組で語っています(2012年英国 ERP Mercury Songs/Eagle Rock Entertainment 制作)。
一方でこのライブにおけるジョン・ディーコンは、本編最後でベースギターをアンプのスピーカーキャビネットに向けてぶん投げております。フレディとディーコン氏のローディだったラッティことピーター・ヒンス氏が著書の巻末近くでこのときの空気感を絶妙に伝えています。ラッティさんいわく、その日はどういうわけかこれが彼らにとっても自分にとっても最後のライブになる、という気分がして仕事をしていた、というのです。ディーコン氏のその一見常軌を逸したように見えた行動は、フレディ同様バンドが行うツアーを取り巻くその終末的変化に気付いた故の感情の現れに他ならず、ディーコン氏ならば、終演後のフレディのコメントを戯言として聞き流しはしなかったのではないでしょうか。
加えて先に挙げた番組の中で、フレディは1985年のミュンヘンでのパーティを最後に、享楽的な暮らしに対するフレディ流の別れの挨拶をしたかったのだとも分析されています。つまり、フレディとディーコン氏には、客観的に自分たちを見つめる一歩引いた空気の層が共有されていたと思われます。

何度も言いますが、ディーコン氏にとってクイーンのボーカリストはフレディしかいません。すなわちもしもフレディが存命したならば、ディーコン氏の状況は今とは違って、フレディに出来る限り寄り添った形のクイーン活動をしたような気はします。なぜならフレディは身体能力的にも素晴らしいフロントマンであり、肉声を頼りにしている生業なので、例えばブライアンのギターとは違って加齢と共に衰えざるを得ない部分がどうしても大きくなります。ですから、自分は老いさばらえてまでそんなクソみたいなことはやりたくない、と尚も言うのであればその通りでしょうし、ロジャーの言うように、それでも今出来る最大のパフォーマンスを身体が動く限りやる、という方向性であれば、必然的に、いまのQALほど密な日程でのツアーは組めないでしょう。もしもそうならば逆にディーコン氏が公私のバランスをとってツアーに出ることも可能だったかもしれません。更に言うなら、モンセラ・カバリエとのコラボのように、フレディがもしもその後ロック以外の音楽に傾いていったとしても、これまでのディーコン氏の音楽性やメンバー全員のソロアルバムへの参加という実績を考えれば、彼ならばそれにさえ対応可能だったとも思えます。
つまり、フレディが居れば、という仮定で話して良いならば、ディーコン氏は「フレディ在り」のその世界にはきっと誰よりも「向いていた」のではないでしょうか。ツアー云々よりも、そもそもディーコン氏がクイーン四人のオリジナルメンバーでの新しい曲づくりに消極的だったとは考えにくいです。

これを読んでいる皆さんならば、そんなこと分かり切っていらっしゃるかとも思いますが、今回の、フレディが居たならば、という仮定のロジャー発言が悲しかったので、想いを吐き出したくこの場をお借りし敢えて突っ込ませていただきました。
乱文お読みいただきありがとうございます。

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