ジョン・ディーコンの半世紀
(1) 誕生
ジョンの誕生日は1951年8月19日。その日はちょうど日曜日なので、「ホリデー体質」はここから運命付けられていたのかもしれません。イギリス北中部のレスター州レスター市ロンドン・ロードの聖フランシス私立病院で、アーサー・ヘンリー父さんとリリアン・モリー母さんの第一子として生まれました。「アーサー」に「ヘンリー」な王様ネームを持つ父さんが息子に同じように「ジョン」「リチャード」と名付けたのはなんだか頷けます。ジョンも息子に「ジョージ」とか「エドワード」とか付ければよかったのに(って、ミドルネームに付けてるかも?)。
アーサー・ヘンリー父さんの職業は音楽家でも電気屋でもなく、ノリッジ組合という保険会社に勤務するサラリーマンでした。営業だったのかそれとも会計だったのかまでは分かりませんが、羽振りは良かったようです。この人に関して特筆すべきは、電気製品いじりが好きだったこと。ジョンにラジオ等の分解遊びを勧めたり、アマチュア無線の受信機を買い与えたりした(まだ10や11の少年にですよ)この父さんの影響ってかなりのものではないかと思います。もっとも、それ以外にとてつもなく大きな影響を息子に与えてしまった人でもあるんですが…。
1956年、ジョンが5歳の時に妹のジュリーが生まれます。ちなみにこの年からジョンは小学校(primary school)に通い始めました。妹のジュリー嬢に関しては両親以上に情報がないんですが、オポジションのメンバーによると「兄貴と同じくらいおとなしい」ということです。実際この兄貴がどれくらいおとなしいのかは置いといて、ジョンも「妹にはそんなに感情は抱いてないよ」(ちなみにワイフが一番、ママがその次。なんて優等生な回答なんでしょう)と言ってますので、いかにも英国テイストな兄妹なんでしょう。一応お兄ちゃんのライブは、レスターに凱旋したときなんかは見に行っていたようですけどね。子供が何人くらいいるのかちょっと知りたい(笑)
ジョンと音楽(楽器)との出会いは1958年、7歳の誕生日に、当時流行だったトミー・スティール・ギター(おもちゃ)を買ってもらったのが最初のようです。でもその頃は、弾き真似はして遊んでいたものの、ギターよりも、父さんと一緒になって電気製品いじりや釣り、トレイン・スポッティング、鳥の卵集め(?)等を楽しむことが多かったのだそうです。ある年のクリスマスに父さんから無線キットをプレゼントされたジョンは、バッテリー不要のそのクリスタル・ダイオード・セットで何時間も遊んでいたのだとか。こういう機械(手仕事)関係の趣味って、自分でギターをこしらえてしまったブライアンのイメージが強いんですが、「僕はその頃から本当にアノラック(anorak=オタク)だったんだ」とのジョンの言葉通り、表で泥んこになって走り回っていたというよりは、家の中で細々とマニアックなことをして遊ぶのが好きな少年像が浮かんできます。そしておそらく、そういうジョンを見て父さんも目を細めていたのではないでしょうか。
ところが、1962年、彼が11歳の時にアーサー父さんが亡くなってしまいます。この事実がジョンの口から公にされたのは、(現時点で確認できた範囲では)1985年になってからでした。85年後半から86年に受けたインタビューで何度かこの件を話しているのですが、この時点でやっと語る気になれたからというよりは、色々と不安定だった時期みたいなので、どこかガードが緩んでいたのかなあという気もします。事故か病気か、原因までは分かりませんが、彼にとってはあまりにも急すぎる別れだったのでしょう。「とてもショックを受けて一時はほとんど口さえきかない子供になってしまったんだ。ボーッとした状態が続いて、今でも、それ以前の記憶がほとんどないくらいなんだよ。」(1986年)ってのはよっぽどです。記憶をなくすことで自らの精神(こころ)を守る人なんですね。だからクイーンのことももうあまり覚えていないから語らないとか(おいおい^^;)。でも、ある意味でこの出来事が今のジョンをジョンたるものにした一番の原因と言えるかもしれません。こんなにショックを受けなかったら、音楽に癒しを求めてのめり込んでゆくこともなかったでしょうし…ね。(2001年8月に掲示板にて発表・2002年5月20日追加編集)
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