ジョン・ディーコンの半世紀
(2)少年時代
11歳のジョンは、音楽によって自分を取り戻していきます。当時の全盛といえばビートルズでしょうか。ラジオ番組を録音したり、友人とレコードを聞いたりしているうちに、自分でも楽器をやりたくなったのか、
12歳の時、新聞配達で貯めたお金でアコースティック・ギターを買うという行動に出ます。モリー母さんはジョンの音楽好きをあまり快く思っていない節があるのですが、息子が父親の死から少しでも早く立ち直ってくれることを望んでいたから、あえて黙って見守ったのかもしれません。
1960年にディーコン家はレスター市の南西にあるオードビーに引越していて、1962年9月からジョンが通い始めたガートリー・ハイ(中学に相当)、そしてビーカム・グラマー・スクール(高校に相当)は共に家から歩いて数分のところにありました(現在この2校はビーカム・カレッジという名で統合されているようです)。近所に住む友人には、レコードを一緒に聞いたりしていたロジャー・オグデン君の他、オードビーの小学校に転校して以来の親友で、後のバンド仲間でもあるナイジェル・バレン君がいます。特集記事などから察すると、ナイジェル君もシャイで大人しい少年みたいなので、2人でほんわかと音楽の話で和んでいたのでしょう。ビートルズに刺激されて誰もがバンドを作りたがっていたこの時代、楽器はまだ例のアコギしか持っていなくても録音機材は豊富に取り揃えていたジョンは、バンドの裏方、エンジニアになりたいと思っていたようです。
この2人をたきつけ、楽器代や場所を提供してバンド結成を促したのは、パブリック・スクールに通う年上で金持ちで物持ちなボンボン、リチャード・ヤング君でした。なぜ彼と出会うことになったのかよく分かりませんが(ある日公園で偶然知り合ったそうです)、彼なくしてはジョンの音楽人生はただの趣味で終わっていたでしょう。そしてもう一人の重要人物は、ルックスが良くて人気者、だけどベースが下手だったクライヴ・キャッスルディン君。この4人でジョンの最初のバンド、「オポジション(Opposition=野党)」は結成されたのでした。オポジションというバンドに関しては、「たまには雨も降るさ」の中の「The Early Years」と「Queen before Queen」を併せて読んで戴ければ全容が明らかになるかと思いますが、要するに「そこそこ裕福なぼっちゃん達の小遣い稼ぎの枠を出ないバンド」と言えるかもしれません。ちょっと語弊があるかもしれませんが、とにかく野心に欠けた、ただ週末にほのぼのと演奏が出来て、少しばかりの収入があればそれで幸せな連中だったようです。当時は週末ともなれば、そこかしこのホールでダンス・パーティが開かれて、少しでも演奏できればひっぱりだこだったみたいですし。
オポジションは結成当時の中心メンバーのリチャード君、ナイジェル君そしてジョン以外はかなりの頻度でメンバー・チェンジしていまして、その都度バンド名を変えたり戻したりいろいろやってます。オポジション→ニュー・オポジション→ジ・オポジション→アートって具合です(ジョンが抜けてからはSilky Wayという名前にもなってます)。ですが最大の転換期は、1966年4月、ニュー・オポジションに改名するきっかけとなった、ジョンがリズム・ギタリストからベーシストへ転向した時だといえるでしょう。バンド活動に興味を無くし始めたベースのクライヴ君が皆の演奏の足を引っ張るようになり、代わりとしてジョンに白羽の矢が立ったのでした。本人は「僕のギターの腕もたいしたことなかったし」と謙遜気味に当時を語っているものの、他のメンバーによるとなかなかのものだったそうですが(後にクイーンの曲でも生かされていますよね)、リチャード君に中古のベースを前借りして、ベーシストとして練習に励むようになりました。
ところで、このバンドにはリチャード君をはじめとして、年上のメンバーが何人か出入りしていました。「年上」というキーワードは、ジョンにとって重要な意味を持っているように思います。まず「年上=甘えられる存在」であったということ。無条件の敬愛の対象であった父親の早逝によって気持ちのやり場が無くなった彼には、表面に出す事はなくても、人に頼りたい・甘えたいといった意識がいつもどこかにあるような気がします。そして「年上=対等になれる存在」であったということ。ジョンの精神年齢って、同年代より数年は上だと思いません?(だから老けるのも早いのです…って、それはまた別として^^;)。頭が切れて、なんでもソツなくこなして(人呼んで『イージー・ディーコン』)、元来のシャイな性格が「クール」という言葉でうまく誤魔化されていた彼は、同級生の目には「上に立つべき存在」に映っていたかもしれません。ところが、持って生まれた性格なのかどうか、率先して人を仕切ってやろう、まとめてやろうという意識が今一つ欠けているんですよね(プロデューサー業が出来ないのもそのせいかと…)。だから、適当に甘えられて、自分が仕切らなくてもよく、言いたい事も言える年上と一緒にいる方が居心地が良かったのではないでしょうか。年齢に関係なく自分を認めてくれる人の側なら特に。(2001年8月に掲示板にて発表・2002年5月23日追加編集)
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