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十二夜 (1)

Written by MMさん

「セザーリオ、セザーリオ」。
名前を呼んでみる。素早い身のこなしで現れたのは、大きな帽子をかぶった色白の少年。
小鳥のように首を傾げて、イリリス国の貴族であるバルサラ公爵の前に立ち、鼻にかかったような柔らかい声で言う。
「お呼びでしょうか?、公爵様」。
公爵は、椅子の背もたれにどっかりと体を預け、セザーリオを見つめてつぶやいた。
「セザーリオ、とても不思議な気持ちだ、
初めてお前を見た時、私は自分の気持ちを包み隠さず明かしてしまった、何故だろうね、
お前と私は波長が合うのだろうか?、まぁいいさ、お前は私の心の中をもう十分知っているのだから、
説明は要らないね、そう、これからあの方の所へ行って欲しい、是非ともよい返事を得られるように、
いいかね?、あの方の心が動くまで戻るまい、という覚悟でな」。
「しかし、あの方の心はまるで石のように強固で、なかなか動かぬと聞いております、
果たしてわたくしに会って下さるかどうかも、わかりませんが…」。
公爵は、首を横にゆっくり振る。
「その時は、騒ぎ立ててもよろしい、駄々をこねまくるがよい」。
「もしも、お目通りがかないましたら、如何様にしたらよろしいでしょうか?」。
「私のこの燃え盛る想いを伝えるのだ、言葉はお前に任せた、あの方の心を私のもとに連れてきて欲しい、
さぁ、行っておいで、私の可愛い小鳥、首尾よくいったら、私の財産の幾ばくかをお前にも分けて、
一生豊かな生活をさせてやろう」。
セザーリオは深々と礼をして、
「では、公爵様のご希望に添えるよう、出来るだけのことはいたしましょう」。
と言うと、来た時と同じような素早い身のこなしで、部屋を後にした。
その後ろ姿を、公爵は満足そうに見つめていた。

思いおこせば、あれは春のこと。季節替わりの歯痛で、とある歯科を訪れ、美しい院長オリヴィアと出会った。
金髪碧眼、ミニスカートからすらりと伸びた脚といい、その脚とはちょっと不釣合いなムチムチした体といい、
歯科衛生士を顎でこき使う横柄な態度といい、すべてが公爵の心を捉えて放さなかった。
しかし肝心のオリヴィアの方は、公爵にはまったく興味がないらしく、使いの者をことごとく追い払う始末。
公爵は悶々とした気持ちを、音楽で紛らわす毎日だった。
彼は思う。せめてこの狂おしい気持ちを理解し、共有してくれる心の友がいたならば、
いくらかでも自分が苛まれている苦しみを和らげてくれるのではないだろうか、と。

自分を取り巻く者たちは、実務に長けてはいるが、いまいちセンスがない、というのが公爵の専らの不満だった。
つまり、細かい心のひだを理解出来る者がいないのである。
音楽を聴く時、詩を朗じる時、心の底から共感してくれる者が、公爵には必要だった。
そこに現れたのがセザーリオ。彼の音楽に対する造詣の深さ、細やかな気遣い、如才の無さ、可憐さは、公爵の孤独を癒した。
公爵は、これ程までに魅力的な小姓を伝言係にすれば、頑ななオリヴィアの心をも解かせることが出来るのではないかと
考えたのである。

* * * * * * *

診療所は丁度昼休み。
オリヴィアは院長室で、食後の煙草を堪能している。
そこへ、歯科衛生士の一人、ドミニックが慌てた様子で入ってきた。
「ドミニック、院長室に入るときはノックをしろって言ったはずよ」。
オリヴィアは椅子にふんぞり返ったまま、煙草の煙を鼻の穴から炎のように噴出して言った。
ドミニックは一瞬萎縮したが、すぐに気を取りなおして伝えた。
「申し訳ありません、先生、ただいま変な客が先生にお会いしたいと言って、玄関に陣取っているのですが…」。
「急患?」。
「いえ、違います、どうもバルサラ公爵の使いの者と思われます…」。
オリヴィアは上半身を起こして、側にあった灰皿に煙草の先を押し付けた。
「だったら会わないわよ、わたしは」。
「先生に会わせてくれなければ、暴れると言ってますが…」。
「じゃ、勝手に暴れさせておきなさい」。
と、オリヴィアが吐き捨てるように言ったとたん、この世のものとは思えぬ凄まじい歌声が診療所一杯に響いた。
「何なの?!、これは!、やめさせなさい!、カエルの合唱の方がましだわ!」。
「先生がお会いにならない限り、永遠に続きます」。
ドミニックは耳を塞ぎながら、悲観的に言った。オリヴィアは、耳に突っ込んだ指をいったん抜き、
「どんな奴なの?、いつものジジイ連中?」。
と聞いた。ドミニックはかぶりを振った。
「いえ、若い男ですよ、色白でなかなかの美青年で…」。
ドミニックの言葉が終わらないうちに、オリヴィアは立ち上がり、捲れあがったスカートを直して言った。
「通して頂戴、一応顔だけは拝んでおくわ」。

セザーリオの目の前にいるオリヴィアは、想像いていた以上に色香があった。
高い位置で二つ分けにした金髪、何故か背中には麦わら帽子をぶらさげて、一見年齢不詳だが、
足を組みなおす際に、スカートからのぞく太腿は、何とも悩ましい。
オリヴィアは、口紅を塗りなおしながら言った。
「あの歌は何?」。
セザーリオは、平身低頭で答えた。
「『あなたは、最高の友』、という歌でございます」。
「それって、公爵の伝言?」。
「いえ、わたくしが作った歌でございます、ただし、公爵様のお気持ちを踏まえておりますが」。
「ひどい歌声ね、折角の恋の言葉も、壁にぶつかって粉々に砕けるわ」。
セザーリオは、申し訳なさそうに言った。
「わたくし、歌の方はからっきしダメでして…」。
オリヴィアは、急にケタケタと笑い出した。
「それなのに、わざわざ歌ったの?、たいした度胸だわ、面白い子ね、名前は何というの?」。
「セザーリオ、でございます」。
しばらくの間、オリヴィアは、セザーリオ、セザーリオと数度口にして、笑顔を浮かべた。
「いい名前ね、セザーリオ、あなたが気に入ったわ」。
セザーリオは、首を少しだけ傾げながら、うつむいた。
「いいえ、それは困ります、オリヴィア様に気に入って頂きたい方は、公爵様でございますから、
そうでなければ、わたくしの立場がございません、わたくしはあくまでも恋のキューピット役、
ですから、何としてでも、今日は快い返事を頂きたい所存でございます…」。
「いやよ」。
オリヴィアは、きっぱりと言った。
「だって、私、毛深い人苦手なんだもん、まあ、殿方なら仕方のないことなんでしょうけど、
限度ってものがあるわ、ええ、確かにあなたのご主人は身分もそれなりでいらして、
芸術的センスにも溢れていらっしゃる、素晴らしい方です、でもダメ、答えはNO、お分かりになって?」。
セザーリオは、困惑した顔で言った。
「では、愛を受け入れられない理由を公爵様に尋ねられたら、わたくしは、こう答えればよろしいのでしょうか、
それはあんたが毛深いからだ、と」。
オリヴィアは、大きな目をさらに大きく見開いた。
「そんなにはっきりとお伝えにならなくても結構よ、剃毛して再アタックをかけられても困るわ、
剃ったって、毛はまた生えてくるんだし…、とにかく、今日のところはもうお引取り願おうかしら、
そろそろ午後の診療が始まるわ、それとも、なに?、その前歯の隙、治してあげましょうか?、
あなたのその可憐さに免じて、保険のきかない特別な素材を格安で提供してもよろしくてよ」。
セザーリオは、むっとして答えた。
「いえ、結構です、これはわたくしの隠れたチャームポイントですから」。
そしてオリヴィアに背中を向けて部屋を出ようとしたところで、突然振り向き、こう言った。
「余計なお世話かもしれませんけど…ソックスが片方下がってますよ」。
オリヴィアは、足元を見て、すぐに顔を上げた。もうセザーリオの姿はなかった。
音もたてずに、素早くその場を立ち去っていたのだ。実に鮮やかな退場の仕方だった。
オリヴィアが、ソックスを引き上げていると、ドアが急に開き、ドミニックが現れた。
「先生、午後の患者さんがお見えになりましたよ」。
しかしその声は、オリヴィアの耳には届かなかった。彼女の心はここにはなかった。
「先生?」。
「セザーリオ…」。
「は?」。
ふと我に返ったオリヴィアは、ドミニックに気が付くと、急に声を荒げて言った。
「ドミニック!、ここに入るときはノックをしろって言ったでしょ!」。

*  *  *  *  *  *

「これって、やばいと思わない?」。
診療時間が終わったオリヴィアの歯科医院のロッカールームで、
ドミニックは、もう一人の歯科衛生士、デビに耳打ちした。
「先生はすっかり、今日来た公爵の新しい小姓に、のぼせあがってる、
目を見ればわかるよ、あれから先生はおかしくなってしまった、
治療している最中も心ここにあらずで、危うく患者の口の中が血まみれになるところだった」。
デビも小さくうなずいた。
「ああ、そうだった、いつもはクールで、あんなことはほとんどない人なんだけどな、
昼休みが終わってからは、確かに人が変わっちゃったみたいだ、これは大変だよ、
先生は本当に、あのセザーリオって言う小僧に惚れたみたいだ、
確かにあの子は可愛いし、頭もよさそうだし、素直で身のこなしも割とスマートだし、
それは認めざるを得ないんだけど、何か悔しいね、だって僕らの方が先生と長くいて
先生のことをよく知ってるはずなんだもの」。
「そうそう、そうなんだよ、デビちゃん、このままじゃ、こっちの腹の虫がおさまらない、
あの子をちょっととっちめてやらないかい?」。
「とっちめるって?、どうやって?」。
ドミニックは、ロッカーから剣を出し、さやから抜くと、剣先を蛍光灯の光にかざしながら言った。
「これで脅してやるのさ」。
デビは、長い金髪をかきあげて、ちょっと首を傾げた。
「脅すなんて、紳士的じゃないなぁ、もっといいやり方はないの?」。
ドミニックは剣をさやにおさめると、口をとがらせた。
「じゃあ、決闘にするかい?」。
「決闘?」。
「脅すよりは、紳士的だろ?」。
デビが眉をひそめると、ドミニックは不適な微笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、見るからに弱そうじゃないか?、簡単だよ、すぐケリはつくさ」。
「ああ、そうだね、でもいったい誰が決闘をするの?、」。
ドミニックは剣をデビに向かって差し出して、ウィンクをした。
「もちろん、そりゃ、君さ、デビちゃん」。

*  *  *  *  *  *

公爵は部屋の真ん中に置かれたグランドピアノに興じている。
その傍らに、セザーリオが行儀よく座り、公爵の演奏に耳を傾けている。
「ねえ、セザーリオ」。
ふいに公爵はピアノを弾く指を止めて、セザーリオに話し掛けた。
「人の心というものは、何てままならないものなんだろうね、
私はもう燃え尽きて影だけになりそうな程オリヴィアに恋焦がれているのに、彼女ときたら、まったく知らぬふり、
私は苦しくて仕方がない、一生こんな仕打ちが続くのかと思うと憂鬱でたまらない、
なのに、彼女に冷たくされればされる程、困ったことに私の心は、ますます燃え上がるのだ、
いったいどうしたらよいと思う?、この炎を治める方法はあると思うかね?、いや、ないだろうね、
恋の病に効く薬は恋しかないが、今のところ、オリヴィアへの想いをかき消すほどの他の女性など
今の私には考えられないから…、よければセザーリオ、一曲歌ってくれないかね?、
気を紛らわせてくれるようなやつを…」。
セザーリオは、静かに立ち上がり、頭を下げた。
「申し訳ございませんが、公爵様のご期待には沿えません。
何故ならわたくし、歌はからっきしダメでして、もし私が歌えば、そこにはペンペン草さえも生えることはないでしょう、
そのかわり、詩を一つ朗じてもよろしいでしょうか?」。
「ああ、構わんよ」。
セザーリオは一つ咳払いをして、目を瞑り、心の言葉をゆっくりつむぎ出した。

自由になりたい、あなたの嘘から、
あなたの自己満足には付きあいきれない
自由にして、ああ、神様、
私は自由になりたいんです…

恋をしたの
初めての恋
これこそまさに本当の恋
ああ、神様、私は恋に落ちてしまったの…

人生はただ過ぎていくばかり
あなたが側にいない日々なんて…
一人ぼっちの日々なんて…
それでも生きていかなくちゃならないの
ねえ、わかって下さるわね?
私は自由になりたいんです…

「何だかまるで…」。
公爵は、お気に入りのモエ・エ・シャンドンを口に運ぶと、つぶやいた。
「私の心そのものだな…気まぐれで冷酷なオリヴィアに振り回される私…」。
セザーリオは、一礼をして再び椅子に腰掛け、言った。
「公爵様の痛みはわたくしの痛み、公爵様の喜びはわたくしの喜び、
何の不思議もございますまい?、もはやわたくしたちの心は、強く結びついております」。
公爵は、思い出したように言った。
「おお、そうだったな、セザーリオ、私の心のどんな小さな動きも、お前には伝わるのだった、
しかし、それにしては、随分実感がこもった詩ではないか?、さてはセザーリオ、
お前も私のように、恋に身を焦がした覚えがあるのではないか?、
いや、隠し立てしなくてもよろしい、私とお前の仲ではないか、もちろん誰にも口外はしないから、
そっと教えてはくれないだろうか?、私は包み隠さず私自信の心をお前に開いて見せたのだから、
お前も、同じようにしておくれ、どうだろう?」。
セザーリオの頬が、ほんのりと紅く染まり、灰緑色の瞳が潤み始めたのを、公爵は見逃さなかった。
公爵は立ち上がり、セザーリオの元へと歩み寄った。
「相手は、どのような人だ?」。
セザーリオはしばらく黙ったまま、目を伏せていた。ますます頬が紅潮している。
「恥ずかしがらなくてもよいぞ、ひょっとしたらお前の恋の成就に、私が一役買えるかもしれぬ、
よければ教えてもらえないだろうか?」。
「公爵様を差し置いて、わたくしが先に幸せになるつもりはございません」。
「まあ、そう遠慮しなくてもよいぞ」。
公爵が笑いながらそう言ってセザーリオから離れ、再びピアノの前に座った瞬間、
緊張が解けたせいなのか、それともさらに緊張が増したせいなのか、セザーリオの口からこんな言葉が飛び出した。

「それは…公爵様のような方でございます」。

公爵は、口に含んだモエ・エ・シャンドンをぶっと吹き出した。
そしてピアノに映った自分の姿をまじまじと見て、口ひげを撫でながらつぶやいた。
「私のような娘…とは…それはいささか不憫な娘だな」。

言ってしまってから、セザーリオは慌てた。いくら咄嗟に出た言葉とはいえ、あまりにも突飛すぎる。
何かを恐れるように、セザーリオはにわかに落ち着きを失った。
それを見た公爵は驚いてセザーリオの側に駆け寄り、肩に手を置いた。
「さあ、どうした、可愛い小鳥さん、私は何もお前を叱ったりはしないよ、気にするな、、
ただ…お前は若い、恋は盲目だが、慈善事業ではないからね、道を誤らぬよう、十分気をつけることだ」。
しばらくして、セザーリオは吹っ切れたように顔をあげ、しっかりした口調で言った。
「いえ、ご心配には及びません、それはもう随分昔の話でございます、
分別のない子供時代のことで、今はもうそんなことは、幻のようにわたくしの心の中から消えております、
今のセザーリオは、公爵様のご好意のみで、十分満たされております」。
それを聞いて安心したのか、公爵の表情は緩んだ。
「そうか、それはよかった、ではセザーリオ、心の迷いも曇りもきれいに払われたところで、
私の希望を聞いておくれ、今一度、あの残酷極まりない姫様のもとへ行き、私の、火山のようにたぎる恋心を、
そしてこの愛が、どのような貴重な宝よりも尊く嘘偽りのないものであることを、お前の得意な詩にのせて届けて欲しい、
私の心を一分の狂いもなく伝え得るのはお前しかおらぬ、頼りにしておるぞ、セザーリオ、
そしてオリヴィアの愛を、お前の宝石箱の中に入れて、ここへ持ち帰ってきておくれ」。
セザーリオは、公爵の手を握りしめてうなずいた。
「もちろんですとも、公爵様、あなた様の喜びはわたくしの喜び、わたくしもあなたと一緒に微笑むことのできる
瞬間を期待しております…」。

*  *  *  *  *  *

再び、昼休みの診療所。
オリヴィアとセザーリオは院長室で向かい合って座っている。
先日会った時と比べると、オリヴィアの態度がやや軟化していると感じたセザーリオだったが、
彼はまだ、オリヴィアの心の変化には気がついていなかった。
「今日はすんなりと会って下さったのですね、また歌わなければダメかと思っておりましたが」。
オリヴィアは、うっとりとした表情で、セザーリオを見つめていた。
「するとまた、何かご用意されていたのかしら?」。
「もちろんでございます」。
「それじゃ折角だから、聞かせていただける?、あなたのその…」。
「歌、でございますか?」。
オリヴィアは逡巡し、一呼吸置いて言った。
「…ではなくて…詩だけで結構よ」。
セザーリオもうなずいた。
「正しい選択です、何せわたくしが歌うと、星さえも地面に降り注ぐと言われておりますので」。
「おそらく、飛んでるイナゴもハエも落ちて死に絶えるわ…さぞかし世の中、助かるでしょうね」。
「は?、何かおっしゃいました?」。
「今のは独り言よ、気にしないで、はやく聞かせて頂戴、あなたの詩を…」。
「では、誠に僭越ながら…」。
セザーリオは立ち上がり、目を閉じて、おもむろに口を開く。

はずしちゃダメだよ
思いっきりイカせておくれ
さあ、続けて、やめないで

わかって?、これはゲーム
当たりかハズレか、狙いをつけて
がっちり握って、さあ、発射(ズドン)!

はずさないでよ、今度こそ!

装填完了、狙いを定めろ
弾は一発、ちんたらするな
"その時"逃さず、一晩中
メラメラメラメラ燃えまくろう

さあ!、ブッスリといこう!
天国へ連れていってくれ
はずさないで、はずしちゃダメさ
絶対にはずさないでおくれよ

「もちろん!、はずすもんですか!」。
オリヴィアが急に立ち上がり、セザーリオに向かって突進してきた。
驚いたセザーリオが、危うく身をかわし、オリヴィアはそのまま窓ガラスに激突した。
「どうされました?」。
セザーリオが、袖口で額の汗を拭いながら聞いた。
オリヴィアはしこたまぶつけた鼻の頭をなでながら言った。
「いやね、セザーリオ、素直じゃないのね、そういう気持ちがあるのなら、よけたりしないで!、
装填完了は私も同じ、午後の診療まで30分あるわ、本当はもっとムーディーな雰囲気でじっくり楽しみたいけど、
今のこの情熱を満足させるなら、30分でも十分よ」。
セザーリオは首を傾げた。
「すみません、何のことでしょうか?」。
オリヴィアは、麦藁帽子をフリスビーよろしく投げ飛ばし、ネクタイをはずした。
「何知らばっくれてんの?、もう、悪い子ね、さっきの詩はあなたの告白なんでしょ?」。
セザーリオは、周りを見回して、慌てた様子で首を振った。
「いえ、オリヴィア様は何か大きな思い違いをしていらっしゃるようですね、
これはわたくしの気持ちではなく、公爵様のお気持ちです、
先日申しました通り、わたくしは公爵様とオリヴィア様のキューピット役に過ぎません、
それ以上でもなくそれ以下でもない、単なる伝言係りでございます」。
「あの方に、握ってなんていわれても困るわ!、お断りです!、そんなの!
だってあれだけ毛深い方なのよ!、どこに何があるかも分からないじゃない?、
ねえ、セザーリオ、あなたの立場は分からないわけじゃないけど、もうこの気持ちはどうにも止まらないの、
あの日、あなたに初めて会ったその瞬間から、私は恋に落ちたのよ、
はにかんだ微笑、隙のあいた前歯、鼻にかかったような甘い声、そして透き通るような白い肌…
すべてが私にとっての宝石…ああ、もうあなた以外の人なんか考えられない、お願いセザーリオ、
午後の診療時間が始まるまでのこの30分を、私に頂戴、お願いよ、わかってくださる?」。
「申し訳ないが…オリヴィア様、それは全く出来ない相談でございます」。
「ああ、公爵の仕返しが怖いのね、それなら大丈夫、私が何か言い訳を考えるわ、
忠実なしもべのセザーリオ、こんなに熱くなってる時でも、片時も主人の立場を忘れないなんて、
ますます惚れてしまう」。
「いえ、そうじゃないんです」。
「ああ、つれないセザーリオ、ねえ、私の心は本物よ、私のこの美貌と歯科医の名誉にかけて誓うわ、
あなたは贅沢よ、求めずして得られる愛の貴重さが、おわかりにならないんだわ」。
「そうでしょうか?」。
セザーリオは、いつまた襲い掛かってくるかもわからないオリヴィアに備えて、小刻みにステップを踏みながら言った。
「では、申し上げましょう、あなたが美貌と才能にかけてわたくしへの愛を誓うならば、
私は、自らの若さと純潔さにかけてこう誓います、
わたくしは、一つの心と一つの真実を持っておりますが、それはいかなることがあろうと、
御婦人に差し上げることは出来ません、これを手にすることが出来るのは、ただ一人、
わたくし自身のみでございます」。
「そんな悲しいこと言わないで、じゃあ、何?あなた一生ヤラナイで済ませる気?」。
迫るオリヴィア、逃げるセザーリオ。
「折角男に生まれてきたのよ、一度くらいは使いなさい!」。
二人が大きなテーブルをはさんでグルグル追いかけっこをしている時、突然何の前触れもなくドアが開いた。
「先生、電話です」。
ドミニックだった。反射的にセザーリオは、そのドアの隙間に突進していった。
ドミニックはセザーリオのタックルを食らい、受話器を握りしめたままひっくり返った。
「ああ、ごめんなさい、急いでますので」。
セザーリオはそれだけ言うと、次に目の前に現れたデビにもタックルを食らわせ、階段を転げ落ちるかのように降りていった。
セザーリオの背中で、怒鳴り声が聞こえた。
「院長室に入るときは、ノックをしろって言ったでしょ〜!」。

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