The Early Years (1)

Written by Mark Hodkinson (OMUNIBUS PRESS)

Chapter 1 : Clucksville (p.13--p.15)

「ジョン…何ですって?」
オードビー図書館のデスクにいる女性は、礼儀正しく、大変親切ではあった。
「ディーキン…でしたっけ? それとも、ディーコン?」
しかし、あまり役に立たなかった。
それでも彼女は、レスターの本館を呼び出してくれた。
 あそこならクイーンの本が何冊かありますわ。
愛想のよい笑みを浮かべ、彼女はレスターのレコードオフィスのリーフレットも手渡してくれた。拡大レンズを持った髭面の男の写真が表紙だ。
 お役に立ちそうな新聞の切り抜きがあると良いですわね。
また素敵な笑みを浮かべ、彼女はそう言った。

オードビーは、イングランドの内部、平坦で湿った緑の平地のぎりぎり手前に位置する集合都市・レスターの、6マイル南に位置している。 靄のかかった墓地からカラスたちの口論が聞こえ、村むらはGreat GlenだのSmeeton Westerbyといった古風な名前を持ち、おそらく未来永劫、そのままの様相を呈するような場所である。

図書館は、メインロードの遊歩場の後ろにある、日当たりのよい建物だった。道を進むと、オードビーの中心にたどり着き、そのあと、Threshers、Woolworths、Boots、the Old Manor Innなど、かれこれ300年以上前から良質のエールを提供してきた場所が現われる。 図書館は1969年11月1日に、ジョン・ピールによって創設された。ジョン・ピールとは、クイーンに最初のラジオセッションの機会を与えたDJではもちろんなく、当時この街を代表していた下院議員である。 ここの職員は、クイーンを知ってはいたが、ジョン・ディーコンの名は知らなかった。ファイルには、オードビーが生んだ著名人として、二人の名前が記されているだけであった。追いはぎのジョージ・ダベンポート、密猟者のジェイムズ・ホーカー。二人とも重罪人である。どうやらジョン・ディーコンは、この街にとって、記録に残しておきたい程の特色も魅力も持ち合せていなかったということらしい。 結局、たった一行だけの寂しい記述を、発見するに至った。 この、途方もなく金持ちで、世界中で有名なミュージシャンは、ローカルセクションの木製の引出しの中に収められた、小さいインデックスカードにその名を残しているだけだった。カードは新聞の切り抜きと前後参照できるようになっていたが、ここでさえ、哀れなジョンは適切な位置にいるとは思えなかった。「Deacon, John −−ロック・ミュージシャン、1974年4月」と書かれたこのカードは、次の2枚に挟まっていたのである。
 「Daynight電気の契約者 取引増加 74年2月25日」
 「Deane, David 、Pauline Valerie Smithと結婚  62年3月15日」

ジョン・リチャード・ディーコンは1951年8月19日、レスターのロンドン・ロードにある聖フランシス私立病院において、アーサー・ヘンリー・ディーコンとその妻リリアン・モリー・ディーコンとの間に生まれた。 家族は初めレスター郊外のエヴィントンに住んでおり、そこでジョンはリンドン・ジュニア・スクールに通うことになる。早くからレスターのベッドタウンとなっていたオードビーは50年代に著しく発展し、新しい赤レンガの住宅の群れがじわじわと田舎を侵食していた。アーサー・ディーコンの、レスターのNorwich組合での仕事がある程度安定していたこともあって、1960年には、ジョンと5歳年下の妹のジュリーは、両親と共にオードビーの Hidcote Roadにある一軒家に引っ越した。Hidcote Roadは、時代に応じて十字軍やトルコ軍が行進したかもしれない大きな地所の端にあった。名前が変わるだけで、このあたりはどこも同じである。Ash Tree Road、Brambling Way、Pine Tree Close、Rosemead Drive…いくぶん単調な郊外のものよりは、昔ながらの名前が連なっている。
オードビーのラングモア・ジュニア・スクールに短期間通ったジョンは、ガートリー・ハイ・スクールを経て、ビーカム・グラマー・スクールに進む。この2校は同じ敷地内にあり、Hidcote Roadから数分と離れていなかった。

オードビー時代のジョン・ディーコンは、いるのかどうか分からない程おとなしかったという訳ではないが、単なる一人の少年に過ぎなかった。 もちろん、物理的な特徴を述べてもよいのだが、それでさえも非常に月並みである。短く切った髪。ブリーフケース。ズボンにしまいこまれたシャツ。ぴかぴかの靴。通りかかれば礼儀正しい「ハロー」か会釈を返す少年。 エレクトロニクスの雑誌を読み、トランジスターから装置を作り出す少年。運河で父親と釣りをする少年。 宿題はきちんとこなし、機関車のネームを集める少年。 両親に気に入られようと努力を怠らない少年。 誰もそんな普通の少年に対して、注意を払ったりはしない。

「彼が何かしてるところなんて、憶えてないわねえ。ほんとに、退屈な人だった! 何かに喩えることもできないわ…だって何物でもなかったんですもの。まあ、いつもすごくいい人そうに見えたけど、ただ、少しおとなし過ぎたのよね。だからこれといって彼の思い出はないの」
ジェニー・ヘイズ(旧姓フューインズ)は、一時間考えてもジョン・ディーコンについての逸話を一つも思い出せない自分に腹を立てながら、こう言った。ジェニーはジョンの最初のバンド、The Oppositionを生み出した仲間たちの一人だったのだから、少しは憶えていても良さそうだったが。2度か3度のショーという短い期間ではあったが、彼女は友人のチャーミン・クーパーと一緒に、バンドのゴーゴーダンサーを務めたこともあるのだ。
「一番はっきり憶えているのはね…ショーの後、ドレッシングルームにいるときのことだわ。皆で着替えながら、ふざけあってたの。でもジョンは一言も喋らなかった。何も言わず、何も語らず、よ? すごく変だったわ。ただやることはちゃんとやるんだけど、まったく何を考えてるのか分からない人だったのよ」

(つづく)

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