The Early Years (9)

Written by Mark Hodkinson (OMUNIBUS PRESS)

Chapter 10 : Pretentious Even...(p.187--p.188)

1974年のクリスマス休暇を家族や友人と過ごすため、ジョン・ディーコンはオードビーに戻った。ジョンの友人、デイヴ・ウィリアムスは、クリスマスの数日前に一緒に飲みに行ったパブのジュークボックスから「キラー・クイーン」のイントロが流れて来た時、まるで気づかなかった。チャート落ちしてしばらく経っていたからである。「ジョンが『やれやれ、またか』とか何とか呟いたんで、どういうことだろうって思ったよ」デイヴは回想する。「彼が誰だか知ってる奴なんているとは思えなかったんだ。だけどすぐに人がやって来てサインをねだり始めた。彼は隠れようとしていたけど、何枚かサインせざるを得なくなっていた」

またある時、ジョン・ディーコンはThe Opposition時代からの友人、ナイジェル・バレンと共にJensen Healey sports carに乗り込み、わざわざ草深い田舎道を選んでドライブした。ジョンが人に見分けられるのを嫌ったからである。やがて、Market Harboroughの近くのWeston-by-WellandにあるThe Wheel and Compassというパブに着いた。ナイジェル・バレンはその時、友がもはやビールではなく、ジンやトニックを注文するのを目の当たりにした。彼はナイジェルにシャブリを勧めさえした。(「5ポンドくらいしたのを覚えてるよ…あの当時は高価だった」)ここでも当然のようにジョン・ディーコンは見つけ出され、サインをせがまれる。こうなるだろうとナイジェル・バレンは半ば予想していた。なぜなら、ジョンはクイーンのツアー・ジャケットを着ていたからである。「彼は見分けられるのが嫌いだった。本当にまごついていたよ」ナイジェルは言う。「外に出るや否や、どんなサインも拒んでいた。それについてどう感じたかは忘れてしまったけど、クイーンはそういうポリシーなのかなって思っていたよ」

オードビーにいた仲間の中で最もジョン・ディーコンと親しかったのは、間違いなくナイジェル・バレンである。だからジョンが1975年1月18日の結婚式の花婿の介添人に彼を選んでも、驚く者はいなかった。「すごく準備に時間をかけたよ…芸能人とかマネージメント会社の人の前でスピーチしなきゃならなかったし」

ジョン・ディーコンは大学時代の初め頃から、ヴェロニカ・テツラフとデートを重ねていた。ヴェロニカはシェフィールド生まれでポーランド人を先祖に持つ女性で、マリア・アサンプタ教員養成学校に在籍した後、乳母として働き始めた。夫たちが友人であることから、ナイジェル・バレンの妻ルースは彼女を良く知る機会に恵まれた。「彼女はごく普通の、とても物静かで信心深いカトリックよ」彼女は言う。「お化粧もしないし、かなり質素な服を着ていたわ。ちっとも派手な暮らし振りじゃなかった。すごく控えめな可愛らしい人なの。長年付き合っていくうちに、彼女にとって一番大切なのは子供達だってことが判ってきたわ」

新婚の頃、ジョン・ディーコンに新しいMini carを買ってもらった際のヴェロニカの反応を、ルース・バレンは思い起こした。「彼女は感動して少しばかり震えていたわ。もっと高価なのが買えたと思うんだけど、金額なんてどうでもいいみたいで、車が手に入っただけで幸せを噛み締めていた。実際、欲しいものはなんでも買えると気づくまでに数年かかっていたわ。子供たちの世話の手助けに乳母を雇ったのはそれからよ」


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