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Queen before Queen
The 1960s RECORDINGS PART 4 : THE OPPOSITION

"Record Collectors"
Initial research John S. Stuart. Additional researh and text: Andy Davis.
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自信

動的な性格にこそ欠けていたとはいえ、ディーコンはデキるティーンエイジャーだった。「すごく自信に満ちていたよ」バンドのもう一人のギタリスト、デイヴ・ウイリアムスは語る。「でも、ゆったり構えた感じでね。彼にはどんな難問もなかった。『ああ、出来るよ、それ』ってなもんさ。だから僕らはイージー・ディーコンと呼んでいた。性的な嗜好がそうだからというんじゃない、なんでも簡単そうに言ってたからさ。しかも自惚れに聞こえないんだこれが。以前、彼にこう言ったことがある。『ちょっとギグを控えなきゃならないかも。Aレベルを取るのに復習しないとなあ。お前は?』すると彼は言ったよ。『ううん。僕にはそんな必要ない。一度も試験に落っこちたことないし、今までだって一度もそのために復習なんかしなかったもん。』結局のところ、驚くほど論理的で自信に溢れた奴だったんだな。覚えられないことがあったとしても、ちゃんとやり遂げてしまうんだ。勿論、仰天するような成果を上げていたさ」

ジョンが最初に興味を持ったのはエレクトロニクスであり、それは青年期の研究対象ともなった。また彼は父親と共に、釣りやトレインスポッティングさえもしている。それから、音楽に引き継がれた。おもちゃの「トミー・スティール・ギター」を買ってもらった後、ジョンは新聞配達で得た収入で、きちんとした楽器、アコースティックを購入する。12才頃のことだ。初めの音楽仲間は学友のロジャー・オグデン。コーンウォールにいるロジャー・テイラー同様、「スプロッジ」というニックネームを持っていた。しかし彼の親友は、後にオポジションのドラマーとなる、ナイジェル・バレンだった。

「ジョンと最初に知り合ったのは、レスターからちょっと離れた、オードビーのラングモア・ジュニア・スクールだった。1957年か58年のことだ」ナイジェルは語る。「2人ともおとなしかった。13才頃に、ガートリー・ハイ・スクールで一緒に音楽を始めたんだ。ビートルズに感動してね――彼らを真似て誰もがグループを作りたがっていたものさ。ジョンは元々はバンドの電気技師になるつもりだったらしい、彼が言うにはね。アンプなんか持ってない時分から、自力でラジオを組み立てていたし、リール式のテープレコーダーにギターのプラグを差し込む方法を考えてもいたな。いつだって、電気ハカセだったよ」

グループ形成の原動力となったのは、もう一人のオードビー・ボーイ、Uplands Parkの側で知り合った、リチャード・ヤングだ。「リチャードは寄宿学校にいた」ナイジェルは回想する。「いつも高価なバイクに乗ってる奴でね。ギターが弾けたんだが、それ以上にいかしてたのは、アンプ付きだったってこと。バンドをやろうって煽動したのは彼さ。最初はうちのガレージでリハーサルして、それから行けるところへ出向いていった。ジョンは初めはリズムギターを担当していた。彼はコード・マンだったよ、言うなればグループ内のジョン・レノンってとこかな」

転向

後にベースに転向してはいるが、ディーコンのギター・テクニックもなかなかのものだった、とデイヴ・ウイリアムスは言う。「後になって思い出したんだが、彼はアコースティックで『Classical Gas』を弾いていたっけ。(☆68年メイソン・ウイリアムス「フォノグラフ・レコード」収録。ちなみにジョンも参加しているコージー・パウエルの「ザ・ドラムス・アー・バック」に、イアン・ギラン・バンドのレイ・フェンウィックのカヴァーが入っていた)指弾きの練習で、離れ業って訳じゃないけど、まるで『McArthur Park』みたいな素晴らしいものだった。聴いたときに思ったよ。『なんてこった、このダークホースめ!』一度も見せびらかしはしなかったもんな」

オポジションの最初のベーシストは、ジョンの学友でもあるクライブ・キャッスルディンだった。事実、このグループのデビューは1965年9月25日、キャッスルディン家のパーティーで為された。(公のパフォーマンスは翌月、ガートリー・スクール・ホールで行われている。)クライブは見栄えがよかったせいでグループの一員となる名誉を得ていたのだが、能力は学生バンドであるオポジションの基準にすら達していなかった。「控えめに言っても、上手くなかったんだ」彼はMark Hodkinsonにこう認めている。

「熱中度は100%だったさ」リチャード・ヤングは言う。「しかし実際の演奏能力はゼロだった。だから僕らはミーティングを開いて、彼を辞めさせたんだ」ディーコンが取って代わり、最初はギターのボトムの弦を使って演奏していた。「ジョンは上手かったな」リチャードは続ける。「ベースに切り替えても何の問題もなかった。最初から正しい音を出してくれたから、僕らは上手いバンドになっていった。クライブのせいで僕らの音はまるで古ぼけた楽譜に安ワインを零したみたいにぼやけてしまってたが、ジョンはしっかりしていたからね」

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