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永遠の翼〜You're my best friend....〈微笑みは青空の彼方〉(written by ねこ娘さん)

いい天気だ……
テラスには温かい太陽の日差しが差し込んでいた。
庭先で子供達が走り回ってる。五男の、まだ言葉にならない声がよく聞こえてくる。
何を言ってるのか聞き取れないけど、彼は必死に兄弟たちに訴えかける。
兄弟たちはそんな愛らしい弟をからかった。
彼はとうとう目に涙を浮かべて、悲しげに泣きはじめた。
遠くで――テラスから、ジョンは息子達の様子を見つめている。
また泣かせたな……
ジョンは笑みを浮かべて目を細めた。彼が次にどうするか、予想がついた。
彼は泣き止まない。どんどんその声が大きくなる。
もう慣れっこになった兄弟たちは、バスケットボールを奪い合ってどこかへ行ってしまう。
彼は、ふと泣くのをやめた。
指をくわえて、頬をふくらませて兄弟達の走って行った方をじっと見つめていた。
やがて、ちらっと彼は後ろを振り返る。
ジョンのいるテラスを見つめる。
いったい、彼には何がどんな風に見えているのだろうと、ジョンは思う。
あの目は……
ジョンはデッキチェアから立ち上がって、ウッドフローリングの床にしゃがみこんだ。
芝生の上にすわり込んで動こうとしない彼を見据えて、軽く両手を拡げてやる。
彼は、また泣き出しそうな顔をになるが、ふらついた足どりでジョン目指して走ってくる。
「じょ、ジョシュ……あ、あ、パパ……ぼ、僕……ボール……
と、とる……いじめる」
彼はまだ単語しかうまく話せなかった。それすらも、焦ってしまって
うまく伝えられないでいる。でも、何かを伝えたいという意志だけは人一倍強いらしく、
いつも一気にたくさんたくさん言おうとしてどもっていた。
そして、そんな自分に苛立つようにしては泣き、わめき、兄たちのせいにして
むくれてしまっていた。彼は、一度機嫌を損ねると口を聞かなくなった。
だから、余計に言葉をうまく話せずにいる。
ジョンは、彼のことが気がかりだった。
「お前はいつもそうだね。誰もお前をいじめたりしないよ。
もっとゆっくり話してごらん」
そう言って彼の両脇に手をすべらせ、抱き抱える。
彼はジョンから目をはなさない。どうやら、こちらの言葉はちゃんと
理解しているようだ……と、ジョンは彼の顔を見て思う。
「わかるかい?」
「……」
「何がしたいんだい?」
「……」
「どうしたいと思うの?」
「…………」
彼は頬をめいっぱい膨らませて、唇をとがらせる。
「僕はわからないよ……何もわからないんだ。お前の言葉でちゃんと僕に教えておくれよ」
ジョンが眉をしかめて困った顔をつくると、彼は少し機嫌を直す。
得意げな笑みを見せた。
「ソ、ア」
上を指さしてそう言う。
「そあ?」
彼はブンブンと頭を振る。
「ソ、ア、ソ、ア」
何度も指さして同じ発音を繰り返した。
高く掲げた彼の頭の横から、眩しい日差しがジョンの瞳に飛び込む。
「ああ……空かい?」
彼は満足げにうなずいた。
「ブ〜ン、ブ〜ン」
今度は両手を広げてそう叫ぶ。
「飛行機かい?」
彼は手を叩いてキャッキャと喜んだ。
ジョンはそんな彼を肩車して、しばらく庭を駆け回った。
もしかして、こんなにはしゃいだのは、ここ数年来では一度もなかった
かもしれないとふと思う。
ほんの数年前のことなのに、その思い出を振り返るとき、それはまるで、
ジョンには太古の昔を思い出すかのような作業に思えた。
それでいて、それはまるで自分自身の遺伝子のルーツを知るかのような、
懐かしくて魅惑的な作業でもあった。
かつて、僕はこんな風なことをやっていたのだと……
いつも側に気がかりな人物がいて、いつもいつも悩まされていた。
何を考え、何を思ってるのかわからず、戸惑ってばかりの自分がいた。
でも、自分がどうしょうもなくなると、彼は最もわかりやすい形の答えをくれ、
ある時は、見つかりそうで見つからない答を一緒になって導き出してくれた。
一つの音……メロディ。
そんなメロディに巡り会えた瞬間、とっても嬉しかったし、とっても幸せな気分になった。
君に出会えたこと全てが喜びであるかのように。
――君の探していたものは、僕の探していたものだった。
僕はね、いつだって君の望み通りの音を出せた。自信があったんだ。
きっと君に一番のメロディラインを作り出せるって。その一心だったのさ。
ジョンは、立ち止まって空を見上げた。

空を見れば思い出す……空が青ければ青いほど。

   ◆     ◆

あの日も、こんな風に暖かい日差し、それに、子供は庭ではしゃいでいた。
そして、ジョンはとても憂鬱な眼差しでそれを眺めていた。
家族は、何一つ問題はなかった。全ては万事うまくいっている。
ヴェロニカとの仲だって、修復は自分次第だと思っていた。そんなことより、
全てがどうでもよかったのだ。全ては何一つ、大したことではなかった。
彼の気持ちを縛り付けて、動けなくさせる憂鬱はただ一つだけだった。
「あなた、電話よ」
ヴェロニカがテラスのガラス戸にもたれてジョンを呼んだ。
ジョンは、露骨に不安な表情を彼女に見せた。彼女も深刻なしわを眉間に作っていた。
「フレディから……書斎に回しておいたわ」
ヴェロニカはすれ違いざまジョンに告げたが、ジョンは返事も返さない。
まるで、抜け殻のように力の入らない足取りで書斎に向かう。

ジョンは、書斎の受話器を取ると、さっきとはうってかわって明るい表情をつくった。
「やあ! 調子はどうだい?」
いきなり、拍子抜けしたうわずった声を出してしまう。
そして、ドキリとした心情を気づかれまいと、少し受話器を遠ざけて唾を呑み込んだ。
――返事がない。
「フレディ? ……ねぇ! フレディ、ちゃんと聞こえてる?」
つい、焦って声を荒げてしまった。
『……聞こえてるよ、ジョン』
「あ、ああ……そう。よかったよ」
『……ああ、本当によかった。……さっきまで、すごく恐かったんだ』
「どうかしたの? 何か……体調が良くないのかい?」
『……君の声を聴くまで、とても恐かったんだ』
「ジムは? ……メアリーはいないのかい? 今、側に誰もいないの?」
『メアリーは実家に用事があってね。ジムは、僕のわがままを聞いてもらって……
今買い物に行ってもらってる。僕の部屋には今は誰もいないんだ』
「それはいけないよ! 誰かにいてもらわなきゃ! 急に苦しくなったらどうするのさ!
フィービーやジョーはどこにいるんだい!!」
『ジョン……大丈夫だよ。苦しくなれば、すぐに誰かが来てくれるから。
今日はね、とても気分がいいんだよ。君と話したかったんだ……忙しかったかい?』
「いや、ちっとも……」
ジョンは受話器を持ち替えた。
「君が仕事始めなきゃ、僕が忙しくなるわけないだろう?」
フレディが受話器の向こうで笑ったようだ。
『オフィスにはちゃんと顔出してるかい?』
「いや最近は全然……でも、ちゃんと必要なことは最低限やってるよ。
いつでもクイーンが動き出せるようにさ」
『そうだね……今度は少し長くかかりそうだからな。
クイーンももう年をとったから万能じゃなくなった。油はたっぷり差しておかないとね』
ジョンは辛うじて笑ったつもりだが、その表情は苦しそうだった。
『ジョン……今君のいる部屋に窓はある?』
「うん。あるよ」
『いい天気だろう?』
「ああ、そうだね」
『さっき、フィービーに窓を開けてもらったんだ』
「そんなことしていいのかい? 外気は体に障るんじゃ……」
『大丈夫さ、少しくらいなら……だって、こんなにいい天気なんだぞ。
ジョンも窓を開けなよ』
「わかった。――開けたよ」
ジョンは曲げた首に受話器を挟んで窓を開け放つ。仄かに緑の匂いが入ってくる。
『何が見える?』
「庭だ……。子供達が遊んでるよ。聞こえるかい?」
ジョンは窓から受話器を突き出した。
「どう?」
『うん……よく聞こえる。あいかわらず、ローラはおてんばみたいだね』
「そうだよ。男勝りでね、よくヴェロニカに叱られてるよ」
しばらく、世間話が続いた。ジョンはあまり面白い話をする気分ではなくて、
話題探しに頭を悩ませたが、フレディはジョンの日常の暮らしぶりを聞きたがった。
何気ない話を楽しそうに聞いている。朝食に何を食べたとか、
どんな曲を聴いているとか、どんなテレビ番組を見てるとか、
本当にたわいない会話がしばらく続いた後、フレディがふと漏らした。
『ジョン、この空はいつの空だと思う』
「いつって?」
『ライブにはもってこいの日よりだろ? この空はいつの時と同じだろうって思ったのさ』
高い日差し……もう冬も近いというのに、突き抜けるほど青く、
雲一つない空だった。風もまだ、仄かに暖かく心地良い。
ジョンは窓枠に腰をおろし、空を見上げる。
眩しい太陽……光……煌めく光……水辺……水中翼船……。
「……ブタペスト」
ジョンは呟いた。
『ああ! ブタペストか!! そうだね、こんな空をしてたね』
そうさ、こんな空だった。覚えてるかい? 僕はしっかり覚えてる……
そう言いたかったのに、言葉が出なかった。
目を開けているのも辛い。なぜこんに辛いのだろうと思う。
『ブライアンやロジャーには会うかい?』
「時々ね……」
『覚えてるかな……』
「当然だろう!」
『おいおい、ジョン、何をそんなに怒ってるんだい? 
ヴェロニカとは相変わらずなのか?』
「そ、そんなことどうだっていいじゃないか!」
ジョンは思わず受話器に怒鳴りつけてしまった。
なんだか、無性に恐かったのだ。時間の経過する一瞬一瞬が不安でしかたなかった。
受話器の向こうの静寂も同じだった。
フレディは黙っている。
窓の外では相変わらず子供たちの声が聞こえていた。
今では、こんな光景こそがジョンには別世界に思える。
『ジョン……すまなかったね。怒らないでくれ』
「怒ってなんかないよ」
『じゃあ、笑ってくれよ。君はいつも笑ってなくちゃ』
ジョンはしばらく黙っていた。いろんな思いが心をよぎる。
決して簡単に言葉に言い表せない類の、複雑な思い。
フレディは、受話器の向こうでジョンの言葉を待っているらしい。
ふと、ジョンの脳裏にフレディの寝室が見えたような気がした。
広すぎるな……一人では何もかもが。
まったく話の流れとは関係のないことを思い浮かべていた。
今フレディと話していることすら、忘れようとしている。
『ジョン……』
業を煮やしたのか、フレディが呼びかける。
「笑えないよ……いつもみたいには、笑えないんだよ、フレディ」
『……』
「僕だって、いつもいつも笑っちゃいられないよ」
目頭が熱くなって、思わず手でぬぐっていた。
『君に来てほしいな……会いたい』
どうして、電話口の声はこんなに穏やかなのだろう。
なのに、どうしてこんなに自分は不安で、イライラしているのだろう。
段々、外の子供たちの声までがうっとうしくなってくる。
「行けない」
平静を装ってきっぱりと答える。
『すっかりスリムになった僕を見に来てほしかったのに……。
今なら君の体重より軽いだろうね。ジョンも少しはダイエットしろよ。
すっかり中年の腹になってたぜ』
「僕は……もう年だよ」
『そう! 僕はすっかり若返ったよ。クイーンデビュー当時の頃のようさ!』
フレディは景気良く言い放ってみたものの、同時に激しく咳ごもった。
「フレディ! 大丈夫かい? もう……もう話さなくていいよ」
フレディの咳はしばらく続いた。
ジョンは電話口でおろおろしながら、冷や汗を拭うしかできなかった。
『大丈夫だ』
ややあって、また元のフレディの声が届いた。
「もういいから、君は、話さなくていいよ」
『じゃあ、ジョンが何か話してくれよ』
「ああ」
何か面白い話はないかと、ジョンは考える。でも、何も思いつくはずもない。
「え〜……」
『話が思いつかないなら子守歌でも歌ってくれよ。
ジムって案外歌がうまいんだぜ。知ってたかい?』
軽快な笑い声が聞こえる。
そういえば、すっかり彼の声は昔のような甲高い声になっていた。
『ジョン、会いたいよ。君に会いたい。君は来てくれないのかい?』
どうやら、本気でフレディは言っているようだった。本気というよりも、
ジョンにはそれが焦りに聞こえた。
こんなに、明らかに弱気なフレディの声を聞いたことがなかった。
そのフレディの依頼は、まるで早く楽になりたいと言っているように
ジョンには聞こえて仕方なかった。
ベースを弾く、曲を作る……
今考えれば、なんて気楽な作業だろう。
できるなら何でも力になりたい。本当に君の力になれるなら。
でも……
「そんな弱気なフレディは嫌いだよ……」
声にする気はなかったのに、ジョンは小さな声で呟いていた。
忘れていたのかもしれない。恐ろしく耳聡い彼のことを。
言葉の表面だけを聞いているようで、その心までも見抜いているような、彼の目敏さも。
『そう……』
そんなフレディの、肯定的な短い返事に焦って、ジョンは慌てて取り繕う。
「う、嘘だよ。……嫌いなんかじゃない」
『嘘か……。嘘はよくないな』
ジョンは、初めて会った頃のフレディの姿を思い出していた。
そして、「Liar」の演奏をしている自分……
嘘つき!
何度もコーラス部分でそう叫んでいた。他の二人と声を合わせながら、いつも思っていた。
――嘘つきって誰だい?
まだバンドになじめなかった頃の自分――バックステージで椅子に腰掛け、
ベースの手入れをしていた。他の三人は最後まで入念に打ち合わせをしていた。
ジョンは三人の声が聞こえる場所で、会話には加わらないが、ずっと話を聞いている。
納得いってかいかずか、三人が別々になって精神統一のようなことを始める。
そのときのフレディの姿を、ジョンは今も覚えている。
嘘つき!
嘘つき!
嘘つき!
いつも思い出すのは、その時のフレディ。
ライブとは違うフレディの姿。
もし、気弱な君が嫌いなら、あの時、とうに僕はバンドをやめている……
いろんな場面での彼を見てきた。それだけに、今フレディがどんな気持ちでいるのか、
想像がついた。直接的ではないにしろ、それはジョンの胸をひどく締め付け、
痛みを与える。この痛みを感じる分、フレディの痛みが和らげばいいとジョンは強く思う。
でも、無理なのだ……
「嘘……嘘つきは君の方だよ」
『嘘つきか……懐かしい響きだね』
「今まで、どれだけ僕に嘘ついたんだい?」
『君には嘘はついてないよ』
「本当に? 誓える?」
『ああ、勿論さ』
「でも、今君は嘘ついたよ。僕の知ってるフレディ・マーキュリーは
そういう気弱なことは言わないよ……。そうだよ! 早く元気になってさ、
きっと君の方から会いにきてくれるって、僕は信じてる」
『……もう、会えないかもしれないよ』
フレディはいつものように、すぐに答を翻すようなことはしなかった。
フレディが感じていることは、おそらく自分の感じていることと同じだとジョンは思う。
寂しい……とても不安で、どうしょうもなく、恐いんだ!
……だけど、それは君だけじゃない。
『寂しいんだよ、ジョン。とっても』
考えてる間に、先に言われてしまった。
ジョンは唇を噛みしめた。
嘘つき!……
嘘はついてない……
嘘をついてほしいときだってあるんだ!
「君はいつもそうだったじゃないか! 人に願い事ばかりして! 
少しは僕の願い事も聞いてくれたっていいだろう? 
早く元気になって顔を見せてくれよ! また、昔みたいに、バカな話して、
おもいっきり笑ってくれよ! 寂しいのは別に君だけじゃ……」
ジョンは言葉半ばで押し黙ってしまう。受話器を耳から離し、
しばらく胸の前に下ろして両手で握りしめていた。
わかってる。フレディの病名も、既に知っている。
子供みたいなことを言って、きっと彼を困らせているであろうことも……
ゆっくりと、また受話器を持ち上げた。
「僕だって、子供になりたいときはたくさんあったよ……」
悔しかった。無性に、どうしょうもなく悔しかった。
もう、何を口走っているのかもよくわからない。
『子供になったジョンか……そうだな、もっと早くにそういう君を見てみたかったね。
……少し遅すぎたようだ』
得体の知れない感情がジョンの中で飽和する。
「そうやって……また……。君は……君はいっつもそうだ!
自分だけ先々行こうとする! まだ僕は何も準備しちゃいないのに!
一人で……一人で方向を決めて……何事もないような顔して姿を消しては、
また何事もなかったように戻ってきて……。
そうやって、全ては大したことじゃないんだとでも言いたげにうそぶいてさ!
そんなことはないんだよ! ……いつだって、どんな時だって、
僕には大したことじゃなかったことなんて一度もないんだ!
いつもいつも、僕の中では君がとる行動は一大事だったんだよッ!」
一瞬、外の子供達の声もやんだような気がした。
部屋に響きわたっているのは、普段おとなしいはずの自分の声。
ジョン自身、驚いていた。受話器を握る手に力を込めすぎて、震えていた。
こんなに激しく怒ったことはなかった。
こんなにストレートに感情をむき出しにしたことも……
今のは明らかに「怒り」だとジョンは思う。
ただ、相手はフレディにではなかった。
何もできない、何の力もない自分自身に対しての怒りだった。
そして、初めて気がついた。
こんなに、自分の中でフレディの存在が大きくなっていたことに……
いや、知ってた……きっとずっと前から。でも、気づきたくなかった。
自分には家族がいた。フレディとは違う人生があった。
クイーンには関係のない暮らしもあった。
もし、君なら言うだろうね。どっちも大切なら、精一杯頑張るって。
どっちも両手に抱きしめられるようにするって。僕にはそれはできなかったんだ。
気がつけば、僕は家族の方を向いている。君にも、クイーンにも背を向けていた。
自分の気持ちに反するように、頑なに背を向けた。
ジョンの目に涙があふれていた。
「フレディ……ごめん。ごめんよ」
何とか感情を沈めて、電話口に呼びかける。
『ジョン……泣いてるのかい?』
知らずに何度も鼻をすすっていたらしい。フレディに気づかれていた。
「な、泣いてなんかないよ! ぼ、僕が君の前で泣いたことがあるかい?
いつも泣くのは君の方じゃないか」
まるで道化みたいに、感情とは裏腹な台詞を上手に吐いてみたかった。
きっと、フレディの得意技の一つに違いない。
『泣かないでくれよ、ダーリン。今の僕が一番辛いことはね、
愛する人の涙を拭ってあげられないことなんだから』
いつもと同じだ。こうやって、して返される。
『今すぐ駆けつけたいよ』
それは、こっちの台詞だと、胸の中で吐き出したが、実際には声にできなかった。
声にできない分、心で強く思う。
会いたいよ!
でも、口にするのはやっぱりこんな言葉だった。
「会えないよ……」
自分の言葉に傷ついていた。自分の弱さに泣けてくる。
自分が選ぶ決断にも。
「……会えないんだ」
止めどなく涙は流れていた。嗚咽混じりにジョンは繰り返す。
ジョンにとって、今自分が動くということは、どこか最終的な場面を想起させた。
それは同時にクイーンが終わることも意味する。
そんな不吉な予感はジョン自身恐ろしくて口にもできない。
考えるのもイヤなのだ。でも、考えずにはいられなかった。フレディの声を聞けば、
そんな思いも払拭されるような気がしたが、その逆だった。
ジョンの意志に反してどんどん色濃くなっていく予感に、ジョン自身も戸惑っていた。
もしかして、今会っておかないと、本当にフレディの言う通り、
もう会えなくなってしまうかもしれない……。
「本当は、どうしていいか……わからないんだ」
ジョンは椅子に腰掛けて、デスクにうずくまった。
『わかってるよ……何年君を見てたと思うの? 
君のやり方は誰よりもよくわかる。その心も。ありがとう、ジョン。ずっと……』
フレディは後に続けようとして、そこで言葉を切った。
フレディも泣いていたのかもしれない。
ジョンには、受話器の向こうのフレディの顔が見えるような気がした。
最後にフレディに会ったのはいつのことだろう。まだごく最近のはずだ。
でも、あの時既にフレディは痩せていた。
きっと、今はもっと痩せているのかもしれない。
でも、昔から、一貫して変わってない顔が、フレディにはあるのだ。
ジョンはいつもそんなフレディを見ていたように思う。
変わらないから、見失わずについていけた……今まで。
ジョンは、瞼を押さえつけるようにして涙を指で拭い、明るい顔を作った。
「君が泣いたりするのは卑怯だよ。僕より数十倍効果的だからね」
『ハハ、そうだな。いい年した男が泣くなんて、少しみっともないな。
それに、僕の可愛さの効力もそろそろ失せかけてるしね』
やっと電話口で二人の笑い声が同時に起こった。
でも、その笑い声が退いた後のフレディの言葉は、ジョンの耳に焼き付いて離れない。
『どうして……時間は止められないんだろうな』
それは、フレディの独白だったのかもしれない。
その声は、ジョンには遠く……とても遠く聞こえた。
まるで、電話口の向こうには、もう誰もいないんじゃないかと思うほどに。
神様なんていやしない。
昔から、神頼みなんてことはしたことがない。
食事前のお祈りにしたって、ヴェロニカや子供達の手前それらしくポーズを
とってみたりするけど、心から願い事をしたことも、神を信じたことも、一度もなかった。
でも、そんな罰が、今当たったような気がしていた。今までの全ての罰が……
今は、こんなにも願っている!
この願いが届くなら、神がいるなら応えてくれと……
『あ……ジムが帰ってきたみたいだ』
「……」
『君のいる場所まで、とても遠いはずなのに、とても君を近くに感じることができるよ。
今までで一番ね』
「……うん。久しぶりに、たくさん話したね」
『少し元気になったよ、君のおかげだな』
「会いには行けないけど……僕はいつも家にいるから」
少しは働け! というフレディの叱咤がジョンの耳元で弾けた。
やっと、フレディらしい言葉を聞けて、ジョンは内心ホッとした。
思わずこぼした微笑がフレディにも聞こえただろう。
「また電話してくれよ。きっと、きっとかけてくるんだよ! いいね」
フレディの苦笑が聞こえる。
『すっかり口調がパパになってるな』
「僕の願いだよ。切実な願いだ。これくらい、聞いてくれてもいいだろう?」
『――ああ、わかった』
ジムが部屋にいるのだろうか、少し無愛想な返事が返ってきた。
「本当だよ! きっとだよ!」
ジョンは送話口に必死に呼びかける。
『ああ。――じゃあ、切るよ』
誰かがフレディの部屋にいる。話し声が聞こえてきた。
「フレディ……愛してる」
……僕もだ。ずっと前からね――という小さな声と共に、電話は切れた。

その後、フレディからの電話はかからなかった。

さよならも、言えなかった。
やっぱり、君は先に行ってしまう。僕の準備ができてないのに……

大丈夫さ。少し先に行くだけだよ。
でも、今度はちゃんとジョンにも行き先がわかってるだろう?
僕はもう、そこからはどこへも行かないから。
……ずっとそこにいるんだよ。
――そんなことを、君なら言いそうだな。

空からは、どういう風に見えるだろうね?
どんな風に……

     ◆     ◆

グライダーが大きく旋回している。遠く、あんなに小さく見える。
肩に乗った彼も大人しくジョンと同じ物を眺めているようだった。
そして、空を舞うグライダーの動きに合わせるように
「ぶぅ〜ぅ、ぶ〜ん、ぶ〜」と唸っていた。
「ルーク……あそこにはね、パパの大事な友達がいるんだよ。
お前の顔を、しっかり見せておやり。……もし、彼がお前に会っていたら、
きっと兄弟の中で一番可愛がってくれたんじゃないかと思うよ。
まるでチビの僕だって言ってさ」
彼はジョンの耳をひっぱった。
「パパ……ぼ、僕はね、ち、チビじゃ……ないよ」
彼はジョンの耳元でこっそりと呟いた。それは、しっかりとしたセンテンスになっていた。
ジョンは、大きく両手を伸ばして、彼の頭をくしゃくしゃに撫で回した。
「そうだな! もうルークはお兄ちゃんだもんな!」
この光景を、きっと彼も天国で見ているにちがいないとジョンは思う。
「あ! 笑った」
「え? 誰が笑ったんだい?」
肩口の彼にジョンはたずねた。
「う、ん……とね。お空、が、ね……笑ってるの」
彼は言葉一つ一つをゆっくりと慎重に口にして、ジョンに告げた。
「空が笑うのか……。うん、そうだね。笑ってるな、きっと」

いつも好奇心大盛だった君……
そこからの景色は、きっと君を飽きさせないんだろうね
今も何人もの人がここで君の曲を聴いている。
君は、君の音楽に出会えた人たちのことを、そこから心おきなく眺めることができる。
そして、僕らも曲を耳にするだけですぐに君に会えるんだ。
そこからの眺めはどんな風だい?
僕は今もここにいるよ。君の知っている通り、思った通りの生き方をしている。
そして、君にはまたいつか出会えると思っているよ。
君はずっと、僕の最高の友達なんだから。

You're my best friend...

――ジョン! この曲とってもいいじゃないか!

暖かい春風が大地をなぞった。木々のざわめきと共に、
ジョンにはそんな声が聞こえたような気がした。


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