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★☆ビグルス考・器用貧乏な男たちの巻☆★


No Turning Backについて
左オーワイさん(通称「岡村」)、右ザカテックさん
UK版7インチ。
12インチとサントラもゲットして今ではすっかりコレクターです
裏ジャケット。

ジョンと「ビグルス」のつながり

1986年初頭、ジョンがサントラ用の曲を要請されたのが、この映画。Queenが「ハイランダー」のサントラを仕上げたばかりの時期である。なぜ彼にお鉢が回って来たのかは知らないが、製作サイド、かなり渋い。

とにかく彼は急いで「この映画の為だけに」新ユニットを作った。 The Immortals。「ハイランダー」のタイトルをこう変えたいという案があったらしいので、いかにも急場しのぎなバンド名だ。 (ジョンが提案してボツにされたという噂もあり、再利用ともとれる。) メンバーは自身の好きなファンクバンド「ゴンザレス」つながりの両名、レニー・ザカテック氏(ボーカル)とロバート・オーワイ氏(ギター)。

5月に結成し、マジック・ツアーが開始する6月までの1ヶ月で仕上げた曲「No Turning Back」は、エンドクレジットで使用された。1曲だけを頼まれたのか、サントラすべてを担当するつもりがとても本人に余裕がなかったのか、この1曲で「何か違うんだよな」と思った製作サイドが丁重に断ってきたのか、真相は薮の中であるが、サントラ総指揮は「スタニスラス」という人が担当し、イントロからばしばし使われるテーマ曲「Do You Want To Be a Hero?」はイエスのジョン・アンダーソンが歌っている。

「No Turning Back」は7インチと12インチのシングルが発売されている。「果てしなき伝説」によれば、この時『何曲か』作ったということなので、どうせならそれを入れればよさそうなものだが、オマケに収録されているのはどちらも類似のリミックス版である。

ところでこのビグルスと「No Turning Back」、我々日本人のファンには色々とイタイ。

まず、映画自体が日本未公開である。 故にサントラも(勿論ジョンのソロシングルも)日本では未発売である。 ローカル局で深夜に放映されることはあるのだが、テレビ放映では肝心のエンドクレジットがカットされてしまう。 一応ビデオは発売されているのが救いであるが、とっくに廃盤だ。クイーン関連物には甘い態度をとり続けていたはずの日本なのに、ジョンの知名度とは所詮そんなものなのだろう。 曲がりなりにも唯一のソロ作の音源が、本田美奈子の「ルーレット」でしか聞けないというのは悲しい。(しかも今ではこの曲自体がレア)

もう、戻れない

しかしながら、突貫工事で作ったとはいえ、この曲へのジョンの意気込みはかなりのものだったと思われる。 キャッチーなメロディといい、ジャケットの明快な構図といい、出演俳優まで呼んで撮ったビデオクリップも併せると、確固たる気合いが感じられるからだ。
「音楽は僕の人生」
同時期のインタビューでそう言い切れた彼は、他のメンバーのソロ活動を横目で見て、「僕は歌がうたえないから」と一歩引きながらも、密かに自分自身の翼を広げる準備をしていたのではないだろうか。

なのに、売れなかった。
シングルはチャート入りすら果たせなかった。

これ以降にソロ活動がぱったり途絶えるのは、あながちこの事と無関係とはいえまい。 「財政担当」という長年のクイーンでの役割分担上、ジョンにとって「売れない」という事実は非常に重かったのではないか。元来、周囲の評価や売れ行きはどうであれ自己表現の場としての作曲活動を続けるといった、アーティスト的な側面を十分持ち合わせている人ではない。「後戻りできない」ところへと自分を追いつめた挙げ句、不安定さに拍車をかけた作品だといえるのではないか。

そしてジョン自身が最終的にそれらをすべて認識し、「分相応」という言葉に価値を見出してしまった点が、私には嬉しくも悩ましい。


映画について
US版より長めです
日本版ビデオ。
左ビグルス、右ジムくん
US版。

*関連ページ*
  • 日本版ビデオ解説(とても詳しいので先にお読みください)
  • ビデオ鑑賞後の座談会(ホラー雑誌「ダンウィッチ」より)*2004.6.9追加
  • 映画データ(英語)(The Internet Movie Databaseより)
  • ビグルスと水戸黄門

    「ビグルス」とは実在した第一次大戦中の英雄のニックネームで、彼の活躍を記した小説が何十冊と出回っている本場・英国では、誰もが知っている人物らしい。日本で例えると「水戸黄門」といえるかもしれない。実際に水戸光圀が世直しの旅に出たかどうか事実はさておき、例のテレビのお蔭で、黄門さまの英雄談を知らない日本人はまずいない。しかし、英国人が水戸黄門と聞いてピンとくるだろうか。要するにビグルスとは、そんな「ご当地ヒーロー」なのである。

    このようなローカルな人物を主役に据えた時点で映画の運命がほぼ確定したようなものだが、この映画が一味違うのは、そこに「Time Twin(時の双子)」なるメリケン青年・ジムを配し、当時大流行りのタイム・トラベルの要素を盛り込んだ部分である。「ビグルスって誰やねん?」といぶかしむ観客は、映画を見ていくうちに、ジムと一緒に親切なレクチャーを受けられるというカラクリだ。しかもタイム・トラベルの過程がとてもスピーディーなのも好ましい。ありがちな前振りや説明を一切排除し、さも当り前のように過去と現在を往来してしまうジムの当惑は感情移入しやすく、その彼が徐々に適応しながらやることをやってのけるあたりの器用な演出はツボを押さえている。

    しかしこの親切心溢れるワンクッションが、皮肉にも、本国に数多いる、恐らくお得意中のお得意さんでいてほしい本家ビグルス・シリーズのファンを遠ざける結果となったらしい。何故か。それは黄門さまがタイムトラベルしてきた現代の青年に助けられて云々な話を、究極のワンパターンを愛するファンが望んでいるかどうか、に帰着する。

    ビグルスはとてもいいオトコだ。誠実で、情に厚く、苦境にも動じない。しかしその堅実なヒーロー像は、とてつもなく地味だった。解説曰く「二重ヒーロー構造」のせいで、ビグルス自身の魅力が半減しているのである。(主人公がこれだから、仲間の3人は単なる添え物以下の存在だった。水戸黄門を知らない人が「助さん・格さん・八兵衛」の区別がつかないのと同じだ)

    この映画はジョンに似ている

    ヒットする作品には総じて、何かしら「くどさ」「押しの強さ」があるように思う。 クイーンの「Flash」がヒットしたのはあの関西風のくどい映像とコテコテにマッチしていたからだったし、「Who Wants…」のこれでもかと涙腺を刺激する押しの強さはハイランダーを盛り上げてもいた。 ビグルスに欠けている要素はまさにそれだったのではないだろうか。そして「No Turning Back」もまた。

    ビグルスはスマートな映画である。この器用な映画に、同じく器用な美メロ・メイカー、ジョンを起用した製作サイドの人選は、決して間違ってはいなかった。ラスト数分の突拍子もない展開からなだれ込むエンドタイトルは完璧だったのだから。 が、そのソツのなさ故にヒットへの道を断たれたという事実を、はからずも露呈している。 ビグルスはその優等生ぶりが仇になった、不幸な映画でもあるのだ。


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