読んでくれた方それぞれのイメージを大切にするには、あとがきは不要かもしれません。でも…。
「何考えてこんな話書いとんねん?」
聞かれたときに忘れないように、記しておきます。大したこと考えてませんが。
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「永遠の始まり」
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短編デビュー作。ただし最初のシーンは後の付け足し。
以下3編(「永遠の始まり」「衝突」「アクシデント」)は、「果てしなき伝説」を読んでいるうちにスーッと浮かびました。
クールなんだけども内に熱いものを秘めている…ってイメージがあった頃です。いえ、今でもそういうイメージ、ありますけども。
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「衝突」
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ジョンを入れたクイーンの公式デビューは7月ではなかったのかもしれませんが、フレディとの「シャツの確執」は7月、サーレーでのギグだったそうなので、そうしました。ちなみに主な参考図書は、
「クイーン・果てしなき伝説」(ジャッキー・ガン、ジム・ジェンキンズ著)
「クイーン・オペラ座の夜」(ケン・ディーン著)
「クイーン」(黒田史朗著)
「QUEEN THESE ARE THE DAYS OF OUR LIVES」(STEPHEN RIDER著)
などです。記述が異なる場合は、好みで決めてます。
ただ、細かい事は抜きにして、「ノリ」で楽しんで頂けたらな、と願っています。書いている本人がそうですので。
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「銀色の川」
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どうやらデビュー作「Misfire」以前に「Silver Salmon」という曲を書いていたものの、ボツになったという話を耳にしました。「銀ザケ」…なんてイケテない題名だろうと最初は笑っていたのですが、実体験に基づく歌詞を好むジョンのこと、何か思惑があったのではないだろうかと考え直した時に思い付いたのが、父親との釣り。
実際、「父と運河で釣りを楽しんでいた」という記述が「果てしなき伝説」にも出てきますし、まあ、イギリス北部でサケが釣れるのかは別として、彼にとって数少ない父親との思い出だったのかもしれないなあと妄想してしまいました。当然ながら、文中の歌詞はフィクションです。(*その後、Silver Salmonはジョンではなくティム・スタッフェルの曲だと判明しました。とほほ…)
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「アクシデント」
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これは1977年末の全米ツアーの話。
ガラスに手を突っ込んで右腕を19針も縫う怪我をしたのは事実です。
怪我した日付けは、資料によって「12月16日サンディエゴ公演の後」と
「17日オークランド公演の後」の2通りあります。
17日の次は20日まで空くので、おそらく17日だろうと思うのですが、
それでは面白くない(?)ので16日説をとりました。
それより私を一番悩ませたのは、ある資料に、
「アメリカ公演に、ヴェロニカとベビーを連れていった」という記述があったこと。彼女は翌2月に出産の身だし、年の初めの全米ツアーとちゃうか?とも思ったけれど、それでは例の「子連れで窓にたたずむジョン」の髪形がおかしい。(77年10月初め撮影の「愛にすべてを」のクリップでは、まだ髪が長いんです)ということは、「奥さんと子供もいたのにパーティーで酔っ払って怪我をしていた」ということで、(それってマヌケやん)、そう思ったら書く意欲が失せました。が、熟考を重ねた末(笑)、彼女たちは「ヒューストン公演の後に帰国した」ことにしました。ヒューストンから次のラスベガスまでは距離的に遠いですしね。ほんとにそうだったのかも。(苦しい解釈)
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「Sail Away Sweet Sister」
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妹のいないブライアンがどうしてわざわざこの曲を作ったんだろうと考えながら聴いていると、終盤のベースの音が耳から離れなくなって、もしかして…と想像したのがこれです。完全にフィクション。
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「確執」
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「『BACK CHAT』には最初、ギターソロがなかったんだ。というのも、この曲を書いたジョンが皆以上にブラックな道にはまりこんでいたからね」というブライアンのコメントを「Bassist」誌の記事で読み、考えたのがこの話です。そりゃまたオソロシイことをしでかしたもんやなジョン…というのが私の第一印象。おそらく「ホット・スペース」のコンセプトに一番賛同していなかったであろう永遠のギター小僧・ブライアンに対して宣戦布告してどうするんだ!絶対負けるぞ!ほうらやっぱり…って感じでした(笑)この歌詞、ジョンお得意(?)の夫婦喧嘩かと考えてましたが、もしかしたら相手はブライアンかもな、と勘繰るのは行き過ぎでしょう…ね。インナーの写真って、感じでてますね。赤くホットなジョンと冷めたブルーのブライアン、フレディはその中間ながらも目立つイエロー、ロジャーは中立のグリーン。この当時のジョンはもっとプライドがあって暴走してそうな気がしますが、なんかえらく聞き分けのよい人格を書いてしまいました。今回はロジャーとの「じゃれ合い」を書きましたが、彼の持つ大らかな雰囲気が、メンバーの中で一番好きです。
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「The Way We Were」
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「初めてデートした相手の名はSusan Smith」なこと、メキシコの公演をすっぽかしたこと以外は、完全フィクションの世界。しかも彼が12歳のときには既にお父さんは亡くなってるはず…。Susanにはモデルがいて、この話は彼女に捧げたものです。迷惑だったかもしれませんが(^^;)ちなみにタイトルは、R・レッドフォードとB・ストライサンドの名作から勝手に借用。
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「見過ごしたもの」
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82年の秋から83年の半ばまで、彼らはバンド活動を休止します。当時のことを「何もしないでいるのは恐ろしく退屈でたまらなかった」と語っているジョンは、自分のバイオリズムとバンドのそれとがずれたことによって、次第にストレスを貯めていくようになった…という気がするんです。でも、まだこの時点では、彼の頭に解散の文字はなかったのではないでしょうか。タイトルは「ホテル・ニューハンプシャー」の主題から来ていますが、ジョンがあえて自分の将来・バンドの将来を「見過ごした」というニュアンスを含めています。
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「A Kind Of Magic」
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今年(2001年)はメディアへの出没度がちょっぴり高めのジョンですが、ここ数年潜伏していた分、「クイーンのジョン・ディーコン」として表に出るときには、なんらかの暗示=魔法が必要なんじゃないのかなあと思って、「カインド・オブ・マジック」のPVを絡めてみました。(ちなみにこれから彼が出かける場所は例のオネーサン一杯のパーティーという訳ではありません^^;)以前からあのPVの中の「去ってゆくフレディ(魔法使い)」を現実と重ねあわせてしまってなんとなく切なくて(「Winter's Tale」も実はこれがベース)、イントロのジョンの台詞みたいなことをいつも思いながら見てしまいます。あ、作曲者のロジャーのネタがなくてすみませんでした。
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「How Can I Go On」
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初めて「バルセロナ」で聴いたとき、最もポップだったのに、なぜか
涙が溢れました。後にメンバーのソロ作の中で一番気に入っているアルバムとしてジョンが「バルセロナ」を挙げているのを知り、とても嬉しくなりました。なぜ彼はこの曲でベースを弾いたのか。いつから彼はフレディの病気に気づいていたのか。彼の晩年、最も淡泊な接し方をしていたように見えるジョンの真意が知りたくて、自分なりの答えが出したくて、書かずにはいられませんでした。本当言うと、まだよく分かりません。それが一層、意欲を刺激してくれます。
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「If I Could Only Reach You」
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「BREAKTHRU」はロジャーの曲だということですが、「列車のアイデアは僕とフレディが考えたものなんだ」と嬉しそうに言う彼が印象的で、また「ミラクル」レコーディングの最中の夕食でフレディが皆に打ち明けたらしいという話を聞いて、何か書きたいと思いました。実際はScene 2 から書き始めていたのですが、途中でベロニカさんの写真を見る機会があって、イメージが膨らんだので、妄想を広げてみた次第です。
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「緑の光線」
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「イニュエンドウ」セッション時にジョンはあまりスタジオに姿を見せていなかった、との「果てしなき伝説」の記述がずっと気になっていました。リチャーズさんによればちゃんと彼も頑張っていたらしいのですが、それでも「ミラクル」より貢献度が低そうで、その辺のことを掘り下げていたらディーコンさん=サトラレ説がでてきた、と。ちなみに彼のことを悟るにはちゃんと見詰め合って共作してないとダメなんです(おい)。「緑の光線」を絡めようと思ったのはエリック・ロメール監督の映画のロケ地がビアリッツだったから。実に1年半ぶりに物を書こうと思わせてくれたジュスティーヌありがとう。
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「あなたに伝えたい」
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フレディが世間から身を隠すようになった時、ジョンもまた、家族との時間だけを大切に生きるようになったといわれています。その時彼が何を思っていたのかはまだ想像すら出来ませんが、子供の目から見た父親の姿ならなんとかなりそうだと思って書きました。全然なんともなってないですが。長男のロバート君は外見も併せて母親似で、バンドマンの道を選んでいるらしい次男のマイケル君の方がジョンに近いんじゃないかなと思っています。
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「A Winter's Tale」
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和訳から連想した話です。 フレディの死後生まれたジョンの2人の息子は、自分の父ちゃんがクイーンっちゅう偉大なバンドの一員やったという事を知らずに育っているのではないかと思うのです。「子供にはあまりクイーンの曲は聞かせていない」と81年に既に言ってるジョン、フレが死んでからは余計に昔のアルバムなんか家で聴いたりしないやろなー、と。だから息子らはジョンのことを、「いっつも家でごろごろしてる口うるさいオヤジ」としてしか認識してへんのちゃうか。それはマズイぜ!フレちゃんなんか言うたってえな、と天国から呼び出して登場願ったわけですが、ジョンを悲しませただけかもしれません。実はこの話、個人的に非常に特殊な環境の元で書き上げたこともあって、いろんな意味で印象深いです。
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「永遠の翼」(2000年8月)
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ここ数年のジョンはこういう感じかな…?と妄想満開で書いてみました。フレディ亡き後のクイーンに対して、他の誰よりも彼が一番割り切っているのではないかと思うようになりました。クイーンはもう彼ら自身の手を離れてしまっていますが、ジョンがそういう今の状況すら静観するのは、制御できない諦めからではないと、信じています。それに彼には楽観主義者でいて欲しいと思うのです。
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「僕は君の友達だから」(2003年12月)
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もう数ヶ月前のことなんですが、近頃ちょっと精神的にしんどいと言ってた人から「今ラジオでジェイムズ・テイラーが流れてる。You've Got A Friend…いい曲だなあ」というメールがぽつんと来まして、その後、アレサ・フランクリンが歌うこの曲がフレディの葬儀の時に流れていたということをフィービーの本で知りました。少しジョンの声質に似ている(ような気がしないでもない)ジェイムズ・テイラーの静かな歌声と優しいメロディーが今では頭から離れなくなってしまいました。心に染みます。かの人がこの曲で少しは穏やかな生活に戻れたことを祈って。
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