BACK


永遠の翼〜永遠の始まり

ありふれた会場での、ありふれたギグ。
演奏する側も聴く側も惰性に流されている雰囲気の中で、
客席にいる一人の青年の瞳だけが、異質の輝きを放っていた。
「つまらない演奏だな。生気ってもんがないのかよ…なあフレディ」
隣であくびをかみ殺す友人の言葉に相づちを打ちながらも、青年は
舞台のある一点から視線を逸らさない。
やがて演奏が終わり、おざなりの拍手をもらってバンドのメンバーは姿を消した。
「ティム、先に帰っててくれ」
青年はやおら立ち上がると、舞台裏へと向かった。
演奏を終えたメンバーが胡散臭そうに彼を見る。ボーカリスト、ドラマー、ギタリスト…
しかしそこには、彼の求めている人物だけがいなかった。
「ベース弾いてた奴は?どこに行ったの?」
「あれ?その辺にいないかい…?おーい、ジョンもう帰ったのか?」
「さっき出てったみたいだよ」
誰かが言い、付き合いの悪い奴だとこぼす他のメンバーを置いて青年は外へ飛び出した。
闇が通りを支配していた。人影はもう見当たらない。

不安定な演奏をひっそりと地道に支えているようで、時折はっとするような鋭い表情を
見せた先程のベーシストに、青年は自分に似た何かを感じ取っていた。

(あれは何だったのだろう)
ベースを手に家路を急ぐ青年は、ぼんやりと思っていた。
彼は代わり映えしないバンドにうんざりしている。当たり障りのない観客の反応にも。
だが、今夜自分に注がれていた視線に、彼もまた気づいていた。
息が詰まるような、でもどこか温かくて懐かしい視線に。

2人の真の出会いは、まだ先のことである。


「なあディーキー、たまにはぱーっと踊りにいこうぜ。試験もすんじまったことだし」
ルームメイトで学友のピーターが帰宅するなり放った言葉を受け、
ジョンは控えめだが明らかに乗り気でない口調で答えた。
「今夜はクリスと行くんじゃなかったのかい? 2人で楽しんでくればいいよ」
ディスコは決して嫌いではない。リズムにあわせて踊っていれば何もかも忘れてしまう。
しかし、そうやって束の間の快楽に浸ったあとのいいようもない虚無感は、
彼の心にいつまでも重苦しく残るのだ。ジョンは最近、それが辛かった。
が、今日のピーターはおとなしく引き下がってはくれなかった。
「そりゃあ俺だって彼女と2人ならいいさ。でもアイツ、途中ですぐ他の奴の所へ
消えたりするからさあ、そうなったらつまんないじゃないか。な?
それにクリスはお前にも気があるみたいだし、きっと楽しめるさ」
「他の奴の所へ消える」のはむしろピーターの方である。
最後の台詞はとってつけたような響きがあったが、結局、なかば引きずられるようにして、
ジョンは会場の「マリア・アサンプタ教員養成学校」へと向かうことになった。

「あーあ、ダグがあんな奴だとは思ってなかったな。見たかい、ダグにばかり
ライトが当たった時のフレディの今にもキレそうな顔!」
「…確かに、やりすぎだったね。でも、これでまた振り出しに戻ってしまったわけだ。
理想のベーシストって、なかなかいないもんだな」
ロジャー・テイラーとブライアン・メイは、ローディーのジョン・ハリスと共に、
ディスコ会場に着いた。場所は「マリア・アサンプタ教員養成学校」。
このところ集まれば景気の悪い話ばかりで、気分転換でもしないと、お互い、息が
つまりそうな気がしていたからである。
ブライアンとジョン・ハリスは空いているテーブルに陣取ったが、ロジャーの周りには
たちまち、どのブロンドが彼なのか見分けがつかなくなるほどの女の子がひしめきあい、
2人はそのままロジャーが中央へ流されていくのを見送った。

「クイーン」として活動を始め、まだ半年もたたないうちに、
ベーシストが6人も消えていった。曲の土台を支える重要なパートとはいえ、
ベースは音的にはきわめて地味である。しかもクイーンの場合、他のパートの3人は
類をみない強烈な個性の持ち主だ。ギグをこなすうちに、将来の見えない焦りと共に、
自分の存在感の希薄さに耐えられなくなっていく気持ちも分からないでもない。
かといって、自己本位に派手なパフォーマンスをするような人間は…と、
ブライアンは考える。自分達3人の個性を理解し、冷静に物事を見つめられる
ベーシストが欲しかった。
「君達とこの先ずっとつきあっていけるような忍耐強い奴なんていないんじゃない?」
ジョン・ハリスが冗談めかして言った。
そうかもしれない、とまた考えに耽り始めたブライアンをやれやれという表情でみて、
彼も人ごみのなかへ入っていった。

「おっと、ごめんよ!」しばらくして、取り巻きからやっと逃れて部屋の隅まで
たどり着いたロジャーは、そこで踊っていたらしい人物にまともにぶつかった。
「…いや、ぼくの方こそ…」
つぶやいた声も、長い栗色の髪の中の顔も、どこかはかなげで、
自信のない女の子みたいな奴だとロジャーは思った。
(それに服の趣味も悪いな。もっとマシなのを着ればもてるだろうに、
俺ほどじゃなくても)
ぶつかった一瞬でそれだけのことを考えていたロジャーの背後から、
ジョン・ハリスの声が聞こえた。
「やあロジャー。クリス・ファーネルを見つけたんだ。せっかくだから、
ブライアンとこで飲もう」

ロジャーが見る限り、ブライアンの位置は来たときのままだった。
「ねえブライアン、一回でも踊ったの? クリッシーがいないから寂しいのかい?
俺じゃあ代わりにならない訳?」
「ええ?まだ着いたばかりだろ」
彼にとっての時間の概念は他人とは違うらしい。
ジョン・ハリスとロジャーがブライアンの後ろで大げさにのけ反っているところへ、
クリスティン・ファーネルがやってきた。その後ろから、さっきぶつかった青年が
気乗りしない様子でついてくるのにロジャーは気がついた。
(おしゃべりクリスの連れだったとは、対照的すぎるよな)
しかしそれきり彼のことは気にしなかった。

「ハーイ、今晩は。あのねえ、一緒にきたピーターが見えないんだけど、
もうひとり友達がいるの。ジョン・ディーコンよ。ジョン、こちらロジャー・テイラーと
ブライアン・メイにジョン・ハリス。ところで昨日のキャシーとバートの話、きいた?」
ジョンが口を開く前に、ゴシップ好きでかしましいクリスティンのおしゃべりが
始まってしまった。
(まったく、ピーターの奴、どこへ行ったのかな…)
初対面の人間の前では、自分が必要以上に気後れすることをジョンは承知していた。
いつもなら、外交的なピーターがさりげなく話を振ってくれるのだが、
クリスティンときたら「ひとりにしちゃいやよ、ジョン」といいながら、
仲間だけで内輪の話を始めるタイプなのだ。
彼女の際限なく続くおしゃべりは、半分も彼の耳には入っていなかった。

ロジャーとジョン・ハリスがクリスティンの話で盛り上がっている間、ブライアンは、
ジョン・ディーコンと紹介された青年に注意を向けた。
(僕達よりいくらか年下だな)
伏し目がちで所在無げに腰をおろしている姿にはまるで存在感がない。
でも、どこかで見たような気がする。学内か、それともギグの時か…。

「あ、面白いねそれ! 曲のネタにもらおうかな」
「あらロジャー、まだバンドやってたのね。「スマイル」だっけ?」
「『クイーン』だよ」
ロジャーとジョン・ハリスが口を揃えて言うのを聞きながら、
それまで関心なさそうだった青年がバンドの話でびくっと反応し、
意外に熱のこもった目つきで彼等を見つめたのをブライアンは見逃さなかった。
(そういえば確か、チェルシー・カレッジで「ディーコン」というバンドが
演奏していたっけ…)
チェルシー・カレッジには何度か足を運んだことがあった。
特に印象に残るバンドはないような気がしたが、フレディが熱心に彼に勧めたのだった。

「ねえ、ジョン、君は何かプレイしたりするのかい?」
唐突に口を開いたブライアンを、皆が一斉に見つめた。
「何いってんだよ、俺は君達のローディーだろ」
ジョン・ハリスが憮然として言う。
「君に聞いてるんじゃないよ、ディーコン君に言ったんだ」
急に話題の中心になったことにとまどいを感じながらも、自分をじっと見つめる
目の前の穏やかな青年にジョンは答えた。
「…うん、でも最近はあまり…」
「去年、チェルシーでやってた『ディーコン』って、君のバンドなのかい?」
「…もう解散したけどね」
彼があのバンドを知っていたのにジョンは驚いた。何もかも間に合わせで、名前も、
ピーターが「俺の『ストッダード』じゃ言いにくいしな」と勝手にジョンの名を
取ったものだった。
「へええ、バンドやってたんだ。で、パートは何?」
急にロジャーも興味を示しだした。
(ドラマーには絶対見えないしな)
自分もだとは露とも思っていない彼である。
(ボーカルやるような度胸もなさそうだし…まてよ、これはもしかすると…)
ちらっとブライアンを見やると、彼も同じことを考えているらしく、
期待で目が輝いていた。
「ベースを…」
「やったあ!あったりぃ!」
ジョンが言い終わるより早く、ロジャーが歓声を挙げた。ブライアンもうなずいている。

「実は僕達、ベーシストがいなくて困ってるんだ」
「インペリアル・カレッジでいつもリハーサルしてるから、一度来て見ない?」
「君が来てくれるのを楽しみにしてるよ」
「僕がドラムでブライアンがギター、あともう一人、フレディって奴がボーカルなんだ」
「見たことあるかい、僕達のギグ?」

 立て続けに言われて、ジョンはただうなずくしかなかった。
帰り際に彼等と固い握手をかわし、クリスティンがヴェロニカという友達と帰る
といって別れたときも上の空で、そういえばピーターはどうしたっけ、と思ったのは、
フラットに帰ってからだった。

「クイーン」…彼等の演奏は聴いたことがあった。奇抜で大胆な名前だと思い、
好奇心も手伝ってギグに注目してみたが、照明が暗く、4人の影がみえるだけで、
音もくぐもって聞こえた。
(たいしたバンドではないのかもしれないな。
でも、なにもせずに余暇を過ごすよりはましだろう)
音楽は趣味でとめておくのが一番だとジョンは考えている。
ミュージシャンとして身をたてるなどという絵空事は彼の頭にはまったくないといえた。
「ディーキーはノリやすいくせに、リアリストだからな」とピーターや他の友人は言う。
物事を現実的、懐疑的に考えるのは、父親が亡くなってからだった。
音楽は確かに、彼の悲しみをある程度は癒してくれた。だが、残された母や妹のこと、
今後の暮らしの心配事をすべて忘れてしまう訳にはいかなかった。
夢だけを追って生きていくことは出来ない。
それが、今年20歳になるジョンの、少年時代からの信条であった。

(でも、ロジャーやブライアンから溢れるあの情熱はどこから来るのだろう)
寝ながらジョンは考えた。彼等は自分より年長にもかかわらず、
まるで子供のように音楽に対する夢を持ち続けている。
いつもは冷めた受け取り方をする自分なのに、彼等の言葉が心地よく感じられたのが
不思議だった。
(また会えば、理由が分かるのだろうか…)

その夜遅く、ピーター・ストッダードは忍び足でフラットに戻り、
ジョンの部屋を覗いてみた。
(怒ってるかな、彼女のお守りをさせてしまって…)
カーテンの隙間から差し込む、1月の透明な月の光を浴び、
彼の友人は無邪気な微笑みをたたえて眠っていた。
(よっぽど楽しい夢でもみてるんだな)
ピーターは安堵のため息をつき、朝までの数時間をベッドで過ごそうと
自分の部屋へ急いだ。


――国歌が鳴っていた。
「Thank you, people! God bless you! Good night!」
満員の聴衆に向かって、側にいる誰かが叫んでいる。
「彼」は自分の王冠を取ると、笑顔でジョンに被せてくれた。
ロジャーが親指を立ててウインクし、その隣でブライアンも笑っている。
(僕たちは、チャンピオンなんだ…!)
(そうさ、ジョン。この4人がいれば何だってできるのさ)
「彼」が言った。
(いつまでも?)
(ああ、永遠にだよ…)

ジョン・ディーコンが「クイーン」の最後のメンバーになるのは、
あと数日後のことである。

あとがき

BACK