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永遠の翼〜アクシデント

右腕が鉛のように重く、熱い。
(パパの腕に座るんじゃないよ、ボビィ…)
(ヴェロニカ、ボビィをどけてくれないか…)

……ョン、ジョン、大丈夫かい…
「…うーん…」
重いまぶたを開くと、ロジャーの顔が見えた。
「よかった、気がついたみたいだね。うなされてたから心配したよ」
「ここは…?」
自分の居場所が分からない。
「ホテルだろ、サンディエゴの。…大丈夫か?」
(ああ、ヴェロニカたちはこの前帰ったのか…)
全米ツアーに長男ロバートと同行していたヴェロニカは、ヒューストンでの公演が
終わると、年末の混雑を避けて一足さきに本国へ帰っていた。
「そうだ、フレディたちに知らせてくる」
飛び出していったロジャーをぼんやり眺め、それから右腕に巻かれた包帯に
目をやり、昨晩の記憶がようやく戻ってきたジョンである。

とはいっても、何故自分がガラスに腕を突っ込んだのかはよく覚えていない。
一人になった気軽さも手伝って、パーティーで少し羽目を外しすぎたせいかもしれない。
気がつくと右腕が血に染まっていて、(痛みは不思議と感じなかった)
抱えられるようにして救急車に乗り、病院で縫合してもらうのを
ぼんやり眺めていたのは覚えているのだが、どうやってホテルまで戻ったのか、
はっきりしない。
(サンディエゴ…確か次はオークランドだったっけ…)
そこまで考えて、彼はハッと事の重大さに気付いた。
(そうだ、今夜も公演が!それなのに僕は…)
急にパニック状態に陥ったジョンは起き上がり、右手をおそるおそる動かしてみた。
「…つっ」
手首を曲げると傷が引きつれてひどい痛みがはしる。だが幸い、指はなんともない。
時計を見ると正午に近い。午後の公演に間に合うには、もう出発しないと
いけない時刻であった。

「何度言ったら分かるんだ!ジョン無しで公演なんか出来る訳ないだろ!?」

「…だけどキャンセルは出来ませんよ、フレディさん。それに、貴方や
ブライアンさんならともかく、ベーシストなら代役でも勤まるんじゃないですか」
「『ベーシストなら』だってぇ!?ジョンを何だと思ってるんだよ!
僕等は4人で『クイーン』なんだ!」
ロジャーが廊下へ出ると、フレディの部屋から激しい言い争いの声が漏れていた。
相手は地元のプロモーターの使い走りらしい。
(フレディとブライアンならともかく、って、俺もどうなんだよ)

むっとしたロジャーだが、今は激昂するフレディをなだめるのが先だ。
部屋に飛び込むと、2人の側でおろおろしていたブライアンがほっとした表情を
浮かべたのが分かった。

「おーいフレディ、あんまり大声出しなさんな。せっかくの美声と美顔が台なしだぜ」
ロジャーが冗談まじりに話しかけると、今度は怒りの矛先を彼に向けたフレディである。
「なんでここにいるんだロジャー!『俺がジョンの側にいるから』って言ってたろ!?
彼を一人にしちゃダメじゃないか!」
一晩中ジョンの看病をするといってきかなかったフレディを説得したのだが、
どうやらまだその事でも怒っているらしい。
(まったく、一番年上のくせしてガキっぽいんだから…)

大げさにため息をついて、ロジャーはここへ来た目的を述べることにした。
「目が覚めたんだ、ジョン。だからせっかく知らせてやろうと思って来たんじゃないか」
それを聞くなり疾風のごとく部屋を出ていったフレディを、あとの3人は呆然と見つめていた。

「いいですか、あと30分したら出発してもらいますからね。頼みますよ」
男が捨て台詞を残して去ったあと、
「で、どうなんだい、彼の様子は。…腕は動くんだろうか?」
ブライアンが不安げな口調でロジャーに聞いた。
「さあ…まだぼんやりしてたみたいだけど」
全米ツアーは残すところあと4日。何かと故障の多かった先のツアーに比べ、
これまで何の支障もなくこなして来ただけに、やはり最後までやり遂げたい。
その気持ちは誰も同じである。仮にキャンセルするとすれば,
楽しみにしていたファン以上に、自分達にとっても打撃だ。
だが、フレディの主張は正しい、と2人は思っている。
1人でも欠ければ彼等は「クイーン」ではないのだ。

廊下が騒がしいのに2人は気付いた。どうやらフレディがまた何やら叫んでいるらしい。
(今度は何だよ…)
顔を見合わせてから彼等は部屋の外へ出てみた。

「ダメだったらダメだ!取り返しのつかない事になったらどうするんだよ。
オークランドを1回キャンセルしたら3日間はフリーで、その間に少し休めるじゃないか。
それでもまだ公演はあるんだよ、ジョン!」
「大丈夫だったら、フレディ。僕のせいでキャンセルなんてして欲しくないよ。
ほら、指が動くから、ちゃんと弾けるよ」
ロジャーとブライアンが見たものは、支度を整えて出てきたジョンの周りを、
フレディがやかましく付きまとっている光景であった。

「ジョン!ほんとに大丈夫?」
「出発できるかい、一緒に?」
駆け寄った2人に取っておきの笑顔を見せてジョンはうなずいた。
「ごめんね、心配かけて」
フレディだけがまだふくれていた。
「勝手にしろよ!責任もたないからな、オレは!」
と言いながらも、ジョンの荷物を奪い取ってずんずん歩いていった。

自家用機に乗り込んだメンバーは、ブライアンとジョンが前方、あとの2人は
後方に席を取った。飛行中、ロジャーは冗談を飛ばしてフレディの機嫌を直していた。
なんといってもボーカルの出来が公演の成功を左右する。ロジャーの必死の治療(?)の
かいあって、しばらくするとフレディもなんとかいつもの調子を取り戻してきたようである。

前方の2人はというと、曲目の最終チェックを行っていた。
ブライアンがリストを見て、頭でリハーサルしながら順を追ってゆく。
「それで次が『Killer Queen』だけど、トライアングルは今回は止めようか、
ジョン? でもこれがないと雰囲気が出ないからねえ。どう思う?…うん?
きいてるかい?」
返事がないのに気がついて隣を見ると、ジョンは目を閉じていた。呼吸が荒い。
「ジョン!?」
ブライアンはリストを放り投げて慌てて彼の額に手を当てた。
(…!ひどい熱だ…)
額に置かれた手の冷たい感触でジョンは目を開いた。
「…ごめん、何か言った?」
「やはり今夜はキャンセルした方がいいよ、ジョン。その熱じゃとても無理だ」
立ち上がって皆に知らせようとするブライアンの袖をつかんで、ジョンはささやいた。
「大丈夫、なんとかなるよ。…ブライアンだって、腕が痛くても頑張ってたときが
あったじゃないか」
「でもね…」
「…さっき、聞こえたんだ、フレディの声。『僕等は4人でクイーンなんだ』って。
勝手に怪我した僕なんかのために一生懸命になってくれて…。
ほんとはキャンセルするのは彼が一番嫌ってることなのに…。
だから、僕はどうしても舞台にたたなきゃならないんだ。みんなのため、
そして僕自身のためにも」
ジョンの真剣なまなざしを見て、ブライアンは逆らえなかった。
普段は無口な彼がこうまで言うのだから、自分としては見守るしかない。
ブライアンはため息を漏らした。
(こういうとき頑固なんだよな、ジョンは)

オークランドでの公演場所、カウンティ・コロシアムは満員だった。
開演前だというのに、観客の熱気が舞台裏までひしひしと伝わってくる。
ジョンの熱は幸い下がってきたが、果たして最後まで演奏を続けられるか、
自分でもあまり自信がなかった。ロジャーとフレディには熱の事は何も言わないと
約束したブライアンだが、彼を含め、時折皆が心配そうにこちらを見ているのが
感じられた。
(いけない…僕がしっかりしないと、みんなの気が散る)
右手首のシャツのボタンをはめて包帯を隠したジョンは、自分に気合いを入れた。
(ヴェロニカだって言うだろうな、『最後まで責任持って仕事しなきゃ』って)
数日前に故郷に帰った妻と、あどけないロバートの顔がジョンの脳裏に浮かんだ。
身重の彼女に余計な心配をかけなくて良かった、と思う。
(パパは頑張るからね、ボビィ…)
オープニングのロジャーのドラムが響いてきた。まもなく出番である。

「ほんっとに、人を心配させるんだから!」
「しっ、フレディ、声がデカイ。ジョンが起きるじゃないかよ」
「でもびっくりしたんだよ、公演がうまくいって『良くやったな、ジョン!』
って肩をたたいたら、物も言わずにぶっ倒れたんだから!おまけにひどく熱出しててさ。
おい、もしかしてブライアン、知ってたんじゃないのか?」
「…いいじゃないか済んだことは。それに医者もたいしたことないって言ってるし」
「腕を19針も縫って、熱まで出してるのに、『たいしたことない』だってえ!」
「だーかーらー、うるさいって言ってるだろフレディ!」
「お前こそさっきからうるさいんだよロジャー!」
「俺のどこがうるさいって言うんだよぉ!!」

翌日。フレディ、ロジャー、ブライアンの3人は、ホテルのジョンの寝室にいた。
ジョンの昨夜の演奏は上出来だったが、やはり無理がたたったとみえ、
公演終了後に病院に運ばれたのだった。幸い高熱は一過性のもので、
右腕の傷の回復も順調とのことでホテルに戻り、2日後に公演を控えた残りのメンバー、
スタッフ共安堵した。

ジョンは今、小競り合いを繰り広げる3人をものともせず、ぐっすり眠っているようだ。
幾分やつれてはいるが穏やかな彼の寝顔に気付いた3人は、
毒気を抜かれたようにまた静かになった。
「…だけど、強いよな、ジョンって。おとなしい顔してるのにさあ、
こうと決めたら必ずやり遂げるところがあって」
ロジャーがぽつりと言った。ブライアンがうなずく。
「そうだね。年下扱いしてしまうことが多いけど、(そこで彼とロジャーは
フレディをちらっと見たが、当の本人は気付いていなかった)僕等よりずっと
地に足がついてるよ」

「よおし、決めた。やはりあの件はジョンに任せることにしよう!」
急に言い出したフレディに2人はけげんな顔を向けた。
「あの件って?」
そんなことも分からないのかといいたげな口調でフレディは言った。
「僕等の新しいマネージメントの件だよ!ジョンならきっとうまく仕切ってくれるさ」
「うーん、別に反対する理由はないけど、彼には重荷じゃないかな」
「何いってんだよブライアン。さっきの言葉と違うじゃないか。これで彼も、
自分がどれだけクイーンにとって必要な存在か分かると思うよ。もう年下扱いは
させないぜ。(「誰がしてるんだよ」2人の小声は彼には聞こえなかった)
な、ロジャー」
「えっ。そ、そうだな。他人にエラそうにされるのはもうご免だよ。
…そういや彼、会計士の友達がいるって言ってたし」
そういう性格なのか、家族のためなのか、メンバーの中でジョンほど経済概念を
はっきり持つ者はいない。それは皆が知っていた。

「じゃあ決まりだ!ああ、なんだかわくわくしてきたぞ。歌いたくなってきた。
よし、とっておきの子守歌を歌ってやるよ、ジョン」
「やめろってば。フレディの声じゃ夢見が悪いよ。どうせ妖怪や何かが出てくる歌だろ」
「なんだよそれ。そりゃあクルマとか紫のクツとかの歌は歌えないよな」
「いいじゃないかよぉ!おふくろを縛り付けて彼女と遊ぶ歌よりマシだぜ」
「どうしてそこで僕の歌が話題にのぼるんだよ!それにあれは名曲だ!」

どうやらまた騒ぎの種が育ったようである。
ジョンの寝顔が綻んだのは、良い夢を見ている為だろうか。誰も気付かなかったけれど。

あとがき

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