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永遠の翼〜確執

そのデモテープを聴き終えて、ロジャーはひゅうっと口笛を吹いた。
「大胆なこと考えたもんだね、ジョン」
目の前で、まなざしに静かな自負をたたえてロジャーを見つめる男には、
10年前の「自信のない女の子のような面影」はまったくないといえた。
月日だけが彼を変えたのではなかった。
最年少で、新参者で、いつも控えめに沈黙を守っていたジョン・ディーコンは今や、
ヒットメーカー、マネージメントの統括者として、他の3人と対等の立場にいる。
フレディの変化にも驚くべきものがあるが、このジョンの変貌ぶりを思うと、
自分達クイーンが歩んできた道のりの長さを実感するロジャーだった。
「どう思うロジャー?」
「うーん、俺は面白いと思うよ。でもさ…」
「ブライアンには僕から言うよ。彼だって分かってくれると思う」
本当にそうだろうか。
(今まで、ブライアンが参加してない曲なんかほとんどなかったんだぜ、ジョン…)
たった今聴いたジョンの曲、「BACK CHAT」には、ギターパートがなかったのである。

「よお、何ひとりでシケてるんだよロジャー。ブライアン達は?」
コントロールルームでロジャーが何本目かのマルボロに火をつけた途端、
フレディがスタジオに姿を見せた。
「あ、そ、こ」
彼がぐいと親指で指し示したガラス越しに、険悪なムードのブライアンとジョンがいる。
「2人とも、相当盛り上がっているみたいだ。むろん、彼等なりに、だけど。
もう3時間くらいあんな調子さ」
「ははあ、アレのせいだな?ジョンの曲だろ、今度の」
「知ってたのかいフレディ?」
「ああ、きのうテープを聴かせてもらった」
「で、どう思った? …かなりブラック寄りだよな」
フレディはそれには答えず、「The March of The Black Queen」などを
ハミングしながら、2人をじっと見つめて言った。
「あの分じゃ、ブライアンの勝ちだろうな」
「…なんで分かる?ジョンも言い出したら後へは引かないぜ」
「長期戦であのブライアンに勝てる奴はいないよ。それにほら、
ジョンのまばたきが多くなってるだろ、あれは弱気になってきた証拠さ」
「へええ、よく見てるな…そんなら、加勢してやらないのかい?」
「ダーリン!俺が出て行ったら余計話がこじれてしまうよ。
さて、今日はこれじゃ作業が出来ないから、もうおいとまするよ。またな」
「またな、って、今来たばかりだろうが!おい、フレディ!」
風のように去って行ったフレディを恨めしそうに見つめるロジャーであった。

(だんだん、お気楽になっていくよな、フレディって奴は)
以前は、先頭に立ってアイデアを出すのがフレディで、それにブライアンや自分が
異を唱え、議論が収拾つかなくなってくると、皆の意見を慎重に吟味していた
ジョンの一言が出て、最終的にまたフレディがまとめる、というパターンが多かった。
そんな4人の微妙なバランスが崩れ始めたのは、いつの頃からだったのか。
誰が悪い、という問題ではないと思う。
しかし、最近のフレディのムラの激しい性格が影響を及ぼしているのも否めない。
(俺じゃあ、フレディの代わりはできないからな…)

「これはクイーンの曲じゃない。僕等はR&Bバンドとは違うんだ。
君が向かおうとしているものにはこれ以上妥協できないよ、絶対に」
(ブライアンはこの曲にギターのソロがないからそう言ってるだけじゃないのかい?)
喉元まで出かけた言葉を飲み込んで、ジョンは目を閉じた。
そんな次元で言い争ってはいけない、と思い直す。
「クイーンの曲」という分類をさらに拡張することこそ、自分たちの課題ではないのか。
今までの曲風だけで生き残ることは出来ない。そう言いたかった。
しかし、弁が立つブライアンを前にすると、うまく口に出せなくなる。
それに、他のメンバーが作ってきた曲に対してなら、誰よりも客観的で冷静な
意見が出せるが、自分の曲ではそうもいかないのが現実だった。

議論が堂々めぐりの様相を帯びてきた頃、ブライアンがこう提案した。
「なあジョン、一晩考えさせてくれよ。僕なりにこの曲にアレンジしてみたいから。
それを聴いてみて欲しい。いいだろう?」
「…うん」嫌とは言えなかった。
「話し合い」がひとまず終了し、ブライアンは幾分ほっとした顔で部屋を出たが、
ジョンは疲れ果てて部屋の隅に座り込んだ。

「納得のいく結論に達したって顔だね、ブライアン」
「なんだ、いたのかロジャー」
「珍しい組み合わせだからね。このまま放っておけば、一晩中でもやり合ってんのかなと
思ったら見逃せなくてさ。…で、あの曲にギターパートを入れるんだろ?」
「ああ、あのままではダメだと思うからね」
「つまりは、あんたの出番がないことが問題なわけだ」

ブライアンはふうっとため息をついて、ロジャーを見た。
「ずいぶんはっきり言ってくれるね」
「当たってないかい?」
「…それだけが問題じゃないけど、感情的に言えば、それもあるかな。
…さあ、もう一人にしてくれないか。君とまでやりあう気力はさすがにないよ」
ロジャーは手を振って出て行った。

(ジョンも、せめてロジャーの半分くらいストレートに言ってくれたらいいのに)
自分の感情に正直なロジャーといると腹の立つことも多いが、
何を考えているのか分からないジョンは苦手だ、とブライアンは思う。
自分達が進んでいく方向を最終的に確信するために、ジョンの存在は必要不可欠である。
この曲でうまくいくだろうか、と不安な時、彼の静かな励ましでどれだけ自信が
ついたかわからない。マネージメントを指揮して、音楽界を上手に渡り歩く
ビジネスセンスを身につけた彼を、頼もしく思ってもいる。
しかし一方で、ジョンと自分では目指す音楽が違いすぎることも分かっていた。
それぞれ自分の音楽がある。しかしそれと「クイーン」というバンドの音楽は
相容れない時も多い。だから各々がどこかで折れることも必要だった。
そうはいっても、以前に築きあげたクイーンの個性を180度転換させかねない
彼の曲風に、これ以上妥協する訳にはいかない。
ジョンをクイーン本来の道へ戻すのが自分の役目だ。ブライアンはそう考えている。
だが、その実、彼自身も迷っているのだ。
(…『クイーンの道』って、何なのだろうな一体)

バタン。
ドアが急に開いた音にびっくりして、ジョンは顔を上げた。
戸口に立っているのはロジャーである。
「おらおらジョン、そんなとこに座ってないで、早く飲みにいこうぜ」
「…見てたのかい、ずっと」
「ああ」
「だらしないよね、僕は」
そう言って目を伏せるジョンの姿は、出会った頃と同じにみえた。
(なんだ,それほど変わっちまった訳でもないか…)
ロジャーはなぜかそれで少し安堵した自分に可笑しさを感じた。
隣に腰を下ろすと、いきなりジョンの首に腕を巻きつける。
「なに弱気になってんだよ!俺には偉そうにするくせに。
そうだ、俺まだ根に持ってんだぜ。お前、日本でさあ、『好きなミュージシャン』
ってとこに、フレディとブライアンを挙げときながら、俺の名前を書いてなかったろ」
「…ええ?」
「俺の音楽は気に入らないっていうのか、ああん?」
何故今ごろそんな昔のことを言うのだろう、ジョンはいぶかしげにロジャーを見つめた。
サングラスの奥で、ブルーの瞳がいたずらっぽく光っている。
つられて笑みがこぼれた。ロジャーはいつもさりげなく彼の心を和ませてくれる。
「もう、…何を言い出すんだよロジャー」
「どうなんだ?」
ぎゅっと締め付けてくる腕から身を引いて、ジョンは立ち上がった。
ロジャーを見下ろして、すました顔で言う。
「…だって、僕のベースは弱いって言って、君の曲では弾かせてくれなかった
じゃないか。だから僕も今度は自分で、どこどこハデな音がしないドラムを
叩こうかなって思ってるんだ!」
「おっ、言ったなこいつ!」
子供のようにふざけあいながら、2人はスタジオをあとにした。

(僕は必要以上に背伸びをしていたのだろうか)
その夜、ジョンは思った。
これまで、彼等に追い付くことしか頭になかった。
疎外視されている訳ではなかったが、年齢のこと、コーラスに加われないこと、
作曲経験のことなどで、一人だけ取り残されているという焦燥感が彼を苦しめていた。
それを振り切るようにマネージメントに力を注ぎ、対等にバンドの将来を決定する
権限を得ようと必死になってきたのだが。
(ひとりよがりだったのかな…)
ギターのソロを入れたがったブライアンにエゴを感じてしまったのは、
自分がそうだからではないのか。
(僕は、自分の曲も「クイーンらしい」と早く認識されたいだけなのかもしれない)
今回のアルバムのコンセプトはフレディと彼が押し進めたといってよい。
時代の流れに敏感で、より一層の変化を求めるフレディに、
彼なりに対応してきた結果でもある。だがそれが果たして吉とでるか凶とでるか、
ジョンにも確信は持てなかった。
もはや、以前のように傍観者としてバンドを眺めることは出来なくなっている。
(でも、僕のエゴのせいでバンドに亀裂が入るのだけは避けたい)
クイーンに対する思い入れは他の3人より強いかもしれなかった。
マネージ側からバンドを見守る必要ができたのも一つの理由だが、
クイーンなしでは自分の音楽も存在しない、という何か宿命のようなものを
ジョンは感じ始めていた。まだやりたいことは沢山ある。
今ここで自分が壊してしまう訳にはいかない。
明日は気持ちよくブライアンに会わなければ。そう心に決めて、彼は眠りについた。

「さあ、張り切っていこうか!ジョン、もう歌入れてもいいんだろ、『BACK CHAT』」
今日のフレディのテンションは高い。
「OKだよフレディ」
ちらっと彼を見やったブライアンに笑顔で頷き返しながら、ジョンは答えた。
そのあっさりとした態度にブライアンも安心したようだ。
実際、今朝聴いた彼のギターアレンジは曲に最適だった。
(やっぱりブライアンはすごいな)
何のこだわりもなくそう思えた。

フレディのノリも非常に良かったのだが、ひとつだけ気になる部分があった。
「ジョン、どうだい僕の歌いっぷりは。いいセンいってるだろ?」
「…うーん」
「なんだい、何か気に入らないところがあるの?」
「あの、中間のギターソロの直前なんだけど…『NO!』って台詞はちょっと…」
(なんだかブライアンに誤解されそうだよ、フレディ…)
ジョンの口には出せない気持ちを知ってか知らずか、
「おおいブライアン、さっきのテイクで完璧だよな?」
フレディは至って暢気な声で、チューニング中のブライアンに尋ねた。
「…ああ?よかったんじゃないか?」
すでに頭は次の曲でいっぱいになっているブライアンは、生返事でこたえた。
「ほらね?」
フレディはジョンに軽くウインクすると、レコーディングルームへと去っていった。
「さあて、お次はどれだ?今日はどんどんいけるぜ!」

「まったく、お調子もんだから困るぜ、なあ」
フレディの後ろ姿を見ながらそう言うロジャーも嬉しそうだった。
4人がこうして揃ってこそのクイーンだ、との彼の思いがジョンにも伝わってくる。

『ブライアン、それじゃさっきと同じだよ。もう一回やってくれ』
『同じじゃないよフレディ、よく聴いてから言ってくれ。いくぞ』

フレディとブライアンの声を聴きながら、ジョンは思う。
たとえどんな結果になろうと、後悔はするまい、と。
それは4人が精一杯頑張った力の結晶なのだから。

あとがき

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