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永遠の翼〜見過ごしたもの

「そんな…信じられないよ。THE WHOが解散だなんて…。
ちっともそんなそぶりなんて見えなかったのに…。ほんとなのかな」
「ジョン、まだ言ってんのかよ」

ホテルの窓から、色づき始めた葉が顔を覗かせていて、やがて迫り来る
冬の訪れを密かに感じさせている。彼らは今、日本にいた。
雑誌社のインタビューが一段落つき、遅いランチを摂っているところである。

同じことばかり言いやがって、という表情で、ロジャーはうるさそうに
ジョンを睨んだ。
「バンド内のことなんてのはな、そいつらしか分からないもんじゃないか、
そうだろ?」
「まったくそうだ。それに何も驚くことじゃないよ。どんなバンドだって、
どのみち解散するんだからね。例外なく」
ブライアンが同調する。彼とロジャーの意見が合うのは今では珍しいことだった。
ジョンは少し困ったような目をして、向かいに座っているフレディをちらりと見た。
だがその視線を避ける様にして、彼は黙って食事に専念している。
ロジャーとブライアンもそれ以上はお互い共通点を見つけたくないらしく、
黙り込んでしまった。それは、かなり気まずいランチだった。

やがてフレディが、皆を見回して、言った。
来年は、バンド活動を休まないか、と。
食後の紅茶を持つ手が一瞬震え、食器が耳障りな音を立てた。

休む…? バンド活動を…?

ジョンにとっては、THE WHOの解散など頭から吹き飛んでしまうほどの
衝撃だったのだが、後の二人は当然のことのような顔で、平静に頷いていた。

『僕たちには、考える時間が必要だと思う』

なぜ彼らはそんなふうに納得できるのだろう?
いつだって反発しあっているくせに…?
なぜそんなふうに簡単に、意見を合せたりできるんだろう?

「なんて顔してんだよジョン。一年くらい休んだところで、俺達は
貧乏になったりはしないぜ。細かいことは、ジムに任せときゃいいんだよ」
「『ホット・スペース』の儲けもあるし。そこそこだけどね」
「…別に、お金のことが気になるわけじゃないよ!」
「じゃあ、次のアルバムを作りたいかい? 作れるかい?」
「……」
「みんな、疲れているんだよ。そうじゃないか?」

確かに、疲れていた。
各地で懸命の宣伝活動をした割に、セールスが伸びなかった今回のアルバム。
自分の曲をフィーチャーしたシングルが惨めな結果に終わったときは、
心底辛かった。誰も口に出さないものの、無言で責められている気もした。
「こんな結果になったのは、お前の方向が間違っていたからだ」と。
今まで自分の勘を信じきっていただけに、混乱していた。
(でも、フレディがいいって言ったから…それで僕は…)
ジョンは気づいていない。
彼もまた、同じ目でフレディを責めていたことに。

その日を境に4人は別行動に移り、揃って話し合うことはなかった。


最初の数週間は、穏やかな日々が過ぎていった。あくまで表面上は。
子供たちは彼が毎日家にいるのがひどく嬉しいらしく、纏わりついて
離れなかった。ヴェロニカの買い物に付き合ったり、家族で公園に出掛けたり、
夜は子供たちに絵本を読んできかせたりする、ごく普通の生活。
いつもどこかで夢見ていたはずのその暮らしも、長く続けば、単調で退屈な
ものに思えてくる。

ある日、深夜に目が覚めたジョンは、洗面所の鏡をぼんやり見つめた。
10年。
自分で区切りを置いていたことを、思い出す。
10年で世界を手中にすると。
一方で、10年も持てば充分だと、冷めた目をしていたことも、思い出す。

…これからどうなるんだろう?
忙しさにかまけて、次の10年のことなんて、考えてもいなかった。

活動休止だなんて。
きっと、そのあとに来るのは…。

「解散」という文字が頭に浮かんで、ジョンは激しく首を振った。
今更、次の仕事なんて探せない。
現実的な声の一方で、熱い思いが胸を過ぎる。
それは大抵、フレディの姿を伴っている。
自分の今の年齢の頃の彼は、「ボヘミアン・ラプソディ」を作ったではないか。
スタジオで主導権を握り、あれほど燃えていたではないか。
ここに来てようやく皆に追いつけたと思ったのに。
それなのに、エネルギーを注ぎ込めるバンドは、活動を休止している。
(嫌だよ…こんな、中途半端なのは…どうしてなんだよ…)
ジョンは言いようの無いフラストレーションを感じていた。


年が明けると、ロジャーから電話があった。
「別荘に遊びに来ないかって言ってるけど、どうする?」
「…子供たちを連れては行けないわ。ロバートは学校が始まるし」
(あなた一人で行ってくればいいじゃない)
柔らかい口調だったが、拒絶の言葉に違いなかった。
ヴェロニカの生活は子供を中心に回っている。
ツアーの合間に帰って来た時に感じた、あの居心地の良さは何だったのだろう。
ジョンは徐々に家族が遠いものに思えていた。

何をしていても、ロジャーは精力的だった。アウトドアスポーツを
満喫しながらも、スタジオでソロアルバム作りの準備も怠らない。
時間を自由に使える今を心底楽しんでいる彼に、ジョンは羨望の眼差しを送った。
「お前もソロ活動をすればいいんじゃないか」
「ソロは…無理だよ…」
「そういうところが消極的なんだな、ジョンは」
ドミニクが運んできた飲み物に口をつけながら、ロジャーは言う。
「大袈裟なもんじゃなくて、気の合った奴とジャムるってのはどうだい?
ブライアンをみてみろよ。どこであんなのと知り合ったんだって思うような
奴等とバリバリやってるぜ? フレディだって、何やら忙しそうにあちこちで
活動してるしな」
「え? そうなんだ」
それでは事実上活動を「休止」していたのは自分だけだったのか。

『何かやりたいんだろ? だったら、やればいいのさ』

帰宅後、何度となくロジャーの言葉を反芻してみた。
行き着く先はいつも同じだった。
――ベースが弾きたい。曲を作りたい。
奇妙なものだ、と思う。どっぷりバンド活動に浸っているときには、
感じなかった衝動である。
(もう、僕にはこれしかないのかもしれない…)
周りからすればミュージシャン以外の何者でもないのに、本人は未だに
半信半疑でいた。ここは自分が属していける場所ではないという思いが始終
つきまとっている。しかし、自分を表現できるものは音楽だけだと、
分かってもいるのだ。昔からそうだった。父が早逝し、家族の心の支えに
ならざるを得なかった少年時代から。
辛い現実を忘れさせてくれたもの。素直に向き合えたもの。
それは音楽しかなかった。


数ヶ月ぶりにフレディに会ったのは、青葉が眩しいモントリオールのホテルの
ロビーだった。彼らはそこで、とある映画監督と会う予定になっていた。
マネージャーのジム・ビーチが共同プロデュースする映画に、クイーンが
関わるかどうかの話し合いのためである。

「あはっ、ジョンったら、その、頭…!」
少しばかり固い表情をしながら約束の場所に現われたフレディは、
ジョンの髪型をみて、クックッと笑い転げた。ジョンは照れくさそうに肩を竦めた。
数ヶ月前は前髪だけが縮れていた彼の髪は、今や全体的にふんわりと膨れている。

監督との約束までまだ間があった。テラスに出て外気に触れることにした二人は、
数ヶ月のブランクからくるどこかそっけないその場の雰囲気が
すぐに和んだことでほっとしたように、普段と変わらない会話を重ねた。
「『ホテル・ニューハンプシャー』か…人気作だね」
「読んだことあるのかい?」
「うん、ざっと目を通しただけだけど。映像にするとなると、問題ありそうな
箇所がいっぱいだなあ」
現代のおとぎ話と銘打たれた長編の中には、近親相姦、性倒錯、過激派ゲリラ、
事故に自殺…といった、穏やかでない事件が山ほど詰まっている。
「ふうん。僕はジムにちょっと聞いただけだけどさ、あの言葉気に入ったな。
ほら、『Keep passing the open windows』っていうの。胸に響くよ」

開いた窓は見過ごしつづけろ。

それは、原作の主題といってよい言葉で、「よそ見はするな」「生き続けろ」
といった意味を持っている。開いた窓に目を留めたせいで自殺を図った、
ドイツの哀れな道化師の諺からきていた。様々な困難に打ち勝ち、あるいは
挫折しながら、登場人物たちはこの言葉をいつも胸に秘めている。

「フレディは…」
自殺願望でもあるのかと聞きかけて、ジョンは途中で口をつぐんだ。
前にもそういう曲を書いていたので気になったものの、プライベートな
ことかもしれないと思い直したからだ。私生活に干渉する気はなかった。
フレディは彼のためらいに気づいたのかどうか、少し弁解がましく付け加えた。
「なんていうか、表現が詩的じゃないか? 僕は綺麗な言葉が好きなんだ。
何も自殺願望があるって訳じゃないよ」

そしてすぐに話題を変える。
「映画といえば…「メトロポリス」っての、知ってるかい? ほら、マッド
サイエンティストが作ったちょっと色っぽいアンドロイドが反乱を起こす話。
あれをリメイクするってんで、僕も曲を書いたのさ。でも、昔のままで
置いておく方がよかったと思ったけどね。古い物ほど価値はあるんだよ。
まあこれは単に僕がアンティーク好きなせいかもしれないけど」

「それから、アメリカで久々にマイケルと話す機会があってさ。ああ、彼、
君にもよろしくって言ってた。それで、家に呼んでくれたのはいいけど、
大変だったよ…! 家ん中でラマなんか飼ってるんだぜ? 一緒に何曲か作って
みたりもしたんだけどさ、だんだん得体の知れない奴になってきたみたいで、
ちょっと心配したな」

立て続けに喋っていたフレディは、黙って笑顔を見せているジョンに気づき、
話題を彼へと切替えた。
「君の方はどうだったんだい? ロジャーに聞いたよ。なんとかっていう、
おっかないテニス選手とジャムってたそうじゃないか。審判にラケットを
投げつける奴だろ?」
「マッケンローは面白い人だよ。ギターもうまかった」
「へええ。ブライアンの友人関係もよく分からないけど、君の場合も
理解に苦しむね。ヴェロニカはなんて言ってた? そりゃそうと君達、
うまくいってるんだろうね? やっぱり毎晩楽しんでるのかい、うん?」
回り込んだ彼に悪戯っぽい目をして覗き込まれて、ジョンの顔がほんのり
赤くなった。とってつけたように咳払いをして、澄ました口調を心がける。
「…その…最近は、ダメなんだ」
「ダメって、ジョン…まさか…」
フレディの表情が曇る寸前に、早口で付け加えた。
「5ヵ月なんだよ。彼女」
みるみるうちに目がまんまるになる。
「…な、なんだ、そうかぁ! もう、びっくりさせないでくれよ!」

昼下がりのテラスには他に人影も無く、彼らはのんびりと初夏のカナダの
からりとした気候を楽しみながら歩みを進めている。

フレディのいろんな体験話を聞きながら、ジョンの頭には映画のことも
浮かんでいる。グループでサントラを手がけるという仕事の大変さは、
「フラッシュ・ゴードン」で分かっていた。しかも今回の題材は、荒唐無稽な
SFではなく、より一層リアルなものである。クイーンで扱いきれるものかどうか…。

ジョンの思案顔を、フレディは別の意味に受け取ったらしい。
「…そんなに嫌なら、別にいいんだよ、この話を引き受けなくても。
活動を無理に再開しなくても構わないさ…」
余りの口調の変わりように、ジョンは驚いてフレディを見た。
だが彼は地面を見つめたままである。

「君には幸せに暮らせる家族もいるし、有意義に生きていけるんだから、
それでいいじゃないか」
そう言いながら先を歩いていくフレディに、いや、違うんだと言いかけて、
ジョンはそのどこか寂しげな背中に気づき、そして悟った。
(フレディは…僕よりも辛かったのかもしれない)
無論それは憶測でしかなかったが、先程から聞かされた精力的な彼の行動に、
孤独を紛らせたいという気持が強く宿っているような気がしたのだった。
『僕には音楽しかないんだから』
彼が常々、冗談交じりで口にするこの言葉は、案外いちばん深い真実を
語っているのかもしれないと。

(僕だってそうなんだよ。…今はね)
フレディの誤解を解くために、また、自分の中で揺れる気持ちに終止符を
打つためにも、今この瞬間、口にしなければならない言葉があった。

「フレディ、僕はね」
立ち止まったジョンは、怪訝そうに振り返ったフレディを見つめた。
「僕は…この仕事を、一緒にやりたい。クイーンとして」
彼の大きくて黒い瞳と、そこに映る自分に言い聞かせるように、
言葉を慎重に選ぶ。
「そう、クイーンとして、やっていきたいんだ。できるだけ早く。
…僕は、また皆と活動がしたいんだよ」

沈黙が流れた。微風が緑の葉を揺らす音だけが聞こえる。

「君の口からそれを聞けて、ほっとしたよ」
フレディはそう言って照れかくしのように顔を背けたが、
そのあとの小さなつぶやきも、ジョンにはちゃんと聞こえていた。
「もう嫌になってたのかと思った…」

次に振り向いた彼の顔は明らかに興奮していた。
「そうと決まれば早速ロジャーやブライアンにも連絡とらなきゃ。
ミーティングは、ここでやっちまおうか? ジムにセッティングしてもらおう」
フレディは早足でロビーへ向かっていった。

(君のその背中に、嫌だなんて言えない)
誰よりも才能に恵まれていながら、決して満足しない背中。
人に夢と幸せを与える分、孤独に陥ってゆく背中。

(また皆と活動したい…)
口に出したことで、ジョンの決心は定まった。
しかし、根本的な問題を再び回避してしまったことにも気づいていた。
−−「どんなバンドも、いつかは解散する」−−
そのとき自分はどうするのか。

(だけどそれは少なくとも今じゃない)

先送りした心のしこりを押え込むようにして、ジョンはフレディの後を追った。
開いた窓など見ない。
今はただ、フレディの背中さえ見ていればいいと思った。

空はどこまでも青く透明な色をたたえて、二人を静かに取り囲んでいる。

あとがき

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