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Eternal Wings
Under Pressure

Written by Anja Geenen (translated by mami)

Chapter One

ヴェロニカの目はジョンを追い続けていた。
いったい何を考えてるっていうの? 帰ってきてから座りもせずに。
呼びかけてみても返事はなく、勧めたお茶も何の役にも立たなかった。
クイーンのツアー中、子供たちは彼の帰りを心待ちにしていた。そして今ジョンは家にいて、子供たちもここにいる。それなのにこの人には遊んでやる気持ちも、何かしてやろうという気持ちもない。ダディがまたおかしくなってしまったことを悟ったロバートは部屋を出て行ってしまい、妹や弟たちも彼に続いた。ヴェロニカには分かっていた。あの子達はこんなジョンは好きじゃないのよ、私と同じように。落ち着きなく始終歩き回り、声高に喚くだけで会話も成り立たないようなジョンなんて。
帰宅してからかなりの時間が経ったというのに一向に落ち着かない彼を見ているうちに、不安と恐怖がヴェロニカを襲った。クイーンがまだ成功のかけらを掴んだばかりの初期の頃、ヴェロニカはジョンが誇らしかった。でも今は…。結婚して4人の子供に恵まれて、幸せなはずなのに、とてもそうは思えない。なんとかジョンの気持ちをほぐそうとしても反応はほとんど無かった。もう私を愛していないの?子供たちなんかどうでもいいの? ヴェロニカはクイーンを憎んだ。ジョンをこんな風にしてしまった、自分と子供たちに「見知らぬ他人」を与えたクイーンを。ツアーから戻る度に、はやくいつものジョンに戻って欲しいと願った。いつもなら元通りになっていたのだ。今回までは。

「ジョン、お願いだから少し座ってくれないかしら。 お茶でも飲んで、ねえ…」
返事も、反応も無い。ヴェロニカはもう一度試みた。優しく、柔らかい口調で。
「あなた、少し座ってよ。いったい何があったの、ジョン? ただ座ってお茶を飲むこともできないなんて、どうしたっていうの?」
ヴェロニカは泣きそうになってきた。涙がもうすぐそこまで溢れている。
「そんなあなたが怖いのよ私。子供たちだってそうよ。座って、ジョン!」
いつしか彼女は叫び声を上げていた。涙が柔らかな頬を濡らし、両手はブルブル震えていた。抑えが効かなかった。ジョンは少しばかりショックを受けた様子で、ようやく彼女の言葉に従って腰を下ろした。
「あなたは私たちを滅茶苦茶にしてるのよ! ツアーから戻ってきたらいつもそんな風におかしくなるんだもの。もう、私が結婚したあなたじゃない…ええ、誰でも変わるものだってことは分かってるわ。でもこんなのは嫌。私たちみんなが引きずられてしまうのよ。ジョン、こんなこともう止めなきゃ!」
沈黙が続いた。しばらくしてヴェロニカは再び話し始めた。さっきより落ち着いてはいたが、声はまだ震えている。
「止める方法はたったひとつ…あなたがクイーンから手を引くことだと思うの。お願い、バンドを辞めると約束して。…約束して!」
ジョンは驚いて彼女を見つめた。そんなことをよく訊けたものだという表情で。ヴェロニカは辛抱強く、返事を期待していた。ついにジョンは口を開いたが、荒れた声に怒りが滲んでいた。
「バンドから手を引くなんて出来るわけないじゃないか。それに僕がやらなきゃならないことで君なんかに指図される覚えはない!」
言うなりジョンは部屋を出て行った。ヴェロニカは一人取り残された。涙が次々に頬を流れ落ち、体の震えが止まらない。凍りつくようだった。部屋がぐるぐる回り出し、物音にさえ気分が悪くなった。この部屋のせい? それとも、ジョンの言葉のせい? あの人が家族よりもバンドを選ぶなんて、思ってもみなかった。今はただ、泣きたい。思いっきり泣きたい。
突然、小さな手が彼女に触れた。泣かないで、また何もかもうまくいくよと慰める子供の声が聞こえる。ヴェロニカは自分を心配そうに見つめる長男を見下ろした。
「泣かないでママ。きれいなお顔が台無しになっちゃうよ」
残りの3人の子供たちも兄に続き、母親が泣くのをじっと見つめていた。彼らの目にも涙が光っていることにヴェロニカは気づいた。両手を広げると、子供たちは揃って抱きついてきた。彼女も暖かく抱き返した。
「ママ、みんなママが大好きだよ。泣かないでママ。ママはすてきだよ」

あの人、どこへ行ったのかしら? 子供たちをベッドへ連れて行った後で、ヴェロニカはジョンの居所を気にし始めた。もう真夜中近いというのに、彼はまだ戻っていない。ヴェロニカはだんだん心配になってきた。ああ、神様、もしかしたら事故に遭ったんじゃないかしら。彼女は友人たちに電話をかけ始めた。最初に身近な友人、その後でブライアン、ロジャー、フレディ、最後にジム・ビーチ。誰もジョンを見かけていなかった。すっかり落ち着きを無くしたヴェロニカは自宅の周辺を歩き回り、心当たりすべてに電話をかけ、ジョンの名前を呼びながら家の隅々を探した。だが返事はなかった。ヴェロニカにはなぜ彼が帰ってこないのか理解できなかった。今彼女の脳裏にあるのは、ジョンが事故に遭ったか、誰かに何かされたのではないかということだけだった。ひどい怪我をしてどこかで倒れたままなのかもしれない…。もうこれ以上は考えたくなかった。一日であまりにも多くのことが起こり、疲れきっていた。恐怖と不安と、まだ怒りがこもった涙が瞳に溢れた。疲れすぎて何も考えられない。彼女はリビングに腰を下ろした。ふわふわと漂っている感じがして、その後何もかもが暗闇に包まれた。眠りに落ちてからも、涙が零れていた。

* * *

誰かが軽く揺さぶる気配でヴェロニカは目覚めた。目を開けると眩しい光が飛び込んできて、またすぐに目を閉じた。ひどい気分だった。身体のそこかしこが痛む。
「起きなさいヴェロニカ。もう朝だ。子供たちは心配要らないよ、乳母が面倒見ているからね」
乳母? 乳母なんていたかしら? いつでも一人でやっていたのよ。
「ジョンはいないんだね、ヴェロニカ。まだ帰ってきていないのか」
ジョンという名前を聞いて、ヴェロニカは飛び起きた。両目は大きく見開かれている。
「まだ、ですって? 彼はどこにいるの? 無事なの?」
「分からないんだ、ヴェロニカ。我々も君と同じくらいしか分かっていないんだ。よく聞きなさい。ジョンを見つけるために、我々に協力してくれるね。彼が行きそうな場所を知らないかい?」
ヴェロニカは目をこすり、目の前の人物をよく眺め、それがジム・ビーチだと気づいた。彼はとても心配そうだった。
「さあヴェロニカ、考えて」
ジムは静かに話そうとしていたが、ヴェロニカと同じくらい取り乱し、気を揉んでいるようだった。ヴェロニカは考えようとしたが、まだ頭がうまく働かなかった。ああどうしよう、何かとても恐ろしいことが起こったんだわ。彼女に考えられるのはそれだけだった。
「分かりません。…本当に、分からないんです」
絶望的な気持ちになり、再び涙が溢れてきた。ジムは立ち上がって軽い苛立ちのため息を吐いたが、まだ心配はしていた。
「ああ、神様、お許しください。すべて私のせいなんです」
ジムは驚いてヴェロニカを見た。
「なぜ君のせいなんだね?」
「私が口喧嘩したから…私がクイーンを辞めてと言ったからなんです」
ヴェロニカは今、罪の意識に苛まれていた。もっと努力しなきゃならなかったのに。あの人を理解してあげなくちゃならなかったのに。クイーンを辞めてくれだなんて、そんな愚かで自分勝手なこと、あの人に言っていいはずはないのに。ああ、全部私のせいなんだわ。どうやって償えばいいの?
「それは違う。君のせいではない。ジョンは自分から出て行ったんだろう?」
ヴェロニカは頷いた。涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「君の待つ家に戻るジョンが、いつも少しばかり落ち着きを無くしていたことは私も知っている。今回特にたくさんのプレッシャーが圧し掛かっていたしね。彼には重荷過ぎたのかもしれない。しかしそれは君のせいではない、君だけのせいではね、ヴェロニカ」

* * *

一日中、ヴェロニカは考えていた。ジョンに何が起きたのか、彼はどこへ行ってしまったのか。もし何も悪いことが起こっていないのなら、どうして電話をくれないの? いったいどこにいるの? どうして昨晩帰ってきてくれなかったの? とても心配だった。ほかのことを考えようとしても、うまくいかなかった。乳母は子供たちを学校へ連れて行き、放課後もまた迎えに行ってくれた。料理も彼女が作ってくれたので、ヴェロニカのすることはなかった。ジムはまだ家にいて、昨日ヴェロニカが電話した人たちに再度連絡を取っていた。まだ誰もジョンを見ていなかった。まるでこの地球上から消えてしまったかのように。
ロバートが母がいるキッチンに顔を見せた。
「ママ? どうしてダディはまだ帰ってこないの? リコンしちゃうの?」
ヴェロニカはショックを受けて息子を見つめた。
「違う、違うのよ。ダディと離婚するつもりなんかないのよ」
「それならどうして、昨日は二人とも大声出してたの? どうしてダディは出ていっちゃったの? どうしてダディは戻ってこないの、ママ?」
途方にくれたヴェロニカは、どう言っていいのか分からなかった。
「さあ、いい子ね、こっちへ来て…」
幼い息子を腕に抱き寄せながら、言うべき言葉を探したが、適当な台詞は浮かんではこなかった。
「泣かないで、ママ」
ロバートは小さな指で涙をぬぐい、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「心配しなくていいよママ。僕が愛してるから。僕がママの面倒を見てあげるから」
息子の懸命の励ましに、ヴェロニカの胸に暖かいものが溢れた。

子供たちは出来る限り巻き込まないようにしたいとヴェロニカは思った。あの子たちのせいじゃないもの。こんな苦しみを味わわせるべきじゃないわ。こんなことで傷ついてほしくない。彼女にとって、子供たちが一番大切だった。健やかに育てるためなら何でもするつもりだった。心から彼らを愛していた。だからジョンには、よい父親でいてくれることだけを望んでいた。ただ子供たちを構ってやり、一緒になって遊ぶ人でいてほしかった。子供たちは、彼女以上に彼を必要としているから。父親がいない環境で育てたくはなかった。少なくとも、父親「のような」人物がいる環境では。最後に口論したときの、まるで他人のようなジョンなんてごめんだった。幸せいっぱいに熱狂していた、初めての子供が生まれたときのような彼に戻ってきてほしかった。
あの人は変わってしまったわ。時が経つにつれてどんどん変わっていってしまった。クイーン。あのバンドがあの人の人生そのものを変えてしまったのよ。それとも、名声が。そんなものはどうだってよかった。お金なんて要らない。家族と幸せに暮らせればそれでよかったのに、今では家庭生活のすべてが崩れ去ろうとしている。ヴェロニカは、自分とジョンが別れるかもしれないとの考えに耐えられなかった。ジョンが蒸発したまま、子供たちが彼無しで育っていかねばならないという考えにも。彼女にとって、家族がすべてといえた。

いまだにヴェロニカは、ジョンが家族よりもバンドを選んだことが信じられないでいた。どうしてそんなことできるの? 私たち家族よりもあのバンドの方が大事だっていうの? 彼女はふと、結婚当時のことを思い出した。1975年1月18日に式を挙げたとき、ヴェロニカのお腹にはロバートがいた。あの年の素晴らしさを、今でもはっきりと覚えている。新しい生活がまさに始まろうとしていた年。結婚、そして出産。幸せそのものだったわ。ジョンにとっても刺激的な年だったことも覚えている。本当にビッグな年だった。クイーンが『ボヘミアン・ラプソディ』で初めての大ヒットを獲得したのだ。ジョンもすごく嬉しがっていたが、ロバートが生まれたときはそれ以上に誇らしげだった。健康診断のために看護婦が小さなロバートを連れにきたとき、一緒についていこうとしたジョン。「いえいえ、お父様はよろしいんですよ。ほんの数分、坊ちゃんをお借りするだけですからね。終わったらすぐにお連れしますから。お約束しますわ」看護婦にそう言われて、真っ赤になってひどく決まり悪そうに「オーケイ」と言っていた彼を思い出すたびに、ヴェロニカの顔に笑みが浮かんだ。それなのに最近では、子供たちに誇りと愛情をもって接していたジョンは、どこにもいないようだった。あの人は、ガールフレンドの私とだけじゃなくて、クイーンというバンドとも結婚したんだわ。ヴェロニカはこれまで、表立ってクイーンを悪く言ったことは一度もなかった。だが今は心の底から、クイーンが無くなってしまえばいい、ジョンがずっと家にいられればいいと願っていた。始終ふらふらしていて、声高にわめき、何を言ってもうわの空の男ではなく、ジョン自身がずっと。

もう一度全員と連絡を取ったものの手がかりが掴めず、ジムは帰っていった。ヴェロニカは早めに床に就いた。熱に浮かされたような一日で、休息が必要だと思ったからだ。しかし彼女には考えを巡らすことしか出来なかった。何か物音を聞きつけては、7回も起き出した。家の中はしんとしているのに…。ひとしきり涙を流し、子供たちの安全を確かめてから、ヴェロニカはようやく眠った。

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