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Chapter 2

永遠の翼〜
As A Star Must Fade ― 消えゆく運命(さだめ)の星なれど ―
Written by Anja Geenen (translated by mami)

Chapter One : 噂

Part One : ラスト・ショウ

「マーキュリー」は惑星ではない。スター(恒星)だ。名づけるなら、「フレディ」。自分自身を生き抜き、歌い抜いた、彼。色んな意味で僕たちに影響を与えてくれた、彼。フレディ・マーキュリー、君の人生をひとかけらずつ考えていこう。HIV陽性だと分かったとき、君は正しいと思ったことをしたんだと、信じているよ。遺される人々がどう感じ、どう思うのか、君には分かっていたんだと、信じているよ。闘いはまだ終わっていない。君が死んだということを理解しよう、受け入れようともがいている人々がまだいるんだ。心の底から君を恋しく想っている者たちに気付いて、構ってあげて。フレディ、僕たちは今でも、君を愛している。

寒い。車から降りるなり11月の風が吹きつけ、ジョンは身震いした。行き交う人々、送られてきた沢山の花々に目を遣りながら、首のショールを少しきつく締め直す。ここ数日、何が起きたのか全く理解できていない。まるで夢を見ているような、確かなものは何もない数日間だった。だがこの寒さは現実。あの電話を受けたときに感じた、特別な寒さと同じ。ジョンは一人の紳士に導かれて、小さな教会に入っていった。同じく一人でやってきたロジャーの隣に立つ。ロジャーの隣にはブライアンがいた。彼は充血した目を潤ませて、アニタに付き添われている。人々はひっそりと語り合い、最後のショウの始まりを待っていた。最愛のパフォーマーの、ラスト・ショウを。ジョンの心は、自分達の最後のショウ、最後の闘いの兆しが表れ始めたショウへと、漂っていった。

* * *

突然のことに、彼は戸惑った。奇妙なコメント。交錯する視線。嫌な気分だった。まごつき驚いてフレディを見つめるブライアン。文句を言い始めたロジャー。
「フレディ、本気かよオイ! お前がオーディエンス無しで生きてけるわけない。必要なはずだろ?」
立ち上がったブライアンがロジャーに歩み寄り、肩を叩いた。
「まあ、言う通りにさせてやるんだ。後で考えが変わって、2年もすれば僕たちはまたツアーに出ているよ」
ロジャーは顔をしかめつつ、不本意そうに会話を閉じた。フレディがこんなことを言うのは、何もこれが初めてではなかったのだ。今のツアーでも、フレディを説得してもらうためにロジャーが色んな人々に電話をかけていたことは、ジョンも知っていた。今回、フレディは自分の決心を変えるつもりはないようだった。これが彼らの最後のギグになろうとしていた。

ジョンはステージ上に置かれたボックスに腰を掛けていた。作業する人々や、夜には人で埋め尽くされるであろう空間を眺めた。フレディのコメントがまだ脳裏に渦巻いている。フレディがこの後ツアーを止めたがっていることだけではない、彼が下した決意そのものが、ジョンには気がかりだった。まるでフレディらしくない。あちこちを旅して回らねばならず、ホテルから一歩も出られないことを嫌っていたとしても、ここ数年、ツアーを心底楽しんでいたのはフレディだったはずなのに。分からない…なぜもう十分だと? 変化が余りにも極端すぎる。ジョンに分かっているのは、何かがおかしいということだけだった。空は澄み渡り、心配な要素は何一つない。だがそれでも、ジョンは気がかりでならなかった。

時はゆっくりと過ぎ、フレディがプレイしたがった最後のショウへと移る。彼はご機嫌な様子で、周囲と朗らかに笑っていた。すべてが正常に見えた。走り回るクルー、騒ぎ立てるオーディエンス、冗談を言って回るロジャー、立て板に水で喋り捲るブライアン、そして、座って煙草を燻らせて、ロジャーとブライアンの会話を笑いながら聞いているフレディ。ジョンは彼の隣で、"のんきなディーキー"を装っていた。「無理するなよ、ディークス」ジョンのローディーが茶化す。ジョンは静かに微笑んで、煙草をくわえた。周りに目を遣った彼は、隣で煙草を弄んでいるフレディを注意深く見つめた。黙っている彼は、物思いに耽っているかのようだ。目を両手に落とし、ボックスにゆったりと腰掛けて、ブライアンとロジャーのノン・ストップの喋くりを楽しんでいる。見られていることに気付いたらしく、フレディはジョンの方へ振り向いた。ジョンは少なからず居心地の悪さを感じた。まだ僕があのコメントのことを考えていると、気付いたんだろうか。知られているような気がした。瞳がジョンの顔を探っている。シャイな笑みを浮かべ、ジョンはきまり悪そうにフレディから目を逸らした。だが、これで済んだとは思えなかった。

ジョンが見ているそばでロジャーがグラスを一息に傾けた。空だったらしく、うなっている。彼のウインク一つで、ローディーがすぐにグラスを満たした。会話はない。フレディはステージを見つめていた。ステージではブライアンがギターを弾き、ファンと楽しんでいる。そのフレディの立ち姿が余りにも孤独に見えて、ジョンは、これが終わってしまったら彼はすべてを恋しく想うのではないかと考えた。家で落ち着いて過去の望みに思いを馳せたとき、もう一度やりたいと、涙ながらに願いそうな感じだった。ロジャーもまたフレディを見つめていて、それからジョンに意味ありげな視線を送ってきた。ジョンは、フレディについて、ブライアンとは話し合ったことがあった。彼もジョンと同じくらい心配していた。『まずいよ、ジョン。何かあるんだよ』お互い、どう対処していいか分からなかった。ただ二人とも、今後のことを怖れていた。『親愛なるフレディ殿は、きちんとした理由なければ何事もしないじゃないか。何か良くないことがあるに違いないんだ』結局ブライアンは何が起こっているのかを見極めようとして挫折したが、ジョンはとてもあのコメントをそのままには出来なかった。こんなに考えているのに、こんなに心配しているのに、そのままになんかできない。ロジャーはそれほど心配そうな様相は見せず、グラスの中の水を喉に流し込んでいる。だがフレディを見つめる瞳には懸念が込められていて、ジョンはそこに問いかけの色を見て取った。最も美しく完璧なセルリアン・ブルーの瞳が、心配と、答えの出ない問いに苦しんでいる。ロジャーとはまだ話し合っていなかったが、どれほど気がかりに思っているのか想像はできた。目にかかった髪を払いのけ、サングラスでクールさを醸し出すロジャーは、ジョンよりずっとリラックスしているように見えた。

フレディはいつもどおり、素晴らしいショウを披露した。躍動する動き、躍動する音楽。躍動するオーディエンス。跳び回り、オーディエンスと戯れるフレディを見るのが、ジョンは好きだった。オーディエンスからのあらゆる反応を吸い込み、彼らを濡らし、戯れるフレディ。彼こそが、このスタジアムに、このネブワースに君臨する支配者だ。今宵は何もかも、彼のものだ。ジョンは音楽に身を任せ、メロディとフレディの歌声の上を漂った。泣きのギターを奏でるブライアン。背後ではドラムが激しく打ち鳴っている。音楽に支配されたステージ。興奮で揺れるスタジアム。沸き返るオーディエンス。フレディの首筋には汗が滴り落ちている。ブライアンが起こした曲に乗った彼が飛び跳ねると、体から飛び散る汗の匂いでむせ返るようだ。ジョンも流れに乗り、ステージ前に出て来ていたロジャーもまた、サングラスを頭に載せ、開けっぴろげな笑みを浮かべて倣った。フレディはブライアンを通り越し、ターンすると、今度はロジャーをちらりと見ながらジョンの方へと戻ってきた。典型的な動き。エレガントなターン。空中で、優雅に、力強く揺れ動く腕。まさに王者の風格。マイク・スタンドを腕の動きに添って優雅に揺さぶり、完全にコントロールしてから、フレディは口元にマイクを近づける。途方もない彼の歌声はオーディエンスの間を踊り抜けた。極限に近づきながらも完璧さを失わない、魔法の歌声。まさに王者の仕事。

フレディはオーディエンスと遊ぶのが好きだった。思いつくと何でもやらせていた。腕を上げると、彼らは歌った。声を高めると、彼らは従った。ワイルドになると、彼らは狂喜した。フレディのあらゆる動き、あらゆる声に、彼らは反応した。彼の支配力はウェーブを生み、後列にまで行き渡っていた。
ジョンは楽しかった。こんなにも多くの人々が、僕たちのファンがいてくれる。10万人と同時に恋に落ちる気分というものを味わった。ひとつの大きな集団の、その雰囲気、その団結性を。なんて沢山の人種。なんて沢山の声。数え切れない有様に、ジョンは言葉を失った。この気持ちを鷲掴み、きつく握り締めた。二度と失わないように。

夜も更けて来た頃、ジョンは穏やかにテーブルに就いた。「とびっきりのバンドにはとびっきりのディナーだぜ!」ロジャーが叫んでいた。テーブルには、ワイン、シャンペン、食べ物など、裕福な者たちが食せる限りのものが並んでいる。すべてが一流で、エレガント。料理はもとより、グラス、スプーン、フォークやナイフに至るまで、最高級である。集う人々も、テーブルに負けず劣らずエレガントだ。最も優雅でシック、かつ有名な者達が出席していた。フレディ以外は。ずっと彼を捜していたジョンは、結局ブライアンに居場所を尋ねることにした。
「家に帰っちゃったんだよ」
ブライアンはそう囁いた。変だ。帰るなんて何故? そういえば、『もうパーティーなんて柄じゃないよ。僕は修道女みたいな生活をしてるんだ』なんてことを記者に話していたけれど。ジョンはフレディの変貌をはっきりと悟った。こんなのおかしい。まるでフレディじゃないみたいだ。フレディそのものがパーティだったのに。あんなに好きだったのに。今では皆に、歳を取ったからもうパーティーなんて必要ないと説く男になってしまった。世界を欲しいままに生きてきた男が、こんな風に徹底的に変われるものなんだろうか? 多くの人々が、フレディはどこなんだ、なぜ帰ってしまったんだと尋ねてきた。後者はジョンにも答えられなかった。彼自身、何があったのか見当がつかなかった。ジョンはテーブルから隠れた席に腰を下ろした。ほとんどの人々が、何事もなかったように語り合っている。素晴らしい打ち上げパーティー。ロジャーは皆と冗談を言い合っている。ブライアンは笑顔で気さくに会話に励んでいる。だがジョンは、ただ眺め、考え込んでいた。

深夜。ジョンはしばらくぶりの我が家にいた。「マジック・ツアー」の名の通りの、魅力的なツアーだった。だがすべてが恐るべき速さで終局に向かっているように感じられた。4人でステージに立つ最後のとき、マジックを起こす最後のときへと。この魔法も、この終わりの予感も、フレディの選択通り。『クイーンのツアーはもうやらない』。彼だけが、これが最後だと確信していた。他の者たちは、あと2年もすればまたツアーに出るだろうと考えているのに。もう少し間が開くかもしれないが、そう遠くはない未来に、また。ジョンは不安な気分でベッドに入ったが、ヴェロニカの温かい身体を感じ、少しリラックスした。まだ考え事が頭を駆け巡っていた。ロード中の日々の思い出。パフォーマンスだけではない。共にいられたこと自体が、マジックだった。このような友情を暖めてから、もうずいぶん経つ。ふざけるのが大好きで、始終スクラブルやトリビアで遊んでいた、「スクラブル・キング」たち。落っことしたコマを捜すのに、フレディが列車中を這いずり回っていたときは可笑しかったっけ。寝返りを打ったジョンは、ヴェロニカとまともにぶつかってしまった。
「あっ、ごめん」
そう囁くと彼女は顔を覆い、眠そうに何かつぶやいた。それからため息混じりにこう言った。
「ジョン、遅くなるのは構わないけど、入ってくるときはどうか起こさないで頂戴」
「ごめんよ」
ジョンは繰り返し、彼女に近づくと、その柔らかな頬にそっと口づけた。ヴェロニカは寝返りを打つと、ほうっとため息を吐き、再び眠りに落ちた。ジョンは暗闇を見詰めながら、再び考えに耽った。大部分がフレディのコメントについてだった。あれはどういう意味だったんだろう? あの瞬間のことははっきりと覚えている。トレイラーの中に座っていたフレディが、こう言ったんだ。
「ねえみんな、これでおしまいにしよう。僕はもう二度とこんなことしたくない」
ロジャーは怒り出し、ブライアンと僕はただびっくりしていた。順番に考えていこう。オーケイ、フレディはツアーを止めたがっている。でも、何故? 見当もつかない。瞼が重くなってきた。あれがクイーンの最後のツアーなんだろうか。素晴らしい、本当に魔法のようなツアーだった。ジョンの思考はそこで途切れた。

主にフレディの妙なコメントについてブライアンやロジャーと話し合うために、ジョンはブライアンの家に車を走らせた。彼らもジョンと同様、意味を図りかねていたのだ。ロジャーはもう来ているらしく、道幅いっぱいに車を停めてあった。仕方なくジョンはロジャーの後ろに駐車した。玄関が開き、ブライアンがにこにこして出てきた。
「ジョン、何か問題でも? そこは車を停めちゃいけない場所なんだけどねえ」
ジョンは肩をすくめた。ロジャーより先に帰ればいいことさ。リビング・ルームではロジャーがブライアンのソファーをほとんど占領していた。車と同じだ。幅いっぱいに広がって、ビールを飲みながら、入ってきたジョンに開けっぴろげに笑いかけている。
「ヘイ、ジョニー。元気か?」
ジョンは穏やかに微笑み、座り心地のよさそうな椅子に腰掛け、アシスタントに差し出されたビールを受け取った。車のときに飲むのは賢明ではない。良心の呵責を覚えたが、ジョンはため息を吐いて、注意深くひと啜りした。口の中でビールを転がしながら、味をフルに楽しむ。彼らがビールを味わう間、部屋はしんと静まり返った。ようやく今日の目的を思い出したブライアンが口火を切る。
「フレディはどうなってるんだろう? どう思う?」
答えを求めてブライアンは部屋を見回した。
「分かるもんかい」
ロジャーが首を振りながら言った。視線をグラスに落とし、考え込んでいる。
「たぶん、本当に、歳を取りすぎたって感じてるんじゃないのか。とにかくあいつ、俺にはそう言ってたんだ」
顔を上げてブライアンを見たロジャーは、しばらくしてからジョンに視線を向けた。
「お前はどう思うんだ、ジョン?」
その問いを深く考える間、ジョンの瞳は宙を彷徨った。やがて口を開く。
「変だよ。ずっと、何かがおかしいって思ってきた」
「僕もさ」
ブライアンが頷き、言った。
「何かあるに違いない。フレディはたいした理由なしにそんなことは言わない奴だからね。今日来てもらったのは、フレディがツアーをやりたくないという理由について、君たちがどう思っているのか知りたかったからだ」
ロジャーは先ほどの言葉を繰り返した。
「さっきも言ったが、ホントにツアーやるには歳を取りすぎたんだと思ったのかもしれないぜ」
ブライアンはその説に賛成しかねていた。あのフレディが、歳を取りすぎたからなどという理由でツアーを止めるとは思えなかったのだ。ジョンも同じことを考えていたが、黙っていた。ブライアンが意見を口に出した。
「フレディが突然老いを感じてツアーを止めたくなったとは思えないよ」
「この前のツアーでも、あいつはやりたくないって言ったじゃないか、ブライ。説得するのに俺とクリスタルがどれだけ苦労したと思ってるんだよ。直前までキャンセルしかけてたんだぜ」
ブライアンは渋い顔をしたが、彼の言うことも一理あると認めた。突然、物思いから覚めたジョンが言った。
「ログの言ったことは正しいかもしれないけど、それでも変だよ」
ロジャーは黙った。セルリアン・ブルーの瞳に懸念が溢れている。何かがおかしいというよりは、ただ歳を取ったからという方が安心できた。結局、この件はそのままにしておかざるを得なかった。一時的にすら、フレディは彼らの心配を払拭してはくれないことは分かっていた。家に帰ってからも懸念は続くだろう。あまりにも奇妙すぎて、そっとしておくしかなかった。フレディがこう決めた訳は、時が経てば分かるかもしれない…おそらく。

一本の電話で、ジョンは再びフレディに思いを馳せることになった。ブライアンの家を出てからは忘れていたのだが。フレディを訪ねたブライアンが、そのことで電話をかけてきたのだ。収穫なし。フレディがツアーを止めたいといったその理由を、ブライアンは聞き出すことが出来なかったのだった。電話口で彼はこう言っていた。
「どうしてるのかと思ってちょっと通りかかったんだと言うと、フレッドは元気にしてるよと言って中に入れてくれたから、しばらくリビングで喋った。どうしてツアーを止めたいんだと尋ねると、ただ「さあねえ」と言ったきりでその話を打ち切ってしまった。ずっとそんな調子さ。でも僕は真相を知りたかった。分かるだろ?」
ジョンは電話だというのに、思わず首を縦に振っていた。ブライアンは続ける。
「それで、どこかおかしいのかと訊いてみたんだ。巷の噂をいくつか挙げてみると、彼は黙りこくってしまった。なあジョン、他に何かすべきだったと思う?」
「かもしれないね」
「何かが起きつつあるってことははっきり分かった。でもフレディは、大丈夫だって言い続けてるんだ。心配することないからって」
ブライアンはジョンの返答を待っていた。しばらく考えた後、ジョンは言った。
「噂のことを訊いたら、黙ってしまったんだよね?」
「あ、ああ。でも、あれが本当ってこと、有り得ると思うかい?」
「可能性はあるけど、僕にも分からないんだ、ブライアン。君と同じくらいにしか。でも、もう一度フレディに訊くのは得策じゃないね。絶対答えないよ」
「ああ、それは分かってるさ」
何が起きているのか見つけ出すことが出来ず、ブライアンは少し失望していた。フレディは僕たちを信用していないんじゃないだろうか、とさえ考えていた。結局、お互いにそのままにしておくことに決めた。いつかフレディが話してくれるだろう。それまで辛抱強く待つしかないんだと。

* * *

たいした思い出だ。ロジャーがそっと肘でつついてくれ、ジョンはようやく我に返った。
「おい、起きろよ。終わったぞ」
人々は立ち上がっていた。瞳を涙で濡らし静かに泣きながら、足を引きずり歩いている。ロジャーに倣って席を立ったジョンは、ドアに向かってのろのろと歩みを進めた。皆が悲しみと同情の目で彼らを見ていた。溢れんばかりの花、人、慰めの言葉。喪失と絶望と嘆きの渦。最後に目にしたのは、花。記憶は永遠に心に刻まれた。

Part Two : 真実

ジョンはいまだに考えていた。何が起きたのか、答えを見つけたかった。たった今、長年共に働き、愛してやまなかった男に別れを告げた。こんなことは全部おかしい。でも、まさに最後の別れだったけれど、彼が僕や隣で涙を流している二人に与えてくれた素晴らしい贈り物は、心から消えはしない。僕の人生は彼らと共にあった。楽しい思い出も、辛い思い出も。まだ解決できていないことは沢山ありすぎるけれど。クイーンのために働いてきた人生。作曲、演奏、レコーディング、ツアー。インタビューに記者会見。それらはまるで昨日のことのよう。フレディの健康状態に関する噂が始まった頃のことをジョンは思い出した。それは自分を見失い、必死に立ち直ろうとしていたときの事でもあった。

* * *

月日は去り、クイーンの4人のメンバーは、新たなアルバムを作ることを決めていた。プレスにフレディの病気について聞かれる重圧をはね除けての、懸命の作業。自分は元気そのものだとフレディは答え続けていたが、新聞は彼の健康状態について様々な噂を撒き散らしていた。たとえしつこく尋ねられても、ブライアン、ロジャーそしてジョンは、何も語らなかった。フレディ自身がそうだったからだ。何を言う必要があるというのだろう? 彼らはこれまで同様プレスを無視しようと努め、新たなエネルギーを新作に注ぎ込み始めた。

「後で手を貸してくれる?」
新曲のアイデアを披露したジョンがこう言うなり、フレディは両手を挙げて叫んだ。
「ダメダメ、駄目だよディアー」
それから彼は礼儀正しくジョンに片手を差し出した。ジョンがどうしていいか分からぬままそれを見つめていると、フレディは手を引っ込めてもう一方の手を出した。
「こっちの方がいいの、ダーリン?」
「どっちでもいいよ」
ジョンは言い、申し「手」を受けた。

フレディは手助けを請け負ってくれたが、ジョンが彼の住居であるガーデン・ロッジに出向かねばならなかった。そこでアイデアを出し合い、曲を完成させる手筈だ。側から見るとおかしなことであったが、この二人は以前よりも緊密になっていた。より深く関わり合い、お互いの存在を快く思うようになっていたのだった。ジョンが持ち込んだアイデアを見て「ああそう、なるほどね」と言うが早いか大急ぎで取り掛かり始めるフレディ。同僚の口元に浮かぶ笑みを見ながら、ジョンは幾分面白がっていた。フレディは流し目を送り、微笑み返した。
「出来るだけやってみようね。アレをちょっとココに、それからソレをソコに、と…うーん、そうだな…コレはそっちがいいかなあ」
フレディが紡ぎ出した言葉の列に目を走らせながら、ジョンは楽しそうにニヤニヤした。
「何やってるのか自分で分かってるワケ?」
「ちっとも」
フレディの返答はこうだ。
「でも、凄そうでしょ?」

しばらく真面目に作業した後で、フレディは何か飲み物を取ってくると言った。
「紅茶でいい、ダーリン?」
いつも紅茶だったので、ジョンは頷いた。フレディが消えると、ジョンはまた物思いに耽った。フレディは、まるで何事もなかったかのように振舞っている。仕事をして、冗談を言って。でも確実に何かが違ってしまった。今までなら、長い間家にいることなんてなかったのに。花や植物を育てたりなんかしなかったのに。今では植物や庭、テーブル上の花々まで盛大に自慢する有様だ。作業を開始する前に、ジョンはフレディに連れられて室内や庭のそれらを見て回っていた。『美しいじゃない?』フレディはこう叫んでいたっけ。

アシスタントのフィービーことピーター・フリーストーンに2組のティーカップを持たせて、フレディが戻ってきた。
「ダーリン、クッキーはどう?」
ジョンはその光景に笑みをこぼした。フレディはクッキーの袋だけを大事そうに、幸せそうに提げ持っていたからだ。目をキラキラ輝かせて袋を置くと、彼はクッキーを一つ差し出した。
「おひとつどうぞ、ダーリン」
紅茶とクッキーを楽しむ間、沈黙が訪れた。ジョンの心は再び彷徨い始めた。いつから僕たちは、こんなに親しくなったのだろう。ツアー中、フレディとロジャーが見つけてきた街に、ブライアンと付き合ったときのこと、プールで遊んだときのことなどをジョンは思い出した。後には、ショウの前にフレディと過ごすことが多くなったっけ。最初の頃、フレディはよく楽屋をうろついていた。ある日、ショウを目前にして彼がいなくなってしまい、誰にも居場所が分からないことがあった。ようやく探し当てると、フレディは朝食になりそうなくらいの量の鉢を抱え込んで、平然として食べていた。『やあ、少しあげようか?』悪びれもせず、こう言ったものだ。カッとなったロジャーはフレディに掴みかかったが、アシスタントのクリスタルに引き離された。フレディが加わり、ステージに上がる段になってもロジャーはまだ怒っていたが、オーディエンスが待っていることもあり、なるべく気にしないようにしていた。ショウの後、二人がこの件について話し合うことはなかった。だがジョンには分かった。これがフレディなんだ、本当のフレディの行動なんだと。

ジョンはハッと我に返った。フレディが話し始めたのだ。彼は作業に戻りたがっていた。フレディは再び言葉を紡ぎ、どうやれば最良になるかをジョンに語りかけた。ジョンはじっと聴いていた。何をすべきか、フレディなら分かっているから。彼はプロだから。

新聞はあらゆる手段でバンドを煩わせようとしていた。フレディの健康状態に関する噂を取り上げ続け、彼らがツアーを止めたのはまさしくフレディの病が原因だと書きたてた。苦々しいことに、記者に付きまとわれることなくしてはスタジオに入ることさえ出来なかった。よくあることだったとはいえ、今回は以前にもまして不愉快だった。ほんの些細なことでも憶測の種になった。フレディが恒例のパーティーを止めたこと。自宅で花々を育てていること。クイーンがツアーを止めたこと。そして、これらに関してフレディが何も理由を言いたがらないこと。フレディが外出する頃を見計らい、プレスは彼を捉まえよう、写真を撮ろうと待ち構えていた。ある朝、バンドのメンバー、スタッフを怒りに震えさせるような記事が新聞に載った。

スキャンダル 君が僕を捨てたことは 世界中が知るんだろう
スキャンダル 僕らの生活はまるで見世物小屋のよう
知られっぱなしさ 心の痛みも、愛の破局も
乞い願う声すらも ああ神様
何度も何度も何度も キリなんてないんだ


彼らの生活は「見世物小屋」どころではなく、日を追う毎に悲惨なものになっていった。プレスは始終付きまとい、休む間すら与えてくれない。あらゆる柵が重く圧し掛かり、断ち切ろうにもうまくいかなかった。噂に噂を上塗りするプレスにバンドはうんざりだった。一方フレディは、何事もなかったように振る舞い続けていた。共に過ごす時間は一風変わってはいても、温かかった。

スキャンダル 君が出て行った後 僕の傷は癒えることがない
スキャンダル 世界中が僕らを愚か者呼ばわりする
また悪いニュースだ 堰を切って溢れ出してる
連中は僕らをズタズタにする 卑怯者たちめ
何度も何度も何度も キリなんてないんだ


プレスは人々の実際の姿など興味はない。彼らが欲しいのは噂、声、写真だけだ。たいした事でなくても、収穫の何倍も大げさに取り上げる。これは窃盗だと、バンドは思った。自分達の人生を盗み、社会生活を脅かす、窃盗。だがプレスはお構いなしだった。欲しいのは噂だけなのだ。

言ってやろうか 覗きの連中に 知ったこっちゃないだろと
天井から吊らされて 勝手な言い草を聞かされるんだろうか
捻じ曲がり ボロボロになってこその人生だとか
知られっぱなしさ 心の痛みも 愛の破局も
僕の赦し乞う声も ああ神様
何度も何度も何度も キリなんてないんだ


状況はますます厳しくなっていったが、彼らには出来るのは前に進むこと、可能な限り生活を護ることだけだった。新聞や噂のためではない。最良のことを為すため、自分自身を生きるために。

スキャンダル スキャンダル

スキャンダル
スキャンダル そうさ 君はまた僕の心を砕いてる
スキャンダル そうさ 君はまた出て行ってしまうんだ


彼らは新聞を無視しよう、関わらずにいようとしたが、困難だった。なぜなら今や彼らは業界の一番手なのだ。70年代初めからの付き合いだったが、慣れることはできなかった。

今日はヘッドライン 明日はオオゴト
嘘の間に真実が隠されていることは誰にも分からない
物語の大事なところは深く隠されているものさ
ずっとずっと深い場所に


クイーンのこのおとぎ話は複雑極まりなく、メンバーですら、何が本当で何が噂か分からなかった。真実を探し、噂から逃れるために彼らは奮闘した。内面を知り、真実が嘘で、噂が真実ではないかと疑いさえした。共に持ちこたえ、理解し合えるのは、お互いしかいなかった。

スキャンダル スキャンダル
スキャンダル スキャンダル


ロジャーはカンカンになって今朝読んできた記事を見つけ出そうとしていた。何かあったに違いない。そうでなければ、なぜロジャーはあんなに怒り狂っているんだろう? ジョンはブライアンと視線を交わした。フレディがまだ来ていないことで、ロジャーはホッとしているようにみえた。彼の血は煮えたぎり、怒り心頭に達している。自分の反応は正しいと他の者にも知って欲しい気持ちでいっぱいだ。その写真は遠方から撮られていて、ぼやけてほとんど何も見えなかった。自分がなぜこれほど苛立っているのか、実を言うとロジャーもよく分かっていない。ジャングルの獣のように狩られているから? 連中が遠くからフレディの写真を撮って、これが彼の健康状態に関する疑問の答えだと思っているから? それとも自分自身、何が起きているのか不確かだから? フレディが何も話してくれないからなのか? ブライアンとジョンも新聞を取り上げ、記事を読み、写真を見た。ブライアンの顔は怒りで赤く染まり、ジョンの目は虚ろになった。表情を観察して、ロジャーは彼らが何を考えているのか探ろうとしていた。ブライアンは適当な言葉を探しており、ジョンは今しがた目にしたものの意味を考えていた。この世界がもたらすものに、もはや何一つ確信が持てなかった。クイーンがあるべき姿かどうかすら。そうあったはずのすべてが、違って見える。フレディも同じことを? 僕と同じように、フレディもこんな真実を疑っている? 彼は新聞に視線を落とし、記事を隅々まで探った。何も変わらない。たとえ百万年そうしたとしても、言葉は目前で小躍りしながら、その真実と生きる彼を怯えさせるだけなのだろう。望めば全く別の人生を選べた彼だった。穏やかで、ありきたりな人生を。シンプルな人生を送れたはずなのに、選んだのは茨の道。未だに自分でも分からなかった。心の世界を夢見ていたのかもしれない。この地球上で実現できると、信じていたのかもしれない。夢は誤った幻覚にすぎず、望みは既に消えた。ジャーナリストだって人間だ、生身の感情を持っているはずだと信じていたジョンだったが、今や完全に希望を失いつつあった。新聞は嘘をついている。こんなの真実じゃない。ブライアンは罵り、ロジャーも頷いた。ジョンは逃げ出したかった。新鮮な空気が欲しい。考える時間が欲しい。起こったこと全てを考える時間が。

彼は煙草を激しい勢いで吸い込んだ。建物にもたれて座る彼を、誰も目にしてはいない。誰も彼の居場所を知らない。階下の騒音に耳を傾ける。車で溢れた道路。叫びあう人々。実感のない、在り来たりの光景。まるで悪い夢の中にいるようだと、ジョンは思った。僕のじゃない。僕の夢なら、やりたいように出来るはずだから。今まで、納得のゆく選択をしてきたつもりだった。もう一度人生をやり直せるとしても、同じ事をするだろうと思う選択を、してきたつもりだった。逃げ出したい、自分自身を生きたいと思う気持ちがますます強くなっていく。バンド人生なんてもうご免だ。この闘いには勝てないと分かっていた。「死」が相手では、いつか負けると決まっている。だがこれは僕自身のではなく、フレディのため、友情のための闘い。はっきりさせなければならないと、ジョンは思った。どこでバンドを終えるのか、どこを見詰めていけばいいのか。僕は誰? どうあらねばならない? どこまでがクイーンのベーシストで、どこまでがジョン・リチャード・ディーコンなんだ? 見つけなければ。もしフレディが逝ってしまったら、あの魔法の力は失われてしまい、遺されるのは人生だけ。自分の人生を生き抜かねばならない。その方法を見つけないと僕は狂ってしまう。クイーンがなくとも生きていけると、証明しなければ。

* * *

沢山のことが起きた。悪い事も、良い事も。解決できた問題もあったが、当時受けた痛み、受けた喜び全てを受け入れるのは、未だに難しい。心の奥に残る、混沌としたクイーンを克服する道は見つかっておらず、彼は今でも探し求めていた。自分は誰なのだろう、と。

Chapter 2


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