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永遠の翼〜
As A Star Must Fade ― 消えゆく運命(さだめ)の星なれど ―
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Written by Anja Geenen (translated by mami)
Chapter Three : 息づく伝説
Part One : トリビュート
11月の寒い夜空に立ち尽くし、語らっているかのようなジョンを見て、ブライアンはにやりとした。
「フレッドとお喋りしてるのかい?」
ジョンは後ろでブライアンがくすくす笑っているのに気付いた。側に来て、空を見上げている。決まり悪さを感じたジョンは、できるだけ真っ白な気持ちで空を見上げようと努めたが、件の星が再びウインクを返してきたように見えて、赤面を禁じえなかった。彼は興味に駆られてブライアンを見た。
「あれ、君にも見えた?」
ブライアンも彼を見た。
「うん…」
しばらくして彼らは微笑み、『フレディ』に向かってウインクを返した。
長い間彼らは見詰め合っていて、やがて恥ずかしそうな笑みを浮かべた。ブライアンが会話を始めた。
「なあジョン、ログがね、フレディのトリビュートに関してアイデアがあるそうなんだ」
ジョンはため息をついた。
「そう?」
彼は、フレディの死後数日のことを思い返した。
* * *
世界は静かだった。まるで何事も起こらなかったように、平和に、その日は始まった。何の感情も、何の言葉もなく、3人の男たちは座っていた。友人の死が彼らを無口にし、あまりに感情が乱れ過ぎて、何も感じなくなっていた。彼らはロジャーの家にいた。招かれたブライアンとジョンは、ここ数ヶ月の、最後の瞬間の、そしてここ最近の考えと感情について話し合おうとしていた。話すことは何もないようにも思われた。お互いに、多くのことを話し合わねばならないにも関わらず、シンガーの死と共にすべてはどうでもよいことのような気がしていた。流しうる限りの涙を流しているようなブライアンを、ロジャーはただそこに座って眺めている。ジョンは不安で、ひどい気分だった。良い言葉が見つからない。何一つ。虚ろだった。突然、何もかもが無意味に思えた。ジョンはその日のことを最初から思い出してみた。電話を受けたあの瞬間からを。
「おはよう、ジョン。起こしてすまない。なぜ電話したか、おそらく分かっていると思うが」
胃の中に重いものが垂れ込めるのを感じた。ほとんど声が出せなかった。
「教えてくれないか、何があったのか。フレディがどうかしたのかい?」
まだ彼を失うことには耐えられない。まだ今は。
「亡くなったんだ、ジョン。今夜」
何かが喉を塞いでいる。重苦しい炎の塊が胃の中に渦巻いている。
「ああ、神様」
ジョンに言えたのはそれだけだった。
その瞬間を思い出し、彼の目に涙が溢れた。フレディの死は予想していた。だが、そのことを考える勇気がなかったのだ。今何が起きたのかを認めるのが辛かった。
ブライアンはまだ泣いていた。二度と泣き止むことはないかのように。
数時間前に記憶が遡った。
午後、ロジャーから電話があった。
「コスフォードに来いよ、ブライアンもいるぜ。フレディのために何かしてやりたいと思ってるんだ。ジョンにも来て欲しくってさ」
了解したジョンはロジャーの家へと向かった。車内で流した涙のため、家に着く頃には目を真っ赤に泣き腫らしていた。ベルを鳴らすと、ロジャーがドアを開けてくれた。彼の赤い目を見た途端、ジョンの中で何かが壊れた。涙が頬を伝った。ロジャーが体を引き寄せ、抱いてくれたのを感じた。
「来てくれてありがとう、ジョン」
彼の声もまた、涙と悲しみで掠れていた。部屋に入り、泣き濡れたブライアンを見ると、ジョンの目は新たな涙で満たされた。ブライアンの元へ歩み寄ったジョンは、彼を暖かく抱擁し、共に泣いた。ロジャーも加わった。取り残され悲しみで混乱した3人は、しばらくじっと座り込んでいた。
フレディのために何かしなければ。お互いにそう同意してはいたが、何をすれば良いのか、まだ見当もつかなかった。また仕事を始めようというのがブライアンの考えだった。そうすることで、フレディの偉大さを後世に遺す方法を見つけ出そうと。ロジャーもアイデアがあったが、どう表現してよいのか逡巡しているらしかった。
「なあ皆、俺に考えがある。意見を聞きたいんだ。フレディにさよならを言いたい連中は沢山いるよな。だから、少しでも多くの皆に手を差し延べることはできないだろうか? さよならを言うチャンスを与えてやれないかな? こういうのって、フレディもやりそうだと思わないか?」
「トリビュートみたいなものを、かい?」
ブライアンが考えこんだ。
「ああ、なるべく多くの連中を招待するんだ。俺たちのシンガーへの想いを、世界に示すためにも」
ジョンはただロジャーを見詰めていた。最後のツアーからもう5年も経っているのだ。それ以来、ステージに上がったことはほとんどない。戻りたいとも思わなかった。彼の答えはこうだった。
「僕は…分からないな、ロジャー」
「僕はよく分かる。良いアイデアだ。けど、どうやってやろう?」
またとないアイデアだと思ったブライアンは即座にロジャーに賛同した。問題はひとつあった。
「僕達、どういう風に、誰を招待したらいいだろうね?」
ジョンは置き去りにされ、忘れられたような気分になった。
「ごめん、『僕達』って誰? 僕はまだやりたいとは言ってないんだけど?」
まるで気が違ってしまったのかとでも言いたげに、ブライアンとロジャーはジョンを見た。
やがてロジャーが異議を唱え始めた。
「なんでやりたくないんだ? つまりこれはフレディのためなんだぜ? 俺たちがどれほど彼を愛しているのかを示したくてすることなんだ。あいつを忘れることなんて出来ないはずだろ」
「分かってるよログ、でも僕はもうステージには上がりたくない気分なんだ。それに出来れば、彼のことは僕なりに偲びたい。別の方法じゃ駄目かい?」
今度はブライアンが口を挟んだ。
「ログのアイデアは素晴らしいと思う。フレディにさよならを言うのに完璧な方法だよ。すごく理に適っているし。フレディなら喜んだはずだ。なあジョン、フレッドのためじゃないか。一度だけやろう」
ジョンはブライアンの子犬のような眼差しに逆らえず、首を縦に振った。
「オーケイ、やるよ。でも、フレディのためにだけ、これ一回きりだからね」
* * *
「中へ入ろう、風邪引きそうだよ」
ジョンはさっさとドアへ向かい、中へ入った。ブライアンは驚いて彼を見た。僕が言ったこと、聞いていたのか? 彼もジョンに従って家の中に入った。ブライアンは、ジョンがロジャーのアイデアをさほど気に入っていないのが分かっていた。でも賛成したんだ。だからここに来て、段取りの手伝いをしているんだろ? これから忙しくなるだろう。当日まで、することは沢山ある。
* * *
「人は沢山呼ばなくちゃな!」
「たとえば誰を?」
「そうだな…ええっと…たとえば…ボブ・ゲルドフ!」
ロジャーはひときわ熱中していて、どうすべきかきちんと把握しているかのように見えた。ブライアンは彼のオーガナイズを疑問視し、協力を得られるのだろうかといぶかしんでいた。
「他の人も呼ばなきゃね」
ロジャーは既に名前をいくつか書き出してある紙に屈み込んだ。これがロジャーなりの、対処の仕方なんだろうな。ジョンは彼を見下ろしてそう考えた。ロジャーを見守りながら、自分も何かすべきだと思った。すべて在り来たりのことだったと思われるのは嫌だ。フレディはもういないのだから。それにまだ、二度と戻れはしない人生について、思い返したりしたくはない。ジョンは椅子に腰掛けて、ブライアンとロジャーが仕上げようとしている話を聞いていた。ステージに立つことを了解し、段取りについても少しは協力すると約束したジョンは、ブライアンと同じように、なんらかの手助けが欲しいのではと思っていた。いつも仕事をしている、何をすべきか分かっているような人々の。
「僕に出来ること、あるかな?」
自分がほとんど必要とされていないような気がしてきて、ジョンは言ってみた。
「何もないんなら、家に帰るよ。家族が待ってるから」
リストから顔を上げたロジャーは、あたかも難しい決断を下すかのように、しばらく思案していた。そして突然言った。
「オーケイ、帰れよ」
言うなりまたすぐに彼はリストに屈み込んだ。ジョンは困惑してロジャーを見た。完全に除け者にされた気がした。彼の言葉には、自分のことをまるで必要としていないような響きがあり、そこに傷ついた。ブライアンがジョンの方へ振り向いた。ロジャーの態度を申し訳なく思っている気持ちが、彼の顔から読み取れた。
「ここは大丈夫だよジョン。また明日」
ジョンは頷き、ドアへと向かった。
「それじゃ」
彼に言えたのはそれだけだった。ブライアンだけが応えた。
「じゃあね、ジョン」
ロジャーは黙ったままだった。
長い友情の、終わりの始まり。フレディがいたときに感じたあの友情は、もうほとんど残っていない。ジョンは疎外感をひしひしと味わっていた。ロジャーはすべてをオーガナイズし、ブライアンは彼の側で動いている。ジョンとロジャーの間にはもはや何も感ずるものがなかった。互いの観点を理解することができなくなっていた。意見を通すのは昔以上に困難だった。ロジャーは軽く脇へ押しやり、自分の欲するままに行動したからだ。ブライアンはまだ悲しみと痛みで一杯になっており、ほとんど口を挟まなかったが、少しは慎重だというだけで、所詮彼もロジャーと同意見だ。このトリビュート・コンサート全体はロジャー自身のちょっとしたプロジェクトであり、ブライアンは全てに付き従っている。ジョンに選択の余地はなかった。
リハーサルの日々…。
辛い作業だった。逆らうつもりは毛頭ないが、ジョンはリハーサルが好きではなかった。アーティストたちは皆歩き回り、自分達の仕事をこなしている。ジョンにとって、これは「演技」だった。ブライアンやロジャーと今も素晴らしい友人であるという、演技。このトリビュートを心からやりたかったんだという、演技。心の中では悲鳴を上げていた。こんなことおかしい。彼らは何をやっているんだ? だが彼は笑みを浮かべ、ベースを弾き、皆と語り合っていた。空しかった。間違っている気がした。見回せば、人がいる。フレディを知りさえしない人々。クイーンの中で唯一無比のキングだった男のことを、知ろうともしない人々。ジョンは逃げ出したい気分に駆られた。だが、留まった。最後なんだ、これが本当の最後なんだ。フレディのためだから。大切な友人だった、フレディのためだから。留まってリハーサルを続け、コンサートを行う理由は、そのためなのだから。ロジャーは走り回り、皆と語り、笑っていた。ブライアンは何人かと曲のコードを練習していた。ジョンは座り込んで紅茶を飲みながら、人々の様子を眺めていた。
その日が来た。大入り満員のウェンブリー。バックステージに立ったジョンは、群集を見詰めた。あの頃と同じじゃない。フレディはもういないんだ。余りにも思い出が鮮明すぎた。過去を忘れてしまいたい。自分の人生を生きたい。そう思う一方で、あの頃に戻りたい、あの若く輝かしい日々に戻りたいと願う自分がいた。他人に演奏される曲を聴くのは奇妙な感じだった。バックステージでは人々が走り回っている。インタビュアーたち。アーティストたち。ジョンは周囲を見、聴衆を見た。せわしない。ひどくせわしない。
大きなスクリーンにフレディが映し出された。映像の中でさえ、彼は印象的だった。聴衆からの反応は良かった。少しばかり驚いたが、同時に嬉しくもあった。彼らも、感じていたんだ。あの魔法を。感動している自分を認めない訳にはいかなかった。見なければならない。それは辛いことだった。もう、フレディの後ろにいるのではないのだ。フレディは僕達の前にいないのだ。なぜこれほど釈然としないのか、はっきり分かった気がして、ジョンは上体を後ろにそらした。フレディの位置を誰かに奪われたくないからなんだ。そう、あそこはフレディの場所なのだから。奇妙な感情が身体中を駆け巡り、ジョンは少し後ろめたい気持ちになった。滅茶苦茶な演奏をするアーティストを見るのを幾分楽しんでいたのだ。そのことでフレディの良さが際立ち、彼の「スター」が他の誰よりも燦然と輝くからだった。にも関わらず、ジョージ・マイケルが素晴らしいパフォーマンスを披露したときは喜びを隠し切れなかった。彼は余りにも上手かったので、感動せざるを得なかった。フレディ抜きで演奏を続ける辛さはあったが、このトリビュートはジョンに喜びも与えてくれた。これがクイーンの、もしくは生きているメンバーの見納めだというのを聞きつけたファンが、沢山集まってくれた。皆、フレディへの愛を表したくて来たのだ。他のメンバーをもまだ愛していると言いたくて、来てくれたのだ。ジョンはファンが誇らしかった。礼儀正しいファンたち。飲食物を分かち合い、バナーを分かち合い、悲しみと涙を分かち合うファンたちを、彼は眺めた。そんな彼等を見ていると、胸が張り裂けそうになった。
涙と感動に溢れた美しい一日はまた、非常に疲れるものでもあった。最後にはジョンは完全に真っ白になった。アフター・パーティーは、それまでクイーンがおこなって来たどれよりも奇妙なものだった。勿論、演奏した全てのアーティストがそこにいて、バンドとフレディへ追悼の意を表している。しかしジョンはこれ以上そこにいることに耐えられなくなり、人々から離れることを決めた。小さな部屋に落ち着くと、壁に寄りかかった。ひどく虚しかった。本当に、これで最後。本当にすべてが終ってしまった。もう何もないんだ。ジョンは虚ろな目を暗闇に向けた。何も感じない。何も考えられない。不思議なことに、ブライアンとロジャーも同じ気持ちになったらしく、まもなくしてジョンの元へやってきた。彼等は話せなかった。考えられなかった。何が起きたのだろう? 何をしてしまったのだろう? 痛みが押し寄せてくるのをジョンは感じた。未来はとても暗く、恐ろしい。何も持っていないのに、人生を建て直さねばならないなんて。クイーンは無くなってしまった。フレディは行ってしまった。残されたのは積み木の欠片。バラバラになった積み木の欠片。これからどうなるのか、誰にも分からなかった。今何をすればよいのかすら分からなかった。すべてが無意味で、無益に思える。ジョンは考えるのを止めた。はなから無理だったのだが。待つしかないのかもしれない。誰かが手を取り、進むべき道を示してくれるまで。どうやって生きてゆけばよいのか、誰かが教えてくれるまで。
「生き抜かなきゃ、ジョン」
フレディの声がジョンの頭に木霊した。彼はドアに顔を向けて立っている。出て行く瞬間だった。ジョンは少し待った。だがフレディがそれ以上何も言わないので、ドアへと歩みを進めた。
「ジョン!」
ジョンは再び立ち止まった。まだ振り向いてはいない。フレディに顔を見せるのが恐かったのだ。
「ここに来て、ジョン」
従うしかなかった。踵を返し、フレディが横たわるベッドに近づく。それでもまだフレディの顔を見ようとはせず、視線は足元に落としたままだ。
「ジョン、僕は君にありがとうを言いたいんだ」
ジョンは顔を上げ、フレディの表情を探った。読み取れるものは何もなかった。
「いて欲しい時、君はいつも傍にいてくれたね、ジョン。ずっとそうしてくれて、ほんとに感謝しているんだよ」
ジョンは恥ずかしそうにフレディを見た。何を言ってよいのか、どう反応してよいのか分からない。しばらくして、彼は肩をすくめてこう言った。
「それが友だちってもんじゃないかな?」
フレディは微笑んだ。
「うん…でもねジョン、友だち皆がそうだった訳じゃない」
ジョンはまるで小さな子供のように、恥ずかしそうに、少々居心地悪そうに立ち尽くしていた。突然、フレディが少し体を起こし、腕を上げた。彼はそのままジョンを掴んで抱き寄せた。ジョンは僅かにショックを受けたものの、抱くままにされた。しばらくして、ジョンの腕がフレディの体を包んだ。痩せ細った体。なんてか細くなってしまったんだろう。フレディの固い抱擁は、やがて緩められた。ジョンの目からこぼれ落ちた涙を、フレディはその肩に感じた。不意に彼はジョンを押しのけた。
「ほら、泣かないの。オトナなんだから、やれるでしょ」
「フレディがいてくれなきゃ…」
「ジョニー、僕はいつまでも君と一緒にいる。絶対に。お互いに話せる手だてが見付かるって、約束するよ」
自分が幼い子供になってしまったように感じていたジョンは、フレディを信じるしかなかった。大きくて豪勢なベッドに横たわったフレディは、想いが宿る瞳でジョンを見詰めた。
「ほら、行くんだジョニー。大丈夫、僕なしでもやっていけるよ。人生は短いものさ、君にとってもね。さあ行って!」
ジョンは涙に濡れた瞳をフレディに向けた。先ほど感じた温かさは、今ではすっかり冷えている。ジョンはドアに向かった。部屋を出る寸前に彼は躊躇った。返事を待った。だがフレディは黙ったままで、ジョンはそのまま出て行った。それが、フレディを見た最後だった…。
ジョンはまだその場に立ち尽くしていた。背中は壁に寄りかかったままだ。彼はフレディを待った。連絡する方法を見付けるって、約束してくれたじゃないか、フレディ。僕は待っているんだ。だが頭の片すみでは、ジョンにも分かっていた。これで終わりなのだと。フレディは戻って来てくれやしない。あれが最後の会話だったのだと。
Part Two : メイド・イン・ヘヴン
Section 1 : ウインターズ・テイル
ブライアンは一度もうんざりしたことがないんだろうか。ジョンはため息をつきながらそう思った。フレディが歌を入れたテープに関して、また電話が掛かって来たのだった。
「完成させなきゃ。フレディならきっとそうしたはずだ」
スタジオへ来いと散々説得された時のことを思い出して、ジョンは辟易した。
「ジョン、これを聴いてみるべきだ」
ブライアンはそう言っていた。
「美しいんだぞ。フレディは全く素晴らしいよ」
当たり前じゃないか。フレディはいつだって素晴らしかったんだ。また彼の声を聴きたい、そのためだけにジョンは説得に応じた。またフレディに、心を震わせて欲しかった。目を閉じれば何事も起こらなかったような気分になるから。またフレディが帰って来てくれたような気分になるから。
スタジオに入ると、ブライアンは腰かけており、ロジャーの放ったジョークでにやにやしていた。いつもながらの眺めだ。ずっと前から慣れ親しんだ光景。ブライアンがいて、ロジャーがいて。だが完璧じゃない。フレディはもういない。「ダーリン、ようこそ!」フレディからは抱擁とキス、ブライアンからは「ハイ」の挨拶、ロジャーからは馬鹿げたジョークが返って来たものなのに。ジョンは立ったまま、元同僚たちを見詰めた。サングラス姿のロジャー。いつもながらの髪型のブライアン。変わらないものもある。
昔通りの作業。最初はまず、仕事のことなどまるで考えずに色々な話をするだけだった。夕食が済んだ時点でようやく、何をすべきかを話し合った。作業を始めていたブライアンは早く仕上げたがっており、ロジャーも同意していた。
「オーケイ、これからどうしようね?」
「曲を仕上げるんだろ」
「何曲くらいあったっけ?」
「うーん…たぶん、3曲くらいだと思う」
「ふうむ…あまり多いとは言えないな」
「イニュエンドウの後でフレディが入ってるのは、それで全部だろ」
「そうだね。ここにあるのは何て曲だったかな?」
「ええっと…」
ロジャーはブライアンが既に書き付けてある紙に目を走らせた。
「あー…『ビューティフル・デイ』だろ、『マザー・ラヴ』だろ…それに、『レット・ミー・リヴ』だ」
ブライアンは頷いた。
「オーケイ。それだけじゃ足りないな。どうやって穴を埋めようか?」
紙を弄びながら、ロジャーは肩を竦めた。ジョンは窓の外を見ていた。心はどこか他の場所にあった。
「こんなふうに仕上げたこと、一度もないからなあ」
ロジャーはため息をつき、再び肩をひょいと持ち上げた。ここでブライアンとロジャーは、ジョンに目を向けた。視線を感じたジョンは突然夢から醒め、びっくりして見回した。
「な、何?」
「会話に付いて来てた?」
ブライアンの問に彼は答えた。
「いいや…ごめん」
ロジャーは苛立たしそうだったが、済んでのところで怒りを抑えていた。やがて息を吸い込んでジョンに言った。
「家にいる方がいいんなら、なんでここに来たんだよ?」
「ごめん、ちょっと考え事してたんだ…数年前のことなんだけどね…フレディのことを」
「ああ…」
ブライアンとロジャーは同時にそう言った。
「オーケイ、説明するよ。新作アルバムには、あと数曲欲しいんだ。どうやって埋めればいいと思う?」
「今いくつある訳?」
ジョンの質問に答えたのはロジャーだ。
「3曲さ。『ビューティフル・デイ』、『マザー・ラヴ』、『レット・ミー・リヴ』の3つ」
ジョンは考えこむ表情を見せた。
「そうか…もうちょっと加えないといけないね。新しく書くか、それとも…」
解決法を期待して、二人はジョンを見詰めた。しばらく沈黙が続いた後、ブライアンが一つの答えを出した。
「フレディは『愛の結末』を歌っていたから、あれを使えるよ」
「『ヘヴン・フォー・エヴリワン』もだぜ」
ロジャーも付け加える。
「ジョン、お前も何かあるんじゃないか?」
ジョンはしばらく考えた。
「フレディが歌っている曲がないかってこと? そう…たしかあった…僕が書いた『ユー・ドント・フール・ミー』って曲。たぶん、テープのどこかに入っていると思うよ」(訳注:実際はロジャーとフレディの曲)
ロジャーはさっとリストに目を走らせ、その曲を探した。
「いいや、無いぜ。見付けられない」
ロジャーが探すのを覗き込みながら、ブライアンは他のリストはどこへやったっけと考えていた。
「ブライアン、リストはこれだけじゃないだろ? 残りは隠しちまおうって魂胆なのか?」
ブライアンは笑い、その後でわざとらしくにやついた。
「畜生、バレたか。知られたからにはとっちめてやる」
「やれるもんならやってみな、このモジャ公」
ロジャーは拳を構えてブライアンの周囲を回った。ロジャーを従わせる戦略を考えた方がいいな。ブライアンは笑いながらそう思った。ジョンはため息をついた。
「今日はもう何もしないのなら、僕は帰る」
ロジャーはまだブライアンを脅すのに忙しくしていたが、ブライアンは顔を上げた。
「オーケイ。また明日の朝来るだろ?」
「ああ、もちろん」
じゃれあう二人を残し、ジョンはドアへと向かった。外へ出て、少し歩いた。
湖はあの頃のように静かで平和で、少しも変わっていない。ジョンの心は、7〜8年前まで漂っていった。
冬の訪れ
きらめく赤い空
飛び交うかもめたち
漂う白鳥たち
煙突からは煙が出ていて
これは夢なんだろうか
夢を見ているんだろうか?
シンプルでいて、暖かな雰囲気。湖は彼の平穏そのもの。時を経てもなお、美しいもの。まるで家にいるかのよう。おとぎ話。さあここだ。ここが湖。すべて、彼の魔法。近づいてごらん。触れられるよ。感じられるよ。
夜の帳が降りて
空には透き通る月
空想に耽る子供たち
立ち尽くす大人たち
なんと素晴らしい眺め
これは夢なんだろうか
夢を見ているんだろうか?
ジョンはまるで子供になった気分だった。これは空想ではない、現実なんだとわかっていても。夢が舞い降りてきた。空想する必要なんてないんだ。それを遥かに超えているのだから。でも、もしここに、この湖にフレディを戻せるのなら…それこそ空想の世界。夢を見てもいいじゃないか。
(夢見ている)ひっそりと、平和な世界
(夢見ている)穏やかで 幸せで
(夢見ている)そこにあるのは一種の魔法
(夢見ている)こんな素晴らしい眺めがあるのだろうか
(夢見ている)息を飲むような光景
手のひらには世界中の夢
フレディが側にいた。平和を、魔法を、楽しんでいた。掌の夢は平穏に満ちていた。世界を素晴らしいものにしてくれた夢。穏やかさをもたらしてくれた夢。その夢は空に飛び去った。湖を越え、赤い夕陽の向こうへと消えた夢を、彼は涙に濡れた瞳で見詰めていた。
(夢見ている)和やかな家族の団欒
(夢見ている)とりとめのないお喋り
(夢見ている)さざめく楽しい笑い声
(夢見ている)頬を濡らす優しい雨
(夢見ている)なんて素晴らしいところなんだろう!
子供の夢は大人の希望
近くに人の声がする。笑いさざめく声が、周りの空気を暖かなものにしている。ジョンは身近にフレディの存在を感じた。あの魔法を。湖から? それとも、フレディから? 身体は冷え切っていた。だが内なる炎が、魂を火照らせている。
すべてがこんなにも美しい
空に描かれた風景画のよう
高くそびえ立つ山々
金切り声の幼い少女たち
ぐるぐる回り続けている僕の世界
信じられないくらいに
眩暈がしそうなくらいに
これは夢なんだろうか
夢を見ているんだろうか?
ああ、至福の時
最後には、現実を忘れた。果たさねばならない仕事も忘れた。誰かの笑いさざめく声をぼんやり想いながら。思い出と期待に浸りながら。
寒さが身に染みてきた。もう中へ入った方がいいかもしれない。ジョンは湖を去った。夢に満ちた暖かな場所を暗闇に置き去りにした。思い出と希望だけは心に抱いて。
Section Two: マザー・ラヴ
ジョンがスタジオに戻ると、ブライアンとロジャーはまだ新しいアルバムをどう埋めるのか模索中だった。
「やあジョン!」
最初に声をかけてきたのはロジャーだった。
「なあ、俺たちちょっと問題抱えてるんだ。アルバムに入れる曲が少ないんだよ。何かいい方法あるか?」
「それ、昨日と同じだろ?」
「おはよう、ジョン。良い夜を過ごせたかい?」
ブライアンはいつもどおり礼儀正しい。
「うん、ありがとうブライ。いい夜だった。君も元気一杯みたいだね」
ブライアンはにやりとした。
「モントルーの夜は最高だからね」
ロジャーが突然割り込んできた。
「おい、なんだよ、そのモントルーの夜って?」
「お子様には教えられないね」
ロジャーはがっかりした表情を浮かべた。
「オーケイ、仕事にとりかかろう」
ブライアンは再び作業に戻った。ロジャーはまだ拗ねた子供を装っている。ジョンはその傍らで用紙を眺めた。ページを繰ってみたところで、アルバムをどう埋めればよいのか、何も思い浮かばなかった。やがてブライアンはため息交じりにこう言った。
「思い出してみようじゃないか。良い曲が幾つかあったはずだ。先に聞いてみるべきかもしれない」
3人は腰を下ろし、静かに聴き入った。息を呑む。鼓動が早まる。かの歌声、かの魔法を感じる心地よさ。ジョンは椅子に深々と腰掛け、目を閉じ、懐かしい歌声が奏でるあらゆるメロディを聞き漏らすまいとした。それは奇妙なテープだった。歌声だけで、時折ベースが入る、まだ未完成の歌の数々。
「次は美しい歌だよ。僕が書いたんだ」
ブライアンはそう言ってしまった後、あとの二人が互いに顔を見合わせているのに気付いてにやりと笑った。
「まあ耳を傾けてみなよ。もちろん歌詞はばっちりだけれど…」
もう一度彼はにやりとした。
「一番聴いてもらいたいのはこの声だ。美しいね」
ブライアンはテープを回した。柔らかな空気が流れる。レコーディングの日々を思い出させる、あの空気。誰かの息遣い…そしてあの声が歌い出す…。
(*1)
君と寝たいとは思わない
燃える情熱も
めくるめく情事もいらない
そんなことに行き場を求めはしない
欲しいのは安らぎと思いやりだけ
ただ感じたい 愛する人が与えてくれる 母なる愛を
ずっと孤独な小径を歩いてきた
陳腐な駆け引きは、もうたくさんだ
世間も見てきた、人は僕を強いと言う
けれど心は重く沈み、希望は消え去った
街の通り 冷たい外の世界
憐れみはいらない 欲しいのは心安らぐ隠れ家だけ
ママ、お願いだ もう一度僕を迎え入れて
波風は立てたくない
けれど、君なら与えられる 僕が切望する愛を
君に涙は見せられない
死ぬ前に安息がほしい
君がいてくれる それだけを感じていたい
君が与えてくれる あの優しい 母なる愛を
ロジャーとジョンは圧倒されて何も言葉が出てこなかった。ブライアンは彼らの反応をじっと待っていた。
ようやくロジャーがあえぎながら露骨に涙をぬぐった。
「わーぉ」
彼に言えたのはこれだけだった。ジョンは言うべき言葉を探していた。この感情をどう表せばよいのだろう。フレディの声はとても辛そうで、苦痛に満ちているかのようだ。彼もまたその痛みを知っている。4年間ずっと感じ続けている痛み。いまだ癒えることのない痛み。僕はまだフレディが恋しくてたまらないんだ。ジョンはため息を吐いて足元を見詰めた。何も言わずにいたい。言葉が見つからない。見つかったとしても、喉が強張って話せはしないだろう。身体が涙に満ちて破裂せんばかりだ。この4年間で感情を制御できたと思っていたが、それは間違いだった。長い間、ジョンは動くことすら出来ないでいた。目を閉じ、何度も何度も涙を呑んだ。痛みをこらえようとした。
ブライアンは長いこと待っていた。ロジャーとジョンは2人ともほとんど反応しなかった。ブライアンは沈黙を破ることにした。
「ああ…この曲はまだ完成していないんだ…。僕達がやらなきゃならない…それで考えたんだけど…僕が少しボーカルを入れてだね…たぶん…ええっと…」
ブライアンは諦めた。
「今は多分、一休みした方がいいんだね…うん…それからやろうか…」
ベッドの端に腰をかけて、ジョンは午後のことを思い返した。近い。あれから4年も経つのに、フレディはとても近くにいる。余りに近すぎて怖くなるくらいに。ジョンは部屋を眺めた。ここモントルーでの楽しい出来事が思い出される。平和だった日々。モントルーは美しいところで、ジョンはここが好きだった。ベッドに足をあげて彼は横になった。考え事をしながら、緩やかに夢の世界に引きずり込まれていった。
フレディはいつだってマジカルだった。自分のパートを歌い上げるだけでなく、魔法を、ただ一つの真実といえるものを付け加えさえした。スタジオ中に漂うメロディ。黒い瞳でスタジオを占領するフレディはとても力強くみえた。ジョンの傍らにはブライアンがいて、目を輝かせながらコントロール・ボードを叩いている。フレッド、続けてくれよと:
体中が痛い なのに眠ることもできない
道連れは夢だけさ
日が沈むと、いつもこんな気分になるんだ
今帰ろう あの懐かしい 母なる愛に
魔法が吹き飛んでしまうことを怖れて、ジョンは息を止めていた。冷たい雲を抜けたように身体が震え、あらゆる現実感が失われてゆく。
フレディが側に近づいてきた。
「良かった、またモントルーに来てくれたんだね、ジョン…来てくれて嬉しいよ…この曲を終えるのに、君にここに居て欲しいんだ」
ジョンは黙っていた。また出て行こうと考えていたことなど言えるはずもない。ブライアンやロジャーと続けることが嫌になったなんて言えない。もう数週間もここにいるのに、何一つ進んでいなかった。フレディはジョンを気持ちを読み取ったようだった。
「ねえ、僕がいるから不機嫌なの? 僕達は良い曲を作ってきたよね、そうじゃない?」
「当たり前じゃないか、フレッド」
ジョンはナーバスになった。フレディが言わんとしていることが怖かった。
「もう出て行くことなんか出来ないよ、ジョン。僕が行かせない。これを先に終わらせなきゃ。もし出て行ったら、どこまでも追いかけていって思い知らせてやる」
ジョンは喘いだ。喉が強張り、吐き気がして、汗が流れ落ちた。フレディはどんどん歩き続け、ジョンにはただ従うしかすべはなかった。フレディから逃れたい、自分で歩きたい、自分の道を見つけたい。彼は抗った。立ち止まって向きを変え、彼は歩き出そうとした。だが足が地面にくっついて離れない。振り向くとフレディが戻ってくるのが見えた。側まで来るとフレディは肩を掴んでぐいと引っ張り、彼を押し倒した。地面が消えた。ジョンはバランスを失って落ちていった…。
ハッと気付いた時にはベッドの上だった。無事なんだ…そうだろう? 当惑しつつ彼は周りを見た。部屋は暗く、窓の外から灯りが差し込んでいるだけだ。穏やかな世界。フレディはいない。ブライアンやロジャーもいない。全くの独りぼっち。しばらく横になっていた後、ジョンは家に電話しようと決めた。今なら大丈夫だろう。時計を見てそう思った。まだそれほど遅くない。
Section Three: レット・ミー・リヴ
ようやく、彼らは仕事に取り掛かった。ようやく何かをやり始めた。作業は『レット・ミー・リヴ』から始まった。ブライアンがこれを初めに仕上げたいと決めていたのだ。フレディは幾つかの部分に歌を入れていたものの、十分ではなかった。まだ歌われないままのパートが3箇所あった。残りを歌いたがっているブライアンとロジャーは、議論を始めた。
「誰かが2番、中間部分、そして最後を歌わなきゃね。まだ終わってないから」
自分で書いた作業リストを見ながらブライアンは言った。
「俺がやるよ。俺なら歌えるぜ…ブライアン」
ロジャーの申し出に、ブライアンは顔を上げた。
「いいや、僕だって歌いたいんだ」
「あんたはもう『マザー・ラヴ』で歌ってるだろうが」
「ああ、だけどこの『レット・ミー・リヴ』でも歌いたいんだ」
「そんなの不公平じゃないかよ」
ジョンはため息を吐いた。誰が歌うかってことすら決められないんだろうか? 2人から視線を逸らして、外を眺めた。脳裏に、こんな会話が浮かんだ。
「ジョン、歌いたいって言ってみなよ、ねえ?」
「え〜っ、分かってるだろフレッド、僕は歌わないよ。歌えないんだ」
「ブライアンやロジャーがどんな反応するか見ものじゃない。言ってごらんよ」
ジョンは微笑まざるを得なかった。確かに面白いアイデアだ。
「う〜ん、どうしようかな」
「ほら、頑張って」
フレディは彼を押しやった。
「こんな風に続けてたら何にもできやしないってこと、彼らに知らせてやるんだ」
「たしかにそうだね。こんな具合じゃ何も進まない」
ジョンはブライアンとロジャーの方へ向き直った。彼らはまだ誰が歌うかで言い争っていて、ジョンが振り向いたことに気付いていない。
「ねえ皆、解決方法を見つけたよ」
それで彼はようやく注意を引くことが出来た。ブライアンとロジャーは揃ってジョンの方に向き直った。
「歌うのは、僕」
口をあんぐり開けて、目をぱちくりさせ、気は確かかといわんばかりに、ブライアンとロジャーは穴の開くほど彼を見詰めた。ジョンはにやりとした。
「いけないかい?」
最初に気を取り直したのはロジャーだった。
「お前、歌ったことないじゃないか! 歌えないってのが口癖だろ?」
ジョンはにやにや笑ったままだ。
「もっとよいアイデアがあるってのかい、ログ?」
ロジャーは考え込んだ。
「ログ、自分が歌うべきだ、なんてのは駄目だ。他の案を考えなきゃ」
「それならお前に考えがあるのかよ?」
ロジャーがやり返した。ジョンは、黙ったままのブライアンに目をやった。さっきのがジョークだとようやく分かってきたところのようだ。
「2人で一緒に歌えないのかな?」
ブライアンがぱっと顔を上げた。
「そう、その手があったんだ。ありがとうジョン、君はグレイトだ」
ジョンは肩を竦めて、窓際へと戻った。ロジャーがまた文句を言い始め、大部分は君が歌えばいいからとブライアンが宥めている声が聞こえてきた。それでようやく、レコーディングが再開された。
スタジオ内は多忙を極めていた。バンド・メンバー、デイヴ・リチャーズ、そしてコーラス隊が一同に介し、フレディが歌い終えているパートを聴くことから始めた。ブライアン、ロジャー、そしてジョンは、どの部分を使うのかを既に決めていた。コーラス隊が指示されたとおりに、彼らのパートをこなす。
(*2)
心の欠片を持っていくがいい
魂の欠片を持っていくがいい
最初はフレディからだ。彼の懐かしい歌声がスタジオに響き渡り、人々に感銘を与えた。それからコーラス隊が、フレディのそれとは別物ではあれど、感情を込めて歌う。
心の欠片なら、いくらでも持っていけばいい
打ち砕いて
粉々にすればいい
僕は与え
君は奪う
僕にくれないか 再出発のチャンスを
僕に構わないで
お願いだ (ひとりにしておくれ)
もう僕に構わないで
一からやり直したいんだ
次はロジャーの番。彼は持てる全てを注ぎ込み、ブライアンだけでなく、スタジオ内の人間すべてをいたく感動させた。「素晴らしいよ、ログ!」皆口々にそう言った。ロジャーは誇らしげに顔を綻ばせていた。
魂の欠片なら、好きなだけ持っていけばいい
気が済むまで
もてあそべばいい
君は奪い
僕は与える
僕がほしいのは
生きるチャンスだけさ
僕に構わないで
お願いだ (ひとりにしておくれ)
もう僕に構わないで
一からやり直したいんだ
長くつらい葛藤の日々
いつだって僕を頼ればいい
困ったときには
僕がいる
ブライアンの番。腕の見せ所だ。ロジャー同様、彼もありったけの感情を込めて歌っていた。おそらく、彼より少しばかり多くの感情が込められていたかもしれない。そして、ロジャーがショウをさらった感があるものの、素晴らしかったとの評価を得た。
人生の欠片なら、いくらでも持っていけばいい
ねじ曲げたり、切り刻んだり
好きにすればいい
君は生き
僕は死ぬ
僕たち、ただの友達にはなれないのかい?
偽りの人生はもうやめて
僕に構わないで
お願いだ (ひとりにしておくれ)
もう僕に構わないで
一からやり直したいんだ
僕に構わないで
お願いだ (ひとりにしておくれ)
少しでいいから 愛をくれないか
(持っていくがいい)
(持っていくがいい)
僕に構わないで
(持っていくがいい)
(持っていくがいい)
欲しいだけ持っていくがいい 心の欠片を 人生の欠片を
持っていくがいい
一からやり直すんだ
奪うばかりの君
もう僕に構わないで
バンドやスタッフ達は結果に感銘を受けた。卓越した出来だった。巧みな仕事をしたコーラス隊、素晴らしい歌声のブライアン、そしてベストを尽くしたロジャー。フレディはいつも通りマジカルに、この曲に感情を注いでいた。その暖かさと最後の魔法が、ぴたりとかみ合っていた。
彼らは3曲を仕上げたが、まだすることは沢山残っていた。曲を並べ、アルバムを完成させることから始めた。その中には、『ヘヴン・フォー・エヴリワン』『トゥー・マッチ・ラヴ・ウィル・キル・ユー』『ユー・ドント・フール・ミー』が含まれていた。全て、フレディが歌ってあったものだった。
「フレディのアルバムから、何か追加した方がいいかもしれないね」
ブライアンが提案した。良いアイデアだと思われたが、まずは許可を取らねばならず、アルバムを完成させるまでにかなりの時間を費やした。
時は矢のように過ぎ去り、作業もようやく順調にこなれてきた。彼らの仕事はトップ・シークレットとされ、バンド・メンバーとスタッフ以外には、誰にも知らされなかった。そして1995年11月、クイーンの新しいアルバムがリリースされたのだった。
Section Four: ライターズ・ノート
どこからかやってきた僕は、行かねばならない場所へとまだ旅を続けている。
運命のままに駆けて行こう 自分の役目は果たすつもりさ
僕にはこうすることしか出来ない。
それはあらかじめ決められていたこと 心の奥深く
僕は一人の人物を覚えている。信じるものをすべて失ってなお、愛するために生きていた人物を。
苦しみに満ちた過去を背負い 心からの愛に生きる
僕の人生は困難続き。だが生き抜かねばならない。何があっても。
代償は支払わなくちゃならない
人々は僕に期待を抱いている。突然の仕事を持ち込む。
運命に翻弄されながら
ゴールへ、運命の地へたどりつくため、あらゆる機会を捉えたい。
チャンスを待ってはいるけれど
たとえ進むべき道を探し求めねばならないとしても。
そううまくはいかないさ
僕は過去から学んだ。痛みを知った。学べてよかったと思っている。
嵐が来るのも 天の定め
塞いだ気分の後に幸福が訪れた。だけど幸せを抱いたままでいるのは難しかった。どうか落っことしませんように。どうかいつまでもこのままでいられますように。
雲間から青空がのぞく時 僕は願う この瞬間が永遠に続くことを
これが僕の役割。探し物を見つける僕の旅を、人々はじっと見ている。飛んだり落ちたりしながら、僕は目的地へたどり着いてみせる。
悠久の歴史の中、僕は自分の役割を果たす
痛みや困難を背負わねばならないだろう。でも僕は逃げない。自分のものにしてみせる。体と心全体で感じながら、僕は涙を流そう。
理想を追い求め あらゆる困難を受け入れながら 全身全霊で生きている
僕は信じている。強さを。希望を。夢を。幸せを。悲しみを。旅路を。真実を。運命を。自分自身を。僕は信じている。
それは天の定め あらかじめ決められていたこと
押されて引かれて、支えられて。彼らはぼやけた視界に光をもたらしてくれる。運命へと導いてくれる。歌声が聴こえる。なんて美しい調べ。
誰もが言う 今にわかる すべては運命だと 簡単なことさ 誰もが言う 全ては運命だと 星のもとに 定められていたのだと
Part Three: オンリー・ザ・グッド・ダイ・ヤング
ジョンはぼやきながら車から降りた。何か忘れていることを思い出そうとしているのに、それが何なのか判断がつかなかったせいである。車のドアを閉め、スタジオの玄関へと向かった。ブライアンがまた電話を寄越したのだ。
「ジョン、曲を書いたんだ。これをクイーンとして出したい」
ジョンの答えはため息まじりだった。
「クイーンはもう存在していないよ」
今度はブライアンがため息をつく番だった。
「ジョン、僕はこの曲を君やロジャーと一緒にレコーディングしたいんだ。フレディのために書いたんだからね」
ジョンはしばらく黙っていた。
「聞いてるのかい、ジョン?…ジョン?」
洗濯場にいる妻、リヴィングで遊ぶ子供たちを見つめた後、ようやく彼は呟いた。
「分かった、行くよ」
そして今、彼はブライアンやロジャーが待つスタジオに足を踏み入れたのだった。彼らは既に、どういう風に、誰がどうやるのかを話し合っていた。ジョンはいつもどおり、ベースを引き寄せた。
(*)
湖水を眼下に
天使が空に手を差し伸べる
降りしきるのは天国の雨?
それとも僕らの涙雨?
ブライアンが歌い始めた。か細く、脆い歌声。やがて彼は嘆息した。これ以上歌えないと。ロジャーが優しい面を覗かせて、続けるようブライアンを励ました。フレディを想うブライアンの目は混乱に満ちていて、まだ自制が効かないようだった。彼らはしばらく時間を取り、その後ようやくブライアンは歌い終え、それはテープに収められた。
傷ついた人々は
どこでも孤独な通りにたたずんでいた
誰も彼らには触れられなかった
君以外はだれも
一人、また一人
いいやつばかりが若死にしていく
あまりにも高く羽ばたいて、太陽に近づき過ぎたから
それでも人生は続いていく 君はもういないのに
また袋小路にはまり込んで
僕は憂鬱に沈んでいく
気づくと考えている
君ならどうしただろうって
思えば大したものだったよ
やるべきことを全部やった
君は世間の度肝を抜いて
最後まで自分を貫いた
ショウマンシップを見せたのはロジャーだった。持てる力全てを出し切り、素晴らしい歌声を皆に知らしめた。ブライアンは圧倒され、ロジャーの行為をとても嬉しく思った。皆が誇らしかった。僕はフレディの影法師なんかじゃない。自分自身の能力があるんだ。ロジャーやジョンもそうだ。
一人、また一人
いいやつばかりが若死にしていく
あまりにも高く羽ばたいて、太陽に近づき過ぎたから
忘れない
永遠に
パーティはもう終わりかい?
きっと僕らには永遠にわからないんだ
なぜ君が逝かなきゃならないのか
それは運命だったのかい?
こうして僕らは新たなテーブルを囲み
もう一度乾杯する
窓に映る君の面影に
さよならなんて、絶対に言わないよ
一人、また一人
いいやつばかりが若死にしていく
あまりにも高く羽ばたいて、太陽に近づき過ぎたから
何も求めはしない
誰も求めはしない
君さえいてくれたら
ロジャーと共に歌いながら、ブライアンは自分が幼い子供になったような気分だった。それでもとても楽しんだ。ロジャーとジョン、この2人との絆を改めて感じた。やり遂げたことを誇りに思った。これは僕達の、フレディへの追悼の気持ちだ。ようやく彼は、言わねばならなかったことを表したのだった。
ジョンは最初、あまり乗り気ではなかった。それでもスタジオにいると嬉しかった。フレディがいなくとも、まだ魔法は作用していた。友情を取り戻せたような気がした。実のところ、時折クイーンを懐かしんでいた彼だった。輝いていた若き日々を。感じていた友情の絆を。いまやすっかり年を取ってしまったが、それでもここにこうしていることが嬉しい。口うるさいロジャー、四六時中働きづめのブライアン、いつもの通りだ。ジョンは認めざるを得なかった。ブライアンとロジャーはいい奴だ。素晴らしい友人だ。
Part Four: 希望と友情の思い出
10年が過ぎた。フレディが亡くなってから、10年。ここ3年の間、ジョンは穏やかな家庭生活を営んでいて、それで大変満足していた。クイーンはほとんど彼を煩わせることはなく、金銭関係の通知を受け取る以外は、彼の方も出来る限り門外漢でいた。
「フレディのために何かしなければ! もう10年経つんだから!」
この話を聞いたとき、ジョンはただため息を吐いただけだった。ブライアンは何度か家に来て、彼をこのパーティに連れ出そうとしていた。
「フレディのための新しいお祝いだよ、ジョン。来なきゃ!」
ブライアンはいつも熱狂的だった。自分はフレディの人生を祝う気分でもないし、クイーンや他の何かを祝う気分でもないのだと、何度説明したらわかるんだろう。ジョンはいぶかしんだ。彼は、ブライアンとロジャーが再び集結するつもりだと告げに来たとき、嫌悪の念さえ抱いた。こんどはロビー・ウィリアムスとなんて。思い出す度に不平が出る。こんなのは好きになれない、聴く気も起こらないとジョンが誰かに話したと聞きつけた連中がいた。クイーンのことから身を引いているし、これ以上煩わされたくないのだと言っただけなのに。確かにロジャーやブライアンのやり方には少々不満もある。だが彼の発言を書いていいと誰にも許可した覚えはない。たぶん連中は、物足りなかったから色を付けたんだろう。彼らが曲を損ねたとは言っていない。ただ一緒にレコーディングをしようと口うるさく言われるのがうんざりだと言ったまでだ。それだけなのに。このことはジョンに、若い頃の人生を疎ましく感じ始めた理由を思い起こさせた。ジャーナリストと呼ばれる類の連中のせいだ。
「ちょっと喋ろうぜ、ジョン」
次に電話でジョンの説得に乗り出してきたのはロジャーだった。
「ブライアンや、俺や、俺たちのファン、そして、お前のファン。皆待ってるんだ。な、ジョン、頼むよ!」
「嫌だ。ノーと言ったろ。 僕は行かない!」
「なあおい、フレッドのためだ」
「ノーだ、ロジャー。どう言われても僕はやらない」
「ジョン、お前、フレディのこと忘れちまったのか?」
この言葉はジョンの胸に突き刺さった。よくもそんなこと。血が上った。受話器を掴む手に力が入る。しばらく何も言えなかった。やがて言葉が奔流となった。
「どうしてそんなこと言えるんだよ!? 僕がフレディのこと全然気にしてないと思ってるわけ? そんなこと言っていい権利が君にあるのか、ロジャー? 僕のことを役立たずで傲慢野郎だと思ってようが、ちっとも構わないさ。だけどこれだけは言っておく。僕がフレディを忘れたとか、もう気にかけるを止めたなんて考えないでくれ。僕は、僕自身のやり方で彼を偲ぶんだ。それじゃこれで失礼するよ。たちの悪い侮辱に付き合っている暇なんかないんだから!」
言い終えるなりジョンは受話器を置いた。ヴェロニカが心配そうに見ている。
「何があったの、ジョン。どうして叫んでたの?」
「別に」
彼の返答は短いものだった。
「あらあら」
カンカンになっている夫を見詰めて、ヴェロニカは言った。ジョンには理解できなかった。なぜロジャーはあんなことが言えるんだろう。なぜ彼らは僕をそっとしておいてくれないんだろう。もうやりたくないと、何度も何度も言っているのに。ブライアンやロジャーは、僕の気持ちなんて全然分からないみたいだ。かつてのことが頭に浮かび、図らずも涙が込み上げてきた。
ロジャーの言動を残念に思ったブライアンは、ジョンに電話をかけようと決心した。
「すまない、ジョン。分かっているだろうが、彼だって本気で言った訳じゃないんだよ」
「本当かな」
「勿論さ。このところバタバタしているから、虫の居所が悪かっただけだろう。なあ、聞いてくれ。僕は君の立場を尊重している。来る必要はない。もういいんだ」
「ブライアン?」
「なんだい?」
「どうして考えが変わったんだい?」
「う〜ん。まあね。ほら、僕結婚したろう? それでやっと、年中クイーンのことを考えずに済むようになったんだ。フレディが生きていたら僕達はどうしていただろう、なんてことをね…もう彼は居ないのに、僕の心には住み着いていたから。今は、僕にとって一番大切なのはアニタだ。ロジャーとやったことはちょっとしたお楽しみさ。やって良かったと思ってる。そして、今も続けたい。歩み出す時が来たんだ。24日は、悲劇の幕を閉じるつもりでいる。ただ最後に、僕がどれほどフレディのことを想っていたのか、示したいだけなんだ。それで、すべて終わる」
ジョンは驚き、かつ喜んだ。
「君がそんな風に思っていたなんて嬉しいよ、ブライアン。本当に嬉しい」
「喜んでくれるのかい、ジョン?」
「ああ、すごく喜んでいるとも」
「それは良かった。それじゃ、何もかもオーケイだね?」
「うん」
「そうか。今後はもう煩わせることはしないよ。ロジャーにもちゃんと言っておく」
「ありがとう、ブライ。話せて良かったよ。24日は僕もフレディを偲んでいるから。間違いなくね」
「グレイト。僕達もさ」
「君と知り合えて良かったよ、ブライ。本当に」
ブライアンは少しの間黙り込み、それから答えた。
「僕もだよ、ジョン」
2001年11月24日
ラジオから流れる声だけが、家の中に響いていた。
『今日、11月24日は何の日だかお分かりですか…今日はクイーンのシンガー、フレディ・マーキュリーが他界してちょうど10年にあたります。おそらく皆さんご存知でしょうが、彼はエイズが原因で命を落としました…12月1日はエイズ・デーですね。それでは、この偉大なシンガー、フレディ・マーキュリーを追悼して、"輝ける日々"をどうぞ…』
ジョンはボリュームを上げ、静かに聴き入った。脳裏にフレディの笑顔が浮かんだ。語りかけている。笑っている。ジョンは微笑み返した。長い歳月を経て、ようやくフレディが戻ってきてくれた。彼が心に住み着いたのはもうずいぶん前なのに、仕事やバンドに付いてゆくのに一生懸命になっていて、気付かなかった。フレディが亡くなった後も、悲しみに溺れてばかりで、気付かなかった。僕はなんて馬鹿だったんだろう。当時を歌う声に時の流れを感じ、ジョンは嘆息した。彼は再び、人生を愛せるようになった。思った以上に手にすることになったものすべてを享受しながら。
今日はフレディを追悼する日。沢山のアーティスト達、ブライアンやロジャー、多くの人々が集う中、ジョンは家にいる。「クイーンのジョン」としての人生を閉じ、「ジョン・リチャード・ディーコン」として生きようと決めたのだ。僕は家に戻ってきたんだ。彼はワインの入ったグラスを宙に掲げた。「フレディ、君に乾杯!」
涙を抑え切れなかった。今回は、喜びの涙だ。彼は手元のカードを開いて読んだ。
やあジョニー、君がいなくて寂しいよ。とことんハッピーな人生を! ブライアン&ロジャー
追伸:また飲みに行こうぜ (ストリッパーのおネエちゃんの方がいいって? 悪ガキめ!)
旧友からのカードを読み終えて、ジョンは微笑んだ。これから先、彼らが何をしようとも、好きでいられる気がした。長い時間を共にしてきたから。互いの人生を分かち合ってきたから。彼らの愛情はとてもユニークだ。ジョンはそれが誇らしかった。
考え事をしながら、あるいは新聞を読みながら、彼らはテーブルについていた。ラジオからは音楽が流れている。
『次は、今世紀ナンバー2に輝いた曲にいってみましょう。クイーンの"ボヘミアン・ラプソディ"です』
ジョンは新聞から、ヴェロニカは考え事から、それぞれ顔を上げた。ジョンの表情を見た彼女は、彼の目が夢見がちに彷徨っているのに気付いた。彼はどう聴いたのかしら? ボヘミアン・ラプソディを、みんなと同じように聴いているのかしら? それとも、部分的に、たとえばベース・ラインを? ここは拙かったとか、こうした方が良かったと思って? セッションや議論のこと、同僚や友人達のこと、そんな思い出を聴き取っているのかしら? 集中してジョンは聴き入っている。遠い昔を夢想している。そんな彼を理解しようと、ヴェロニカの目はジョンの顔を探った。
「ジョン、あなたは何を聴いたの?」
ジョンの目の焦点が彼女に合った。馴染みのある暖かい笑顔で、彼は言った。
「何かとても親しみのあるものをね」
見上げれば、あの星に会える。途方もなく素晴らしく、途方もなく親しみ深い歌を奏でるあの星に。星は輝いている。10年前、宙高くに見出された時よりもなお眩しく。今なお愛され、今なお記憶される星。星の名は、マーキュリー。
~The End~
(*):斎藤真紀子さんによる対訳(CDライナーより引用)
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