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永遠の翼〜 あなたに伝えたい

兄弟の中で僕が一番父さんに似ているらしい。
似て欲しくないところがそっくりだわと母さんが愚痴をこぼす。
オードビーにいるおばあちゃんは、ずっと前に亡くなったおじいちゃんにも
似ていると言う。父さんに聞いてみたけれど、「さあな」と言っていきなり
羽交い締めしてきたのでそれっきりになった。

父さんは普段はあまり家にいない。たまに帰って来て、
ニヤニヤしながらぎゅうっと抱き締めてくれるだけで僕は嬉しい。
ちょっぴりおかしな父さん。模型作りがうまい父さん。
僕は父さんの側がいい。

でも兄さんのロバートは違う。
前は一緒になってふざけてくれたのに、この頃とても冷たい。
ロバートは父さんと顔を合わさない。口もきかない。
滅多に帰らない親なんて親じゃないと吐き捨てるように言う。
父さんは少し困った顔をするけれど、何も言わない。


ある晩、電話口にいる父さんを見かけた。
――行かない、僕は行かない。
父さんは駄々っ子のように繰り返していた。
――行けないんだ。
受話器を置いた後の父さんの呟きが僕の耳に残った。

父さんがずっと家にいるようになった。
家の前を通りかかる人が普段より増えた。
電話もひっきりなしにかかってきた。
父さんが出るなというから、誰も取らなかった。

僕はなんだか心配になって、父さんにそっと耳打ちした。
「…行かなくていいの?」
だけど父さんは大きな手で僕の頭をポンと叩いて笑うだけだった。
「さあ、今日は何がしたい?」
ジョシュアやローラは喜んだ。
でも僕は、父さんの目が本当は笑っていないことに気づいていた。
僕と父さんは似ている。だから、嘘をつくのが下手なのも分かってしまう。


ある日、家の前に見慣れない自転車が乗り捨ててあった。
隠れるように誰かが門にもたれていた。
僕に気づいたその人は、サングラスをくいと下げて、いたずらっぽく
青い目をくりくりさせた。
「よお、オチビさん」
「ロジャーおじさん!」

「おじさんと呼ぶなと言ったろうが!」
僕がわざと「おじさん」を強調するとロジャーは僕を抱き締めて頭を
くしゃくしゃとかき回した。
会うのは久しぶりだったけど、ちっとも変わっていない。
「どうして入らないの? 父さん、いるでしょ?」
「今会って来たところさ」
ロジャーは急にしゃがむと、僕の両肩に手を置いた。
「オチビさん、親父は好きか?」
「う…うん」
「これから先、何があっても、側にいてやれよ。いいな」
戸惑っている僕を残して、ロジャーはさっと自転車に乗って行ってしまった。

何かとんでもないことが起きているような気がした。
母さんは何も言わない。ロバートは知ろうとしない。
ローラやジョシュアはまだ小さい。
父さんには聞けない。
どうしてこんなに苦しい気持ちになるのか、分からない。


学校に行くと、クラスメートのイアンが僕に絡んできた。
「よおマイク、秒読みなんだってなあ」
「…何がだよ」
「しらばっくれんなよ。フレディ・マーキュリーがもうすぐ死ぬって噂だぜ」
「……」
僕は本当に知らなかった。
「エイズだってなあ。エ・イ・ズ。お前の親父もかかってんじゃないのか?
なんたってオカマのクイーンだもんな! 」
気がつくとイアンに飛びかかっていた。地面に尻餅をついたあいつは
真っ赤な顔で拳を突き出して喚いた。
先生が止めに入るまで、僕等は殴り合っていた。

下校する時、ロバートに会った。
「喧嘩したのか? …やめろよな、こんなときに目立つ真似は」
兄さんは怖い顔で僕を睨んだ。
「僕が悪いんじゃないよ。あいつが父さんやフレディの悪口言うから…!」
大声を出すと切れた唇が痛んだ。ロバートはハンカチをさっと取り出して
僕の顔をごしごしと擦った。
「母さんには絶対言うなよ、そんなことで喧嘩したなんて」
「…ロバート…知ってたの? フレディが、もうすぐ…」
ロバートは暗い目で頷いたが、すぐに顔をそらした。
「どうしようもないことさ。何を言われても放っておけばいいんだ」
自分自身に言い聞かせるような口調だった。

泥だらけの服で帰った僕は母さんにひどく怒られた。校庭で遊んでいて
思いっきり転んだという言い訳も半分しか聞いてなかったみたいだった。
部屋から出て来た父さんは何も言わなかったが、悲しい顔をした。
僕と父さんは似ている。だから、嘘をつくのが下手なのも分かってしまう。
急に歳をとってしまった父さんが透き通って見えた。


それは日曜の朝だった。
いつも通り教会へ行く準備をしているときに、電話が鳴った。
留守電の合図で聞こえて来た声を聞くなり父さんは受話器を取った。
電話が切れた後も父さんは受話器を手にしたままだった。
僕が側にいく前に母さんが父さんの手から受話器を取り、元に戻した。そして
あれほど教会通いに熱心な母さんが、今日は家で祈りましょうと静かに言った。
いつもと変わらない日曜の穏やかな朝だった。
フレディが亡くなったのはそんな朝だった。

一日中、父さんは部屋から出てこなかった。


クリスマスはロサンゼルスで過ごすことになった。
母さんは料理の準備や飾り付けに忙しくしていた。
父さんは海が見える窓辺でぼんやりしていた。
普段なら小言が出る母さんもそんな父さんに何も言わなかった。
僕達はみんな、父さんがそこにいないかのように振る舞っていた。

お気に入りのレーシングカーが壊れてジョシュアが泣き出した。
ローラが慰めてやっている間に僕がなんとか直そうとしたけれど、
ネジがとれてしまってどうしようもなくなった。
「なんだよ、不器用だな」
ロバートが怒った口調でオモチャを僕の手から引ったくった。
しばらくガチャガチャやっていたロバートは、俯いたかと思うといきなり
立ち上がって階段を駆けのぼった。

屋根裏には父さんがいた。
冬の短い陽が窓辺から差し込んで、埃っぽい部屋がきらきらしていた。
父さんもずっと前からそこにあった置物みたいに燻ってみえた。

ロバートは壊れたレーシングカーを父さんの目の前に差し出した。
「父さんでないと駄目なんだ。…お願い」
消え入りそうな声だった。
父さんはオモチャと兄さんをじっと見詰めたまま、長い間動かなかった。
「お願いだよ、父さんじゃなきゃ…父さんがいなきゃ…」
ロバートの声は途中から聞こえなくなった。
僕も同じことを言いながら中に割って入ったからかもしれない。
「…不器用だな、おまえたち」
抱きしめた体は一回り小さくなっていたけど、それはいつもの父さんだった。

新品同様に直ったレーシングカーを見てジョシュアは大喜びした。
ローラは手を叩き、脚や腕がもげた人形をあちこちから引っ張り出してきた。
オーブンがおかしいの、と台所から母さんが顔を出し、おかしいのは
君の使い方さと言いながら台所に向かう父さんの後ろ姿を見つめていると、
ロバートが髪を引っかき回しにきた。僕は反撃し、二人で顔を見合わせて笑った。

照れくさくって言えないけれど、いつも思ってる。
父さんが大好きだ。大好きなんだよ。

あとがき

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