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Eternal Wings
Under Pressure
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Written by Anja Geenen (translated by mami)
Chapter Three
その日、ディーコン家の電話は2度鳴ったのだが、留守のため誰も出なかった。3度目が掛かってきたのは、ヴェロニカとモリーが帰宅した直後だった。モリーは寝室に退いていたので、ヴェロニカが電話を取った。ジョンからだった。
「ヴェロニカ?」
「ええ、私よ…」
「ハイ、ヴェロニカ」
「……」
「元気にしてるかい? 子供たちはどう? あまりびっくりさせてなきゃいいんだけど」
「ジョン! どこにいるの?」
「それはどうでもいい。いいかい、僕は大丈夫だ。心配する必要はないから。ただそれが言いたくて電話したんだ。僕がなぜ出て行ったのか、分かってるよね?」
「いいえ、分からない」
「……頼むよヴェロニカ。正直に言ってくれ……」
「私の言葉が原因? 選択を迫ったせい?」
「……いや……そうじゃない……僕はただ、一人になりたかったんだ。一人で考える時間が欲しかったんだよ」
「本当に、私の言ったことが原因じゃないのね?」
「愛してるヴェロニカ。君や子供たちを見捨てるもんか」
「現に今そうしてるじゃない、ジョン!」
「……君を動揺させるつもりはなかったんだ」
「動揺ですって? 気が狂いそうだわ! いったいどこにいるのよ? どうして出て行ったのよ? 帰ろうって気もなかったわけ?」
「ヴェロニカ、お願いだ! ただ時間が欲しかっただけなんだ。クイーンでいると何もかも無茶苦茶だったし、僕ら喧嘩もしたろ、だから……」
「だからクイーンを辞めるより私を捨てる、その方が楽だってことね?」
「いや……そう……つまり僕は……ええい、くそっ……」
「ジョン、あのときから私は本気よ。あなたに選んで欲しいと言ったときから」
「ああ……」
「選んで、ジョン」
「……無理だよ……君や子ども達はすごく大切だけど、クイーンは辞められない」
「……」
「聞いてくれ、君や子ども達は、僕の半身だ。けれどあと半分は、クイーンなんだ。僕にとってクイーンはとても大切だから、辞めることなんて出来ないよ、今はね……分かってくれヴェロニカ、愛してる。君が必要なんだ。だけど僕には、同じようにクイーンも必要なんだよ……」
「……」
「約束する。これからクイーンとの時間を減らすよ。君がいて欲しいときに、ずっと側にいるって約束する」
「戻ってきてくれるのね、ジョン?」
「……いや……今は駄目だ……まだもう少し、一人で考えたいんだ。帰る気になったら、また電話するから……」
「お願い、帰ってきて! 一人にしないで!」
「僕だって寂しいよ、ハニー。もう切るね。電話するよ。それじゃ……」
「ジョン、待って!」
電話は切れた。
「ジョンだったのね、そうでしょ?」
階段の最上段にモリーが立っていた。ヴェロニカは彼女と向き合った。
「ええ、あの人です。でも、まるで何も分かりませんでした。話したがらなくて」
ヴェロニカの目に新たな涙が浮かんだ。私たち、もう分かり合えないのね。結婚生活も終わりなんだわ。ヴェロニカは唇を噛んだ。もしあの人がこのままこんなことを続けるのなら、私もうついていけない。結婚もおしまい。自分自身のことすら分からないあの人とも、おしまい。呆然と涙が零れ落ちる。だけど、離婚なんて考えられないのよ。それだけは嫌なの。
* * *
ベッドに横たわって天井を見上げながら、ヴェロニカはジョンの言葉を思い返していた。
愛してるよ。でも僕には選べないんだ、今はまだ……。
頭の中はその言葉でいっぱいで、彼の声さえ聞こえるようだった。
ああジョン。私だって愛してるのよ。
以前にも、ジョンが怖くなって離婚を考えたことがあった。しかしその都度、ほんのしばらく経つと怖れはきれいになくなった。今のようなことは一度もなかったのに。明確に考えられなくなってきたヴェロニカは、すべてに疲れ切っていた。
ジョンの声が脳裏に木魂する中、彼女は眠りに就いた。
* * *
目覚めるなりヴェロニカはクイーン・オフィスへと向かった。
驚くジムに、ジョンが電話してきたことを話した。彼、クイーンを辞める決心をしたんですって。ジムの目を避けたヴェロニカだったが、紅潮した頬と瞳が、彼女の嘘を物語ってしまった。
「オーケイ、それでは今度は、本当のことを話してくれるかい、ヴェロニカ」
「ジョンが、電話をくれて……」
彼女に言えたのはそれだけだった。涙が溢れそうになって、ジムに背を向ける。そこへ、ロジャーのGFであるドミニクが現れた。彼女は肩に手を添え、優しくこう囁いてくれた。
「ヴェロニカ……ちょっと外へ出て、お茶でも飲みながらお話しましょうよ」
ドミニクは彼女をオフィスから連れ出した。ヴェロニカのことは、ロジャーと同じくらい古くから知っている。いいひとでシャイなヴェロニカ。あなたの気持ち、よく分かるわ。ドミニクもまた、ロジャーとの間に様々な問題を抱えていた。ヴェロニカが耐えてきた状況を思うと、彼女をますます尊敬したくなる。ヴェロニカこそ、自分がそうでありたいと願ってきた強さを持つ女性だったから。彼女が前にも一度ノイローゼに陥ったことがあるのをドミニクは知っている。ちょうどローラを身ごもっていて、感情的になっていた頃だ。メンバー達はツアー中はお祭り騒ぎで、小奇麗な女の子たちと戯れることを好んだ。ジョンもまた例外ではないと、ヴェロニカは気付いていた。あの晩彼女は、ジョンが自分よりもっと美しい別の女性と一夜を過ごしているのではないかと考えて、彼を失ってしまうことを非常に恐れていたわ。涙を流すヴェロニカの隣りに座って慰めようとしたときのことをドミニクは覚えていた。有名人の妻でいることは大変だ。その思いが、妻たち同士を友人にしていた。辛いときに助け合えて、理解してくれるのは同じ立場の女性達だけなのだ。ドミニクとヴェロニカ、そしてブライアンの妻クリッシーは共に良い友人だった。ただフレディのGFのメアリーだけはすこし違っていて、彼らとは合わなかった。
ドミニクは腕を広げてヴェロニカの肩を包み込みながら、彼女を慰めようとした。
「まったく、男って…」ドミニクは溜め息をついた。
「縛り付けとくべきよね。たちが悪いくせに、私たち無しではダメで。ほんと、大きなボウヤたちだわ。ねえヴェロニカ、今ごろジョンは、あなたに言ったこと全部を後悔してるはずよ。彼はあなたを愛してるし、あなたが必要だって分かってる。クイーンが彼の時間を奪ってしまうのを認めるのは大変だけど、信じてあげなさいよ。いつか気付いてくれるわ、クイーンなんかよりあなたの方がずっと必要なんだって。ジョンはそんな役立たずヤロウじゃないでしょ? いい人になってくれるわよ」
「彼は今でもいい人よ!」
擁護するようなヴェロニカの反応に、ドミニクはにっこり笑った。
「そう、その意気。真の愛は死なず、ね。……私、あなたの気持ちが分かるの。彼の言ったことで憎んでいても、やっぱり愛してる。それが彼だから。ジョンを失うのが怖いのよね」
身体の震えが止まらないヴェロニカは、頷くだけで精一杯だった。ドミニクの腕は暖かくて安心で、本当に案じてくれているのが分かった。
「ヴェロニカ、あなたには女同士の夜が必要だわ。分かるでしょ? 私たち女性だけで美味しい夕食を摂って、男性陣のことを心ゆくまでおしゃべりするのよ。そうなさいな」
ヴェロニカの了承を受けた後、ドミニクは手配をしてクリッシーに電話をかけた。
* * *
自分を分かってくれる女性たちとの夕食や会話で、ヴェロニカはほんのりと気分が良くなった。ドミニクもクリッシーも、ロジャーやブライアンにされたこと、したことを色々語ってくれた。男なんて信じちゃダメ。いつだって変わらないんだから。ドミニクの言葉にクリッシーが大きく頷く。散々馬鹿なことをやっていても、自分たちが一番。そして、私たち女性が必要なのよね。二人はヴェロニカにそう諭した。大きなボウヤたちだから、面倒を見てあげないと。心の底では私たちのことをすごく愛していて、私たちなしでは生きられないボウヤたち。彼らはそんなこと認めたくないでしょうけどね。ヴェロニカは微笑んだ。本当に気分が良くなってきた。
しばらくすると、沈黙が訪れた。ヴェロニカはもっと話が聞きたかったが、クリッシーは料理が入った皿を見つめるばかりで、ドミニクはゆっくり咀嚼している。3人とも分かっている。クイーンの妻たちにとって、今は最良の時ではない。バンド内のプレッシャーは、外にも顕著となっている。バンドだけではなく、周囲もプレッシャーと闘わねばならなかった。妻たちとて同じだ。ようやく、クリッシーが口を開いた。
「時々、ブライアンが何を考えているのか分からなくなる時があるの。今でも愛してくれているのかしらって……疑わしいのよね……帰って来てから、満足に会話もしてないし」
ヴェロニカにもその状況は理解できた。次はドミニクだった。
「ロジャーはそれほど誠実じゃない人だって分かってはいるわ。時々本当に怖くなる。自分自身を駄目にしちゃうんじゃないかって。そして、私やフェリックスまで巻き込まれてしまうんじゃないかって。止めてあげたいけれど、どうやればいいのか分からないの」
「クイーンが彼らを滅茶苦茶にしているのよ。これ以上、名声に対処出来るわけないじゃない」
クリッシーが明言した。それこそがまさにヴェロニカが恐れていることであり、気付いていたことだった。部屋のムードは浮ついたものから深刻なものに変わった。彼女達はお互いの痛みを分かち合い、その言葉の意味をはっきり理解していた。
クリッシーが続ける。
「たぶん…たぶんね、彼らだってもう分かっているわ。これじゃいけないって。つまり、ジョンがもうついていけなくなってしまっていることに、彼らも気付いて当然なのよ」
これらの言葉には希望が込もっていた。ドミニクも付け足す。
「もし何か気付いていたならね。もしそうじゃなかったら、百マイルほど落ちてみればいいのよ。地面に叩き付けられればいい。体中の骨を折って、激痛が走ってからようやく気付くんでしょうよ、なぜこんなに地面が近かったのかって。落ちたことすら気付かずに」
その憂鬱な言い方が、ジョンを失ってしまうことへのヴェロニカの不安を募らせた。
「ああ、どうしましょう。ごめんなさい、ヴェラ」
ドミニクはすぐに後悔した。おびえているヴェロニカをこれ以上傷つける気持ちはまったくなかったのに。
「電話が掛かってきたとき、ジョンは何て言ってたの?」
クリッシーが興味深そうに尋ねた。
「私や子供たちを傷つけたくないって。私たちを見捨てるつもりはないって」
クリッシーは顔を上げた。
「もうそうしたじゃないの」
ヴェロニカは頷いた。
「ええ、私もそう言ったのよ。愛してる、君が必要だ、そう彼は言ったわ。でも、どこにいるかも、いつ帰ってくるのかも教えてくれなかった。帰るときにはまた電話するって、それだけ」
「どうして出ていったのか、教えてくれた?」
ドミニクが核心に触れてきた。
「いいえ」
答は短かった。しばらく考えていたヴェロニカは、最後にこう付け加えた。
「私が分かってるって、彼は思ってたの」
ドミニクはヴェロニカに肩に腕を回し、二人は強く抱き合った。クリッシーも寄り添ってきて、抱擁の輪の中に入った。3人は長い間そうやってじっと座っていた。何が起きたとしても、お互いに助け合っていきましょうね。3人は誓い合った。
* * *
抱擁を解いた時、ドミニクは街へ繰り出そうと提案した。「楽しみましょうよ、奥様方!」笑いながら言うドミニクにクリッシーとヴェロニカは即座に賛成し、クラブの物色を始めた。今夜はいけないオンナになるつもり。素敵な殿方、素敵な調度品に囲まれたクラブへ。3人は、男達が通り過ぎていくのを観察した。あの人素敵じゃない? ティーンの女学生のように指差してはくすくす笑いながら、抱えている問題をすべて忘れた。
翌日、昨夜のことを思い出してヴェロニカは笑みを浮かべた。クリッシーとドミニクが、問題をしばし取り除いてくれた。彼らもまた問題を抱えていることを、ヴェロニカは気付いていた。でも二人ともそれを口にすることなく、何の為に集ったのかを把握していた。
突然の呼び鈴にヴェロニカはハッとした。ドアを開き、そこにいる客をみて驚いた。予期せぬ訪問客だった。
「ハイ、ディアー」
はにかみながら彼は言った。いつもなら周りに控えている召使たちを目で探すヴェロニカに、客はまた照れたように微笑んだ。
「いや、今日は僕一人だ」
ヴェロニカも恥ずかしそうな笑みで彼を招き入れた。起きてきたばかりのモリーも、彼を見て驚いていた。
「あら、まあ」
「こんにちわ、マダム」
彼はモリーの手を取ってキスをした。この仕草にもモリーはさほど感銘を受けていないようだった。ジョンの帰りだけを心待ちにしている彼女にとって、この男は息子の人生における問題の一原因だとしか考えられなかった。
「ジュリーや孫たちに会いに行ってくるわ、ヴェロニカ」
ヴェロニカは頷き、モリーがコートを着るのを手伝った。
「やっとそんな気になれたのよ」
そう言いながらモリーは玄関を出て行った。
ヴェロニカは予期せぬ訪問客の方へ向き直った。なぜ、私に会いに? 客はどう言っていいのか、何をしていいのか思案に暮れていた。
「実は、僕はね、いつでもジョンが好きだった。今もそうだよ」
彼を見ていると、初めて出会った時のことが脳裏に浮かんだ。他の人とはまるで違う、エキゾチックな彼。ヴェロニカは彼の一般的なイメージが、実際の人物像とはかなり異なることを知っていた。彼女の知っている彼はシャイで物静かで、決してリーダーなどではなかった。しかしこのシャイで物静かな青年は、バンドの力強いリーダーに祭り上げられてしまった。本人はまったく変わってはいなかったのに。そんな彼には会いたくない。ヴェロニカが会いたかったのはまさに目の前に立っている彼だった。シャイで不器用な、「フレディ・マーキュリー」よりはむしろ、「フレディ・バルサラ」の彼。彼女の気持ちを察し、ジョンを大切に思っているから、彼に起こったことすべてに責任を感じて伝えに来てくれた彼。話を聞きながら、ヴェロニカは少々戸惑っていた。おそらくフレディの言葉以上に。
フレディはこういった深刻な状況やシリアスな会話は苦手だった。だがこうしなければならないのだと、彼は感じていた。この女性はそれだけの価値のあるひとだから。フレディは冷血な人間ではない。今は彼女のために、日ごろの横柄さも影を潜めていた。自分がジョンを大事に思い、気にかけていることをヴェロニカに伝えるのは難しかった。彼女を素晴らしい女性だと思っていることも。どうやって伝えればよいだろう。しかし、伝えたかった。彼らのこと、今の状況をどう思っているのか、心から伝えたいと思っていた。ようやく彼は口を開いた。
「ヴェロニカ、全部僕に聞いてくれないかな。君のためになんだってやるよ。ジョンをここへ戻すため、君達二人がまた幸せになれるためなら、僕は何だってやる。もしそれが、ジョンがクイーンを辞めなければならないことを意味するのなら……」
ここで彼はごくりと唾を飲み込んだ。
「僕は、彼にバンドを去る機会を与えてもいいと思うんだ」
フレディは自分でも信じられなかったが、言うべきことは言った。ヴェロニカはたった今聞いたことが信じられずに、彼をただ見つめていた。
「本気だよ、ディアー」
フレディは彼女の頬にそっと触れ、とっておきの笑みを浮かべた。しばらくの間ヴェロニカは驚愕していたが、肩の荷がすーっと降りたような気がした。彼女はフレディに抱きついた。突然の抱擁に感謝の気持ちがこめられていることを、フレディは感じた。攻撃されるのではないか、自分を殺したがっているのではないかと最初は思っていた。感謝されるなんて考えてもみなかった。ぎこちなくではあったが、腕を回し、泣き崩れる彼女を慰めようとした。ヴェロニカは、フレディが言いたかったことを完全に理解していた。ジョンにバンドを去る機会を与えると、この人は言ってくれた。ジョンと私を気にかけてくれていると、私達がまた幸せになれる機会を与えたいと、この人は言ってくれた。私が考えていることを理解してくれたメンバーはフレディが最初。この人は、何を言うべきかちゃんと分かっていた。わざわざ出向いて来て、ジョンと私を愛しているからと、必要な時間を与えてあげようと言ってくれた。初めてヴェロニカは思った。クイーンはもう何よりも重要なものではなく、これからは、家庭生活が大切なのだと。
再び戸口に立ったフレディがヴェロニカを見ると、彼女は微笑んでいた。微笑み返しながら彼は思った。きれいなひとだ。ジョンを家に帰して、彼女と幸せになってもらわなくちゃ。二人はそうすべき人たちなのだから。
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