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ラッティさんに聞く

ジョンとフレディのローディーを務めていたピーター・ヒンスさん(通称ラッティさん)へのメールでの質問とその回答をまとめました。

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Deaky Weekly vol.152より
◆ジョンのブラック・フィニッシュのプレシジョンは、実はナチュラルを塗装したものでしょうか?
まさにその通り!ブラック・プレシジョン・ベースは、ジョンがクイーンのほぼ全キャリアを通してプレイしていた、古いステージ用ナチュラル・ベースなんだよ。磨きをかけて、黒く塗装してあるんだ。

Deaky Weekly vol.143より
◆ある本で「ジョンはピックを客席に投げていた」という記述があるのですが、彼はよくそういうことをしていたんでしょうか?
いいや――ジョンは一度もオーディエンスにピックを投げたことなんかない。ステージ用のはいつも少ししかなかったからね。ステージではブルーのMartin Heavyを使っていたが、スタジオでは別の種類のものも使っていたよ。Martinのピックにはサム・グリップが付いていたから気に入っていたんだ。

◆ブライアンとロジャーにはそれぞれアシスタントがいるのに、どうしてあなたはフレディとジョンの両方のアシスタントだったんですか? もし差し支えなければ、どっちにこき使われたのか教えてくれません?
僕はジョンとフレッドのローディーのほかに、クルーのヘッドも務めてた……たぶん、バカだったからだろうな! バンドが大好きで、信頼していたから、彼等のためならどんなハード・ワークもこなせたよ――ありがたがられたことはめったになかったけれど。フレッドに比べたら、ジョンとの方が仕事はしやすかった。でも2人とも大好きで尊敬していたよ。うん、仕事はとても大変だったさ――けれど物凄く楽しかった。僕も若かったからね!

Deaky Weekly vol.135より
◆『愛という名の欲望』のアコースティック・ギターはジョンが弾いていると、ロジャーがあるインタビューで語っていますが、本当でしょうか?
ああ、確かにジョンが弾いていたよ。

◆レッド・スペシャルって、ブライアンが肌身離さず持っていたんですか? スタジオでメンバーやスタッフが遊びで弾いていたことは?
レコーディングはしなかったけれど、みんな戯れに弾いてたよ。ブライアンはみんなを信用していたから、自分の側に置きっぱなしではなかったんだ。

Deaky Weekly vol.127より
◆ダンエレクトロの6弦ベースはブライアンの物だということですが、スタジオで弾いていたのもブライアンなんですか? どの曲で使われているんですか?
使われていたという記憶はないなあ。スタジオにはいつも沢山の器材が置いてあって、使われないものも多い。必要になったら使う訳だよ。

◆ジョンが5弦ベースを弾いていたことはありましたか? スタジオでギターは弾いてました?
5弦ベースを弾いている姿は見たことがないよ―絶対、持ってなかったはずだ。彼のリズム・ギターは抜群でね、フェンダー・ストラトキャスターやテレキャスターを持っていた。

◆プレイ中にジョンはよく指を舐めていますよね。あれはクセですか? なんだか面白いなと思うんですけど、それについてからかったことあります?
そう、彼はピックを使っていない時はよくそうやっていたね。でもからかうなんて、とんでもない……

◆あなたがジョンのベースをチェックしている1977年冬の写真がサイトにありますが、コメント内の「彼が前のステージでひどいことしたから」の「彼」とはジョンのことですか? ジョンは時々そういう手荒な真似を?
ごく時たま、むしゃくしゃしたときに、ジョンはベースをステージや器材に向けてぶんなげていたよ。

Deaky Weekly vol.239より
◆1983年、おそらく"Picking Up Sounds"当時のジャム・セッション写真(こちら)でジョンが使っているベース(Wal社のもの)は、今まで見たことがありませんでしたが、ジョンの持ち物なのでしょうか?
僕も見たことが無いから、たぶんスタジオで借りたんだろう。

Deaky Weekly vol.251より
◆曲によってピック/指弾きを分けているのでしょうか? ステージのキャパ等に関係しているのですか?(たとえば、「ストーン・コールド・クレイジー」はたいていピック使用だけれど、ハイド・パークでは指弾きだったから)。それとも単に、ジョンの気まぐれ? 他に、波形がまったく異なるイコライザーが2台あるけれど、それの使い分け方は?
ジョンは最初、ライヴでピックを使ったことがなかった。使い始めたのは、たぶん、79年か80年ごろだったと思う。種類はいつもMartinの heavy。ある曲(たとえば「道づれ」)では指弾きだけ、またある曲(「アンダー・プレッシャー」)ではピックだけ、時には両方(「ナウ・アイム・ヒア」)というように、選り分けて使っていたよ。そのときの気分次第でもあったみたい。グラフィック・イコライザーは、ステージで彼のサウンドをコントロールするためのもので、たしかに2台あった―彼はなんでも2台持ってた。理由は、違うサウンドを得るために切り替えられるからと、あとは、もうひとつがぶっ壊れちゃった時のスペアの意味合いでね。でもそんなことは起きなかったな。なぜって?彼のローディー(注:ラッティさん自身)はね、すこぶるプロフェッショナルだったからさ!!


おまけ:リチャーズさんに聞く

2002年12月10日、後期クイーンのプロデューサー、デビッド・リチャーズさんとGFのナタリー・マンセルさんのライヴを堪能した後、楽屋でリチャーズさんにお話を伺う機会を得た際のものです。

Deaky Weekly vol.152より
◆ジョンはスタジオでどんな風に作曲していたんですか?
最初はピアノ(ヤマハ)で、その後でベースを弾くって風だった。でも彼はシャイだから、スタジオで作るというよりは家からテープを持ってきていた。そしてそのテープをフレディが聞いて、歌っていたんだよ。

◆そのテープ、歌は入っていたんですか?
いいや、メロディ・ラインだけのやつ。


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