・
最初のバンド「オポジション」に参加。初期メンバーは同級生のナイジェル・バレンにクライヴ・キャッスルディン、そして年長でパトロン的存在のリチャード・ヤング。『ジョンは初めはリズム・ギターを担当していた。彼はコード・マンだったよ、言うなればグループ内のジョン・レノンってとこかな』(ナイジェル・バレン/たまには雨も降るさ(Queen Before Queen[2])) 9月25日
クライヴの自宅で開かれたパーティーで初のギグ。 12月4日
エンダービーの生協ホールで、ラピッズ・レイヴというローカル・バンドの前座としてギグ。初の収入、2ポンドを得る。
1966年.....15歳
4月2日
ベーシストへ転向。『土曜の午後、クライヴをクビにする。ディークスんちのキッチンで練習。ベースはディークス。ずいぶんマシになった』(リチャード・ヤングの日記/たまには雨も降るさ(Queen Before Queen[3])) 4月29日
「オポジション」から「ニュー・オポジション」に改名。『ジョンがリズム・ギターからベースに転向した時に急に思い立ってね』(リチャード・ヤング/たまには雨も降るさ(Queen Before Queen[4])) 9月
ビーカム・グラマー・スクールに進学。 9月
あるパブで演奏することになっていたが、母モリーの反対に遭い断念。『ジョンはパブなんかで演奏させません!』(モリー・ディーコン/たまには雨も降るさ(The Early Years[3])) 10月23日
デイヴ・ウイリアムス、ロン・チェスターを加えた「ニュー・オポジション」、ミッドランド・ビート・コンテストにエントリー。予選を順当に勝ち進むが、1967年3月に行われるはずだったファイナルの際になって主催者が出奔、キャンセルとなる。→ たまには雨も降るさ(Queen Before Queen[4])
1967年.....16歳
5月20日
レスター、レスター・カジノでのギグを境に「ニュー・オポジション」から「ジ・オポジション」に改名。この頃、2人のゴー・ゴー・ダンサーが加わる。『でも彼女達は実際はショウの一部という感じではなかったよ』(デイヴ・ウィリアムス/たまには雨も降るさ(Queen Before Queen[4]))
1968年.....17歳
3月16日
ガートリー・スクールでのギグを境に「ジ・オポジション」から「ジ・アート」に改名。『デイヴ(ウィリアムス)が芸術家気取り(arty)だったからさ』(ナイジェル・バレン/たまには雨も降るさ(Queen Before Queen[5]))
・
現ブライアン夫人であるアニタ・ドブソンのアルバム「Talking Of Love」発売。『I Dream Of Christmas』に参加している。→Disco.Deacon(ソロ・セッション) ・
パロディ・ユニット、バッド・ニューズのアルバム「バッド・ニューズ」発売。『ボヘミアン・ラプソディ』でバック・コーラスを担当している。→Disco.Deacon(ソロ・セッション)
4月『ゆうべVH1のKing and Queen Dayで"We Will Rock You"を見て、当時、君達に楽しんでもらえるようにといかに僕達が一生懸命働いてきたのかを思い出したよ。あれはまだキーボード奏者がいなくて、僕達4人だけで沢山の照明の力も借りてフルサウンドを生み出してた時代だった。あんなにスリムで健康そうなフレディが見られて嬉しかったなあ。それに短パン一丁になってたし!18年も前の映像だから、みんなすごく若く見えるよねえ!』(OIQFC会報より抜粋。これ以降の彼のメッセージは掲載されていない) 11月8日
ベスト・アルバム3部作の完結編「グレイテスト・ヒッツIII〜フレディ・マーキュリーに捧ぐ〜」全英発売。→Disco.Deacon(グレイテスト・ヒッツIII)